今日は顔合わせだけしてすぐに帰るつもりだったのだが、おれは大魔王と再び対峙することになった。
せっかくなら夕飯も一緒に作って食べたいと恋する母に主張されてしまえば、否定なんてできない。二人とも働きながら子育ては忙しかったに違いないし、今まで子どもたちのことを気にしてデートも短時間だったんだと思う。
「おーい、逢坂。せっかくだからさ、仲良くしよーぜ?」
「…………」
再びソファにちんまり座ってしまった逢坂は、おれと頑なに目を合わせようとしない。それでもめげずに話しかけようと思ったのは、正直、学校での逢坂よりも地味で自分に近いものを感じたからに他ならない。
周囲からは地味グループと認定されているおれの友人たちの中には、喋るのが苦手な陰気キャラもいる。そいつも結構いいやつだし。
学校そのままの眩しいイケメンだったら、絶対こんな風に話しかけられない。無視されたり冷たくされたら即座に「一般人が話しかけてゴメンナサイ!」と謝って尻尾を撒いて逃げてみせる。
別次元の芸能人みたいな逢坂じゃなくて、こっち側の人見知りな逢坂の方がおれにとっては攻略しやすい。嫌われていなければ、だけど。
キッチンから母と丞さんの楽しそうな声が聞こえる。インターホンを押す前はあんなにびくびくしていたくせに、丞さんに会ったらすっかり調子を取り戻したらしい。
広いリビングではあるが同じ部屋にもかかわらず、あっちとこっちの温度差がすごい。
母はポジティブで基本明るいおれを全く心配していない上、丞さんは「学校でも仲いいの?」ととぼけたことを言っていた。あの人、絶対に天然だろ。
「なぁ、おれたち四人で暮らすことになるんだろ? 仲良くしてた方が親たちも安心するだろーし……」
「……別にいい」
「お前の父さんは気にしないかもだけど、うちの母さんは気にするんだよぉ……」
「…………」
遠くない未来、おれと母はこの家に越してくることになるのだろう。
丞さんはこの街へ引っ越してきたとき、都会の感覚で買える金額を出したら豪邸になってしまったと言っていた。だから部屋は四人で住んでも十分なくらいある。
天然な丞さんは普段の逢坂を知っているからそんなものだと思ってしまうかもしれない。でも母は、おれたちが上手くいっていなかったら絶対に気づく人だ。それが自分たちのせいなんじゃないかと、不安になると思うのだ。
おれはどうにか取っ掛かりが掴めないかと、必死に話しかける。ソファの隣に座ると、眼鏡は光が反射して奥にあるはずの目もよく見えなかった。
「おれさ、安心したんだよ。同級生の息子がいるって聞いてたから、怖いやつだったらどうしようって……。でも逢坂なら、自慢しちゃうかも。あ、おれ四月が誕生日でもう十七なんだけどさ、お前は? もしかして、おれがお兄ちゃん……!?」
「……やめろ!」
つらつら喋っていると、突然逢坂は立ち上がり大きな声を出した。びっくりして固まっていると、そのまま玄関に向かって行ってしまう。
「え、ちょっ……待てって!」
「夕飯出来上がるころには帰ってきなさいね~!」
「久しぶりにあんな大きな声聞いたなぁ」
追いかけようとすると、母の声が背中に掛かる。あの人たち……呑気すぎない!?
でも怒らせたのはどう考えてもおれだし、追いかけないという選択肢はない。なんだろ、逢坂もお兄ちゃんになりたかったとか?
慌ててスニーカーを履いて外に出ると、通りの向こうに逢坂の姿が見えた。背が高いから探しやすいな。
猛ダッシュとかされたら追いつけなかったと思うけど、大股で歩いているだけらしい。コンパスが違うためおれは結局走る羽目になったものの、近くの公園に着くころには追いつくことができた。
夜の公園は静かで、街灯の光だけに照らされた空間はどこか物寂しい。逢坂はぽつんとブランコに腰掛けていて、揺れた金属がキィと音を立てている。
ちょうどブランコは二つあり、おれは隣に腰掛けた。久しぶりのブランコにちょっとワクワクしたのは秘密だ。今は遊んでいる場合じゃないのである。
「……お前も学校で言いふらすんだろ」
「え?」
急に逢坂の方から喋り出したので戸惑う。その両手はきつくブランコの鎖を握って白くなっていた。
学校で言いふらすって……何を?
「前の学校でもそうだった。僕の素を見たやつが……お、おもしろおかしく……」
「…………」
そういうことか、と納得した。確かに逢坂のギャップは、元が注目を浴びているからこそ噂の対象になりそうだ。
おれはさっき「自慢しちゃうかも」と言った。きっとその部分に対して、「やめろ」と叫ばれたのだ。
あのイケメンが家族になることを自慢してやろうかな、とほとんど冗談で話したつもりだったけれど、確かに無遠慮すぎたなと思う。
丞さんが転職してまでこの街に引っ越してきた理由は、もしかしたら逢坂が学校で嫌な目に遭っていたからかもしれない。逢坂の素はこっちで、学校での姿は逢坂を守る鎧の役目を果たしているように見える。
完璧すぎる鎧だけど、その中身は繊細な人間だ。
ブランコから立ち上がって、俯いている逢坂の前で屈んだ。逆光で表情はよく見えないけれど、向こうには自分の顔が見えているはずだからニコッと笑いかける。
「おれさ、約束する。絶対に学校で言わないよ。家族になるってことも、逢坂が家では本来の姿で過ごしてるってことも。へへ、なんかスパイダーマンみたいだな。かっこいいじゃん」
「っ……!」
薄明りのなかでも、逢坂が目を見開いたのがわかった。怒っているわけではなさそうな反応に勇気をもらって、畳みかける。
「だから、仲良くしてくれると、嬉しいなー……だめ?」
自分がやっても可愛くはないだろうけど、コテンと首を傾げ上目遣いで見上げる。これは身長が低めなおれの癖でもあった。
友だちに「それやめろ」とよく言われているが、無意識にやってしまうのだ。
「……桔都でいい」
「え! 名前で呼んでいいってこと?」
逢坂、もとい桔都が頷くのを見て、心臓が音を立てて跳ねる。胸の中では花が咲き誇るような喜びが広がっていき、おれの表情にまで伝わる。
決して懐かない動物が触るのを許してくれたような心地だった。
(……これがツンデレ!!)
「きっと。ふふ、照れるなぁ。じゃあおれのことも瑞って呼んでな?」
「……みず、き」
「ふふふふふ」
頬がにまにま緩むのを止められない。そのまま「帰ろう」と手を差し出すと、自分よりも一回り大きな手が重なる。桔都が立ち上がる勢いでおれも引っ張り上げられた。
間近に立つと頭一つ分は背が高い。街灯の光が当たる頬は、少し赤らんでいるようにも見えた。
逢坂家に帰ると、少しは心配していたのか母が真っ先に出迎えてくれた。おれと桔都の間の方を見て、ニコニコする。
「ずいぶん仲良くなったのねぇ」
「あっ!」
「…………」
なんと、公園から手を繋いだままここまで帰ってきてしまったらしい。子どもじゃないんだから……と恥ずかしくなって慌てて手を外すと、知らないうちに手にかいていた汗がすうっと冷えた。
手を洗ってきてね、と踵を返した母はずいぶん機嫌が良さそうだ。きっと丞さんに報告するのだろう。
おれが廊下をトコトコ歩き出すと、鳥の雛のように桔都がついてくる。
しばらくきょろきょろしながら歩いてから、洗面所の場所は家主に聞けばいいじゃんと今さらながらに気づく。しかも桔都に尋ねてみれば、だいぶ手前の方だったみたいだ。
先に手を洗いながら、口を尖らせる。
「言ってよ。もう」
「……僕が弟でいい」
「まじっ? 誕生日いつ!?」
丞さんに似たところがあるのか、桔都も唐突に話題を変える。でもおれはまんまと喜び、石鹸の泡を飛ばした。小さなシャボン玉がふわふわと漂う。
「八月十二……」
「夏休み中じゃん! 一緒にお祝いしような~!」
四人でケーキを囲むイメージが脳裏に浮かぶ。二人では到底叶わない、ホールケーキだ。
家族が増えるって楽しいな……と初めて実感した。
せっかくなら夕飯も一緒に作って食べたいと恋する母に主張されてしまえば、否定なんてできない。二人とも働きながら子育ては忙しかったに違いないし、今まで子どもたちのことを気にしてデートも短時間だったんだと思う。
「おーい、逢坂。せっかくだからさ、仲良くしよーぜ?」
「…………」
再びソファにちんまり座ってしまった逢坂は、おれと頑なに目を合わせようとしない。それでもめげずに話しかけようと思ったのは、正直、学校での逢坂よりも地味で自分に近いものを感じたからに他ならない。
周囲からは地味グループと認定されているおれの友人たちの中には、喋るのが苦手な陰気キャラもいる。そいつも結構いいやつだし。
学校そのままの眩しいイケメンだったら、絶対こんな風に話しかけられない。無視されたり冷たくされたら即座に「一般人が話しかけてゴメンナサイ!」と謝って尻尾を撒いて逃げてみせる。
別次元の芸能人みたいな逢坂じゃなくて、こっち側の人見知りな逢坂の方がおれにとっては攻略しやすい。嫌われていなければ、だけど。
キッチンから母と丞さんの楽しそうな声が聞こえる。インターホンを押す前はあんなにびくびくしていたくせに、丞さんに会ったらすっかり調子を取り戻したらしい。
広いリビングではあるが同じ部屋にもかかわらず、あっちとこっちの温度差がすごい。
母はポジティブで基本明るいおれを全く心配していない上、丞さんは「学校でも仲いいの?」ととぼけたことを言っていた。あの人、絶対に天然だろ。
「なぁ、おれたち四人で暮らすことになるんだろ? 仲良くしてた方が親たちも安心するだろーし……」
「……別にいい」
「お前の父さんは気にしないかもだけど、うちの母さんは気にするんだよぉ……」
「…………」
遠くない未来、おれと母はこの家に越してくることになるのだろう。
丞さんはこの街へ引っ越してきたとき、都会の感覚で買える金額を出したら豪邸になってしまったと言っていた。だから部屋は四人で住んでも十分なくらいある。
天然な丞さんは普段の逢坂を知っているからそんなものだと思ってしまうかもしれない。でも母は、おれたちが上手くいっていなかったら絶対に気づく人だ。それが自分たちのせいなんじゃないかと、不安になると思うのだ。
おれはどうにか取っ掛かりが掴めないかと、必死に話しかける。ソファの隣に座ると、眼鏡は光が反射して奥にあるはずの目もよく見えなかった。
「おれさ、安心したんだよ。同級生の息子がいるって聞いてたから、怖いやつだったらどうしようって……。でも逢坂なら、自慢しちゃうかも。あ、おれ四月が誕生日でもう十七なんだけどさ、お前は? もしかして、おれがお兄ちゃん……!?」
「……やめろ!」
つらつら喋っていると、突然逢坂は立ち上がり大きな声を出した。びっくりして固まっていると、そのまま玄関に向かって行ってしまう。
「え、ちょっ……待てって!」
「夕飯出来上がるころには帰ってきなさいね~!」
「久しぶりにあんな大きな声聞いたなぁ」
追いかけようとすると、母の声が背中に掛かる。あの人たち……呑気すぎない!?
でも怒らせたのはどう考えてもおれだし、追いかけないという選択肢はない。なんだろ、逢坂もお兄ちゃんになりたかったとか?
慌ててスニーカーを履いて外に出ると、通りの向こうに逢坂の姿が見えた。背が高いから探しやすいな。
猛ダッシュとかされたら追いつけなかったと思うけど、大股で歩いているだけらしい。コンパスが違うためおれは結局走る羽目になったものの、近くの公園に着くころには追いつくことができた。
夜の公園は静かで、街灯の光だけに照らされた空間はどこか物寂しい。逢坂はぽつんとブランコに腰掛けていて、揺れた金属がキィと音を立てている。
ちょうどブランコは二つあり、おれは隣に腰掛けた。久しぶりのブランコにちょっとワクワクしたのは秘密だ。今は遊んでいる場合じゃないのである。
「……お前も学校で言いふらすんだろ」
「え?」
急に逢坂の方から喋り出したので戸惑う。その両手はきつくブランコの鎖を握って白くなっていた。
学校で言いふらすって……何を?
「前の学校でもそうだった。僕の素を見たやつが……お、おもしろおかしく……」
「…………」
そういうことか、と納得した。確かに逢坂のギャップは、元が注目を浴びているからこそ噂の対象になりそうだ。
おれはさっき「自慢しちゃうかも」と言った。きっとその部分に対して、「やめろ」と叫ばれたのだ。
あのイケメンが家族になることを自慢してやろうかな、とほとんど冗談で話したつもりだったけれど、確かに無遠慮すぎたなと思う。
丞さんが転職してまでこの街に引っ越してきた理由は、もしかしたら逢坂が学校で嫌な目に遭っていたからかもしれない。逢坂の素はこっちで、学校での姿は逢坂を守る鎧の役目を果たしているように見える。
完璧すぎる鎧だけど、その中身は繊細な人間だ。
ブランコから立ち上がって、俯いている逢坂の前で屈んだ。逆光で表情はよく見えないけれど、向こうには自分の顔が見えているはずだからニコッと笑いかける。
「おれさ、約束する。絶対に学校で言わないよ。家族になるってことも、逢坂が家では本来の姿で過ごしてるってことも。へへ、なんかスパイダーマンみたいだな。かっこいいじゃん」
「っ……!」
薄明りのなかでも、逢坂が目を見開いたのがわかった。怒っているわけではなさそうな反応に勇気をもらって、畳みかける。
「だから、仲良くしてくれると、嬉しいなー……だめ?」
自分がやっても可愛くはないだろうけど、コテンと首を傾げ上目遣いで見上げる。これは身長が低めなおれの癖でもあった。
友だちに「それやめろ」とよく言われているが、無意識にやってしまうのだ。
「……桔都でいい」
「え! 名前で呼んでいいってこと?」
逢坂、もとい桔都が頷くのを見て、心臓が音を立てて跳ねる。胸の中では花が咲き誇るような喜びが広がっていき、おれの表情にまで伝わる。
決して懐かない動物が触るのを許してくれたような心地だった。
(……これがツンデレ!!)
「きっと。ふふ、照れるなぁ。じゃあおれのことも瑞って呼んでな?」
「……みず、き」
「ふふふふふ」
頬がにまにま緩むのを止められない。そのまま「帰ろう」と手を差し出すと、自分よりも一回り大きな手が重なる。桔都が立ち上がる勢いでおれも引っ張り上げられた。
間近に立つと頭一つ分は背が高い。街灯の光が当たる頬は、少し赤らんでいるようにも見えた。
逢坂家に帰ると、少しは心配していたのか母が真っ先に出迎えてくれた。おれと桔都の間の方を見て、ニコニコする。
「ずいぶん仲良くなったのねぇ」
「あっ!」
「…………」
なんと、公園から手を繋いだままここまで帰ってきてしまったらしい。子どもじゃないんだから……と恥ずかしくなって慌てて手を外すと、知らないうちに手にかいていた汗がすうっと冷えた。
手を洗ってきてね、と踵を返した母はずいぶん機嫌が良さそうだ。きっと丞さんに報告するのだろう。
おれが廊下をトコトコ歩き出すと、鳥の雛のように桔都がついてくる。
しばらくきょろきょろしながら歩いてから、洗面所の場所は家主に聞けばいいじゃんと今さらながらに気づく。しかも桔都に尋ねてみれば、だいぶ手前の方だったみたいだ。
先に手を洗いながら、口を尖らせる。
「言ってよ。もう」
「……僕が弟でいい」
「まじっ? 誕生日いつ!?」
丞さんに似たところがあるのか、桔都も唐突に話題を変える。でもおれはまんまと喜び、石鹸の泡を飛ばした。小さなシャボン玉がふわふわと漂う。
「八月十二……」
「夏休み中じゃん! 一緒にお祝いしような~!」
四人でケーキを囲むイメージが脳裏に浮かぶ。二人では到底叶わない、ホールケーキだ。
家族が増えるって楽しいな……と初めて実感した。


