翌朝。
「楠木、おはよ」
そのまた翌朝。
「楠木、おはよ」
さらには翌週。
「楠木、おはよ」
通学路の決まった場所で、毎朝、俺のことを待っている神星。
この光景は、もはや定番になってしまった。
しかし、放課後まで声をかけられたのは、今日が二回目。
「楠木、一緒に帰ろ」
「っ!」
帰る準備をしていたら、ぽん、と頭に手を置かれ、顔を覗き込まれる。
ぶっちゃけ、こういうことをされる度、ドキドキする。
けど、俺は気づいたんだ。
たとえドキドキしたとしても、それを顔に出しさえしなければ、勝負はこっちのもんなんだ!と。
「神星、部活ないの?」
ほら、鼓動が少し速くても、こうやって平然と質問してしまえばバレない。
バレなければそれは起こっていないのと同じだ。
「バスケ部は水曜が休みなの、先週言ったけど忘れちゃった?」
「いちいち覚えてないわ!」
「へぇ、覚えてくれてたら、俺が〝ドキドキ〟したかもしれないのにね。もったいなかったね」
「くっ……そういうお前はどうなの?俺のバイトの日なんか覚えてないだろ」
「月曜と木曜でしょ」
「即答⁉︎」
さらりと答えた神星に若干の恐怖を覚えたそのとき、ぽつりと頬に冷たい温度が落ちてくる。
「あれ、雨だ」
「うわ!ほんとだ」
ぽつ、ぽつ、と降り始めた雨は、少しずつその勢いを増しそうな気配がする。
しかし、俺は焦らない。
なぜなら!折り畳み傘を常に持ち歩いているからだ!
「参ったね……」
隣で困り果てた神星を見て、しめしめと心の中でガッツポーズ。
「なぁ、神星」
「?」
「俺、折り畳み傘持って……あれ!?ない!?」
上目遣いで相合傘の提案をしようとしたのに、いくらバッグを漁っても、いつも入れているはずの折り畳み傘がない。
「あっ!昨日、教科書の準備したとき……」
そういえば、一旦バッグから出して、机の上に置いた気もする。
こんなときに限って、なんで……!
「楠木、走るぞ!」
「えっ、あ、」
先ほどより本格的に雨の降る帰り道。
神星に手を引かれるまま、駆け出していた。
手首に巻きつく力とか、体温とかが、一瞬にして胸をざわめかせる。
「っはぁ、やば、めっちゃ降るじゃん!」
「とりあえず、ここで雨宿りだな」
「うん……」
まさか、弟たちとたまに遊びに来る公園の東屋で、神星と雨宿りする日が来るなんて思わなかった。
ベンチに腰掛けて一息つくと、濡れたシャツがぴったりと肌に張りついていて、途端に寒さが襲ってくる。
ちょうど今週から衣替えをして、上着を家に置いてきてしまったけど、雨が降るとまだ心許ないな……。
「くしゅん」
小さなくしゃみをした直後、ふわりと神星の匂いが広がって、
「え」
背中からその匂いと温かさに包まれた。
「ジャージ……?」
「……今日、体育あったろ。一応持ってきてたから」
「……!」
神星だって、寒そうだ。
唇が青っぽいし、身体もちょっと震えてる。
でも、きっと俺がこのジャージを返しても、神星はまた俺の背中にかけ直すのだろう。
そんなの、かっこよすぎるだろ。
……だったら……
「っ!楠木……」
一人分開いていた距離を詰めて、英語の宿題を見せてもらったあの日のように、神星の腕に抱きついた。
ぎゅっとすれば、シャツの布を隔てても、ちゃんと互いの体温は伝わって、あったかくなるから。
「……ドキドキ、した?」
なんとなく、分かってきた。
どういうときに、上目遣いで見つめたらいいのか。
「っ……」
「へへ、肯定ってことにするぜ」
こんなこと言いながら、俺だって、ひどくうるさい心臓を抱えてる。
でも、俺は神星より、それを隠すのが上手いから……多分、これからの勝負、俺の方が有利だと思う。
「……」
「……」
ああ、ムカつくくらい綺麗な顔してんな、ほんとにさ。
濡れた髪をかきあげて、色気溢れすぎだバカ!
そんな姿、絶対に女子の前で見せんなよ。
また俺のファンが奪われちまうからさ。
「……それ、貸すよ。楠木の方が、家遠いから」
「え、ちょ、」
神星はパッと立ち上がると、さっきより少し弱まった雨の中、走り出そうとする。
俺は思わず、その腕を掴んでいた。
「ま、待てよ、まだ雨降って、」
「大丈夫だって。また明日な!」
神星はくしゃっと俺の頭を撫でて、勢いよく駆け出してしまった。
俺は、ぽつんと一人取り残された。
いや、でも……一人って感じがしない。
神星のジャージを着てるから、ずっと神星の匂いがする。
甘くて、ちょっと大人っぽくて、優しい匂い。
……ドキドキするけど、なんか落ち着く。
オーバーサイズのジャージに口元を埋めて、俺も家までまっすぐに走った。
帰宅してすぐ、ジャージを洗濯しようとしたけれど、神星の匂いが消えてしまうのはもったいなく感じて……洗濯機に入れるまで少しだけ時間がかかってしまったのは、絶対に俺だけの秘密。



