突然話し出した桔都の口から出てきたのは、思いも寄らぬ言葉だった。おれが固まっているのにも構わず桔都は、写真を見つめながらも遠くの過去を振り返るような目で話し続ける。

「中学の時はこんな見た目だし、ダサいし、上手く喋れないし……まぁ当然というか。揶揄われたりパシリとかやらされてた。誰も助けてなんてくれないし、母親がいないこともいつの間にかバレて、見てるだけの奴らには可哀想な奴だと思われてたな」

 今の桔都からは到底想像できないことだった。けれど学校でターゲットにされると辿る展開はどこでも同じで、ちょうどおれが身を持って実感しているところだ。

 しかし桔都はそこでへこたれなかった。高校へ入る際徹底的に自分を変え、真逆のイメージチェンジを図った。
 髪型、服の着こなし、姿勢、話し方……きっと並々ならぬ努力をしたのだと思う。

 元の見た目の良さが功を奏し、桔都は入学直後から人気者になった。以前と違ってすり寄ってくる人たちは、作り物の桔都に気づかない。

 周囲から褒めそやされ、桔都は久しぶりに学校生活を謳歌していた。擬態は疲れるものの、いつしか心を許せる親友という存在や彼女もできた。その上家で元の姿に戻ることで心のバランスを取っていたという。

「僕も、調子に乗ってたんだと思う。悪いことはしてないはずなんだけど……同じ中学出身の奴に昔の写真をばらまかれて……」

 通っていた中学からは離れていて人気のない高校を選んだが、過去を知る人はゼロではなかった。桔都の人気を妬んだ誰かが写真を拡散し、SNSを使ってあっという間に学校中に広まってしまった。

 いつも一緒にいた親友も、付き合い始めたばかりだった彼女も「騙された」と言って離れていく。桔都はまた、一人になった。

「そっ、か……」

 桔都はおれと初めて会ったとき、「お前も学校で言いふらすんだろ」と怯えていた。あの時も嫌な過去があるんじゃないかと想像していたけれど、実際に聞いてしまうと嫌な実感が氷のようにみぞおちを流れ落ちていく。

 どうして他人を見下さずにはいられない人間が存在するのだろう。いつだって被害者になるのはハンデや傷を抱えた人で、多くが桔都のように罪のない人々だ。
 桔都の過去を思うと胸が苦しくなる。もしもタイムマシンがあるのなら、過去へ飛んで行って抱きしめて守ってあげたいほど。

 高校一年が終わる前に丞さんが転職を決意してくれて遠くに引越し、しばらく通信制の学校に通ったあと今の学校に転入した。そこでも桔都は完璧な鎧を着て、一人闘っている。
 挫けて、立ち上がって、挫けて。それでも今また立ち上がっている行動が、どれだけ勇気のいることか。

「情けないだろ? 瑞にはそんなとこばっか見せてるんだけど……」
「ううん、かっこいいと思う! 桔都は強いね。話してくれてありがとう」

 自分がつらかった過去は、話すことで目の前に蘇ってしまう。思い出すのもつらいに違いないのに、話してくれた桔都。その勇気が、優しさが、おれの背中を押してくれる。

「実は……」

 おれは全部正直に話した。どのみちされていたのは小さな嫌がらせばかりで、桔都の経験してきた苛めと比べれば大したことがない。
 この写真のことだっておれが特別大事に感じていただけで、彼らからすれば役目を終えて捨てるだけのものに傷をつけたに過ぎないのだ。

「だから、本当に大袈裟に騒ぐ必要はなくてね!」
「……」
「あの。きっかけは桔都と仲良くしてたからかもしれないけど、元々そんな学校で話さないでしょ? 放っておけば、収まるはずだから」
「……無理、許せない。二度と瑞に手を出さないよう、僕から言っておくから」

 まずい。目の据わり具合を見るに、想像以上に桔都が怒っている。背中もさっき青痣ができているところを見られてしまった。

 逆に恐縮してしまって、「気にしてないから」「おれは大丈夫」と繰り返す。写真を傷つけられて落ち込んだ心は、桔都が怒ってくれたことで既に掬い上げられた気がした。だから大丈夫。

「せっかく築き上げてきた関係でしょ? あんまり波風立てると、桔都に迷惑が掛からないか心配だよぉ……」
「確かに……下手すると、瑞への態度が悪化するかもしれないな」
「そっち?」

 あいつらをシメるのは得策じゃないか……と桔都が怖いことを呟いている。いやいや桔都って、そういうタイプじゃないよね?

 しばらく考えてから、桔都は方針が固まったのか大きく頷いた。「僕に任せてくれる?」と言われて「うん」と返事をする。よく分からないけど、桔都がそれとなく窘めてくれればそれでいい。

「ごめんな瑞、僕のせいで……」
「え、桔都のせいだなんて思ったことないよ!」

 今度はショボンと眉を下げた桔都が腰に抱きついてくる。桔都のせいじゃないと伝えていても、だいぶ落ち込んでいるようだ。
 おれはベッドに座ったままだから、桔都がお座りする大型犬かなにかに見えた。ヨシヨシと頭を撫でてみる。お家スタイルは髪もボサボサなので遠慮なしだ。

「絶対、守るから。瑞……僕から、離れないでね」
「う……うん」

 王子様の桔都と、繊細な桔都が合わさったみたいな台詞だ。どちらも桔都に変わりはないけれど、一緒に過ごす時間の長いおれにはその境界がわからなくなるときが近ごろある。
 一緒に寝たときより、すごく近いかも。妙にドキドキして、跳ねる心臓の音が桔都に聞こえていないか心配になった。



 その後二人でこそこそとカメラ屋さんへ写真をプリントしに行き、額も買ってしまった。

 持って行ったお小遣いが足りなくて桔都が半分出してくれたので、「ありがとう、大好き!」と笑顔で伝えたら耳を赤くして照れていた。母や秀治にやったときは「お調子者」と怒られたものだが、桔都はけっこうチョロい。

 母がどうなるかわからないため、両親には余計な心労を与えたくない。写真のことは桔都と二人だけの秘密にした。
 一人だと落ち込むばかりだったけど、相談して味方になってくれる相手が一人いるだけで心持ちはだいぶ軽くなったと感じる。

 家に帰り着いておれの部屋で写真を額に入れていると、「今から帰るね」と母からメッセージが来た。母本人がメッセージを打てるほど回復したことを喜ぶべきか、倒れた原因が書かれていないことを心配すべきか。

「母さん、大丈夫かなぁ……」
「大丈夫だよ」

 不安になって目を伏せると、桔都が頭をポンポン撫でてきた。さっきとは逆の立場だ。
 髪がふわふわしているおれは男友だちからも頭を触られがちだが、桔都に撫でられるとムズムズするというか、なんだかこそばゆい。誤魔化すように「えへへ」と笑って上目遣いに桔都を見上げた。

「っ瑞……」
「ん?」
「僕は、瑞のこと……」
「あっ車の音聞こえた! 下行こうぜ!」

 慌てて一階に下りると、車の音は別の家のものだったらしい。桔都はがっくりと肩を落としていた。



 母が、思いのほか元気そうな顔で帰ってきた。

「おかえり……母さん大丈夫?」
「うん。心配かけてごめんね」
「奏海、中で座って話そう」

 丞さんが母の背中に手を添え、優しく促す。元々仲はいいけれど、丞さんが母を見つめる目は愛しい人を気遣う慈愛に満ち溢れている。いつになく親密な雰囲気にどぎまぎしてしまった。

(病院……行ってたんだよな!?)

 四人でダイニングテーブルにつくと、母は緊張した面持ちで「えっと……」と言葉を詰まらせる。初めてこの家に来た日のようで、でも理由がわからないおれはそれ以上に緊張していた。向かいに座る桔都と視線を合わせて心を落ち着かせる。

「桔都と瑞に、弟か妹が生まれるんだよ!」
「「は?」」

 場にそぐわないほどニコニコとした丞さんが、明るい声で言い放つ。おれはポカン……と丞さんを見つめ、そして母を見つめた。
 母は「わぁっ」と顔を両手の中に隠してしまう。

「あ~もうっ、恥ずかしい~~!」

 びっくりしたけど、ドッキリではないらしい。おれもやっと理解が追い付いて、椅子の背もたれにトンと背中を預けた。

「まじかーーー……よかったぁ」

 理解はできたものの、ずっと一人っ子だったから実感にはほど遠い。でも大きな病気じゃないかと不安になっていたから、とにかく心底ホッとした。

「父さん、母さん、おめでとう!」
「桔都、ありがとう。瑞も、すぐホテルで呼んでくれてありがとうね。――こうはしちゃいられない。世界中のベビーグッズを集めないと!」
「丞さんやめて、気が早すぎるわ。高齢出産ってリスクが高いし、まだどうなるかわからないって先生に聞いたところでしょ?」

 浮かれる丞さんに、母が本気の声で釘をさす。
 なんだか昨日から目まぐるしいけれど、いいニュースが逢坂家を明るくしてくれた。桔都の足がテーブルの下でおれの足にツン、とぶつかって「よかったな」と言われた気がした。