「瑞。あの男とは……どういう関係?」
背中には壁、顔の両脇には筋肉の線が浮かぶ腕、目の前よりちょっと……というよりだいぶ見上げたところには凛々しく整った顔。連れ込まれた先の誰もいない多目的室で、おれはなぜか桔都に迫られていた。
(これって、壁ドンでは……!? どうしよう、学校中の女子に恨まれちゃう!)
と軽く考えていたのも一瞬で、桔都の低い声と怖いほどの無表情に萎縮してしまう。また自分は無意識に地雷を踏み抜いてしまったのか。
でもどこが? この前からわからないことばかりだ。
「え……え……」
「あいつと、付き合ってんの?」
「え? ない、ない!」
付き合うってあれでしょ、男女がお付き合いしましょうって言って交際するやつ。おれは残念ながらその経験がないため、迷わず否定した。
桔都は束の間ほっとしたように腕の力を緩めたが、またまっすぐ高い鼻梁に眉根が寄っていく。
「じゃあ、なんでキスしてたの」
「き、キスぅ!? してないよそんなの! ……あ、睫毛か。目に睫毛が入ったの!」
思いもよらぬ発言の連続に、ギョッとしてしまう。たとえ角度的にそう見えたとしても、自分と秀治がキスしてると思われたなんて心外だった。あり得ない。
(ごめん秀治、おれお前は無理だ……)
失礼なことを考えていると、桔都の腕から今度こそ力が抜けへなへなとその場に座り込んだ。よくわからないが窮地は脱したらしい。
「は~~~っ……焦った……」
その声のトーンは、どちらかと言うと家での桔都に近かった。勝手に怒って勝手に安心する桔都を見ていると、今度は自分の感情がふつふつと沸き立ってくる。
「……なんなの」
「あーごめん、急に引っ張ってきて」
「~~~なんなの!!」
おれの大きな声に、今度は桔都が目を丸くする。しゃがんだまま顔を上げて「瑞……?」と呟いた。
「桔都さ、最近ずっとおれのこと避けてたよね。嫌われたとか怒ってるのかなって悩んでたけど理由もわかんないし。今だって急に来てわけわかんない詰問して、もう、なんなんだよぉ……」
怒るつもりだったのに、結局泣き言みたいになってしまった。体の脇できつく握りしめた手が、熱い手に包まれる。
桔都はおれと両手を繋いで、下から見上げてくる。光の加減で青藍にも見える瞳が、ひたとおれのしょぼくれた顔を見つめていた。
「ごめん。僕……なんか、恥ずかしくて。瑞を嫌いとか絶対ないし、怒ってもない。態度改めるから……許してほしい」
「もう避けない?」
「うん」
「また一緒に映画見たり、遊んでくれる?」
「うん、もちろん」
眉尻を下げて懇願してくる男前に、簡単に絆されてしまった。なんだかんだ、構ってもらえなくなって拗ねていただけなのかもしれない。同じ家に暮らしているのに避けられるのは、とても……寂しいことだ。
「じゃ、ディズニー行こ!」
「う。う、うん……」
そうして、おれと桔都は初めてのすれ違いを乗り越え、完璧な兄弟に戻ったのだった。……多分。
その夜、丞さんに「やっぱディズニー行きたい!」と甘えたおれは、夏休みの宿題を終わらせたら連れて行ってあげると約束してもらった。
いつの間にか家族四人で行くことになっているらしい。それも楽しそうだ!
人混みが苦手だというインドア桔都はがっくりと項垂れていたけれど、一緒に宿題に取り組んでくれた。そして……
「ふわぁぁぁ〜〜〜! すげ〜〜〜!」
「…………」
「お母さん、移動でクタクタよぉ。三人で遊んできて……」
「それじゃあ僕が寂しいから、子どもたちで遊んできてもらおう。まずは先にホテルへ荷物を預けに行こうね」
聞いてほしい。
おれも桔都も、果ては母でさえも、行くのは東京ディズニーリゾートだと思っていた。それほど遠くないし初の家族旅行にわくわくしていたのだが、気づけばパスポートを申請され、大きなスーツケースを買って渡された。
一週間分の旅行準備を終え、十時間飛行機に乗り、到着したのはまさかのアメリカ、カリフォルニア。こっちの元祖ディズニーリゾートにはアベンジャーズエリアがあって、桔都も楽しめるようにと丞さんが計画してくれたようだ。
(直前じゃなくて、もっと前から言ってほしかったけど……! 丞さん、言葉足らなすぎ〜!)
おれたちは文化祭の準備に参加できなくなることをクラスのみんなに謝らなければならなかったし、母も職場に慌てて休暇を申請していた。
それでも家族のことを想って連れてきてくれたのがわかるから、憎めないのが丞さんという人だった。
隣に立つ桔都も、おれが誕生日にプレゼントしたスパイダーマンのTシャツを着てわくわくしている。無言だけど、おれにはわかるのだ。
Tシャツは部屋着のつもりでプレゼントしたのだが、桔都的には一張羅らしい。よれよれになったら部屋着にして、長く着てもらえるといいな。
移動は疲れたものの、大人たちと違っておれはすぐにでも遊びたかった。桔都を誘って外に出かけようとすると、丞さんに引き止められる。
「君たち、英語は喋れるんだっけ?」
「な……なんとなくじゃ、だめ?」
訊かれると突然不安になった。英語の成績は悪くないし、テーマパークならそれほど困らないと楽観的に考えていたのだ。
「僕が心配だからね、アテンドしてくれる人を呼んでおいたんだ」
タイミング良くホテルの部屋のベルが鳴り、人見知りの桔都はびくっと背中を強張らせていた。通訳がいれば確かに安心だろうけど、知らない人とテーマパークを巡るくらいなら、苦労してでも二人で遊びたい。そう考えていたのだが……
「Heeey! 桔都! 久しぶり~垢抜けたね!」
「せ……星凪!?」
ドアを開けた瞬間こんがりと日焼けした細身の男の子が飛び込んできて、桔都に抱きついた。他人ではなかったらしい。
思わずポカンとしてしまった。いまの桔都は学校での姿とも、家の姿とも違う。
強いて言えばイケメン桔都のリラックスバージョン~キャラTを添えて~という感じなのだが、星凪という男の子は全く驚いていないし、桔都も彼の登場には驚いているものの普通に喋っている。
おれが乗り越えてきた垣根を何段階もヒョイと一足飛びに越えて現れた感じだった。きっと家での桔都を知っているのだろう。そんな存在の友人がいたことを、おれは聞いたことさえなかった。
「星凪くんは桔都が小学生の時、近所に住んでた子なんだよ。家族ぐるみで付き合いがあって、良くしてもらってたんだ。中学に上がる際お父さんの仕事でカリフォルニアに引っ越しちゃったんだけど、もうすぐ日本に帰るってちょうど連絡がきたところだったから誘ってみたんだ」
「綺麗な子ねぇ」
丞さんの説明に母が感心した声で相槌を打つ。シングルファザーだった丞さんは、何度も星凪の家に桔都を預かってもらっていたのだという。星凪は桔都の一歳上なんだそうだ。
垢抜けたと言っているのだから、昔の桔都はキラキラ王子様ではなかったらしい。そして普通に友達がいた。――顔立ちがモデルみたいに綺麗で、出会った瞬間抱きついてくるような。
(……あれ?)
胸の辺りを手で押さえる。チクッと何かが刺さったような痛みがあったからだ。自分は桔都のことをよく知ったつもりになっていたけれど、実は過去を全然知らないということに、今さら気づく。
「ミズキっていうの? よろしく! さ、遊びに行こうぜ!」
気づけば星凪が目の前にいて、手を差し出している。突き抜けた明るさに圧倒されたおれがおずおずと手を差し出すと、がっしりぎゅぎゅっと強く握られた。アメリカ式の握手だという。
ソファに座ってのんびりしている両親を置いて、三人で遊びに繰り出す。夜には親も合流するだろうし、二日間遊べるチケットのため明日は家族だけで楽しめるだろう。
星凪が邪魔者だなんて、決して思っていない。
(でも、二人で回りたかったなって思ってるのは……おれだけ?)
複雑な気持ちを抱えながら、仲良さげに歩く二人の背中を追いかけた。
背中には壁、顔の両脇には筋肉の線が浮かぶ腕、目の前よりちょっと……というよりだいぶ見上げたところには凛々しく整った顔。連れ込まれた先の誰もいない多目的室で、おれはなぜか桔都に迫られていた。
(これって、壁ドンでは……!? どうしよう、学校中の女子に恨まれちゃう!)
と軽く考えていたのも一瞬で、桔都の低い声と怖いほどの無表情に萎縮してしまう。また自分は無意識に地雷を踏み抜いてしまったのか。
でもどこが? この前からわからないことばかりだ。
「え……え……」
「あいつと、付き合ってんの?」
「え? ない、ない!」
付き合うってあれでしょ、男女がお付き合いしましょうって言って交際するやつ。おれは残念ながらその経験がないため、迷わず否定した。
桔都は束の間ほっとしたように腕の力を緩めたが、またまっすぐ高い鼻梁に眉根が寄っていく。
「じゃあ、なんでキスしてたの」
「き、キスぅ!? してないよそんなの! ……あ、睫毛か。目に睫毛が入ったの!」
思いもよらぬ発言の連続に、ギョッとしてしまう。たとえ角度的にそう見えたとしても、自分と秀治がキスしてると思われたなんて心外だった。あり得ない。
(ごめん秀治、おれお前は無理だ……)
失礼なことを考えていると、桔都の腕から今度こそ力が抜けへなへなとその場に座り込んだ。よくわからないが窮地は脱したらしい。
「は~~~っ……焦った……」
その声のトーンは、どちらかと言うと家での桔都に近かった。勝手に怒って勝手に安心する桔都を見ていると、今度は自分の感情がふつふつと沸き立ってくる。
「……なんなの」
「あーごめん、急に引っ張ってきて」
「~~~なんなの!!」
おれの大きな声に、今度は桔都が目を丸くする。しゃがんだまま顔を上げて「瑞……?」と呟いた。
「桔都さ、最近ずっとおれのこと避けてたよね。嫌われたとか怒ってるのかなって悩んでたけど理由もわかんないし。今だって急に来てわけわかんない詰問して、もう、なんなんだよぉ……」
怒るつもりだったのに、結局泣き言みたいになってしまった。体の脇できつく握りしめた手が、熱い手に包まれる。
桔都はおれと両手を繋いで、下から見上げてくる。光の加減で青藍にも見える瞳が、ひたとおれのしょぼくれた顔を見つめていた。
「ごめん。僕……なんか、恥ずかしくて。瑞を嫌いとか絶対ないし、怒ってもない。態度改めるから……許してほしい」
「もう避けない?」
「うん」
「また一緒に映画見たり、遊んでくれる?」
「うん、もちろん」
眉尻を下げて懇願してくる男前に、簡単に絆されてしまった。なんだかんだ、構ってもらえなくなって拗ねていただけなのかもしれない。同じ家に暮らしているのに避けられるのは、とても……寂しいことだ。
「じゃ、ディズニー行こ!」
「う。う、うん……」
そうして、おれと桔都は初めてのすれ違いを乗り越え、完璧な兄弟に戻ったのだった。……多分。
その夜、丞さんに「やっぱディズニー行きたい!」と甘えたおれは、夏休みの宿題を終わらせたら連れて行ってあげると約束してもらった。
いつの間にか家族四人で行くことになっているらしい。それも楽しそうだ!
人混みが苦手だというインドア桔都はがっくりと項垂れていたけれど、一緒に宿題に取り組んでくれた。そして……
「ふわぁぁぁ〜〜〜! すげ〜〜〜!」
「…………」
「お母さん、移動でクタクタよぉ。三人で遊んできて……」
「それじゃあ僕が寂しいから、子どもたちで遊んできてもらおう。まずは先にホテルへ荷物を預けに行こうね」
聞いてほしい。
おれも桔都も、果ては母でさえも、行くのは東京ディズニーリゾートだと思っていた。それほど遠くないし初の家族旅行にわくわくしていたのだが、気づけばパスポートを申請され、大きなスーツケースを買って渡された。
一週間分の旅行準備を終え、十時間飛行機に乗り、到着したのはまさかのアメリカ、カリフォルニア。こっちの元祖ディズニーリゾートにはアベンジャーズエリアがあって、桔都も楽しめるようにと丞さんが計画してくれたようだ。
(直前じゃなくて、もっと前から言ってほしかったけど……! 丞さん、言葉足らなすぎ〜!)
おれたちは文化祭の準備に参加できなくなることをクラスのみんなに謝らなければならなかったし、母も職場に慌てて休暇を申請していた。
それでも家族のことを想って連れてきてくれたのがわかるから、憎めないのが丞さんという人だった。
隣に立つ桔都も、おれが誕生日にプレゼントしたスパイダーマンのTシャツを着てわくわくしている。無言だけど、おれにはわかるのだ。
Tシャツは部屋着のつもりでプレゼントしたのだが、桔都的には一張羅らしい。よれよれになったら部屋着にして、長く着てもらえるといいな。
移動は疲れたものの、大人たちと違っておれはすぐにでも遊びたかった。桔都を誘って外に出かけようとすると、丞さんに引き止められる。
「君たち、英語は喋れるんだっけ?」
「な……なんとなくじゃ、だめ?」
訊かれると突然不安になった。英語の成績は悪くないし、テーマパークならそれほど困らないと楽観的に考えていたのだ。
「僕が心配だからね、アテンドしてくれる人を呼んでおいたんだ」
タイミング良くホテルの部屋のベルが鳴り、人見知りの桔都はびくっと背中を強張らせていた。通訳がいれば確かに安心だろうけど、知らない人とテーマパークを巡るくらいなら、苦労してでも二人で遊びたい。そう考えていたのだが……
「Heeey! 桔都! 久しぶり~垢抜けたね!」
「せ……星凪!?」
ドアを開けた瞬間こんがりと日焼けした細身の男の子が飛び込んできて、桔都に抱きついた。他人ではなかったらしい。
思わずポカンとしてしまった。いまの桔都は学校での姿とも、家の姿とも違う。
強いて言えばイケメン桔都のリラックスバージョン~キャラTを添えて~という感じなのだが、星凪という男の子は全く驚いていないし、桔都も彼の登場には驚いているものの普通に喋っている。
おれが乗り越えてきた垣根を何段階もヒョイと一足飛びに越えて現れた感じだった。きっと家での桔都を知っているのだろう。そんな存在の友人がいたことを、おれは聞いたことさえなかった。
「星凪くんは桔都が小学生の時、近所に住んでた子なんだよ。家族ぐるみで付き合いがあって、良くしてもらってたんだ。中学に上がる際お父さんの仕事でカリフォルニアに引っ越しちゃったんだけど、もうすぐ日本に帰るってちょうど連絡がきたところだったから誘ってみたんだ」
「綺麗な子ねぇ」
丞さんの説明に母が感心した声で相槌を打つ。シングルファザーだった丞さんは、何度も星凪の家に桔都を預かってもらっていたのだという。星凪は桔都の一歳上なんだそうだ。
垢抜けたと言っているのだから、昔の桔都はキラキラ王子様ではなかったらしい。そして普通に友達がいた。――顔立ちがモデルみたいに綺麗で、出会った瞬間抱きついてくるような。
(……あれ?)
胸の辺りを手で押さえる。チクッと何かが刺さったような痛みがあったからだ。自分は桔都のことをよく知ったつもりになっていたけれど、実は過去を全然知らないということに、今さら気づく。
「ミズキっていうの? よろしく! さ、遊びに行こうぜ!」
気づけば星凪が目の前にいて、手を差し出している。突き抜けた明るさに圧倒されたおれがおずおずと手を差し出すと、がっしりぎゅぎゅっと強く握られた。アメリカ式の握手だという。
ソファに座ってのんびりしている両親を置いて、三人で遊びに繰り出す。夜には親も合流するだろうし、二日間遊べるチケットのため明日は家族だけで楽しめるだろう。
星凪が邪魔者だなんて、決して思っていない。
(でも、二人で回りたかったなって思ってるのは……おれだけ?)
複雑な気持ちを抱えながら、仲良さげに歩く二人の背中を追いかけた。


