八時ごろに家に帰ると、ソファに座っていた両親は揃って「あれ?」という顔をした。

「瑞と一緒じゃないのか」
「え? 今日は、学校の友だちと食べてきたけど……」
「最後に送ったメッセージも、既読にならないのよねぇ」

 父に尋ねられて答えると、奏海さんが首を傾げる。
 瑞はどこに行ったのだろう。一人だったならもう帰ってきているはずだし、いつもの綿井ってやつと遊んでいるのか?

(いや……違うな)

 駅前のファミレスで奥山と試験勉強をしていたとき、綿井を見かけたことを思い出す。彼女っぽい女子と一緒だった。
 じゃあ、今は誰といるのだろう? 瑞は別のクラスにも友だちがいるし、僕が知らない奴もいるはずだ。

 でも、篠元たちが瑞に嫌がらせをしていたせいで瑞の周りからは人がいなくなったと聞いた。嫌がらせが止まっても、すぐには元の状態に戻らないと思われる。
 かつての僕は逃げてばかりだったけれど、瑞はきっとすぐに友だちを取り戻すだろう。瑞のそばは居心地がいい。だけど、まだ……

 自分も含めてだが、目立つ奴の行動は周囲にも影響を与えてしまうから厄介だ。
 瑞が今も寂しい思いをしていることを思うと、自己嫌悪に苛まれる。好きな人を守れないどころか間接的に傷つけていただなんて、格好悪くて情けない。

「僕が電話してみる」
「うん、ごめんね桔都」

 不安になってきてスマホをポケットから出すと、奏海さんは眉を下げて申し訳なさそうな顔をした。まだ顔色が悪い。
 リビングを出て自室に向かいながら、瑞に電話をかけた。

「…………」

 どれだけ待っても出ない。気づいていないだけ? それとも……何かあった? 車に轢かれそうになったときのことを思い出し、不安が大きくなってくる。
 部屋に鞄を置いて、そのまま一階へ下りた。両親には、特に奏海さんにはまだ言えない。余計な心配はかけられない。リビングのドアを開けて両親に声だけを掛ける。

「瑞迎えに行ってくる!」
「父さんが車出そうか? 最近この辺りで不審者が出たって情報があっただろう」
「大丈夫、近くだから」

 目的地が決まっていないので車より徒歩の方がいい。適当な嘘をついて、スニーカーを履く。
 事故に遭ったなら真っ先に家族へ連絡が来るはずだし、まだ大丈夫。心当たりを見て回ってそれでも見つからなかったら父に相談しようと決めて、家を出た。

 学校はとっくに閉まっている時間だし、そこから家に帰らず向かうとすれば僕がいた金西駅か最寄り駅が最有力候補だ。家から金西駅に向かうのは少し遠い上、夜の繁華街で瑞がふらふらしていると思えない。というか危ないと思う。

(やっぱり最寄りか……?)

 学校から家まではバスと徒歩が一番早いルートだが、友だちといたり寄り道したり、まっすぐ家に帰らないときは大抵金西駅まで歩いて行く。そこから最寄りまで電車に乗れば、あとは歩いて家まで十五分ほど。

 僕と瑞が受験対策のために最近通い始めた塾も、最寄り駅の近くにあった。
 瑞が塾にいる可能性もある。あそこの自習室は授業のない日でも開放されていて、確か十時ごろまで開いているはずだ。

「ああ、相良くんね。確か来てたと思いますよ!」
「っ……! 本当ですか」

 いの一番に向かった塾で当たりを引いた。大学生の塾講師が自習室の予約端末を確認するのを、願う気持ちで見守る。しかし彼女から返ってきた言葉は期待から少し外れていた。

「ええと……八時すぎに帰ったみたい」
「え」
「もう受験勉強は始まってるんだから、逢坂くんも、もっと頻繁に来てね。わからないことがあったらいつでも私に聞いてくれていいよ?」
「ああ、はい……」

 塾講師が親切めかして連絡先を教えてこようとするのを断って、塾を出た。瑞はここから何か食べに行ったのかもしれない。
 駅の周りにはファーストフードの店が何軒かあり、目的地は絞られたように思える。申し訳なく思いながらも全ての店に入って瑞を探し、出るのを繰り返した。

(すれ違いで、もう帰ったのかも?)

 もう一度瑞に電話を掛けてみることにする。もうすぐ九時だ。瑞が無事家に帰っていてくれるなら、それでいい。

 発信音が鳴り続け、充電が切れているわけでもなさそうだ。僕がじりじりと待っていると、突然発信音が途切れた。
 切れた? と思うも、画面には通話時間を示す数字が表示されている。慌てて耳にスマホを持って行った。

「瑞! 聞こえる?」
「桔都、助けて……変な人が……」
「どこ! どこにいるんだ!?」
「こ、こうえ……――」

 中途半端なところでトゥルン! と通話の切られた音がする。混乱する頭で必死に考える。

(こうえ……公園? この近くで公園って……あそこか!)

 もう公園で遊ぶような歳でもないから、どこに公園があるかなんてよく知らない。けれど家の近くにある公園だけは、この街へ引っ越してきた当初から知っていた。瑞も僕を追いかけてきたことがあるので覚えているはず。

 確信を得ていないものの、もう足はその方向へ向かっている。だって、「助けて」と言われたのだ。
 焦燥に背中を押されながら全力で走る。瑞を、大事な人を守るために!



 肋骨が痛いほど心臓は強く拍動し、酸素が足りなくて呼吸が苦しい。二、三分で公園についたとき、ブランコの辺りに人影が二つあることをすぐに認識した。

「瑞!!」

 瑞の隣にいるのは、大人の男性に見える。家を出る直前、父から不審者の話を聞いたことを突如思い出した。
 全速力で駆けて行って瑞を守るように背中に隠し、男に相対する。

「お前が不審者か!」
「い、いや、違うんだよ」
「おっさん、瑞に何をした! 警察を呼ぶぞ!」
「だからね、私は……」

 激情を隠さずに詰問すると、男はしどろもどろになって狼狽えた。いかにも良い人そうな顔をしているところが逆に怪しい。
 僕は精一杯目を尖らせて男を睨みつけていたのだが、背後から瑞がつんつん服を引っ張って話しかけてくる。くそ、こんなときに可愛い仕草はやめてくれ!

「桔都、桔都。その人……警官だから」
「……は?」
「だから、警察官」

 瑞の言葉に耳を傾けてみると、もっと混乱した。こっちは警察を呼ぶって言っているのに、この人が警察官?

「は??」
「ごめんね、びっくりさせちゃって」

 その人は警察手帳を僕へ見せて長谷川と名乗り、経緯を語ってくれた。曰く、瑞が夜の公園に長時間一人でいるのが気になって、退勤途中に声を掛けたらしい。
 しかし私服だったために瑞を怖がらせてしまい、申し訳なかったと謝ってくれた。

「あ、いや……こちらこそ勘違いしてすみません」
「心配かけちゃったなぁと思って、桔都に折り返し電話かけたんだけど……」
「ごめん、走ってたから気づかなかった」

 長谷川さんと謝り合ってから今度は瑞と謝り合っていると、長谷川さんの携帯が鳴った。仕事の電話のようだ。

「ッなに! この近くで不審者が? ベージュのトレンチコートに、赤いハイヒール。髭の……」
「あれじゃない? わ。フルチンだあ」

 例の不審者だろうか。聞こえてくるままに脳内でその姿を思い浮かべていると、瑞が気の抜ける声を上げて公園の外の通りを指さす。
 僕には細かいところまで見えなかったが、確かにトレンチコートを着ていてズボンは履いていないようだった。

 長谷川さんは「あー!」と叫んでから、瑞たちに「すぐお家に帰りなさいね!」と言い残して走っていく。不審者もハイヒールを履いているとは思えないほど俊敏な動きで走り出し、どこか見えないところに行ってしまった。

「…………」
「っぷ。あははは! 不審者っていうか、変態じゃん!」

 呆気にとられて見送ったあと、瑞がこらえきれない様子で笑い始める。無邪気な笑顔を見てようやく瑞の無事を噛み締めると、湧き上がってきた衝動に任せて行動した。

「瑞」
「わ」

 瑞の小柄な体が腕の中にすっぽりと収まり、ふわふわとした髪が鼻先をくすぐる。――僕は今、初めて好きな人を胸の中に抱きしめていた。