かつてよりも長く感じた夏がようやく盛りを終え、朝夕に冷え込みを感じるようになってきた秋。はじめは小さな違和感だった。
珍しく母が寝坊をして、昼は購買へ弁当を買いに行くことにする。久しぶりだったため購買の混み具合を忘れていて、出遅れ長蛇の列に並ぶことになってしまった。
(これ、結構秀治待たせちゃうな……あ、桔都だ)
最後尾から見ると、少し前にいるのが見える。桔都は文化祭のときにも一緒にいた男女と三人で喋っていて、やはりオーラというか華やかさが違うなあと感心して見ていた。
視線に気づいたのか振り向いた桔都と目が合い、アイコンタクトで「会ったね」と合図しあう。おれは一人で並んでいるのにニコニコ顔になってしまった。
桔都との間にあった微妙な空気はもう存在せず、今まで以上に深く信頼し合える関係になれたと感じている。桔都はおれほど感情を表に出さないけれど、憶測で落ち込んだおれが彼を避けてしまったことで寂しい思いをさせてしまったかもしれない。これからはお兄ちゃんとして弟を支えていけるよう、気を引き締めていきたい。
そんなことを考えている内に列は進み、桔都たちは目的のものを買えたみたいで購買に背を向けた。もう一度桔都と一瞬のアイコンタクトを交わし、背中を見送る。
「調子乗んなよ、底辺」
「えっ?」
どこからか声が聞こえてきた。おれにしか聞こえていないらしい。言葉の内容を咀嚼してやっと、自分が貶されたのだと気づく。
キョロキョロと周囲を見渡すが、声の主は見当たらない。女子の声だった。もしかして、桔都の隣にいた女子――確か篠元――の声?
あり得る。文化祭でも桔都と話しているのを見られていたし、今も、もしかしたら勘づいたのかもしれない。
(……調子、乗ってるのかなぁ、おれ)
家に帰れば、みんなの想像とは違う姿ではあれど桔都がいて、毎日楽しい。調子に乗ってると言われればそうなのかもしれない。
学校で桔都に関わるのはやめよう。元々接点なんてほとんどないけれど、とにかくどこで人に見られているかわからないということは理解した。
「次の方~、ご注文は?」
「デス・スパイスカレー弁当で!」
また別の日のことだ。
年に二回くらいの頻度で、我が校では抜き打ちの身だしなみ検査が行われる。髪の色やピアスの穴、短すぎるスカートやシャツを出した制服など、生徒指導課の教師に身だしなみ全般をチェックされ、駄目出しを食らうとあとから生徒指導室に呼び出されたりする。
この時だけ華やかな人たちは大変だ。巻いて短くしていたスカートを戻しピアスを外して痕跡を隠そうとしたり、過剰に制服をぴっちり着こなして「ダサ優等生かよ」と笑い合ったり。
その場で咄嗟に隠せる程度の痕跡なら学校側も大目に見ていて、むしろいつ検査があるかわからないという緊張感を抑止力と考えているようだ。
なおおれたち地味グループには着こなしをアレンジしようとか見た目をお洒落にしようという考えが皆無のため、完全に他人事である。
集められた複数のクラスには偶然にも桔都たちが含まれていた。無造作に列を作らされて待っている間、桔都と視線さえ合わせないように気を付ける。
そうすると、なんとなく桔都に見られている気がしてくるのだから不思議なものだ。これが自惚れと言うものか。
「瑞。これ、取ってくんない? なんか上手くいかない」
「え、嘘。秀治ネックレスとかするんだ!?」
「声がでかいっつーの」
秀治が細いシルバーのネックレスの留め金を外すよう頼んできたので、驚いてしまった。軽くどつかれたが嫌味とかじゃなく、そういうことをするタイプだと思っていなかったのが大きい。
学校指定のシャツに完全に隠れていたネックレスの先には、シルバーのリングがついていた。
「ま、まさか……!」
「秘密にしろよ? 彼女がペアで欲しいって言うからさ」
「ラブラブじゃん!!」
小さな声で興奮してみせた。後夜祭の日からまだ一か月とそこらなのに、展開が早い。しかも彼女は優等生タイプの素朴で可愛い子である。
これが今時の高校生なの……!?
こそこそ喋っていると、あっという間におれの順番が来る。秀治を置いて仕切られたスペースに入ると中に教師が二人いて、検査は偶然にも桔都の友人である篠元と同じタイミングだった。
(げ)
あれ以来、彼女に対して苦手意識が芽生えてしまったのは仕方がないと思う。赤いリップを拭き取りスカートを長くした篠元は仏頂面だ。
教師はおれを疑いもせず、細かいチェックは抜きにして「相良君は合格ね」と言った。指摘される心配もしていなかったのでぺこりと会釈し、スペースを出ようとする。
そのときだった。
「先生! 私だけじゃなくて、相良も髪を染めてると思いません? よく見てください。茶色いんです!」
「え、ええ~……? 分かった確認するけど、君は放課後生徒指導室に来るように。相良君、髪、見せてもらってもいい?」
「……はい」
篠元が突然大きな声を上げ、もう一人の教師に向かっておれを指さす。そうして勝手にスペースを出て行ってしまった。……びっくりした。
教師に向かって「地毛なんです」と告げると、「だろうね」と彼も頷く。形式的に髪の根元に毛染めの痕跡がないことを確認して、もういいよと見送られた。
いわれもなく疑われたことに、さすがに不快感を禁じ得ない。もやもやしながらスペースを出ると、あちこちから見られているのを感じた。
ひそひそとおれを見ながら話している人たちがいて、なんだか気持ちが悪い。
(……なんなの?)
あとから秀治に聞いたところによると、篠元の声はスペースの外にまで響き渡っていたらしい。さらには出たあと「あいつだけ贔屓されてる!」と友人にまくし立てていたんだとか。
「あの女となんかあった?」
「ないと思うんだけど……怖いねぇ」
「他人事だな~。気が抜けるわ……」
家に帰ってからは桔都に謝られた。桔都も実は篠元が苦手で、今日は特別機嫌が悪かったという。
それでも一応友人だ。桔都の被っているキラキラした鎧には、他人と衝突を起こさないという大前提がある。
感情の起伏が激しい人が苦手なおれにとってそれは同情に値する。「気にしてないよ」と微笑んで伝え、桔都が無駄な罪悪感を覚えないよう努めた。実際、本当に気にしていなかったのだ。
しかしながら、桔都と交流しなければその内収まるだろうと楽観的に考えていた彼女からの嫌悪は、いつしかその周囲にも影響を与えていった。
次の授業のために廊下を歩いていると、サッカー部のエースみたいな顔をした男が真正面からやってきた。おれが廊下の端の方へ避けたはずなのに、ドンッと肩がぶつかる。
「どけよ、天パ」
「あっ、すみませ……」
「アハッ。どんくさ」
遠慮のなさを表すかのような、結構な衝撃だった。一緒にいたキーパーっぽいガタイの男が笑う。どちらも桔都の取り巻きとして見たことがある顔だった。
「瑞、大丈夫か?」
「うん。理科室、行こ」
教室から遅れて追いついてきた秀治が心配そうに声を掛けてくるが、口角を上げて頷く。相手が笑っていたことに気づいたのだろう、秀治が振り向いて睨みつけるのを袖を引いて阻止した。
こんなことが、最近頻繁にある。最初は偶然かと思っていたけれど、小さな違和感が積み重なって確信に至らざるを得なかった。
(すっごい、嫌われてるなぁ……)
学校で桔都と関わらないようにしたときにはすでに遅かったのだろう。
露骨な苛めなどではなく些細な嫌がらせばかりだが、貶されたり嘲笑されるのは地味に傷つく。肩とか普通に痛いし。
でもおれはこんなことでめげない。人の噂も七十五日と言うし、彼らは桔都にバレない前提で意地悪してきているのだろう。もし知っていたら、桔都は絶対に認めないはずだ。
したがってこれ以上エスカレートすることもないはずで、こんなつまらないことすぐに飽きて止めてくれるはずだ。
今の出来事を見て聞いていた人もいるはずだけど、学年のカーストトップにいる人たちに対し注意したりおれを助けようとする勇気を持つ人はいない。
トラブルにみずから巻き込まれたい人なんていないだろう。誰もが我関せずで目を逸らし、自然とおれを避けようとするのだった。
珍しく母が寝坊をして、昼は購買へ弁当を買いに行くことにする。久しぶりだったため購買の混み具合を忘れていて、出遅れ長蛇の列に並ぶことになってしまった。
(これ、結構秀治待たせちゃうな……あ、桔都だ)
最後尾から見ると、少し前にいるのが見える。桔都は文化祭のときにも一緒にいた男女と三人で喋っていて、やはりオーラというか華やかさが違うなあと感心して見ていた。
視線に気づいたのか振り向いた桔都と目が合い、アイコンタクトで「会ったね」と合図しあう。おれは一人で並んでいるのにニコニコ顔になってしまった。
桔都との間にあった微妙な空気はもう存在せず、今まで以上に深く信頼し合える関係になれたと感じている。桔都はおれほど感情を表に出さないけれど、憶測で落ち込んだおれが彼を避けてしまったことで寂しい思いをさせてしまったかもしれない。これからはお兄ちゃんとして弟を支えていけるよう、気を引き締めていきたい。
そんなことを考えている内に列は進み、桔都たちは目的のものを買えたみたいで購買に背を向けた。もう一度桔都と一瞬のアイコンタクトを交わし、背中を見送る。
「調子乗んなよ、底辺」
「えっ?」
どこからか声が聞こえてきた。おれにしか聞こえていないらしい。言葉の内容を咀嚼してやっと、自分が貶されたのだと気づく。
キョロキョロと周囲を見渡すが、声の主は見当たらない。女子の声だった。もしかして、桔都の隣にいた女子――確か篠元――の声?
あり得る。文化祭でも桔都と話しているのを見られていたし、今も、もしかしたら勘づいたのかもしれない。
(……調子、乗ってるのかなぁ、おれ)
家に帰れば、みんなの想像とは違う姿ではあれど桔都がいて、毎日楽しい。調子に乗ってると言われればそうなのかもしれない。
学校で桔都に関わるのはやめよう。元々接点なんてほとんどないけれど、とにかくどこで人に見られているかわからないということは理解した。
「次の方~、ご注文は?」
「デス・スパイスカレー弁当で!」
また別の日のことだ。
年に二回くらいの頻度で、我が校では抜き打ちの身だしなみ検査が行われる。髪の色やピアスの穴、短すぎるスカートやシャツを出した制服など、生徒指導課の教師に身だしなみ全般をチェックされ、駄目出しを食らうとあとから生徒指導室に呼び出されたりする。
この時だけ華やかな人たちは大変だ。巻いて短くしていたスカートを戻しピアスを外して痕跡を隠そうとしたり、過剰に制服をぴっちり着こなして「ダサ優等生かよ」と笑い合ったり。
その場で咄嗟に隠せる程度の痕跡なら学校側も大目に見ていて、むしろいつ検査があるかわからないという緊張感を抑止力と考えているようだ。
なおおれたち地味グループには着こなしをアレンジしようとか見た目をお洒落にしようという考えが皆無のため、完全に他人事である。
集められた複数のクラスには偶然にも桔都たちが含まれていた。無造作に列を作らされて待っている間、桔都と視線さえ合わせないように気を付ける。
そうすると、なんとなく桔都に見られている気がしてくるのだから不思議なものだ。これが自惚れと言うものか。
「瑞。これ、取ってくんない? なんか上手くいかない」
「え、嘘。秀治ネックレスとかするんだ!?」
「声がでかいっつーの」
秀治が細いシルバーのネックレスの留め金を外すよう頼んできたので、驚いてしまった。軽くどつかれたが嫌味とかじゃなく、そういうことをするタイプだと思っていなかったのが大きい。
学校指定のシャツに完全に隠れていたネックレスの先には、シルバーのリングがついていた。
「ま、まさか……!」
「秘密にしろよ? 彼女がペアで欲しいって言うからさ」
「ラブラブじゃん!!」
小さな声で興奮してみせた。後夜祭の日からまだ一か月とそこらなのに、展開が早い。しかも彼女は優等生タイプの素朴で可愛い子である。
これが今時の高校生なの……!?
こそこそ喋っていると、あっという間におれの順番が来る。秀治を置いて仕切られたスペースに入ると中に教師が二人いて、検査は偶然にも桔都の友人である篠元と同じタイミングだった。
(げ)
あれ以来、彼女に対して苦手意識が芽生えてしまったのは仕方がないと思う。赤いリップを拭き取りスカートを長くした篠元は仏頂面だ。
教師はおれを疑いもせず、細かいチェックは抜きにして「相良君は合格ね」と言った。指摘される心配もしていなかったのでぺこりと会釈し、スペースを出ようとする。
そのときだった。
「先生! 私だけじゃなくて、相良も髪を染めてると思いません? よく見てください。茶色いんです!」
「え、ええ~……? 分かった確認するけど、君は放課後生徒指導室に来るように。相良君、髪、見せてもらってもいい?」
「……はい」
篠元が突然大きな声を上げ、もう一人の教師に向かっておれを指さす。そうして勝手にスペースを出て行ってしまった。……びっくりした。
教師に向かって「地毛なんです」と告げると、「だろうね」と彼も頷く。形式的に髪の根元に毛染めの痕跡がないことを確認して、もういいよと見送られた。
いわれもなく疑われたことに、さすがに不快感を禁じ得ない。もやもやしながらスペースを出ると、あちこちから見られているのを感じた。
ひそひそとおれを見ながら話している人たちがいて、なんだか気持ちが悪い。
(……なんなの?)
あとから秀治に聞いたところによると、篠元の声はスペースの外にまで響き渡っていたらしい。さらには出たあと「あいつだけ贔屓されてる!」と友人にまくし立てていたんだとか。
「あの女となんかあった?」
「ないと思うんだけど……怖いねぇ」
「他人事だな~。気が抜けるわ……」
家に帰ってからは桔都に謝られた。桔都も実は篠元が苦手で、今日は特別機嫌が悪かったという。
それでも一応友人だ。桔都の被っているキラキラした鎧には、他人と衝突を起こさないという大前提がある。
感情の起伏が激しい人が苦手なおれにとってそれは同情に値する。「気にしてないよ」と微笑んで伝え、桔都が無駄な罪悪感を覚えないよう努めた。実際、本当に気にしていなかったのだ。
しかしながら、桔都と交流しなければその内収まるだろうと楽観的に考えていた彼女からの嫌悪は、いつしかその周囲にも影響を与えていった。
次の授業のために廊下を歩いていると、サッカー部のエースみたいな顔をした男が真正面からやってきた。おれが廊下の端の方へ避けたはずなのに、ドンッと肩がぶつかる。
「どけよ、天パ」
「あっ、すみませ……」
「アハッ。どんくさ」
遠慮のなさを表すかのような、結構な衝撃だった。一緒にいたキーパーっぽいガタイの男が笑う。どちらも桔都の取り巻きとして見たことがある顔だった。
「瑞、大丈夫か?」
「うん。理科室、行こ」
教室から遅れて追いついてきた秀治が心配そうに声を掛けてくるが、口角を上げて頷く。相手が笑っていたことに気づいたのだろう、秀治が振り向いて睨みつけるのを袖を引いて阻止した。
こんなことが、最近頻繁にある。最初は偶然かと思っていたけれど、小さな違和感が積み重なって確信に至らざるを得なかった。
(すっごい、嫌われてるなぁ……)
学校で桔都と関わらないようにしたときにはすでに遅かったのだろう。
露骨な苛めなどではなく些細な嫌がらせばかりだが、貶されたり嘲笑されるのは地味に傷つく。肩とか普通に痛いし。
でもおれはこんなことでめげない。人の噂も七十五日と言うし、彼らは桔都にバレない前提で意地悪してきているのだろう。もし知っていたら、桔都は絶対に認めないはずだ。
したがってこれ以上エスカレートすることもないはずで、こんなつまらないことすぐに飽きて止めてくれるはずだ。
今の出来事を見て聞いていた人もいるはずだけど、学年のカーストトップにいる人たちに対し注意したりおれを助けようとする勇気を持つ人はいない。
トラブルにみずから巻き込まれたい人なんていないだろう。誰もが我関せずで目を逸らし、自然とおれを避けようとするのだった。



