驚いて背を反らそうとした瑞だったが、僕が「……心配した」と耳のそばで囁くと大人しくなった。

「ごめん……母さんたちも心配してた?」
「いや、まだ言ってない」
「よかったぁ」

 自分が汗だくになっていることを思い出し、そっと瑞から離れた。臭いとか思われなかったかな……
 すぐ家に帰るべきかと思ったものの、瑞には聞いておきたいことがある。二つあるブランコにそれぞれ座ってから、父には「三十分後に帰る」とメッセージを入れておいた。

 スマホを開くと瑞からの着信がいくつも残っていて、本当に必死で走っていたんだなと我ながら思う。訊かれたのでここへ来るまでの経緯を話すと、感動しているような恐縮しているような、瑞は複雑な感情の入り混じった表情をしていた。

「本当にごめん……スマホ全然見てなくて」
「いいよ、無事だったんだから。――それで、なんかあった?」

 この前の写真の件は、僕が自分の過去を話すことで瑞の告白のハードルを下げた。今回は差し出せるものがないけれど、必死で探したことが後押しになっているといい。僕もまだ制服で学校モードのため思い切って切り込んでみることにした。

 しかし瑞の表情はそこで固まって、へたくそに微笑む。

「なんでもないよ。ブランコに乗りたくなっただけ」
「…………」

 なんでもないはずない。家族大好きな瑞が、塾で何時間も自習してから家にも帰らず公園でぼうっとしてるなんてあり得ないことを、僕はもう知っている。
 だから立ち上がって、瑞の前で膝を折り屈んだ。いつの日か瑞がしてくれたように。

「……家に、帰りたくなかった?」

 瑞は目を丸くしてから、図星を指されたみたいに瞳を揺らす。
 腕を伸ばして瑞がブランコの鎖を掴んでいる手を上から包む。その手は秋の夜が染み込んだように冷たかったから、「熱い自分の体温が伝われ」と念じた。

 何度か口を開いて瑞が言葉を絞り出そうとしているのを、辛抱強く見守る。

「ん……さびしく、て」
「寂しい?」
「こんなの、子どもみたいでおかしいって、わかってるんだけど……母さんも丞さんもお腹の赤ちゃんに付きっきりでしょ? 当たり前だしそれでいいっておれも思ってるのに、なんかおれ、もうあの家にいらない気がして」
「うん、それで?」

 瑞の言いたいことはわかる気がした。

 再婚してから、父も奏海さんも慎重に息子たちの様子を気にかけてくれていた。大人の都合で振り回される子どもに対する責任を感じている、とでも言うのだろうか。
 もちろん全く嫌な感じはしない。今までとは比較にならないほど構ってもらえることで、僕でさえ知らず知らずのうちに、幼い頃に寂しかった記憶が癒されていく感じがしたほどだ。

 だが今はそれどころじゃない、というのが現実だった。慶事ではあるものの「まさかできるとは思っていなかった」と父もこっそりと僕に言っていたほど、みんなにとって予想外の出来事が起きている。

 だから瑞が寂しがるのは全然おかしなことじゃない。むしろ割とさっぱりした関係だった僕たち父子と違って、再婚するまで瑞は奏海さんと二人で支え合って仲良く暮らしてきたに違いないのだ。

 でも反論するのは今じゃないと思い、優しく続きを促す。

「でもなんか……一番は、桔都が……」
「僕?」
「うーん、桔都は変わってないはずなんだけど。仲良くなれたって思うたび、遠くにいるなあって実感しちゃって……」

 瑞は少し遠くを見上げて話している。瞳に半月が映って、僕は視線の先にある月に嫉妬した。

「……それは、学校でも仲良くしたいってこと?」
「ああ、いや、なんて言えばいいんだろ。具体的にどうしたいってのはないけど、独占欲?みたいな。んー。この表現、おかしい?」
「ん゙んっ」

 変な声が出そうになったのを咳払いで誤魔化す。自分の感じている独占欲とは違う種類のはずなのに、瑞の言葉が嬉しくて顔が緩みそうになった。

 学校では、どちらかというと教室の中心で目立つのを好むグループに僕がいるのに対し、瑞たちは目立つのを好まず隅っこで楽しそうにしているイメージがある。
 その区分けは入学した時点で自然となされていて、どちらがいいとか上下もないけれど、篠元たちのように見下す人もいるため敢えて互いが仲良くすることは基本ない。

 したがって、距離があるといえば大いにあるのだ。別に、今から仲良くしたって悪いことではないし、僕的には大歓迎。とはいえ……

(第二の篠元が出てきたら、困るんだよなあ)

 僕に憧れを抱いている女子がいるのは知っている。仲のいいグループの中で、僕と一緒にいることで優越感を感じている奴もいるらしい。
 そういう人たちが瑞に反感を抱いてまた何かしたら、もう自分を許せなくなる。

 とにかくここは、物理的に学校で仲良くすることが解決策ではない。
 瑞は寂しいのだ。両親が自分を見てくれなくなった気がして、あの綿井って男も彼女を優先することがあるに違いない。

 決意して、腰を上げた。両手を瑞の肩へと移動し、前かがみになって瑞の大きな目を覗き込む。

「僕は、瑞が一番だから。妹か弟が生まれたって、ずっと瑞だけを見てる」
「っ!」

 瑞は栗色の目を見開いて、僕を見返している。自分の気持ちがバレたって構わないから、僕はもうとっくに瑞のものなんだと教えてあげたい。

「学校で誰と仲良くしてても、瑞のことを一番に考えてるから。それだけは信じてほしい」
「……彼女ができても?」
「……できないと思うけど……そうだね。万が一彼女ができても、瑞の方が好きだから瑞を優先する」
「ばっかだなあ」

 真正面の顔が泣き笑いのような表情になって、思わずその頬を撫でた。思ったよりも熱い。
 瑞が僕の手に手を重ねてきて、その手がさっきよりも温かくなっていることにすごく安堵した。

「ありがと、桔都」

 潤んで見える目には今、僕しか映っていない。どうやら少しは励ませたようだと満足して、瑞の手を引いた。

 一緒に帰ろう、僕らの家に。