海莉の期待は現実となるらしい。
 その朗報を聞いたのは、午後を過ぎて夕方に迫る頃、再びレイからの着信があったときだ。彼女の口からはっきりと日本の高校へ転入するという話を聞いて、海莉は踊りださんばかりに嬉しくなった。

「日本の高校って、どこ?」
『有明高校だよ、もちろん。海莉のいない学校なんて行く意味ないじゃん』
「まじで?」
『ナナたちのいるところに帰るはずが、海莉が東京へ引っ越しちゃったから焦ったよお』

 ナナとはレイの父方の祖母の愛称だ。レイはもともと小学生の頃に住んでいた祖父母のところへ帰ってくる予定だった。そのため、海莉のほうも三年後は新潟へ戻る心づもりでいた。

「でも、おばあちゃん家じゃないのにどうするの? 一人暮らしするわけ?」
『そうだよ。有明はAレベルの認定校じゃないから、通信教育を受けなきゃならないけど』

 よくわからなかったため詳しく話を聞くと、最初の帰国の条件としては、Aレベルの資格試験に於いて両親の納得する成績を出すことだったらしい。
 それを一刻も早く成し遂げたかったレイは、GCSEと呼ばれる義務教育修了試験を一年早く終わらせ、前倒しでシックスフォームと呼ばれる課程へ進んだのだという。本来であれば翌年のこの時期に本番の試験があり、八月末に出る結果を受けて、日本へ帰れるかどうかが決まるはずだったようだ。それをレイは連日連夜の説得を重ね、なんとか許してもらえたのだと満足げに語っていた。

「無茶な要求をしたようにしか聞こえないけど、どうやって説得したわけ?」
『まあ、色々と……ふふ。これからは一緒に通学できるね』
「そう、なるのかな?」
『えっ? 僕と一緒に学校行くでしょ?』
「まあ、うん、本当に有明に来るの?」
『行くよ。夏休み明けからだけど、転入手続きは済ませたってママが言ってたし』

 まったく実感が湧かないが、とうとうレイの帰国が現実となるらしい。
 近くのマンションを借りるという話だから、一緒に通学ができるばかりか、帰宅した後も過ごせるようになるのだ。
 信じられない。

「……夏休み明けからってことは、いつ頃引っ越して来るの?」
『今そこで闘ってるんだよ。ママは夏休みの間こっちにいて欲しいって言うんだけど、僕は一秒でも早く海莉の元へ行きたいからさ』

 思い上がってはいけないと自らを諌めつつも、勉強や親への説得は海莉のために努力したことだと聞こえてしまう。
 
『嬉しい? 海莉』
「えっ?」
『僕が日本に帰ってくること』
「もちろん嬉しいよ。ずっと会いたかったし」
『ふふ……よかった。神室のことが心配で仕方がなかったよ』
「心配って、もういじめられてないから大丈夫だって」
『でも、最近神室とゲームしたりしてるんでしょ?』
「少し前はね。試験があったから最近は全然。心配するようなことなんてなにもされてないよ」
『……本当? でも、神室は海莉の写真を撮ってたりしてたし……』
「写真って、北海道旅行のこと? あれは神室のほうからレイに送るためって言ってたし、ネタにするためとかじゃないよ」
『そうだったんだ……』

 写真に関しては嘘にはなるが、思いやりの嘘に含んでもいい範囲だろう。レイのほっとした声を聞いて、誤解は解けたようだと海莉も安堵した。
 通話を終えたあとの海莉は、檻の中の猛獣のように落ち着かなくなり、部屋の中をぐるぐる歩き回りながらレイが来たあとのことを妄想し続けた。
 夏休み中に来ることができたら、二人で出かけることができる。デートと言ってもいいかもしれない。引っ越してきて以来学校と家の往復くらいしかしていなかった海莉は、近場で遊べる場所がないか探してみることにした。
 義父からもらったiPadを起動させ、めぼしいスポットをメモしていく。
 浮き浮きと作業を進めていたところノックの音がして、神室の「何してんだ?」という声が背中に聞こえてきた。

「おかえり。今帰ってきたの?」
「ああ。檜山たちとランチしてカラオケ行ってた」
「カラオケ? 神室、歌とか歌うの?」
「……悪いかよ」
「悪くはないけど、想像できない。何歌うの?」

 音楽を聞く習慣のない海莉は、神室から挙げられた名前を聞いても、曲名なのか人の名前なのかすらわからなかった。しかし、浮わついたテンションのまま相槌をうっていたせいで、神室は知っているものと思い込んだらしかった。

「……そんなに歌いたかったのかよ。でも俺は付き合わないからな。行きたかったらあの途中組と行けよ」
「またそんな呼び方して。学校ではちゃんと竹村くんって呼ぶのに」
「……途中入学組なんだから事実じゃねえか」
「そうだけど、颯は神室に憧れてるんだよ?」
「ふん。そんなの当然だ」
 
 吐き捨てるように言った神室は、一見して傲慢で嫌な奴に見える。最初こそ不快に感じたそれは、今では人間味のある魅力的な印象へと変わっている。
 
「……学校と家では別人みたいだよね。どっちが素なの?」
「素とかねえよ。どっちも俺だ」
「嘘だあ。学校での神室は演技なんじゃないの?」
「……んなわけねえだろ。なんで演技なんてする必要があんだよ」
「だって、同じ人間とは思えないよ?」
「そうやって彼女と陰口叩いてんのかよ」
「あ、彼女と言えば、レイのことなんだけど」

 話題に出てきたのをきっかけに、レイが帰国することと、有明へ転入してくることを神室に話した。
 少しずつだが、神室とは義兄弟としてあるべきほどの距離にまで縮まってきたように感じている。レイのことも話題によく挙げているし、神室も喜んでくれるはずだと思った。

「……ようやく毎朝のあれから解放されるのか」

 しかし、神室はやれやれという、義父そっくりの仕草で肩をすくめただけだった。

「うるさくてごめん……」
「ふん。家には連れてくんなよ。隣で騒がれたらうざいし」
「……連れてこないって。母さんたちにバレたくないし」

 途端に機嫌が悪くなった理由は、自宅に連れてきて欲しくなかったからのようだ。海莉が神室の立場になってみれば、確かに歓迎すべきこととは言えない。
 神室が彼女を……彼女じゃなくても女子と隣で二人きりになっていたら、気まずく思うだろう。
 
「……始まるぞ」
「あ、うん」
 
 ゲームがスタートし、いつものように神室と並んでプレイを始めた。
 レイと神室は会ったこともないのに、互いの印象は最悪だ。その二人がもうすぐ顔を合わせることになる。
 どうなることやら心配だが、実際に面と向かえば印象は変わってくるだろう。
 神室は学校での自分も素だと言っていたし、ギャップ萌えという言葉もあるくらいだ。直接神室の人となりを見れば、一見してわからない魅力をレイも感じ取ってくれるだろう。
 神室のほうも、おそらくかなりの美人に成長したであろうレイを見たら、腹立たしいなんて感情は消え失せてしまうのではないだろうか。
 なんせ二人は、互いになかなかお目にかかれないレベルの美貌を持っている。もちろん見た目だけでなく、二人とも時間を忘れるくらい楽しく過ごせる人物で、海莉にとって何でも話せる相手であり、見た目を差し引いても余りあるくらい多くの魅力がある。
 
 と、海莉はそこまで考えて血の気が引いた。
 ──二人が惹かれ合ったらどうしよう。
 どちらも魅力的な二人なのだから、惹かれ合うのは当然のような気がする。最初が悪印象だった場合、ふとしたことでも加点は大きくなると聞く。漫画なんかでよくあるパターンだ。レイと神室は、それにハマっていると言えないだろうか。
 まさかと考えながらも、否定しきれない。レイの帰国で浮き浮きとしていたはずの海莉は、身近な二人の魅力を思い返すほどに、ざわざわとした不安に襲われ始めた。