ベッドから起き上がった桔都はこの世の終わりみたいな表情をしていた。たぶん、このオタク全開! という感じの部屋を見られたくなかったのだろう。
ただでさえ学校とのギャップが激しいのだ。それに加えて、まさかフィギュア集めが趣味だったとは……桔都って、意外性の塊みたいな男だ。
「桔都」
「っ……」
名前を呼ぶと、桔都の肩がビクッと揺れた。広いはずの肩は背中と一緒に丸まって、なんとも弱々しく見える。笑われたり貶されたりするのを恐れているのかもしれない。
しかし些細な変化などおれにとってはどうでもよかった。風呂上がりで髪に隠されていない栗色の目をキラキラと輝かせ、感嘆の声を上げる。
「すっげーな! かっけー……!!」
「え……」
法や倫理に反していなければ人の趣味にとやかく言うつもりはないし、おれは大ざっぱなので大抵のことは受け入れられると思う。
たとえばセクシーな美少女フィギュアを集めていたって「そういう趣味もあるよね」で済ませるはずだ。でも、これは。
「これ、マーベルヒーローってやつだろ? ほえ~、まじすげ~……ここまで集めるのって、実はかなり大変だろ。レアなやつとかあるんじゃね?」
「そ……そうなんだ! お小遣いとかお年玉をコツコツ貯めて……店舗限定とか抽選形式のやつもあるし、そこで手に入らなかったら高額転売されるほどでさすがに手が出ないんだけど……特にホットトイズのムービー・マスターピースシリーズはハイエンドなアクションフィギュアシリーズだから、本当に惚れ惚れするほどかっこよくてさ。リアルすぎる顔もそうだけどディテールにこだわったコスチュームとか……――」
止めようもないほど桔都が喋り出したため、聞くに徹した。こんなに長く、しかもつっかえずに桔都が喋るのを初めて耳にしたし、マーベルフィギュアの世界には純粋に興味があったからだ。
ただし、初めて聞く言葉が多すぎて半分も理解できているとは言い難い。
しばらくにこにこしながらしばらく桔都の話に「へぇ! まじか! すげ~」と相槌を打ち続け、桔都の息継ぎのタイミングを狙ってようやくストップをかけた。
なんだかこのまま夜を明かしそうな雰囲気だったからだ。明日は土曜日だけど、さすがに、ちょっと。
「なぁ、風呂入ってこいよ。そんでさ、あとで一緒に映画見ない? 桔都おすすめのやつ。なんかサブスク入ってたよな、丞さん」
「み、み、見る! え。でも、ほんとにいいのか……?」
「うん! おれ詳しくないけどさ、アクションとかヒーローとか基本的に好きだし」
「瑞、ありがとう……!」
いつの間にか目の前まで来ていた桔都の両手が肩に置かれ、まっすぐ目を見て言われた。そういえばこの姿で眼鏡をかけていない姿は初めて見たかもしれない。
桔都の目は少し潤んでいて、瞳は青みのある黒だった。見上げていると、なんだか吸い込まれそうだ。
「……桔都、眼鏡ないほうが、おれ好きかも」
ぼんやり呟くと、桔都は小さく口角を上げて、おれのふわふわ浮いている前髪を撫でた。
「瑞も、目を隠さない方が……。あ、いや……やっぱそのままがいい。学校では」
「うわっ」
くしゃくしゃっと前髪をかき混ぜられて、いつもの目元まで隠れるスタイルにされる。
なんだその方向転換は。別に、髪型を変える予定はないけどさ。
勉強は明日から!
テンションの上がったおれは早々に自らの決意を翻し、リビングのソファで桔都を待っている。一応暗記でもしようかと教科書を持ってきてはみたのだが、完全に目が滑っている。
ちなみに両親はまだ帰ってきていない。母は「夕飯食べたら帰るからね!」と今朝言っていたけれど、そのとき朝ご飯を食べていた丞さんは何も言っていなかった。
これは遅くなりそうだな……と感じたところで思考を止める。目を閉じた。
丞さんは「好きなものを食べなさい」と一万円札をテーブルに置いて、母に「もうっ」と叱られていた。まだ金銭感覚の一致には至っていないようだけど……
うん。両親の仲がいいって、すごくいいことだし。
「瑞、寝ちゃったの? ……かわいいなぁ」
ポタ、と顔に水滴が落ちてきて「んんぅ……」と呻く。頬を優しく撫でられ、熱い手を追いかけるように、水滴の乾くひんやりした感覚があった。
ぱち! と目を覚ます。風呂上がりの桔都が、ソファの背からおれを見下ろしていた。
色気ムンムン王子様!? と一瞬惚けたことを考えたけど、髪をちゃんと乾かしていないからボサボサを免れているのと、眼鏡をかけていないだけだ。
よれよれになったアイアンマンのプリントTシャツを着た姿を見て、安心した。風呂上がりの暑さで、まだジャージは羽織れないらしい。
「ごめん、寝てたぁ……」
「う、ううん! 眠いなら……映画はまた今度に、する?」
「眠くない! 見ようぜ! てか桔都さぁ、髪から水垂れてるし。ちゃんと乾かせよなぁ?」
体を起こし、桔都の肩に掛けられていたタオルを取って髪をわしゃわしゃ拭いてやる。その間大きな体が大人しくしているのが面白くて、心の中もこそばゆい感じがした。
目を開ける前、桔都が何か言っていたような気がするけど……なんだったか忘れてしまった。よだれ垂れてるよぉ、とか?
桔都は眼鏡を持ってきていつもの姿になり、いそいそと二人で飲み物を準備してからソファに並んで座る。リモコンを握った桔都が隣から尋ねてくる。
「見たいもの、ある?」
「アイアンマン! 見たくてそのTシャツ着てきたんじゃないの?」
「偶然だから……僕はどの作品もいっぱい見てるし、瑞の見たいものを見たいんだけど……だ、駄目、かな?」
「かっわいい弟だな~!」
よくできた弟発言で、胸いっぱいに愛おしさが湧き上がってくるのを感じた。ま、桔都の「いっぱい見た」は本当にいっぱいなんだろうけど。
もうアイアンマンの気分になってしまっているのでそれをチョイスする。これからいつでも一緒に見られるんだから、どれから始めたっていい。
大げさな拒否反応を示すほど桔都が隠してきた趣味を思いがけず明かしてしまったのだから、これから桔都の趣味に寄り添いたいと思った。一緒に楽しめたら最高に楽しいじゃん! という単純明快な理由で。
「あ! ポップコーンとか用意すればよかった~!」
映画のオープニングを見ながら、唐突に声を上げる。映画といえばコーラとポップコーン、というのがおれのイメージだ。
なのに今、目の前にあるのは母が作り置いてくれた麦茶のみ。……健康的過ぎる。イメージだけで理想形を実現したことはないけれど、桔都とはやってみたいし絶対楽しくなるはず。
「ポップコーンが、食べたいの?」
「いやなんか、テンション上がんない? 次一緒に映画見るときはさ、コーラ買ってきて、ポップコーンは家で作ろうぜ!」
「ぽ、ポップコーンって家で作れるものなのか?」
「知らないの!? フライパンで作るやつとか、レンジでチンとか色々あるんだ。簡単だし……」
桔都が眼鏡の奥の目を丸くして訊いてくるから、こっちまで驚いてしまった。昔、小学生の頃、かつての父が機嫌のいい日はたまにポップコーンを作ってくれた。安くて簡単、子どもも喜ぶという理由だったんだと思う。
一呼吸の間だけ切なさを噛み締めた。いい人とは決して言えない父との懐かしい思い出だ。
「それは……テンション、上がるかも……」
「……でしょ~! じゃ、次はちゃんと準備しような!」
「次……」
「うん。次! ――あ、映画始まる!」
満更でもなさそうな桔都の顔を見て、得意げに笑った。
おれは桔都と一緒に大いに映画を堪能した。
トニー・スタークが試行錯誤しながらアイアンマンのスーツを完成させ初めて空を飛ぶシーンでは手を叩いて喜び、『時には歩く前に走ることが必要なんだ』という台詞(字幕)に「くぅ~!」と痺れたり。ラストの『I am Iron Man.』という台詞は真似して言う練習をしてみたりした。
気づけば三部作をそのまま見る流れになっていて、二人きりで過ごす夜は更けていった。
「ただいまぁ~……あら」
深夜にそうっと帰ってきたのは奏海と丞だ。暗いリビングでテレビだけが煌々と光っていることに驚き、続いてソファで折り重なって眠る息子たちを発見した。
瑞はソファの肘置きに頭を置いて眠り、桔都は瑞の太ももを枕にしている。昔から一緒に育ってきたかのような姿に、つい、目の奥が熱くなってしまう。
「瑞は、すごい子だね……奏海、瑞を連れて来てくれてありがとう」
桔都がここまで懐くとは思っていなかった丞は、しばらくの間、奏海の肩を抱きながら健やかな寝顔を見つめていた。
ただでさえ学校とのギャップが激しいのだ。それに加えて、まさかフィギュア集めが趣味だったとは……桔都って、意外性の塊みたいな男だ。
「桔都」
「っ……」
名前を呼ぶと、桔都の肩がビクッと揺れた。広いはずの肩は背中と一緒に丸まって、なんとも弱々しく見える。笑われたり貶されたりするのを恐れているのかもしれない。
しかし些細な変化などおれにとってはどうでもよかった。風呂上がりで髪に隠されていない栗色の目をキラキラと輝かせ、感嘆の声を上げる。
「すっげーな! かっけー……!!」
「え……」
法や倫理に反していなければ人の趣味にとやかく言うつもりはないし、おれは大ざっぱなので大抵のことは受け入れられると思う。
たとえばセクシーな美少女フィギュアを集めていたって「そういう趣味もあるよね」で済ませるはずだ。でも、これは。
「これ、マーベルヒーローってやつだろ? ほえ~、まじすげ~……ここまで集めるのって、実はかなり大変だろ。レアなやつとかあるんじゃね?」
「そ……そうなんだ! お小遣いとかお年玉をコツコツ貯めて……店舗限定とか抽選形式のやつもあるし、そこで手に入らなかったら高額転売されるほどでさすがに手が出ないんだけど……特にホットトイズのムービー・マスターピースシリーズはハイエンドなアクションフィギュアシリーズだから、本当に惚れ惚れするほどかっこよくてさ。リアルすぎる顔もそうだけどディテールにこだわったコスチュームとか……――」
止めようもないほど桔都が喋り出したため、聞くに徹した。こんなに長く、しかもつっかえずに桔都が喋るのを初めて耳にしたし、マーベルフィギュアの世界には純粋に興味があったからだ。
ただし、初めて聞く言葉が多すぎて半分も理解できているとは言い難い。
しばらくにこにこしながらしばらく桔都の話に「へぇ! まじか! すげ~」と相槌を打ち続け、桔都の息継ぎのタイミングを狙ってようやくストップをかけた。
なんだかこのまま夜を明かしそうな雰囲気だったからだ。明日は土曜日だけど、さすがに、ちょっと。
「なぁ、風呂入ってこいよ。そんでさ、あとで一緒に映画見ない? 桔都おすすめのやつ。なんかサブスク入ってたよな、丞さん」
「み、み、見る! え。でも、ほんとにいいのか……?」
「うん! おれ詳しくないけどさ、アクションとかヒーローとか基本的に好きだし」
「瑞、ありがとう……!」
いつの間にか目の前まで来ていた桔都の両手が肩に置かれ、まっすぐ目を見て言われた。そういえばこの姿で眼鏡をかけていない姿は初めて見たかもしれない。
桔都の目は少し潤んでいて、瞳は青みのある黒だった。見上げていると、なんだか吸い込まれそうだ。
「……桔都、眼鏡ないほうが、おれ好きかも」
ぼんやり呟くと、桔都は小さく口角を上げて、おれのふわふわ浮いている前髪を撫でた。
「瑞も、目を隠さない方が……。あ、いや……やっぱそのままがいい。学校では」
「うわっ」
くしゃくしゃっと前髪をかき混ぜられて、いつもの目元まで隠れるスタイルにされる。
なんだその方向転換は。別に、髪型を変える予定はないけどさ。
勉強は明日から!
テンションの上がったおれは早々に自らの決意を翻し、リビングのソファで桔都を待っている。一応暗記でもしようかと教科書を持ってきてはみたのだが、完全に目が滑っている。
ちなみに両親はまだ帰ってきていない。母は「夕飯食べたら帰るからね!」と今朝言っていたけれど、そのとき朝ご飯を食べていた丞さんは何も言っていなかった。
これは遅くなりそうだな……と感じたところで思考を止める。目を閉じた。
丞さんは「好きなものを食べなさい」と一万円札をテーブルに置いて、母に「もうっ」と叱られていた。まだ金銭感覚の一致には至っていないようだけど……
うん。両親の仲がいいって、すごくいいことだし。
「瑞、寝ちゃったの? ……かわいいなぁ」
ポタ、と顔に水滴が落ちてきて「んんぅ……」と呻く。頬を優しく撫でられ、熱い手を追いかけるように、水滴の乾くひんやりした感覚があった。
ぱち! と目を覚ます。風呂上がりの桔都が、ソファの背からおれを見下ろしていた。
色気ムンムン王子様!? と一瞬惚けたことを考えたけど、髪をちゃんと乾かしていないからボサボサを免れているのと、眼鏡をかけていないだけだ。
よれよれになったアイアンマンのプリントTシャツを着た姿を見て、安心した。風呂上がりの暑さで、まだジャージは羽織れないらしい。
「ごめん、寝てたぁ……」
「う、ううん! 眠いなら……映画はまた今度に、する?」
「眠くない! 見ようぜ! てか桔都さぁ、髪から水垂れてるし。ちゃんと乾かせよなぁ?」
体を起こし、桔都の肩に掛けられていたタオルを取って髪をわしゃわしゃ拭いてやる。その間大きな体が大人しくしているのが面白くて、心の中もこそばゆい感じがした。
目を開ける前、桔都が何か言っていたような気がするけど……なんだったか忘れてしまった。よだれ垂れてるよぉ、とか?
桔都は眼鏡を持ってきていつもの姿になり、いそいそと二人で飲み物を準備してからソファに並んで座る。リモコンを握った桔都が隣から尋ねてくる。
「見たいもの、ある?」
「アイアンマン! 見たくてそのTシャツ着てきたんじゃないの?」
「偶然だから……僕はどの作品もいっぱい見てるし、瑞の見たいものを見たいんだけど……だ、駄目、かな?」
「かっわいい弟だな~!」
よくできた弟発言で、胸いっぱいに愛おしさが湧き上がってくるのを感じた。ま、桔都の「いっぱい見た」は本当にいっぱいなんだろうけど。
もうアイアンマンの気分になってしまっているのでそれをチョイスする。これからいつでも一緒に見られるんだから、どれから始めたっていい。
大げさな拒否反応を示すほど桔都が隠してきた趣味を思いがけず明かしてしまったのだから、これから桔都の趣味に寄り添いたいと思った。一緒に楽しめたら最高に楽しいじゃん! という単純明快な理由で。
「あ! ポップコーンとか用意すればよかった~!」
映画のオープニングを見ながら、唐突に声を上げる。映画といえばコーラとポップコーン、というのがおれのイメージだ。
なのに今、目の前にあるのは母が作り置いてくれた麦茶のみ。……健康的過ぎる。イメージだけで理想形を実現したことはないけれど、桔都とはやってみたいし絶対楽しくなるはず。
「ポップコーンが、食べたいの?」
「いやなんか、テンション上がんない? 次一緒に映画見るときはさ、コーラ買ってきて、ポップコーンは家で作ろうぜ!」
「ぽ、ポップコーンって家で作れるものなのか?」
「知らないの!? フライパンで作るやつとか、レンジでチンとか色々あるんだ。簡単だし……」
桔都が眼鏡の奥の目を丸くして訊いてくるから、こっちまで驚いてしまった。昔、小学生の頃、かつての父が機嫌のいい日はたまにポップコーンを作ってくれた。安くて簡単、子どもも喜ぶという理由だったんだと思う。
一呼吸の間だけ切なさを噛み締めた。いい人とは決して言えない父との懐かしい思い出だ。
「それは……テンション、上がるかも……」
「……でしょ~! じゃ、次はちゃんと準備しような!」
「次……」
「うん。次! ――あ、映画始まる!」
満更でもなさそうな桔都の顔を見て、得意げに笑った。
おれは桔都と一緒に大いに映画を堪能した。
トニー・スタークが試行錯誤しながらアイアンマンのスーツを完成させ初めて空を飛ぶシーンでは手を叩いて喜び、『時には歩く前に走ることが必要なんだ』という台詞(字幕)に「くぅ~!」と痺れたり。ラストの『I am Iron Man.』という台詞は真似して言う練習をしてみたりした。
気づけば三部作をそのまま見る流れになっていて、二人きりで過ごす夜は更けていった。
「ただいまぁ~……あら」
深夜にそうっと帰ってきたのは奏海と丞だ。暗いリビングでテレビだけが煌々と光っていることに驚き、続いてソファで折り重なって眠る息子たちを発見した。
瑞はソファの肘置きに頭を置いて眠り、桔都は瑞の太ももを枕にしている。昔から一緒に育ってきたかのような姿に、つい、目の奥が熱くなってしまう。
「瑞は、すごい子だね……奏海、瑞を連れて来てくれてありがとう」
桔都がここまで懐くとは思っていなかった丞は、しばらくの間、奏海の肩を抱きながら健やかな寝顔を見つめていた。


