帰宅した響は、早速『魔術師』を聴いて、どう演奏しようかと、ギターを手に練り始めた。湊はギタリストとしての自負があるのか、ギターソロはもちろん、目立つところに必ずリフを入れる。それもわざとらしいほどに存在感を出す類のやつだ。とは言えギターを習った相手なので、湊の手癖は把握しているし、弾きこなすのに時間はかからなそうだ。
 ベースとドラムはシンプルだから弓野は楽だろう。しかし北田は大変だ。歌姫と敬称されているほどなので、Mistyの歌唱部分はかなり難しい。アルグレはキーボードもあるから、そこはギターでアレンジしてみよう。
 そう、あれこれと考えながら弾いていると夢中になってきて、エフェクターも入れてみたくなり、部室に置いてきたことを悔やみ始めた。湊と同じものはないが、似た音にできるエフェクターはあったはずだ。考え始めると落ち着かなくなり、翌朝早くに学校へ行って試してみようと、早めにベッドにもぐった。

 意気揚々と、朝のホームルームが始まる一時間半も前に登校した。部室の鍵の隠し場所は知っている。恭平が持ち帰っていなければあるはずだ。
 噂によると、恭平が誰よりも早く来るのは、部室の鍵を携帯しているからだと言う。まさか、と思いながらも隠し場所であるドアの庇の上を手探りすると、手応えはなく、そこに鍵はなかった。
 噂は事実だったのか、と考えていたとき、ドラムの音が聴こえてきたため、真偽はわからず終いとなった。
 こんなに早くから来ているとは。

「はよ」
 ドアを開けたと同時に演奏が止んだ。
 挨拶をしても反応を返さない恭平の前を通り過ぎ、ギターケースを置いてエフェクトボードを取り出した。
「……初めてだ」
 セッティングを終えたところで、唖然とした声が聞こえた。
「何が?」
「朝来るやつ」
 響は吹き出す。
「南波がいるじゃん」
「俺以外で」
 響は答えず、ギターをアンプに繋いで調整した。
「エフェクターを試したいのに昨日持って帰らなかったから」
 音の具合いを見るのにギターを鳴らす。
 つまみを操作して、音を確認するのを数回繰り返していると、ドラムの音が聞こえてこないことに気がついて、恭平の方へ視線を向けた。
 じっとこちらを見ている。そんなに珍しいことなのか?と不思議に思う。
「南波だけじゃないんだよ。熱心に練習している人間は」
「いや、それはわかる。毎日何時間も練習しないとあんな演奏はできない」
「……そいつは光栄なことで。でもそれを言うなら南波もだろ」
「俺?」
 恭平は目も口も丸くしたあと、顔を背けた。
「ドラムの良し悪しなんて誰も意識していない」
「そうか? ドラムが下手だとバンドは酷くなる」
「俺らのバンドは酷いとかのレベルじゃない」
「まあ……うん……それはそうだけど」
 話しながらセッティングを続ける。
「何を演るつもりだ?」
「うん。……文化祭の曲だよ」
 昨日試した『魔術師』を最初から通して弾いてみた。途中、エフェクターを操作してみたが、それを気にするよりもまず最後まで弾いてみたくなり、通しで最後まで弾ききった。
「うーん」
 気に入らず、エフェクターのつまみを操作してみる。

「さすがだな」
 ぽつりと聞こえた恭平の言葉に、響は顔を上げた。
 さすがKawaseの弟だとでも言うのか?と、カッとなる。
 南波だけは言わないでいてくれたと思っていたのに、やはりみんなと同じだったのかと、失望しかけたのだが、返ってきたのは予想外の言葉だった。

「河瀬のレベルは部活動レベルじゃない。他にバンド組んだらどうだ?」
「なんだって?」
「ネットで探せばいくらでも組む相手は見つかるだろ? こんな下手なバンドでくすぶってるのはもったいない」
「それを言うなら南波の方だろ? 他にバンドを組んだほうがいい」
「河瀬の話をしてるんだが」
「いや、俺より南波だって」
「俺のことはどうでもいい! 河瀬の凄さを話している」
「逆だって。南波が上手いって話だ」
「さっきからなんなんだ」
「確かに。気持ち悪いほど互いを褒めあってる」
 会話内容を思い返して吹き出した。
「キモいな俺ら」
 気恥ずかしくなり、誤魔化すようにふざけた態度を見せたら、珍しいことに恭平も吹き出した。
「確かに」
「南波って笑うんだ?」
 響の言葉に、恭平は途端に仏頂面になる。
「こんなに喋ってるのも初めて見た」
 さらに言うと、恭平はいきなり立ち上がった。
「人間だから喋るのは当たり前だろ」
 入口の方へ向ったのを見て、怒って部室を出ていくのだろうかと、他人の反応に怯えてしまう性格が顔を出し、急に不安な気持ちになった。
「ごめん」
 しかし、恭平は入口の手前で立ち止まり、何やら大きなアルミケースを開け始めた。
「なんで謝るんだ」
 中からシールド類とオーディオインターフェイス、それからパソコンを取り出して床に並べている。
 興味を惹かれた響は、恭平の側へ近づいた。
 アルミケースの中にはマイクが四本入っている。恭平はそれらとスタンドを順に運んで、セッティングを始めた。シンバル、ハイハット、スネア、バスドラムと四か所に設置してコードを繋ぎ、それをオーディオインターフェイスに接続する。パソコンを起動してドラムを鳴らし、音量の確認をしている。

「まさかレコーディング?」
 自分でも驚くような素っ頓狂な声が出た。

「見てわかるだろ?」
「なんで?」
「ギターだって録音するだろ?」
 そうかもしれないが、シールド一本で録れるギターと、マイクを使わなければならないドラムとじゃ手間が違う。ここまでする理由があるのか?と驚いた。
「何を録るんだ?」
「ドラムだ」
「いや、そうじゃなくて」
「ちょっと試してみたいだけだ」
 そうはいっても、つまり無音状態にしなければならないわけだから……
「……俺が練習できないじゃん」
「わるい」
「いいよ」響は思いつく。
「……じゃあ手伝わせて」
「えっ?」
 驚いた顔を向けた恭平を尻目に、スティックを持ってドラムスローンに座った。
「音出すから調整して」
 タンッと、フロアタムを叩く。
 恭平はハッとして、慌てたように机の上にあるパソコンに向かった。
「もう一度」
「あいよ」
 響は再びフロアタムを叩いた。
 それを繰り返し、全てのマイクをチェックし終えたことを見て取ると、場所を譲るために立ち上がった。
「俺が操作するよ」
 パソコンを操作していた恭平の横に立ち、画面を覗き込む。
「DAWはCubaseか。これなら使い慣れてる。ほら、ドラムに戻って」
 ドラムの方へしゃくるようにヘッドフォンを差し出しすと、恭平は驚いた顔をしていたものの、納得したような表情で受け取り、ドラムの方へ向かった。
 使い慣れていると言っても久しぶりだ。響もヘッドフォンを付け、間違いがないように何度も操作方法を確認した。
 準備が完了し、恭平に視線を向ける。
「どう? もういける?」
「……ああ」
「じゃあ、行くよ」
 カウント音を流し始めると、恭平は演奏を始めた。

 それは、響が一度も聞いたことのない演奏だった。
 楽曲は星の数ほど存在するのだから当然だが、何の曲だろう?と気になった。
 いいビートだ。ドラムリフも決まっている。ここにギターソロが入るだろう。いや、ベースかもしれない。
 などと楽曲全体をイメージしながら、バランスを操作することも忘れないように注意もしつつ、恭平の演奏に聴き入った。

 演奏が終わったので、パソコンを操作して録音を止めた。
「めちゃくちゃかっこいい。なんて曲?」
「ただ試しに演奏しただけだ。……つまり、色んな曲のパートを繋いでみて、どんな風に聞こえるのかと練習の成果を……」
 恭平は視線を彷徨わせながらそう言って、言い淀んだように言葉を詰まらせた。

 それにしては一曲としてまとまりがあったようだと思ったが、引っ込み思案な性格がゆえに、それ以上言うことができなかった。

「もう一度いいか?」
 恭平がおずおずと聞いてきたので、笑顔で了承した。

 それからもう二回ほど録音をして、ホームルームの時間が近づいていたため片付けを始めた。
「南波って一人のときこういうことやってたわけ?」
 マイク類の入っていたアルミケースは、部室にいつも置いてあるものだった。
「まぁ、そう……」
「またやるとき言ってよ。手伝うよ」
「えっ?」
「いや、面白いし。……兄貴の手伝いしてたからやり方はわかってるつもりだし」
 湊と一緒にDTMをしていた頃を思い出して、曲が完成していくあのワクワクとした気持ちが蘇っていた。

「まあ……河瀬が面倒でないなら……助かるけど」
 恭平は眉毛を寄せて困っているようにも見えるが、口元は笑みを堪えているようにも見える。嫌なのか嬉しいのか判別できない。
 普段なら、怖じけて「やっぱりいい」と撤回するところだが、以前の陽気さが戻っていたからか、積極的な気分になっていた。
「迷惑どころかやらせて欲しい! 次はいつすんの?」
「じゃあ放課後」
「オッケー! 他のやつらが来なかったらやろう!」