あれよあれよという間に話は進み、母と丞さんは結婚した。
 書類上母は逢坂という苗字に変わり、おれは途中で苗字が変わるのは避けたいということで高校卒業後に丞さんと養子縁組することになった。

 おれが一方的にではあるがあんなに兄弟兄弟と言っていたのに、結局まだ本当の兄弟にはなれないらしい。でも実のところ書類上の話はどうでも良くて、おれが兄で桔都は弟だとお互いが認めた事実に意味があるのだと思う。

 再婚だからと結婚式やハネムーンもない。「すれば?」と訊いたけど四人で暮らす日常が幸せなんだと言われてしまえばそれ以上言うことはなかった。
 母も丞さんも、幸せの閾値が低すぎる。しかし小さなことでも幸せを感じられる方が幸せなのだと、おれも知っていた。

 籍を入れた日は家族四人で焼き肉を食べに行った。
 完全に高校生の息子たち向けのチョイスで申し訳なかったけれど、「好きなだけ食べていいよ」と丞さんが言ってくれたので「ひゃっほう!」と調子に乗ってしまった。桔都がおれの皿に焼けた肉をどんどん入れてくれるため、食べすぎたのはあいつも同罪だ。

 ――そして……ついに、めちゃくちゃ大変だった引越し作業まで終えました!

「こんにちは。今日からよろしくお願いします!」
「これからはただいま、だね? 瑞、奏海(かなみ)、四人じゃ手狭だと思うけど今日から遠慮なく過ごしてくれ」
「…………」

 丞さんから呼び捨てで呼ばれるとドキドキする。こんな素敵な人がお父さんだなんて嬉しいけれど、おれはまだ恥ずかしくて「丞さん」と呼んでいる。

 それにしても、この豪邸を「手狭」と呼ばわるとはさすがだ。
 昨日まで母と「あんな大きなお家、掃除も大変そうよねぇ……」「大丈夫、おれも手伝うから!」と励まし合っていたのに。

 母の纏う空気がピリつき、初の夫婦喧嘩が勃発……!? と束の間怯えたのだが、絶妙なタイミングで桔都が「お茶、入ったよ」と声を掛けてくれたので助かった。
 おれと同じ楽観的な母が本気で怒ることなんて滅多にないし、丞さんもかなり温厚に見えるけれど。元相良(さがら)家は喧嘩に敏感なのである。

「出前でそばでも取ろうか?」
「そばくらいなら茹でるから! 丞さんがそう言うと思って、持ってきたの」

 家事代行サービスを使ったりしながら男二人でなんとかやってきたからか、丞さんは母に家事を強要しないところがいい。お金もあるためなんでも外注しようとするのだが、節約志向が染みついた母は意識改革を始めていくつもりらしい。

 母は四人分の家事をやる気満々で、仕事もフルタイムから時短に変えた。これまで走り続けてきたのだから、丞さんに甘えて少しはゆっくりすればいいのに。ま、母には母なりの思いがあるのだろう。
 ソファにいたおれはすでに我が家の心地でくつろぎながら、遠慮なく我が儘を言ってみる。

「おれ、天ぷらも食べたーい」
「えぇ……さすがに材料が足りないわ。自分で買ってきなさい」
「桔都、一緒に行く? 海老天食べたくない?」

 こくん、と隣で頷いたのを見て、おれは立ち上がった。引越しで精神的には疲れ切っているはずなのに、なんだろう。本当に小さなことが幸せで、顔に笑みが浮かんでしまう。
 相変わらずなジャージ姿の桔都と連れ立って歩き、海老天の値段を見て「高!」とか言いながら、四本買って家に帰った。





「瑞んち、親が再婚して引っ越したんだってー? どうよ新生活は」

 一年のときに同じクラスだった仲のいいグループの中で、今も同じクラスの秀治が昼休みに話しかけてくる。秀治は地味グループの中でも背が高く、一重で切れ長の目をしており、おれとは対照的な感じだ。キツネとタヌキみたいな……
 再婚相手の連れ子が桔都であることは話していないけど、大体の事情は伝えてあるため心配してくれているらしい。おれは母が作った弁当箱を丁寧に広げながら、明るい声で答えた。

「すごい楽しい!」
「は? そんなことある?」

 桔都も今頃同じ中身の弁当を食べているだろうか。クラスが離れているし交友関係も全く違うから誰かに気づかれる可能性もないけれど、秘密を共有している感じも楽しいのだ。
 そんなことを考えていると、秀治は「納得いきません」というおれから見ればむかつく顔をした。

「ひどい。秀治はおれが不幸になったほうが良かったってこと……!?」
「違うっつーの。なんか他人の家にあとから住むのって緊張しそうじゃん。ああ、いや。瑞だしな……繊細さの欠片もないか」
「おれの顔見ながらそれ言う? 繊細さの塊ですぅ~~。ま、初日から爆睡だったけど」
「そういうとこだよ」

 我ながら楽天的で大ざっぱだとは思うが、否定しておく。とはいえ今や完全にあの豪邸が我が家で、脱ぎっぱなしの靴下を母に叱られたりしている。

 そこでふと、直近の悩みを思い出した。おれ的には大事件だったのだが、両親には告げ口みたいで相談できていない。

「でもさ、一個だけ悩んでることがあって……」
「おっ。なになに? 継父(ままちち)にいびられてる?」
「急に嬉しそうな顔するな! いや、なーんかさ、同い年の息子がいるって言っただろ? 結構仲良くなったつもりなんだけど……ぜーったい、部屋に入れてくれないんだよなぁ。見せてもくれないって、おかしくない?」
「そんなこと……? プライベートスペースのひとつやふたつ、誰にでもあるだろ。俺だって親には自分の部屋に入ってほしくないし。ま、知らないうちに掃除してくれてんだけど」

 秀治の回答に、眉間に皺を寄せムッとして見せた。なんとなく、親にもそう言われそうだなとは思っているものの、不満だ。

 おれと桔都の私室は二階にあり、隣に位置している。母と二人暮らしだった時には私室なんてなかったし、その名残もあってよくリビングで宿題をしたり寛いでいるのだが、桔都はよく自分の部屋にいる。
 純粋に部屋で何してるのかな~と思っていて、この前偶然同時に部屋を出たときに「見せて!」と言ってみたのだ。でも……全力で拒否された。

「おれは自分の部屋、誰に見られてもいいけど」
「ふ~ん? でも瑞くんだって男の子なんだから、ベッドの下とかにエロ本隠してんじゃないのぉ?」
「なっ、エ……隠してないし!」

 にやにやと秀治に指摘され、つい声が大きくなってしまう。教室中の視線を浴びて、女子からの「うるさい」というお小言までいただいてしまえば、「スミマセン……」と体ごと小さくなるしかなかった。

 秀治においおいと肩をつつかれたけど、お前のせいだかんな! あと本当にエロ本は隠していない!

「あ、王子様じゃん」

 先に食べ終わった秀治が窓の外を見て呟く。その声を聞いて、最後に卵焼きを食べようとしていたおれも顔を上げた。

『王子様』というのは桔都のことで、初めて桔都を見たおれが容姿を絶賛しまくった結果、秀治は見かけるたび「王子様がいるよ」と教えてくれるのだ。
 色々と語弊はありまくるが、女子が言っているのも聞いたことがあるし、おれたちの会話なんて誰も聞いちゃいないため気にしていない。

 窓から運動場を見下ろすと、早々に昼飯を食べ終えた男子生徒たちがサッカーをして遊んでいた。次の授業が体育なのだろう、体操着を着ていても桔都がどこにいるのかは瞬時に見つけられる。

 そのスタイルの良さは際立っていて、視力のいいおれには桔都の笑顔までもが眩しく輝いているのが見えた。

 本当に、家での姿から想像がつかないほど別人だ。制服や体操着の着崩し方はいつも堂に入っていて、髪型だって全方位かっこいい。極めつけは男から見ても美しすぎる顔立ちだ。しかもよく白い歯を見せて笑う。

 サッカーボールのパスが渡ると、桔都は華麗にドリブルして敵を躱し、ゴールキーパーの飛んだ方向と逆方向へシュートを決める。運動神経までいいらしい。
 他のクラスのベランダから見ていたらしき女子たちが「きゃぁっ」と黄色い声を上げた。

(でもあれ、おれの『弟』なんだよな~~)

 内心優越感を感じながら見つめていると「卵焼き落ちそうになってる!」と教えられて慌てて食べる。大好きだからと最後に取っておいた食べ物を無駄にするところだった。

「まさか、本当に好きなん?」
「え……?」
「王子様に恋するモブ町娘の目してたぜ~……いってぇ!」

 秀治の発言に戸惑ったのも一瞬で、からかいだとわかった直後に机の下で脛をキックしておいた。どうせモブ顔だよ! 秀治と同じな!