会話に割り込んできたのは本物の王子様……ではなく王子スタイルの桔都だった。いつの間に移動してきたのだろうか、おれの腰に手を添え左側に立っている。
「瑞、スマホ出して」
「ひぁ、あ……うん」
なにに駄目と言われたのか分からなくて首を傾げていると、耳元で囁かれた。低くていい声が直接吹き込まれ、思わず腰が抜けそうになる。
「山岸、エアードロップでいいよな?」
「お、おう」
「瑞も。ほら、これで“受け入れる”を選択して」
「うん」
なぜか桔都主導でとてもスムーズに写真の共有がされる。こんなに便利な機能が存在したのか、と目からポロリと鱗が落ちた。
「ありがとう!」と笑顔で傍にいる桔都を見上げたとき、パシャというチェキの撮影音が聞こえた。
「あ、すみません」
「これ、もらっていい?」
勝手に撮ったことを謝った岸多は、顔を真っ赤にして「どうぞ」と桔都にまだ画像の浮かび上がってきていない写真を渡す。おれも見たかったのに、桔都はすぐポケットに仕舞ってしまった。
「桔都、あれ、いいの?」
「あー……悪い、戻るわ。あとで瑞のクラス見に行くな」
「うん!」
気づけば教室の前方にいた女子たちと、廊下の外から桔都を見ていた男女の視線がこちらに突き刺さっている。「誰あの女……男?」という言葉が聞こえてきて、ちょっと申し訳なくなった。
(すみませんねぇ、男らしくもないモブ顔で)
学校の桔都はみんなのものなんだろう。でも家に帰ればおれだけの弟だ。
向けられる嫉妬の視線を無視して、撮影エリアを下りた。
衣装を脱ぐとメイク落としシートとやらで顔をさっぱりさせ、秀治と友人のクラスでやっている喫茶室に向かう。秀治は考え事をしているのかしばらく喋らなかったけど、文化祭の騒々しさがあっという間に違和感を押し流していく。
後夜祭まで、めいっぱい楽しもう!
おれの順番が回ってきて展示監視員をしている教室に、華やかな男女三人組がやってきた。華やかさの定義は人によると思うが、総じて顔が整っていてお洒落、かつ男子は背が高く、女子はメイクもヘアセットも完璧だ。
「なにここ、写真展?」
「おー。本田の写真を見たくてさ、付き合ってよ」
おれのクラスにいる華やか仲間の写真を見に来たようだ。喋っている男女の後ろに立つ桔都が、ちらりと視線を向けてきてウインクをした。
(うっ……さすが、かっこいい!)
薄暗い教室なのに、特大の流れ星がおれのもとへ届いたみたいだった。ウインクが似合う男子高校生なんて、芸能人以外で見たことがない。ちなみにおれはどうやっても両目を瞑ってしまうタイプの人間である。
一緒に暮らしていても憧れの気持ちを抱いてしまうのは仕方がないと思う。あんなに繊細で内向的な一面を持っているにもかかわらず、これほど華麗に変身できる桔都は本当にかっこいい。
桔都はおれの写真を見つけたらしく、唇の両端が上がっていく。ぶっちゃけ暇なので、そっと立ち上がって隣に立った。
「いい写真じゃん」
「へへ、ありがと。星凪に感謝しないとね」
“Summer Memories”とタイトルに書かれた写真は、カリフォルニアディズニーで星凪に撮ってもらった家族四人の後ろ姿だった。自分で撮った写真じゃないんかいと突っ込まれそうだとは思ったけど、文化祭なんてなんでもアリだ。
後ろ姿でも桔都だとわからないような写真を厳選し、セピア風の加工をかけてある。郷愁を誘う懐かしさとポップなお洒落さが共存した写真に、友人からの評判は上々だ。両親も素敵だとしきりに褒めてくれた。
文化祭が終わったら家に飾ろうと思っているくらい、自分でもお気に入りの一枚だ。
へらへら笑っていると、桔都がなにかに気づいたようでおれの頭へと手を伸ばす。どうやら写真館で使ったピンがまだ残っていたらしい。外されると前髪がひと房落ちてきた。
「まだついてた。気をつけろよ」
「まじか、サンキュー!」
なにに気をつければいいのか分からなかったけれど、頷いておく。
――そのとき、ゾクッと背筋に嫌な感じが走って背後を振り向いた。
(……ん?)
桔都と一緒に来ていたボブヘアの女子がおれを睨んでいる……気がしたのは一瞬で、彼女は「もう牧のライブ始まっちゃうから行こ!」と二人の男子に声を掛けている。
桔都と目線だけで「ばいばい」と言い合って、隅っこの椅子に移動する。画廊風の教室は薄暗くて、桔都と話せた満足感もあり、ちょっとだけ居眠りしてしまった。
おれの学校の後夜祭は、運動場で開催される生徒会主催の盆踊りだ。
櫓を設置し提灯が吊るされた夏祭り全開の雰囲気のなか、流行りのアニメソングやポップスに合わせて踊る。緩いなりに最後の最後まで本気で楽しむのがこの高校の伝統で、この文化祭に憧れて受験を決める中学生もいるのだそうだ。
しかし後夜祭で一番盛り上がりを見せるのが、裏で行われる告白大会だった。そこかしこで誰かが誰かを呼び出し、呼び出され、密やかに告白して恋が実ったり破れたりする。
一年のうちカップル成立数が一番多い日と言われているとかいないとか。誰が言い出したんだろ、これ。
おれたち地味グループには縁がないものかと思いきや、「俺、好きな子に告白してくるわ」と秀治がどこかへ行ってしまった。秀治が気になっている子の話は時々聞いていたけれど、同じクラスだから振られたときにキツイと本人が言っていたのに。
多分、勝算があると見込んだのだろう。むしろそうであってくれ……!
心の中で告白の成功を祈っているうちに、他のメンバーは「うぉ〜! 秀治がんばれ〜!」「彼女できたらムカつくけど、がんばれ〜!」などと叫びながら櫓の方へ踊りに行ってしまった。好きなアニソンが流れ始めて、テンションが変な方に振り切っているらしい。
おれは好きな人こそできたことはあるものの、女子と付き合いたいとあまり具体的に考えたことがない。
人との繋がりの儚さや、人は簡単に豹変するということを、親の離婚から学んでしまっていることが原因かもしれない。もちろん、悲観的になっているつもりはないのでいつかは……!
だから友だちに彼女ができて悔しいと思うこともない。それよりも秀治が休み時間や休日に会ってくれなくなったら嫌だな、と感じてしまうのだ。
自分はお子様なのだろうか。
「はぁ、なんか寂しいな……」
祭りの終わりって、なんだか切なくなる。文化祭も夏休みの延長のような気がしていたから、週末を挟めば今度こそ日常の学校生活が戻ってくる。
家族と過ごす時間が増え、特に桔都とたくさん遊んだ一ヶ月。幸せすぎて、なにかの拍子で壊れてしまうんじゃないかと少し怖いくらいだった。
ぽやんと考え事をしながら立っていると、視界の端に桔都が見えた。おれは桔都ならどこにいてもすぐ見つけられる。
いつもの取り巻きはおらず、制服姿に着替えたらしい桔都はひとりで校舎の方へ向かって歩いていく。
どこへ行くんだろ? 無性に気になって、おれの足は追いかけるように動いた。
運動場を出るとあちこちにくっついた人影があって、手を繋いだり、キスをしてるっぽい人たちもいてビクッとする。祭りの雰囲気がそうさせるのか、みんな大胆だ。
桔都は玄関から正面にある広い交流スペースに入って行った。この段階になってようやく、桔都が誰かに呼び出されたもしくは呼び出したんじゃないかと思い至る。
(追いかけてきちゃ、駄目だったかも……)
「佐倉、話って?」
呼び出された方だったようだ。立ち聞きは良くないとわかっているものの、桔都の声を聞いてスッと目の前が暗くなっていくのを感じた。
佐倉はテニス部の女子で、誰もが認める美人さとそのお淑やかさから姫と呼ばれている。実際家がお金持ちらしく、立ち居振る舞いも高校生とは思えないほど洗練されている。
「私ね、もうわかってると思うけど……桔都くんのことが好きなの。私たち、付き合わない?」
いやだ、聞きたくない。目眩がして、思わず壁に体を預ける。
おれの脳裏に、桔都と佐倉が隣り合って並ぶ姿が浮かんだ。……お似合いすぎる。
二人が付き合ったら、さっき見たカップルたちみたいにくっついていちゃいちゃするのだろうか。放課後や休日にデートをして、家族とは違う特別な関係を築いていくのだろうか。
(佐倉さんが、桔都の、『特別』に……)
足元が抜け落ちたような不安に、泣きそうになった。なんとか足を踏ん張って、外に向かって歩き出す。桔都の返事を聞く勇気はない。
秀治のときには感じなかった独占欲が身の内に渦巻いて暴れ出しそうだ。どうして桔都のときだけこんな気持ちになるのか、わからない。
胸は杭が刺さっているみたいにズキズキと痛み、背筋には氷を当てられたように寒気がして、全身がどんどんと冷たくなっていくような気がした。
(この気持ちは……なに……?)
外に出ると、夏のけだるさを纏った風がおれを包み、移ろいゆく季節の予感が心を揺り動かす。運動場の盛り上がりと、密やかに楽しむ恋人たち。恋の生まれようとしている瞬間。
自分だけがどこにも属せない孤独を感じ、しばしそこで立ちすくんでいた。
「瑞、スマホ出して」
「ひぁ、あ……うん」
なにに駄目と言われたのか分からなくて首を傾げていると、耳元で囁かれた。低くていい声が直接吹き込まれ、思わず腰が抜けそうになる。
「山岸、エアードロップでいいよな?」
「お、おう」
「瑞も。ほら、これで“受け入れる”を選択して」
「うん」
なぜか桔都主導でとてもスムーズに写真の共有がされる。こんなに便利な機能が存在したのか、と目からポロリと鱗が落ちた。
「ありがとう!」と笑顔で傍にいる桔都を見上げたとき、パシャというチェキの撮影音が聞こえた。
「あ、すみません」
「これ、もらっていい?」
勝手に撮ったことを謝った岸多は、顔を真っ赤にして「どうぞ」と桔都にまだ画像の浮かび上がってきていない写真を渡す。おれも見たかったのに、桔都はすぐポケットに仕舞ってしまった。
「桔都、あれ、いいの?」
「あー……悪い、戻るわ。あとで瑞のクラス見に行くな」
「うん!」
気づけば教室の前方にいた女子たちと、廊下の外から桔都を見ていた男女の視線がこちらに突き刺さっている。「誰あの女……男?」という言葉が聞こえてきて、ちょっと申し訳なくなった。
(すみませんねぇ、男らしくもないモブ顔で)
学校の桔都はみんなのものなんだろう。でも家に帰ればおれだけの弟だ。
向けられる嫉妬の視線を無視して、撮影エリアを下りた。
衣装を脱ぐとメイク落としシートとやらで顔をさっぱりさせ、秀治と友人のクラスでやっている喫茶室に向かう。秀治は考え事をしているのかしばらく喋らなかったけど、文化祭の騒々しさがあっという間に違和感を押し流していく。
後夜祭まで、めいっぱい楽しもう!
おれの順番が回ってきて展示監視員をしている教室に、華やかな男女三人組がやってきた。華やかさの定義は人によると思うが、総じて顔が整っていてお洒落、かつ男子は背が高く、女子はメイクもヘアセットも完璧だ。
「なにここ、写真展?」
「おー。本田の写真を見たくてさ、付き合ってよ」
おれのクラスにいる華やか仲間の写真を見に来たようだ。喋っている男女の後ろに立つ桔都が、ちらりと視線を向けてきてウインクをした。
(うっ……さすが、かっこいい!)
薄暗い教室なのに、特大の流れ星がおれのもとへ届いたみたいだった。ウインクが似合う男子高校生なんて、芸能人以外で見たことがない。ちなみにおれはどうやっても両目を瞑ってしまうタイプの人間である。
一緒に暮らしていても憧れの気持ちを抱いてしまうのは仕方がないと思う。あんなに繊細で内向的な一面を持っているにもかかわらず、これほど華麗に変身できる桔都は本当にかっこいい。
桔都はおれの写真を見つけたらしく、唇の両端が上がっていく。ぶっちゃけ暇なので、そっと立ち上がって隣に立った。
「いい写真じゃん」
「へへ、ありがと。星凪に感謝しないとね」
“Summer Memories”とタイトルに書かれた写真は、カリフォルニアディズニーで星凪に撮ってもらった家族四人の後ろ姿だった。自分で撮った写真じゃないんかいと突っ込まれそうだとは思ったけど、文化祭なんてなんでもアリだ。
後ろ姿でも桔都だとわからないような写真を厳選し、セピア風の加工をかけてある。郷愁を誘う懐かしさとポップなお洒落さが共存した写真に、友人からの評判は上々だ。両親も素敵だとしきりに褒めてくれた。
文化祭が終わったら家に飾ろうと思っているくらい、自分でもお気に入りの一枚だ。
へらへら笑っていると、桔都がなにかに気づいたようでおれの頭へと手を伸ばす。どうやら写真館で使ったピンがまだ残っていたらしい。外されると前髪がひと房落ちてきた。
「まだついてた。気をつけろよ」
「まじか、サンキュー!」
なにに気をつければいいのか分からなかったけれど、頷いておく。
――そのとき、ゾクッと背筋に嫌な感じが走って背後を振り向いた。
(……ん?)
桔都と一緒に来ていたボブヘアの女子がおれを睨んでいる……気がしたのは一瞬で、彼女は「もう牧のライブ始まっちゃうから行こ!」と二人の男子に声を掛けている。
桔都と目線だけで「ばいばい」と言い合って、隅っこの椅子に移動する。画廊風の教室は薄暗くて、桔都と話せた満足感もあり、ちょっとだけ居眠りしてしまった。
おれの学校の後夜祭は、運動場で開催される生徒会主催の盆踊りだ。
櫓を設置し提灯が吊るされた夏祭り全開の雰囲気のなか、流行りのアニメソングやポップスに合わせて踊る。緩いなりに最後の最後まで本気で楽しむのがこの高校の伝統で、この文化祭に憧れて受験を決める中学生もいるのだそうだ。
しかし後夜祭で一番盛り上がりを見せるのが、裏で行われる告白大会だった。そこかしこで誰かが誰かを呼び出し、呼び出され、密やかに告白して恋が実ったり破れたりする。
一年のうちカップル成立数が一番多い日と言われているとかいないとか。誰が言い出したんだろ、これ。
おれたち地味グループには縁がないものかと思いきや、「俺、好きな子に告白してくるわ」と秀治がどこかへ行ってしまった。秀治が気になっている子の話は時々聞いていたけれど、同じクラスだから振られたときにキツイと本人が言っていたのに。
多分、勝算があると見込んだのだろう。むしろそうであってくれ……!
心の中で告白の成功を祈っているうちに、他のメンバーは「うぉ〜! 秀治がんばれ〜!」「彼女できたらムカつくけど、がんばれ〜!」などと叫びながら櫓の方へ踊りに行ってしまった。好きなアニソンが流れ始めて、テンションが変な方に振り切っているらしい。
おれは好きな人こそできたことはあるものの、女子と付き合いたいとあまり具体的に考えたことがない。
人との繋がりの儚さや、人は簡単に豹変するということを、親の離婚から学んでしまっていることが原因かもしれない。もちろん、悲観的になっているつもりはないのでいつかは……!
だから友だちに彼女ができて悔しいと思うこともない。それよりも秀治が休み時間や休日に会ってくれなくなったら嫌だな、と感じてしまうのだ。
自分はお子様なのだろうか。
「はぁ、なんか寂しいな……」
祭りの終わりって、なんだか切なくなる。文化祭も夏休みの延長のような気がしていたから、週末を挟めば今度こそ日常の学校生活が戻ってくる。
家族と過ごす時間が増え、特に桔都とたくさん遊んだ一ヶ月。幸せすぎて、なにかの拍子で壊れてしまうんじゃないかと少し怖いくらいだった。
ぽやんと考え事をしながら立っていると、視界の端に桔都が見えた。おれは桔都ならどこにいてもすぐ見つけられる。
いつもの取り巻きはおらず、制服姿に着替えたらしい桔都はひとりで校舎の方へ向かって歩いていく。
どこへ行くんだろ? 無性に気になって、おれの足は追いかけるように動いた。
運動場を出るとあちこちにくっついた人影があって、手を繋いだり、キスをしてるっぽい人たちもいてビクッとする。祭りの雰囲気がそうさせるのか、みんな大胆だ。
桔都は玄関から正面にある広い交流スペースに入って行った。この段階になってようやく、桔都が誰かに呼び出されたもしくは呼び出したんじゃないかと思い至る。
(追いかけてきちゃ、駄目だったかも……)
「佐倉、話って?」
呼び出された方だったようだ。立ち聞きは良くないとわかっているものの、桔都の声を聞いてスッと目の前が暗くなっていくのを感じた。
佐倉はテニス部の女子で、誰もが認める美人さとそのお淑やかさから姫と呼ばれている。実際家がお金持ちらしく、立ち居振る舞いも高校生とは思えないほど洗練されている。
「私ね、もうわかってると思うけど……桔都くんのことが好きなの。私たち、付き合わない?」
いやだ、聞きたくない。目眩がして、思わず壁に体を預ける。
おれの脳裏に、桔都と佐倉が隣り合って並ぶ姿が浮かんだ。……お似合いすぎる。
二人が付き合ったら、さっき見たカップルたちみたいにくっついていちゃいちゃするのだろうか。放課後や休日にデートをして、家族とは違う特別な関係を築いていくのだろうか。
(佐倉さんが、桔都の、『特別』に……)
足元が抜け落ちたような不安に、泣きそうになった。なんとか足を踏ん張って、外に向かって歩き出す。桔都の返事を聞く勇気はない。
秀治のときには感じなかった独占欲が身の内に渦巻いて暴れ出しそうだ。どうして桔都のときだけこんな気持ちになるのか、わからない。
胸は杭が刺さっているみたいにズキズキと痛み、背筋には氷を当てられたように寒気がして、全身がどんどんと冷たくなっていくような気がした。
(この気持ちは……なに……?)
外に出ると、夏のけだるさを纏った風がおれを包み、移ろいゆく季節の予感が心を揺り動かす。運動場の盛り上がりと、密やかに楽しむ恋人たち。恋の生まれようとしている瞬間。
自分だけがどこにも属せない孤独を感じ、しばしそこで立ちすくんでいた。


