翌日の予定は札幌観光だった。レンタカーを借りてドライブがてら向かうとのことで、朝食を済ませたあと義父の運転で出発した。二日目なこともあってか、前日のことを話題に会話は途切れることなく続き、ドライブインに立ち寄ってアイスを食べたりと、楽しくもあっという間に札幌へ到着した。
着いてさっそく時計台を見に向かい、ネットの観光情報をなぞるようにラーメンも食べ、お次は観覧車に乗るかと聞かれた海莉たちは、さすがにそれだけはと勘弁してもらって、大通公園へ向かうことになった。
そこには、家族連れやカップル、友人グループなどで賑やかしく、見頃であるというライラックの前では、大勢がカメラやスマホを手に写真を撮っていた。
目にするが早いか母も嬉しげな声を上げ、義父の腕を引いてひしめく人の波に分け入っていった。
海莉はそんな母の様子を眺めながら、神室と揃って少し離れた位置に立ち止まった。
「観覧車になんか乗って喜ぶかよ。二日目もガキ扱いだな」
神室はやれやれと言った様子で、ため息交じりにつぶやいた。
それまでは品行方正な息子そのものだったのが、肩の荷を下ろしたとばかりにリラックスした表情に変わっている。
どちらが素なんだろう。
海莉の前でだけガラリと態度を変える神室は、義兄弟という存在がよほど腹に据えかねたのか、海莉に苛立ちをぶつけることで溜飲を下げているものと解釈していた。しかし、昨夜初めてとも言える二人きりの時間を過ごしたことで、海莉の中にこちらが素なのではとの考えも混じり始めていた。
口が悪く嫌味ばかりでも、海莉の前での神室のほうが好ましい。そんなふうに感じ始めたのは、人当たりがよく誰からも好かれる神室の姿に、どこかつくられた完璧さを感じとっていたからかもしれない。
今の神室のほうが人間臭いというか、話すほどに親しみが湧いてくる。
どちらも素であるかもしれないし、計り知ることなどできないが、両極端とも言える態度を使い分けて疲れないものかと、お節介ながらに案ずる気持ちすら芽生えるほど、親しみを覚え始めていた。
「ガキ扱いっていうか、息子との幼少期を取り戻したいみたいな感じがするよね」
「……だとしたら身勝手だよな。欲しいときにしてくれなかったくせに、必要のなくなった今ごろ補おうとしても手遅れだっつーの」
神室の言い方が、他人のことではなく自分自身のことのように聞こえた。澄ました顔をしているが、義父を目で追っているような気もする。
「……扱いが子どもっぽいのは困るけど、でも……ちょっと嬉しかったかも」
本音を言うのは恥ずかしい。しかし、今この場ではふざけて返すよりも、内心を吐露をしたほうがいいと思った。直感だったが、鼻で笑われるかと思いきや、神室は馬鹿にするようなことは言い返してこなかった。というか何も答えてくれず、奇妙な沈黙が下りてしまった。
「……友達が親とするようなこと、ひとつもしてもらえてなかったから……」
沈黙に耐えきれなくなった海莉は、思わず本音をさらに漏らしてしまった。
母と目を合わせて会話をすること、同じものを見て感想を言い合うこと、たかがと言えるそんなこともろくにしてもらえなかったことなどを話し始めたら、せきを切ったかのように口から出て止まらなくなった。
この旅行ではたくさん会話をしたし、つくり笑いじゃない本心からの笑みを見ることができた。いまだ母子というより、親戚のようではあるが、それでも以前は友人の母くらいの距離はあったから少しずつ家族らしくなれているような気がする。
「……それ、俺じゃなくて本人に言えよ」
海莉がつらつらと一方的に話していたところ、神室が途中で吐き捨てるようにつぶやいた。顔をしかめている様子を見るに、海莉の本音なんて聞きたくなかったらしい。
手遅れになった今ごろ、申し訳なさと恥ずかしさが襲ってきて、海莉は耳まで熱くなった。
「ごめん」
「義母さんに直接言ったほうがいい。恥ずいかもしれないけど、本音ってのは年を取るごとに言いづらくなる。……一緒に暮らし始めたばかりのおまえなら、まだ手遅れってわけでもないだろ」
苛立っているわけではないのだろうか。
熱くなってしまった顔を見られまいとうつむいていた海莉は、神室に目を向けた。いまだ義父たちを目で追っている神室は、苦虫を噛みつぶしたような顔をしているものの、海莉に怒りを向けているわけではないようだ。
それに、『おまえなら』という表現は、まるで誰かと比較しているかのような物言いに聞こえる。
「興味がないように見えるかもしれないけど、親が息子を大切に想わないわけないだろ。……興味がないなんてこともない。あれでも見た目以上に気にかけてるはずだ」
「……そう、かな?」
「じゃなかったら、こんな旅行企画しねえだろ? 休日もろくにないレベルの仕事人間たちがようやく取れた連休に旅行なんて、かなりの苦行のはずだ」
神室は言い終えると海莉に目を向け、にやりと口の端を上げた。
なんて大人なんだろう。
海莉は、母から話しかけてこないというだけで、頭から興味を持たれていないものと思い込んでいた。親子としての理想像からかけ離れているから、感情のほうも同じなのだろうと、確かめもせず勝手に推し量っていた。
「海莉、隆司くん!」
呼びかける声を聞いて目を向けると、母たちが手招きをしていた。
「また写真撮るとか言わねえよな?」
苦笑する神室の言うとおり、またもや写真撮影だった。動物なら百歩譲ってわからなくもないが、花と撮ってどうするのだろうと呆れる。
しかし、母のスマホの中に自分の写真なんて、これまでは何枚もなかっただろうことを思うと、増えていくのはそれほど悪くない気分だった。
「いいのが撮れたわ。次は、テレビ塔をバックに撮りたいから、もっと向こうのほうへも行ってみましょう」
「まだ撮るの? もういいんじゃないの?」
いいからと、母に手を取られてテレビ塔の見える方向へと連れて行かれる。最後に手を繋いだのはいつだっただろう。思い返しながら、高校生にもなってという羞恥と戸惑いの影に、喜んでいる自分を見つけて、顔が熱くなってくる。
「海莉くんの彼女に送るための分もあるんだから、テレビ塔だけじゃなく噴水の前でも撮っておいたほうがいいんじゃないかな」
義父とともに後を追ってきた神室が、しれっととんでもない言葉を投げてきた。
「彼女? 海莉、彼女がいるの?」
母はぴたりと立ち止まり、青天の霹靂というレベルの驚いた顔を海莉に向けた。
あんな言い方をしたら誤解させてしまうだろうと、海莉は青ざめる。
「彼女なんていないって、隆司くんはなにか誤解してるみたいで」
「旅行中に電話をかけてくるくらいの相手が彼女じゃないなんて、海莉くんは恥ずかしがっているみたいだね。昨夜も写真を楽しみにしてるって言われていたし」
「本当? 有明の子なの?」
母は興味津々の様子で、海莉に詰め寄ってきた。
──神室の野郎。絶対にわざとだ。レイは彼女じゃないって何度も訂正したのに、敢えてその表現を使うとは、母を誤解させるために違いない。
「有明ではないんだけど、そもそも彼女じゃ……」
「六年ほどの付き合いらしいよ」
「六年って、じゃあ新潟の子なの?」
「新潟っていうか……」
「出会ったのは新潟みたいだけど、今はイギリスに住んでいるんだって」
「イギリス? どういうこと?」
「あーー」
海莉は誤解を解こうとしているのに、神室がどんどん話してくれるものだから、人混みの中で質問攻めになってしまった。すると義父が「こんなところで立ち話をするのもなんだから」と言って公園を出たあとタクシーを捕まえ、予約をしてあったレストランへ向かうことになった。車中でも質問は続き、レストランへついたあとも乾杯はそこそこに、レイの話や祖父母宅での日常などを話し始めると、母の質問はやむことを知らないとばかりに根掘り葉掘りだった。
ネットがないため読書と勉強しかやることがなく、レイとも手紙のやり取りから始まったなどと話していたら、母だけでなく義父も信じられないといった悲壮な顔をして「かわいそうに」と憐れむような言葉を何度も漏らしていた。
そこまで言うほどの境遇ではなかったが、酒が入っていたせいか、息子の現実を初めて直視したからか、母はかなりショックを受けた様子だった。浴びるようにワインを飲み、「ごめんね」と何度も繰り返し謝られてしまった。
食後のコーヒーが届く頃になると、母はすっかり出来上がってしまって、義父はすすきので飲む予定を取りやめることにしたようだ。
神室の誤解を誘う揶揄は、全員でおとなしくホテルへ直行する結果を生んだわけだが、母が海莉のことを気にかけていてくれたことも、身に沁みてわかることとなった。神室が言っていたように、見た目には出ていなくとも、母は海莉のことを知りたがっていたようだ。
この結果を見越したものだったのか、ただからかいたかっただけなのか、普段の神室を見る限り後者だと思うが、母との距離が縮まりこれまでにない満足感に浸っていた海莉は、前者であると考えたい気持ちになっていた。
着いてさっそく時計台を見に向かい、ネットの観光情報をなぞるようにラーメンも食べ、お次は観覧車に乗るかと聞かれた海莉たちは、さすがにそれだけはと勘弁してもらって、大通公園へ向かうことになった。
そこには、家族連れやカップル、友人グループなどで賑やかしく、見頃であるというライラックの前では、大勢がカメラやスマホを手に写真を撮っていた。
目にするが早いか母も嬉しげな声を上げ、義父の腕を引いてひしめく人の波に分け入っていった。
海莉はそんな母の様子を眺めながら、神室と揃って少し離れた位置に立ち止まった。
「観覧車になんか乗って喜ぶかよ。二日目もガキ扱いだな」
神室はやれやれと言った様子で、ため息交じりにつぶやいた。
それまでは品行方正な息子そのものだったのが、肩の荷を下ろしたとばかりにリラックスした表情に変わっている。
どちらが素なんだろう。
海莉の前でだけガラリと態度を変える神室は、義兄弟という存在がよほど腹に据えかねたのか、海莉に苛立ちをぶつけることで溜飲を下げているものと解釈していた。しかし、昨夜初めてとも言える二人きりの時間を過ごしたことで、海莉の中にこちらが素なのではとの考えも混じり始めていた。
口が悪く嫌味ばかりでも、海莉の前での神室のほうが好ましい。そんなふうに感じ始めたのは、人当たりがよく誰からも好かれる神室の姿に、どこかつくられた完璧さを感じとっていたからかもしれない。
今の神室のほうが人間臭いというか、話すほどに親しみが湧いてくる。
どちらも素であるかもしれないし、計り知ることなどできないが、両極端とも言える態度を使い分けて疲れないものかと、お節介ながらに案ずる気持ちすら芽生えるほど、親しみを覚え始めていた。
「ガキ扱いっていうか、息子との幼少期を取り戻したいみたいな感じがするよね」
「……だとしたら身勝手だよな。欲しいときにしてくれなかったくせに、必要のなくなった今ごろ補おうとしても手遅れだっつーの」
神室の言い方が、他人のことではなく自分自身のことのように聞こえた。澄ました顔をしているが、義父を目で追っているような気もする。
「……扱いが子どもっぽいのは困るけど、でも……ちょっと嬉しかったかも」
本音を言うのは恥ずかしい。しかし、今この場ではふざけて返すよりも、内心を吐露をしたほうがいいと思った。直感だったが、鼻で笑われるかと思いきや、神室は馬鹿にするようなことは言い返してこなかった。というか何も答えてくれず、奇妙な沈黙が下りてしまった。
「……友達が親とするようなこと、ひとつもしてもらえてなかったから……」
沈黙に耐えきれなくなった海莉は、思わず本音をさらに漏らしてしまった。
母と目を合わせて会話をすること、同じものを見て感想を言い合うこと、たかがと言えるそんなこともろくにしてもらえなかったことなどを話し始めたら、せきを切ったかのように口から出て止まらなくなった。
この旅行ではたくさん会話をしたし、つくり笑いじゃない本心からの笑みを見ることができた。いまだ母子というより、親戚のようではあるが、それでも以前は友人の母くらいの距離はあったから少しずつ家族らしくなれているような気がする。
「……それ、俺じゃなくて本人に言えよ」
海莉がつらつらと一方的に話していたところ、神室が途中で吐き捨てるようにつぶやいた。顔をしかめている様子を見るに、海莉の本音なんて聞きたくなかったらしい。
手遅れになった今ごろ、申し訳なさと恥ずかしさが襲ってきて、海莉は耳まで熱くなった。
「ごめん」
「義母さんに直接言ったほうがいい。恥ずいかもしれないけど、本音ってのは年を取るごとに言いづらくなる。……一緒に暮らし始めたばかりのおまえなら、まだ手遅れってわけでもないだろ」
苛立っているわけではないのだろうか。
熱くなってしまった顔を見られまいとうつむいていた海莉は、神室に目を向けた。いまだ義父たちを目で追っている神室は、苦虫を噛みつぶしたような顔をしているものの、海莉に怒りを向けているわけではないようだ。
それに、『おまえなら』という表現は、まるで誰かと比較しているかのような物言いに聞こえる。
「興味がないように見えるかもしれないけど、親が息子を大切に想わないわけないだろ。……興味がないなんてこともない。あれでも見た目以上に気にかけてるはずだ」
「……そう、かな?」
「じゃなかったら、こんな旅行企画しねえだろ? 休日もろくにないレベルの仕事人間たちがようやく取れた連休に旅行なんて、かなりの苦行のはずだ」
神室は言い終えると海莉に目を向け、にやりと口の端を上げた。
なんて大人なんだろう。
海莉は、母から話しかけてこないというだけで、頭から興味を持たれていないものと思い込んでいた。親子としての理想像からかけ離れているから、感情のほうも同じなのだろうと、確かめもせず勝手に推し量っていた。
「海莉、隆司くん!」
呼びかける声を聞いて目を向けると、母たちが手招きをしていた。
「また写真撮るとか言わねえよな?」
苦笑する神室の言うとおり、またもや写真撮影だった。動物なら百歩譲ってわからなくもないが、花と撮ってどうするのだろうと呆れる。
しかし、母のスマホの中に自分の写真なんて、これまでは何枚もなかっただろうことを思うと、増えていくのはそれほど悪くない気分だった。
「いいのが撮れたわ。次は、テレビ塔をバックに撮りたいから、もっと向こうのほうへも行ってみましょう」
「まだ撮るの? もういいんじゃないの?」
いいからと、母に手を取られてテレビ塔の見える方向へと連れて行かれる。最後に手を繋いだのはいつだっただろう。思い返しながら、高校生にもなってという羞恥と戸惑いの影に、喜んでいる自分を見つけて、顔が熱くなってくる。
「海莉くんの彼女に送るための分もあるんだから、テレビ塔だけじゃなく噴水の前でも撮っておいたほうがいいんじゃないかな」
義父とともに後を追ってきた神室が、しれっととんでもない言葉を投げてきた。
「彼女? 海莉、彼女がいるの?」
母はぴたりと立ち止まり、青天の霹靂というレベルの驚いた顔を海莉に向けた。
あんな言い方をしたら誤解させてしまうだろうと、海莉は青ざめる。
「彼女なんていないって、隆司くんはなにか誤解してるみたいで」
「旅行中に電話をかけてくるくらいの相手が彼女じゃないなんて、海莉くんは恥ずかしがっているみたいだね。昨夜も写真を楽しみにしてるって言われていたし」
「本当? 有明の子なの?」
母は興味津々の様子で、海莉に詰め寄ってきた。
──神室の野郎。絶対にわざとだ。レイは彼女じゃないって何度も訂正したのに、敢えてその表現を使うとは、母を誤解させるために違いない。
「有明ではないんだけど、そもそも彼女じゃ……」
「六年ほどの付き合いらしいよ」
「六年って、じゃあ新潟の子なの?」
「新潟っていうか……」
「出会ったのは新潟みたいだけど、今はイギリスに住んでいるんだって」
「イギリス? どういうこと?」
「あーー」
海莉は誤解を解こうとしているのに、神室がどんどん話してくれるものだから、人混みの中で質問攻めになってしまった。すると義父が「こんなところで立ち話をするのもなんだから」と言って公園を出たあとタクシーを捕まえ、予約をしてあったレストランへ向かうことになった。車中でも質問は続き、レストランへついたあとも乾杯はそこそこに、レイの話や祖父母宅での日常などを話し始めると、母の質問はやむことを知らないとばかりに根掘り葉掘りだった。
ネットがないため読書と勉強しかやることがなく、レイとも手紙のやり取りから始まったなどと話していたら、母だけでなく義父も信じられないといった悲壮な顔をして「かわいそうに」と憐れむような言葉を何度も漏らしていた。
そこまで言うほどの境遇ではなかったが、酒が入っていたせいか、息子の現実を初めて直視したからか、母はかなりショックを受けた様子だった。浴びるようにワインを飲み、「ごめんね」と何度も繰り返し謝られてしまった。
食後のコーヒーが届く頃になると、母はすっかり出来上がってしまって、義父はすすきので飲む予定を取りやめることにしたようだ。
神室の誤解を誘う揶揄は、全員でおとなしくホテルへ直行する結果を生んだわけだが、母が海莉のことを気にかけていてくれたことも、身に沁みてわかることとなった。神室が言っていたように、見た目には出ていなくとも、母は海莉のことを知りたがっていたようだ。
この結果を見越したものだったのか、ただからかいたかっただけなのか、普段の神室を見る限り後者だと思うが、母との距離が縮まりこれまでにない満足感に浸っていた海莉は、前者であると考えたい気持ちになっていた。



