実力テストの終わった日は、みんな解放感で早々に学校を出て行く。
学級当番だったおれが日誌を職員室へ届けに行ってから戻ると、二年の階はもう人けがなかった。遠くから運動部が準備運動をしている掛け声や吹奏楽部の音出しが聞こえる。
(明日休みだし、桔都とゲームとかしたいな~)
来月には期末テストもあるし、適度に自分を甘やかさないとやってられない。家に帰って遊び相手がいるって嬉しいなあ、ともう何度も同じことを考えているけれど、今日も上機嫌に歩いている。
篠元たちからの嫌がらせはここ数日落ち着いていて、実力テストのおかげではあるのだろうがこのまま忘れていってほしい。
山規たち他クラスの友人からは未だに距離を置かれているものの、嫌がらせが終わればそれとなくおれから声を掛けたいと思っている。だって、せっかく仲が良かったのに寂しい。
自分のクラスに着くと、中からガリガリ何かを削っているような音と男女の笑い声が聞こえた。誰だろう?
「高二にもなって家族で仲良しこよしかよ。ぜってーマザコンファザコンだしダッサ」
「見てコレ。無残すぎる出来栄え」
「アハハ篠元やりすぎだから!」
名前を聞かなくても、彼らの後ろ姿に見覚えがあった。明るいボブヘアの篠元と、サッカー部のエースっぽい男子仲と、キーパーっぽい男子の隅川。男子二人は実際サッカー部らしいがポジションはおれの想像だ。
クラスが違うしおれに対する嫌がらせの中心人物となっていた人たちだから、嫌な予感がした。座っている彼らの足元にある、四角いものは何?
「なに……してるの?」
「あれー? 相良クンじゃん。帰ったんじゃなかったんだ」
「ねぇ、それ、おれの写真?」
近づいていくと、隅川が立ち上がっておれを見下ろしてくる。体格の違いでものすごい圧を感じたが、それどころじゃなかった。
足元にはおれの写真が、家族の写真が……ズタズタに切り裂かれている。
「えーこれ、ゴミじゃなかったの? なんか一枚だけくすんでるしさぁ。あたしらが処分してあげようと思って。親切心だよ?」
「相良、ご丁寧に額にまで入れて自慢できるものが家族しかないってキショイよまじで。しかも行き先がディズニー! 友だちいないのかよ、ブフッ、まじ笑える!」
篠元はカッターを手先でぶらぶらさせながら、さも自分が親切かのように話す。太く長く引かれたアイラインが彼女の笑顔を凶悪に魅せていた。
写真を見据えたまま動けないおれを楽しそうな目で見て、仲が上履きで写真を踏みつける。ご丁寧に狙ってくれたのだろう、家族の顔の部分がグシャ、と歪んだ。
「やめて!!」
その瞬間悲鳴のような声が喉から出て、仲の脚に飛びついた。無意識の衝動だった。
もうとっくに写真は見るに堪えない状態で、今さら守ったって意味はないとわかっている。でも、おれの目の前で傷つけられるのがどうしても許せない。
「うぜぇ!」
「っぐ……!」
おれの全身全霊で写真から足を退けようとしたのだが、サッカー部の脚力で振り解かれ、窓側の壁に激突した。背中と後頭部に鋭い痛みが走る。
「ねぇ、もう行こ。やりすぎてチクられたらいい迷惑だし。相良、もう懲りたっしょ? あたしらの桔都に、二度と馴れ馴れしくすんじゃねーよ」
「調子乗んなよモブ男くん」
「大人しく底辺這っとけよ〜」
蹲って呻いていると、三人はスッキリしたのか好きなことを言い残して去って行った。
残されたのは床に打ち捨てられた写真と手作りの額。カッターで切り裂かれた破片があちこちに落ちている。上履きの跡を袖で拭って、それを抱き抱えた。
「……ふ、う、ううっ……」
ぽたぽたと写真に涙の水滴が落ちる。おれにとって、今の家族は宝物だ。この写真は、その象徴のような作品だった。
守れなかったことが悔しい。何も言い返せなかったことが悔しい。でも、いったいどうすればよかったの?
全ての人と仲良くするのは無理だとわかっている。永遠を誓い合っても愛し合えなくなる人たちもいる。親友だと思っていた人から見放されることもある。
仕方がない。諦めることも時には大切だと大人たちは言う。おれがすべてを諦めて、例えば学校で誰とも仲良くしなければいい?
そんなの、おれの大切な人たちはきっと納得してくれない。秀治はもちろん、桔都だって事情を知ればおれのために行動してくれるはずだ。そう信じられるほどの信頼を、一緒に築いてきた。
(ああ、なんか、疲れたな……)
小さな悪意を気にしないようにしていても、おれの心には少しずつ傷がつけられていた。治る前に次の傷ができ、重なっていけば深い傷となり血が出てしまう。
今はぱっくりと開いた傷口から、ドクドクと血が流れ出ている状態だ。
どうすれば治るのかわからない。最適な治療法もわからない。
それでも、時間が解決してくれることは必ずあると知っていた。
(桔都に、話してみよう……)
どのみち写真がこうなってしまった時点で、家族には露見する可能性が高い。時間があればデータから復元して現像し、額も似たような感じに作れただろう。しかし三者面談は来週に迫っている。
また篠元たちはそこまで考えていなかったようだが、おれの家族は写真が自宅のリビングに飾られるのをとても楽しみにしているのだ。
この、なんの変哲もない家族写真を。
さすがにこの状態を誰かに見せるつもりはないけれど、家に持って帰ろうと決めて立ち上がった。
「うっ! 痛ぁ……」
背中にピキンと痛みが走る。少し痛めてしまったみたいだ。
背中を庇いながら、写真とその欠片を拾い集めた。くるくると丸めて鞄に突っ込む。段ボールや端材を使っていた額はゴミ箱に捨てた。
本当は、すぐ担任に報告して対処してもらうべきなのかもしれないけれど。……あまり大きな問題にはしたくないし、とりあえず棚上げにした。
正直今はショックが大きすぎて、これ以上頭が働かないのだ。
もっとも、家に帰ったおれを待ち受けていたのは予想外の出来事だった。
「ただいまぁ」
玄関に桔都の靴はなく、どこかへ遊びに行っているようだ。まとめて取り巻きと表現しているが、桔都の交友関係は広い。
今日会った人たちは桔都とも別のクラスで、話すようになったきっかけも友だちの友だちだとか言っていた。一番仲が良いのは今同じクラスの人らしく、どちらかというとそちらは大人しい性格の友だちだという。
今日桔都が誰といるのかはわからないけれど、篠元たちがおれに嫌がらせをしたその足で合流していないといいな、と感じた。
桔都は繊細で優しい。だから絶対に桔都も、あの人たちと一緒にいて楽しくないと思う!
珍しく意地悪な思考になっていると、二階から母の声が聞こえた。
「瑞、帰ったの? 上に来て手伝って!」
二階に上がると、母は大きめのボストンバッグに荷物を詰めているところだった。そこには着替えや化粧品があって、まるで旅行に出かけるみたいに見える。
「母さんどうしたの? どっか行くの?」
「家出!!」
「えっ」
家出……? 自分の耳を疑った。
母は準備を進めながらもこちらを向かない。だが珍しく乱暴な所作から、本気で怒っているのが伝わってきた。
「もう金西駅前のホテル予約したから、瑞も必要なもの準備して!」
おれが動けないでいると母が急かしてくる。とはいえ、金西駅のホテルと聞いて少しだけホッとしてしまった。思ったよりも近い。
母は離婚してから色々嫌なことを言われたらしく、県外の実家にもほとんど帰らない。もし目的地がそっちだったら大事だと思ったのだ。
でも、桔都はどうするんだ? 出ていくんじゃなくて、丞さんと話し合ったほうがいいんじゃ?
「で、でも……」
「お願い、瑞。週末の間だけでいいの。ついてきて……」
賛同しきれずに躊躇っていると、母は今度こそ振り返って泣き腫らした目でおれを見上げてくる。いつしか自分よりも小さくなった手で手を握られてしまったら、もう頷くしかなかった。
学級当番だったおれが日誌を職員室へ届けに行ってから戻ると、二年の階はもう人けがなかった。遠くから運動部が準備運動をしている掛け声や吹奏楽部の音出しが聞こえる。
(明日休みだし、桔都とゲームとかしたいな~)
来月には期末テストもあるし、適度に自分を甘やかさないとやってられない。家に帰って遊び相手がいるって嬉しいなあ、ともう何度も同じことを考えているけれど、今日も上機嫌に歩いている。
篠元たちからの嫌がらせはここ数日落ち着いていて、実力テストのおかげではあるのだろうがこのまま忘れていってほしい。
山規たち他クラスの友人からは未だに距離を置かれているものの、嫌がらせが終わればそれとなくおれから声を掛けたいと思っている。だって、せっかく仲が良かったのに寂しい。
自分のクラスに着くと、中からガリガリ何かを削っているような音と男女の笑い声が聞こえた。誰だろう?
「高二にもなって家族で仲良しこよしかよ。ぜってーマザコンファザコンだしダッサ」
「見てコレ。無残すぎる出来栄え」
「アハハ篠元やりすぎだから!」
名前を聞かなくても、彼らの後ろ姿に見覚えがあった。明るいボブヘアの篠元と、サッカー部のエースっぽい男子仲と、キーパーっぽい男子の隅川。男子二人は実際サッカー部らしいがポジションはおれの想像だ。
クラスが違うしおれに対する嫌がらせの中心人物となっていた人たちだから、嫌な予感がした。座っている彼らの足元にある、四角いものは何?
「なに……してるの?」
「あれー? 相良クンじゃん。帰ったんじゃなかったんだ」
「ねぇ、それ、おれの写真?」
近づいていくと、隅川が立ち上がっておれを見下ろしてくる。体格の違いでものすごい圧を感じたが、それどころじゃなかった。
足元にはおれの写真が、家族の写真が……ズタズタに切り裂かれている。
「えーこれ、ゴミじゃなかったの? なんか一枚だけくすんでるしさぁ。あたしらが処分してあげようと思って。親切心だよ?」
「相良、ご丁寧に額にまで入れて自慢できるものが家族しかないってキショイよまじで。しかも行き先がディズニー! 友だちいないのかよ、ブフッ、まじ笑える!」
篠元はカッターを手先でぶらぶらさせながら、さも自分が親切かのように話す。太く長く引かれたアイラインが彼女の笑顔を凶悪に魅せていた。
写真を見据えたまま動けないおれを楽しそうな目で見て、仲が上履きで写真を踏みつける。ご丁寧に狙ってくれたのだろう、家族の顔の部分がグシャ、と歪んだ。
「やめて!!」
その瞬間悲鳴のような声が喉から出て、仲の脚に飛びついた。無意識の衝動だった。
もうとっくに写真は見るに堪えない状態で、今さら守ったって意味はないとわかっている。でも、おれの目の前で傷つけられるのがどうしても許せない。
「うぜぇ!」
「っぐ……!」
おれの全身全霊で写真から足を退けようとしたのだが、サッカー部の脚力で振り解かれ、窓側の壁に激突した。背中と後頭部に鋭い痛みが走る。
「ねぇ、もう行こ。やりすぎてチクられたらいい迷惑だし。相良、もう懲りたっしょ? あたしらの桔都に、二度と馴れ馴れしくすんじゃねーよ」
「調子乗んなよモブ男くん」
「大人しく底辺這っとけよ〜」
蹲って呻いていると、三人はスッキリしたのか好きなことを言い残して去って行った。
残されたのは床に打ち捨てられた写真と手作りの額。カッターで切り裂かれた破片があちこちに落ちている。上履きの跡を袖で拭って、それを抱き抱えた。
「……ふ、う、ううっ……」
ぽたぽたと写真に涙の水滴が落ちる。おれにとって、今の家族は宝物だ。この写真は、その象徴のような作品だった。
守れなかったことが悔しい。何も言い返せなかったことが悔しい。でも、いったいどうすればよかったの?
全ての人と仲良くするのは無理だとわかっている。永遠を誓い合っても愛し合えなくなる人たちもいる。親友だと思っていた人から見放されることもある。
仕方がない。諦めることも時には大切だと大人たちは言う。おれがすべてを諦めて、例えば学校で誰とも仲良くしなければいい?
そんなの、おれの大切な人たちはきっと納得してくれない。秀治はもちろん、桔都だって事情を知ればおれのために行動してくれるはずだ。そう信じられるほどの信頼を、一緒に築いてきた。
(ああ、なんか、疲れたな……)
小さな悪意を気にしないようにしていても、おれの心には少しずつ傷がつけられていた。治る前に次の傷ができ、重なっていけば深い傷となり血が出てしまう。
今はぱっくりと開いた傷口から、ドクドクと血が流れ出ている状態だ。
どうすれば治るのかわからない。最適な治療法もわからない。
それでも、時間が解決してくれることは必ずあると知っていた。
(桔都に、話してみよう……)
どのみち写真がこうなってしまった時点で、家族には露見する可能性が高い。時間があればデータから復元して現像し、額も似たような感じに作れただろう。しかし三者面談は来週に迫っている。
また篠元たちはそこまで考えていなかったようだが、おれの家族は写真が自宅のリビングに飾られるのをとても楽しみにしているのだ。
この、なんの変哲もない家族写真を。
さすがにこの状態を誰かに見せるつもりはないけれど、家に持って帰ろうと決めて立ち上がった。
「うっ! 痛ぁ……」
背中にピキンと痛みが走る。少し痛めてしまったみたいだ。
背中を庇いながら、写真とその欠片を拾い集めた。くるくると丸めて鞄に突っ込む。段ボールや端材を使っていた額はゴミ箱に捨てた。
本当は、すぐ担任に報告して対処してもらうべきなのかもしれないけれど。……あまり大きな問題にはしたくないし、とりあえず棚上げにした。
正直今はショックが大きすぎて、これ以上頭が働かないのだ。
もっとも、家に帰ったおれを待ち受けていたのは予想外の出来事だった。
「ただいまぁ」
玄関に桔都の靴はなく、どこかへ遊びに行っているようだ。まとめて取り巻きと表現しているが、桔都の交友関係は広い。
今日会った人たちは桔都とも別のクラスで、話すようになったきっかけも友だちの友だちだとか言っていた。一番仲が良いのは今同じクラスの人らしく、どちらかというとそちらは大人しい性格の友だちだという。
今日桔都が誰といるのかはわからないけれど、篠元たちがおれに嫌がらせをしたその足で合流していないといいな、と感じた。
桔都は繊細で優しい。だから絶対に桔都も、あの人たちと一緒にいて楽しくないと思う!
珍しく意地悪な思考になっていると、二階から母の声が聞こえた。
「瑞、帰ったの? 上に来て手伝って!」
二階に上がると、母は大きめのボストンバッグに荷物を詰めているところだった。そこには着替えや化粧品があって、まるで旅行に出かけるみたいに見える。
「母さんどうしたの? どっか行くの?」
「家出!!」
「えっ」
家出……? 自分の耳を疑った。
母は準備を進めながらもこちらを向かない。だが珍しく乱暴な所作から、本気で怒っているのが伝わってきた。
「もう金西駅前のホテル予約したから、瑞も必要なもの準備して!」
おれが動けないでいると母が急かしてくる。とはいえ、金西駅のホテルと聞いて少しだけホッとしてしまった。思ったよりも近い。
母は離婚してから色々嫌なことを言われたらしく、県外の実家にもほとんど帰らない。もし目的地がそっちだったら大事だと思ったのだ。
でも、桔都はどうするんだ? 出ていくんじゃなくて、丞さんと話し合ったほうがいいんじゃ?
「で、でも……」
「お願い、瑞。週末の間だけでいいの。ついてきて……」
賛同しきれずに躊躇っていると、母は今度こそ振り返って泣き腫らした目でおれを見上げてくる。いつしか自分よりも小さくなった手で手を握られてしまったら、もう頷くしかなかった。


