「もしも──」
『いつになったら電話してくれるの? 朝から体調悪い振りして待ってたのに』
海莉の言葉にかぶせてきたレイのわめき声は、確かに聞き慣れていない人の耳には男子の声に聞こえるかもしれない。中性的という印象だった海莉も、改めて聞くと女子にしては低いように思えた。
とはいえ、頭に浮かぶレイの姿は可憐な美少女であり、どう思い返しても女子としか考えられない。
「家族との旅行中に、電話なんてできないよ」
『いまそっちは八時過ぎでしょ? とっくに部屋に戻ってきたんじゃないの?』
「……シャワー浴びてジュース飲んでた」
『神室と?』
「……うん」
『二人でジュースを飲みながら今日の思い出を仲良く振り返ってたってわけ?』
「仲良くっていうか……」
『否定しないんだ? ほらやっぱり、僕が心配したとおりになってる』
今の言葉で神室はぴくりと反応したようにスマホから顔を上げ、海莉と目を合わせた。テレビなどをつけていないせいか、部屋の中は物音ひとつでも響くほど静かだ。わめき声でなくとも漏れ聞こえているらしい。
「心配したことなんて起きてないって」
むしろ仲が深まったくらいだ、などとその喜びが現れた口元を神室に向けると、嫌そうに目を逸らされた。
『起きてる』
「起きてないって。喧嘩なんてしてないし」
『殴り合いとかは嫌だけど……』
「そんなことよりレイはいまランチタイムだろ? 食べる時間がなくなるよ」
『ちょっと、切るつもり?』
「Wi-Fii設定してないし」
『なんでやっておかないの……設定してからかけ直して』
なぜそこまでして長電話をしなければならないのだろう。一日中歩き続けてへとへとだし、なにより部屋に二人きりという状況で電話をしているなんて決まりが悪い。
「しても、すぐに切らなきゃいけないからさ」
『僕のこと心配してくれてるのなら大丈夫。授業なんてサボればいいし』
「サボっちゃだめだよ! ていうか、俺のほうが電話してられる状況じゃないんだって」
『だからだよ!』
レイのほうは電波でも悪いのだろうか。意味の通じない返答が返ってきて困惑する。
「また電話するから。明日の朝……いや、明後日の夜にするよ」
『What? 明後日?』
「レイも休みだろ? 夜がよければいつもの時間でもいいし」
『夜って、そんなに電話できないなんて嫌』
「じゃあ、仮病なんて使ってないで、ちゃんと授業に出るように」
『Wait up! 切るつもり?』
「ごめん。メールはするから」
『やだ、切らないで』
「もう無理、ごめん」
『待って。電話のことはわかったから、写真だけはちゃんと送って』
「写真? 何枚も送ったはすだよ」
写真とは、事前にレイから頼まれていたものだ。旅行中に訪れた先々の写真が見たいと言われていたため、面倒ながらも十数枚と送ってやっていた。もしかしたらエラーか何かで開けないのだろうか。
『風景のは届いてるけど、海莉の写ってるのは一枚もない』
「俺?」
『あんなネットに載ってるようなのを送って欲しいわけないじゃん。海莉が写ってるのじゃなきゃ意味ないよ』
エラーだったわけではなく、抗議だったらしい。
普段でさえ嫌なのに、親との旅行でなんて絶対に撮りたくない。先に頼まれていたとしても、断固として拒否するレベルだ。
海莉が呆れ混じりに断ると、レイは電話を諦めてやる代わりに、写真だけは譲らないと返してきた。母に聞いてみろとうるさいほど詰め寄られ、何を言っても曲げてくれない。
母に頼んで転送してもらうなんて、自撮りするより嫌だ。自分こそ頑なに送ってくれないのに、なぜ海莉の気持ちは汲んでくれないのだろう。
「写真なら、これ送ればいいんじゃないか?」
いつの間にやら近くにまで来ていた神室が、海莉に向かってスマホを掲げていた。画面には、ペンギンの水槽を前に、苦笑に顔をひきつらせた海莉が表示されている。
「なにこれ……てか、やっぱり撮ってたんじゃないか」
「顔が面白すぎて、手が勝手に……ほら、カバと一ノ瀬。……キリンとのツーショ。このダチョウのやつなんて生き別れの兄弟みたいに似てるぞ」
神室はおかしげに説明しながら画面をスクロールして海莉に見せつけてくる。何枚撮ったのだろう。ポーズをつけている海莉や、どこぞをぼけっと眺めている瞬間のものまで、何枚どころか何十枚とあり、スクロールはいつまでも終わらない。
唖然とする海莉の手の中からは、『どうしたの?』『神室と喋ってるの?』『海莉?』とレイの慌てふためく声が聞こえている。
「……これ送ってやりゃ気が済むんじゃねえか?」
神室は噴き出しながら言った。完全に面白がっている。
海莉は不可解な行動を追求するのは後回しだと判断し、いまだぎゃんぎゃんわめいているレイに、神室が撮ってくれていたことを説明した。なんにせよこれで解決だ。母に頼むという最悪な事態からは免れたのだからと、複雑にもそこだけは安堵しながら言うと、レイは喜ぶどころか激昂してきた。
『なんで神室が海莉の写真を撮ってんだよ』
怒りがあらわなその声は、まるで大人の男が凄んだかのごとくに聞こえて、海莉は飛び上がるほど驚いた。あの可憐なレイが発したとは思えない。
「わかんないけど……ふざけて撮ったっぽい……」
『待って。もしかしてだけど、海莉も神室の写真撮った?』
「え……」
突然のことで言葉に詰まる。撮るわけないじゃんと答えるのが正解だったのかも、と気づいたときには手遅れだった。
『なんなの? 海莉と神室はどういう関係なの?』
「どんなって、義兄弟……だけど」
『そういうことじゃなあい!』
クラスメイトと言うべきだったのだろうか。何が腹立たしいのかさっぱりわからない。
「写真送るからいいじゃん。もらったらすぐ送るよ」
『それって神室とメール交換するってこと?』
「てか、レイはそろそろお昼ご飯食べたほうがいいんじゃないかな」
レイの反応を窺いながら話さなければならないことに疲れてきた。夕食前も一方的に通話を切ってしまったため遠慮をしていたが、もう限界だ。
『なにそれ、電話切るつもり? まだ話は終わってな』
海莉は有無を言わさず通話を切り、すぐさまサイレントモードにして、スマホをテーブルに投げ出した。
「……イギリスじゃなかったら飛んできそうな勢いだな」
神室は笑い声をあげた。いつの間にかコーラを片手に海莉の相向かいに座っている。
「……レイは自分の思うようにしたいタイプなんだよ。頑固っていうか」
「頑固とかのレベルじゃねえだろ。独占欲すごすぎ」
「自分の知らない相手と親しくしているのが許せないんだと思う」
「親しくって言っても義理の兄弟だろ? 女だったら嫌かもしれないけど、男だし……いや、どっちにしても行き過ぎだな。やばすぎ」
神室の言うことはもっともだと思った。独占欲の強さは承知していたが、度が過ぎている。義兄弟なんて親しくして悪いことはないのだし、不仲であることも知っているのだから、そもそもが嫉妬するような相手ではない。
レイは、海莉に新しく友人ができたり、少し親しくなったりすると、相手とのことを事細かに聞いてくる。どこへ行き、どれくらい一緒にいて、どんな会話をしたのか、レイが納得するまで延々と質問が続く。まるで尋問を受けているような気分になるほどで、今までに何度となくあった。
「……行き過ぎってのはわかる……気がする」
「やべえ女。遠距離でよかったじゃん」
「へえ。近くにいたいんだ?」
「いたいよ……友達なんだし」
へえ、と神室はにやにやしているが、おそらく思い違いをしている。
近くにいたら、レイの独占欲は、束縛ほどに強まると考えているのだろう。しかし、海莉は逆と解釈していた。離れているから不安なのだと思う。近くにいれば、ぼっちの海莉を見て、そもそも嫉妬する必要のないことがわかるはずだ。
それに行き過ぎであれ、レイからの好意はどんな形でも嬉しい。毎朝起こしてくれる優しい性格もさることながら、常に気にかけてくれている。誰もがうっとりとするほどの美少女で、勉強に関しても海莉とは比較にならないくらい優秀なのだ。本来なら見向きもされないような相手から好意を向けられて、嬉しくないはずがない。
たまにだが、離れているからこそ関係を続けていられるのではと思うときがある。
不満ながらに海莉が写真を送っているのも、レイの願いはできる限り聞き遂げてやりたいという思いがあるからだった。同時に、再会したときにがっかりさせたくないという狙いもある。会わないつもりならまだしも、海莉は三年後にレイが帰国するその日を待ちわびている。等身大の自分を隠して下手に期待させてしまっては、恋人になるという願いは届かないものとなってしまうだろう。
最初から素の自分を見せていたら気にならなかった部分も、勘違いというフィルターのせいで、こんなはずじゃなかったなんてことになりかねない。
思い違いや誤解というものは、順調に育っていた芽をつふすほどの威力を持っているのだから。
『いつになったら電話してくれるの? 朝から体調悪い振りして待ってたのに』
海莉の言葉にかぶせてきたレイのわめき声は、確かに聞き慣れていない人の耳には男子の声に聞こえるかもしれない。中性的という印象だった海莉も、改めて聞くと女子にしては低いように思えた。
とはいえ、頭に浮かぶレイの姿は可憐な美少女であり、どう思い返しても女子としか考えられない。
「家族との旅行中に、電話なんてできないよ」
『いまそっちは八時過ぎでしょ? とっくに部屋に戻ってきたんじゃないの?』
「……シャワー浴びてジュース飲んでた」
『神室と?』
「……うん」
『二人でジュースを飲みながら今日の思い出を仲良く振り返ってたってわけ?』
「仲良くっていうか……」
『否定しないんだ? ほらやっぱり、僕が心配したとおりになってる』
今の言葉で神室はぴくりと反応したようにスマホから顔を上げ、海莉と目を合わせた。テレビなどをつけていないせいか、部屋の中は物音ひとつでも響くほど静かだ。わめき声でなくとも漏れ聞こえているらしい。
「心配したことなんて起きてないって」
むしろ仲が深まったくらいだ、などとその喜びが現れた口元を神室に向けると、嫌そうに目を逸らされた。
『起きてる』
「起きてないって。喧嘩なんてしてないし」
『殴り合いとかは嫌だけど……』
「そんなことよりレイはいまランチタイムだろ? 食べる時間がなくなるよ」
『ちょっと、切るつもり?』
「Wi-Fii設定してないし」
『なんでやっておかないの……設定してからかけ直して』
なぜそこまでして長電話をしなければならないのだろう。一日中歩き続けてへとへとだし、なにより部屋に二人きりという状況で電話をしているなんて決まりが悪い。
「しても、すぐに切らなきゃいけないからさ」
『僕のこと心配してくれてるのなら大丈夫。授業なんてサボればいいし』
「サボっちゃだめだよ! ていうか、俺のほうが電話してられる状況じゃないんだって」
『だからだよ!』
レイのほうは電波でも悪いのだろうか。意味の通じない返答が返ってきて困惑する。
「また電話するから。明日の朝……いや、明後日の夜にするよ」
『What? 明後日?』
「レイも休みだろ? 夜がよければいつもの時間でもいいし」
『夜って、そんなに電話できないなんて嫌』
「じゃあ、仮病なんて使ってないで、ちゃんと授業に出るように」
『Wait up! 切るつもり?』
「ごめん。メールはするから」
『やだ、切らないで』
「もう無理、ごめん」
『待って。電話のことはわかったから、写真だけはちゃんと送って』
「写真? 何枚も送ったはすだよ」
写真とは、事前にレイから頼まれていたものだ。旅行中に訪れた先々の写真が見たいと言われていたため、面倒ながらも十数枚と送ってやっていた。もしかしたらエラーか何かで開けないのだろうか。
『風景のは届いてるけど、海莉の写ってるのは一枚もない』
「俺?」
『あんなネットに載ってるようなのを送って欲しいわけないじゃん。海莉が写ってるのじゃなきゃ意味ないよ』
エラーだったわけではなく、抗議だったらしい。
普段でさえ嫌なのに、親との旅行でなんて絶対に撮りたくない。先に頼まれていたとしても、断固として拒否するレベルだ。
海莉が呆れ混じりに断ると、レイは電話を諦めてやる代わりに、写真だけは譲らないと返してきた。母に聞いてみろとうるさいほど詰め寄られ、何を言っても曲げてくれない。
母に頼んで転送してもらうなんて、自撮りするより嫌だ。自分こそ頑なに送ってくれないのに、なぜ海莉の気持ちは汲んでくれないのだろう。
「写真なら、これ送ればいいんじゃないか?」
いつの間にやら近くにまで来ていた神室が、海莉に向かってスマホを掲げていた。画面には、ペンギンの水槽を前に、苦笑に顔をひきつらせた海莉が表示されている。
「なにこれ……てか、やっぱり撮ってたんじゃないか」
「顔が面白すぎて、手が勝手に……ほら、カバと一ノ瀬。……キリンとのツーショ。このダチョウのやつなんて生き別れの兄弟みたいに似てるぞ」
神室はおかしげに説明しながら画面をスクロールして海莉に見せつけてくる。何枚撮ったのだろう。ポーズをつけている海莉や、どこぞをぼけっと眺めている瞬間のものまで、何枚どころか何十枚とあり、スクロールはいつまでも終わらない。
唖然とする海莉の手の中からは、『どうしたの?』『神室と喋ってるの?』『海莉?』とレイの慌てふためく声が聞こえている。
「……これ送ってやりゃ気が済むんじゃねえか?」
神室は噴き出しながら言った。完全に面白がっている。
海莉は不可解な行動を追求するのは後回しだと判断し、いまだぎゃんぎゃんわめいているレイに、神室が撮ってくれていたことを説明した。なんにせよこれで解決だ。母に頼むという最悪な事態からは免れたのだからと、複雑にもそこだけは安堵しながら言うと、レイは喜ぶどころか激昂してきた。
『なんで神室が海莉の写真を撮ってんだよ』
怒りがあらわなその声は、まるで大人の男が凄んだかのごとくに聞こえて、海莉は飛び上がるほど驚いた。あの可憐なレイが発したとは思えない。
「わかんないけど……ふざけて撮ったっぽい……」
『待って。もしかしてだけど、海莉も神室の写真撮った?』
「え……」
突然のことで言葉に詰まる。撮るわけないじゃんと答えるのが正解だったのかも、と気づいたときには手遅れだった。
『なんなの? 海莉と神室はどういう関係なの?』
「どんなって、義兄弟……だけど」
『そういうことじゃなあい!』
クラスメイトと言うべきだったのだろうか。何が腹立たしいのかさっぱりわからない。
「写真送るからいいじゃん。もらったらすぐ送るよ」
『それって神室とメール交換するってこと?』
「てか、レイはそろそろお昼ご飯食べたほうがいいんじゃないかな」
レイの反応を窺いながら話さなければならないことに疲れてきた。夕食前も一方的に通話を切ってしまったため遠慮をしていたが、もう限界だ。
『なにそれ、電話切るつもり? まだ話は終わってな』
海莉は有無を言わさず通話を切り、すぐさまサイレントモードにして、スマホをテーブルに投げ出した。
「……イギリスじゃなかったら飛んできそうな勢いだな」
神室は笑い声をあげた。いつの間にかコーラを片手に海莉の相向かいに座っている。
「……レイは自分の思うようにしたいタイプなんだよ。頑固っていうか」
「頑固とかのレベルじゃねえだろ。独占欲すごすぎ」
「自分の知らない相手と親しくしているのが許せないんだと思う」
「親しくって言っても義理の兄弟だろ? 女だったら嫌かもしれないけど、男だし……いや、どっちにしても行き過ぎだな。やばすぎ」
神室の言うことはもっともだと思った。独占欲の強さは承知していたが、度が過ぎている。義兄弟なんて親しくして悪いことはないのだし、不仲であることも知っているのだから、そもそもが嫉妬するような相手ではない。
レイは、海莉に新しく友人ができたり、少し親しくなったりすると、相手とのことを事細かに聞いてくる。どこへ行き、どれくらい一緒にいて、どんな会話をしたのか、レイが納得するまで延々と質問が続く。まるで尋問を受けているような気分になるほどで、今までに何度となくあった。
「……行き過ぎってのはわかる……気がする」
「やべえ女。遠距離でよかったじゃん」
「へえ。近くにいたいんだ?」
「いたいよ……友達なんだし」
へえ、と神室はにやにやしているが、おそらく思い違いをしている。
近くにいたら、レイの独占欲は、束縛ほどに強まると考えているのだろう。しかし、海莉は逆と解釈していた。離れているから不安なのだと思う。近くにいれば、ぼっちの海莉を見て、そもそも嫉妬する必要のないことがわかるはずだ。
それに行き過ぎであれ、レイからの好意はどんな形でも嬉しい。毎朝起こしてくれる優しい性格もさることながら、常に気にかけてくれている。誰もがうっとりとするほどの美少女で、勉強に関しても海莉とは比較にならないくらい優秀なのだ。本来なら見向きもされないような相手から好意を向けられて、嬉しくないはずがない。
たまにだが、離れているからこそ関係を続けていられるのではと思うときがある。
不満ながらに海莉が写真を送っているのも、レイの願いはできる限り聞き遂げてやりたいという思いがあるからだった。同時に、再会したときにがっかりさせたくないという狙いもある。会わないつもりならまだしも、海莉は三年後にレイが帰国するその日を待ちわびている。等身大の自分を隠して下手に期待させてしまっては、恋人になるという願いは届かないものとなってしまうだろう。
最初から素の自分を見せていたら気にならなかった部分も、勘違いというフィルターのせいで、こんなはずじゃなかったなんてことになりかねない。
思い違いや誤解というものは、順調に育っていた芽をつふすほどの威力を持っているのだから。



