肋骨を折るような勢いで、バクンバクンと動く心臓。
この身体全体が、大きな一つの楽器になったみたいに、内側から激しく振動する。
自分の鼓動が、脳の細胞まで揺らしている気がする。
「楠木?」
「ひゃい!」
「ふふ、そんな緊張しないでよ、親もいないし」
だぁかぁらぁ!
俺にとって、お前のご両親がいないことは、リラックスする要素にならねぇんだよ!
むしろ別の意味を持つわけさ!!分かる⁉︎
「とりあえず、なんかジュース持ってくるね」
「ありがとう……」
分かんないよな、そうだよな。
神星は俺のことそんな風に意識してないもんな。
ガチのマジで恋しちゃってるのは、俺の方だけだもん。
「はい、オレンジジュースで良かった?」
「うん!さんきゅ」
緊張で喉が渇いたから、ありがたくジュースを飲んでいると、神星がなんだかソワソワとしている。
「ん?どうした?」
「っ、あー、いや……俺、家に友達呼ぶのとか初めてだから、何していいか分からなくて。漫画とか、テレビゲームとか、あとはカードゲームとかも用意したんだけど……気になるもの、ある?」
辿々しく話しながら、部屋の色んなところから色んなものを出してくる神星を見て、思わず笑みが溢れた。
なんて愛おしいんだよ、神星鈴斗って男はさ。
「っ、ごめん、家で遊ぶって、こういうことではなかった……?」
「ははっ、間違いも正解もないよ。色々考えてくれて嬉しい!全部めっちゃ楽しそう!」
「……!良かった……」
神星がホッとしたように柔らかい笑顔を見せるときには、俺の緊張もすっかり和らいで。
「よし!じゃあー……まずはゲームやるか!」
「ふふ、いいね」
「てか、神星ってゲームとかやんの?」
「ん〜たまに?スマホゲームも少しはやってる」
「マジ⁉︎何やってんの?教えて!」
いいよ、と神星が手を伸ばした先にあったスマホ。
そこには、今もちゃんとお揃いのステッカーが挟んである。
「なぁなぁ、神星」
「ん?」
なんか嬉しくなっちゃって、トートバッグにつけてきたキーホルダーを見せた。
「これ、ちゃんとつけてきたんだぜ」
「っ!ほんとだ……ふふ、可愛いことするよな、楠木って」
「っ……!」
優しく頭を撫でられて、ちょっとは引っ込んでいたドキドキが、ぬっと顔を出しそうになる。
「ほ、ほら!ゲームゲーム!やろうぜ!」
慌ててわたわた騒いだら、神星はふっと笑った。
余裕の差にムカついたから、今からやるゲームでは、容赦なく神星を潰してやる……!と密かに意気込んだ。
◇
◇
◇
楽しい時間というのは、あっという間に過ぎるもの。
ゲームで俺が神星に何連勝もして、勝負魂に火がついた神星が、優秀な頭脳を使って少しずつ攻略してきやがって、そしたら今度は俺が何連敗もして……。
ちょうど勝敗数がイコールになったところで、二人とも空腹で力尽きた。
「はーマジで頭使った」
「楠木は感覚でやってるだろ」
「あ?バカって言いたいのか?まあバカだけど」
「はは、感覚的にできる方がかっこいいよ」
普通なら嫌味かよって言いたくなりそうなのに、不思議と嫌味に聞こえなかった。
そのせいで、ただ少し照れたやつになったじゃねぇか。
「あーもー飯だ飯!よし!買い物行くぞ!」
むずむずした気持ちになったから、バッグを持ってそそくさと玄関に向かった。
靴を履いて玄関の扉を開けようとしたとき、ふわりとすぐ後ろに神星の気配を感じる。
「ハンバーグだっけ?楠木に作ってもらえるなんて、嬉しい」
「っ……」
わざわざ壁ドンみたいなことして、耳元で囁きやがって。
今から外に出るっていうのに、顔が赤くなっちゃうだろ。
与えられる熱から逃げるように、玄関の扉を勢いよく開けて飛び出した。
「楠木!待ってよ」
鍵をかける動作すら、神星がやるとかっこよく見えてしまう。
「っ、早く行こうぜ」
恋のフィルターを通して見る世界が、どれだけ眩くて、どれだけ甘く切ないか……神星に教えてあげられるのが、俺だったらいいのにな。
◇
◇
◇
神星の家から数分のスーパーで必要な食材を揃え、無事に帰宅したわけだけど……。
神星との買い物、ぶっちゃけ、控えめに言って……
最っっっ高だった!!
家族やカップルが多い店の中を、二人で一緒に歩いてさ……野菜はどれが美味しそうか〜とか、肉が割引になっててラッキーだ〜とか、他愛もない話して。
もし同棲したら、毎週こんな感じで買い出しに行けるのかな〜なんて……付き合ってもないのに、妄想膨らみすぎだろ!って自分でも引くけど。
でも、本当に、楽しくて……。
「楠木、お皿これでいい?」
「!あ、あぁ、うん、ありがと」
ハンバーグを盛り付ける皿を持った神星の声で、ハッと意識がクリアになった。
手伝わなくていいよって言ったのに、神星は細々としたことを手を利かせてやってくれる。
「おぉ……めっちゃ美味しそう」
「へへ、だろ?今日のために何回も何回も練習し……っ、なんでもない」
しまった!と思ったときには、時すでに遅し。
「……へぇ?何回も何回も?練習したの?」
案の定、神星はにんまりと口角を上げて、上機嫌にこちらを見ている。
「あーあ、料理上手なキャラでいこうと思ったのになー」
わざと頬をぷくっと膨らませて、分かりやすく拗ねてみたら、頭をわしゃわしゃと撫でられた。
……実はちょっとだけ、これを期待してた。
「ふふ、実際上手だし、楠木はそのままでいいよ」
「っ……」
期待して自分からあざといことをしたくせに、頭なでなで耐性は全然ない。
「っ、冷める前に食べようぜ」
「はーい」
今、このときめきを紛らわす方法は、もはやこのハンバーグたちを机に運ぶことくらいしかない。
せかせかとお盆を持って、付け合わせのサラダとかも全部、バランス良く並べたら……
なんか、結構豪華に見えるじゃん⁉︎
「神星!どう⁉︎俺すごい⁉︎」
頑張って作ったから、開き直って全力で褒められにいくことにした。
今だけは尻尾を振る子犬だって思われてもいいさ。
「すごいよ、ほんとに。楠木、ありがと」
ほっぺを優しく包まれて、親指ですり、と撫でられた。
もし本当に犬になれたなら、ワンッと可愛く鳴いて、神星に抱きついても、怒られなかっただろうな。
可愛く鳴くことも、抱きつくこともできない俺は、頬に添えられた手を少しだけ唇に寄せて我慢する。
この大きな手と優しい温度が、どうしようもなく好きなんだ。
「……楠木、ハンバーグ冷める……」
「っ!!」
顔を赤くした神星の声で、途端に正気に戻った。
今の俺、相当恥ずかしいことしてた……よな?
神星の熱に浮かされてるときは、多分、蜂蜜みたいな甘い物質が脳から出ているんだと思う。
そうじゃなきゃ、こんなことできないよ……。
「えっと……食べますか?」
「ハイ、タベマス」
「食べていいですか?」
「ドウゾ!!」
ほんのり頬を染めたままの神星が、いただきます、と手を合わせる。
そして、ハンバーグを丁寧に切り分け、一口サイズのものを口に運ぶ。
頼む、どうか、神星の口に合ってくれ……!
これでフラれたら、俺はもう二度とキッチンに立てねぇぞ……!
「……美味い……」
「ほ、ほんと?」
「何これ、美味すぎるよ、楠木」
「……!」
目を輝かせた神星は、まるで小さな子どものような純粋な笑顔を見せてくれた。
俺は昔の神星を知らないし、それが少し悔しかったけど……。
今、神星の幼い頃の面影みたいなものが、淡く瞬いたように感じて……ちょっと、夢が叶った気分だ。
「へへ、神星ありがと!俺も食べよっと!……ん!美味い!俺ってすげー!」
「ははっ、自画自賛もそこまでいくと清々しいな」
「俺、褒められると伸びるタイプなんで。これからは自分で自分を褒めていく時代なんだよ神星くん」
「ふふ、何それ、面白いし最高じゃん。俺も見習わなきゃ」
「お前は褒めるとこしかないから忙しくなるな」
「……!」
二秒後くらいに「あっ」となって、カアっとなって、深めの穴を掘って消えようかと思った。
でも……
隣の神星が、天使のような柔らかい笑顔で、もぐもぐと俺の作ったご飯を食べるのを見たら……
「っ、楠木?」
あまりの愛おしさに、消えるどころかむしろ、その身体に寄りかかってみたくなった。
体重をぐーっとかけていったら、食べにくいと言って跳ね返された。
◇
◇
◇
「ふ、風呂さんきゅ〜……」
「……!」
「か、神星も入ってこいよ!」
「うん……行ってくる」
バタンと部屋の扉が閉まり、ふぅ〜と大きく息を吐いた。
楠木翠(16)、このお泊まり最大のTo doリスト項目(風呂)を無事に完遂しました!
マーーージで疲れた……。
いや、やってることとしては、普段と大きく変わるわけじゃないけど……そもそも他人の家って時点で、勝手が違うから気を遣うじゃん?
神星……好きな人の家となれば尚更……。
そんな中で、髪も身体も綺麗に洗って、いつもより入念なスキンケア!保湿バッチリ!ピチピチ!
さらには香水!
俺はあえて、昼間は香水をつけずに、ギャップ萌えを狙うことにした。
風呂上がり、急にいい香りがしたら、さすがの神星だってドキドキが止まらなくなる……はずだ。
あとは、さぷらぁいず!って言うほどでもないけど、神星が風呂から帰ってくる前に、色つきリップを塗って〜。
そして……何より。
外見だけじゃあの男は落とせない……行動あるのみ!
思い返せば今日一日、俺、ほぼ何もできてない!
あんなにドキドキさせてやるって意気込んでたはずなのに、結局、俺がドキドキさせられっぱなし……。
このままじゃ、不完全燃焼にもほどがある。
しかし、まだ間に合うはずだ。
なんといっても、お泊まりの最大ドキドキチャンスなんて、寝る前の時間だと古代より決まってるのだから……!……多分……!
ってなわけで、俺にとっては今からが勝負。
お泊まりマジックで、もしかしたらもしかすると、神星が俺のこと……
恋愛対象として見てくれるかも、しれないじゃん。
水族館デートのときも睨めっこしたハンディミラーを片手に、ささやかな色を唇に足した。
俺は男だし、女子みたいに可愛くないし、身体も柔らかくないけど……あ、ほっぺだけは柔らかいか。
……初めて好きになった人なんだ。
簡単には、諦めたくないよ。
「……」
神星のベッドに触れるだけで、身体がじわりと熱くなる。
机に伏せるみたいに、布団に顔を埋めたら……ああ、やっぱり、好き、この匂い。
「ただいま、楠木……」
「ぁ、神星……おかえり」
風呂上がりの神星は、さらさらのストレートな髪が綺麗だった。
いつもはセットしてるから、新鮮で特別感がある。
「楠木、ベッド使う?俺、敷き布団で寝るよ」
「ぇ、ぁ、いや、」
さっき俺がベッドで顔を伏せていたからか、神星は敷き布団の方に座って、今にも横になって寝ようとしているではないか。
「まって、神星、」
「っ、ん?」
咄嗟に神星の隣に行って、腕をぎゅっと掴んだ。
「ちがう、ベッドじゃなくてもいい……」
「……ごめん、こっちが良かった?」
「あ、」
神星はすくっと立ち上がって、今度はベッドへ向かう。
焦りとか、寂しさとか、とにかく胸がいっぱいになって、ベッドの上まで追いかけて、神星の腕をもう一度掴んだ。
「っ、どうしたの?」
「ま、っ、まだ、寝なくても、いいじゃん……」
「は……」
「せ、せっかく、お泊まり、なのに……」
「……また明日、起きてから遊べるだろ」
神星は俺から目を逸らして、背を向けて横になろうとする。
待ってよ、もっとドキドキしてよ。
動揺してよ。顔赤くしてよ。
俺のこと……ちゃんと、意識してよ。
「っ……」
溢れる想いのまま、背中に抱きついた。
本当はもっと、計画的に色々したかった。
たくさん困らせて、照れさせてやりたかった。
でも、なんにも余裕がないんだ。
「……まだ、寝ないで……」
「……楠木、」
「寝ないでよ……鈴斗……」
「っ……!」
首元に顔を埋めて、抱きしめる力をぎゅう、と強くしたら、
「っ、あ、」
気づけば、ぼふっと柔らかいベッドが背中を受け止めてくれていて、むせかえるような甘く濃い好きな人の匂いが広がった。
「すず……と……」
くらくらする。
チカチカする。
見上げる神星の顔が……すごく、色っぽい。
ふわふわする意識のまま、ぼーっと神星を見つめていたら、突然その熱っぽい顔がこちらへ近づいてきて、
「⁉︎」
首筋にちゅ、と唇が触れた。
「すず、まって、」
吐息が熱い。唇も熱い。
キスされた場所が次々にやけどしていくみたいだ。
「……っ、みどり……」
こんな欲情的な声、知らない。
甘すぎて鼓膜が溶けそうだ。
身体の奥がゾクゾクする。
「みどり……」
右の首筋に何度も口づけされて、今度は反対側の首筋にも同じことをされて……
くすぐったくて、恥ずかしくて、変になりそうなのに、抵抗する気は起こらない。
溢れそうな声だけは、なぜか必死で我慢してた、けど、
「ひぁ、っ、」
つう、と唇で首筋をなぞられたとき、聞いたこともないような情けない声が出てしまった。
それが、全てが壊れる合図になった。
「……あ……」
神星は、俺の首筋から顔を離して、大きく大きく目を見開いていた。
その顔を見て、心臓がヒュッと乾いて冷たくなった。
だって、その瞳は、この世の終わりだと言っているような、酷く絶望したような、そんな……
真っ暗な闇を見るようなものだったから。
「……か、神星……」
それでも、このときはまだどこかで、期待していたんだ。
そんな目で俺を見るわけないって、思いたくて。
だけど、上体を起こして、俯く神星の頬に手を伸ばしたら、強い力で遠ざけられた。
そして―――
「……ごめん、完全に間違えた……」
「……は……」
トドメの一言が、心臓の真ん中にぐさりと突き刺さった。
「……ごめん、今日は、寝させてくれ」
神星の表情は分からなかった。
電気を消されたのもあるし、背を向けられてしまったから。
本当なら、今すぐにこの家から飛び出したかった。
けれど、夜中に走って帰るなんて、家族に心配をかけるに決まってる。
俺は放心状態のまま、床に敷かれた布団に横になった。
神星は眠っているのか、起きているのか。
どれだけ時間が過ぎたのか。
分からないまま、最悪の永遠のような夜に耐えた。
精神的に大きなショックを受けたからか、明け方に少しだけ意識は飛んだ。
目覚めても、神星は昨夜の体勢のまま、静かに背を向けていた。
朝日が本格的に街を照らし始める頃、俺は何も言わずに神星の家を出た。
自分の家に帰るには早すぎるから、早朝から開いている店を探して、テキトーに暇を潰した。
昼頃に家に帰ると、平和な家族の日常が待っていた。
昨夜のことがバレないように、なるべく明るくいつも通りに接するよう心がけた。
お泊まり楽しかったよ〜なんて言っちゃったし。
なんとなく、母さんには元気がないと気づかれているような気がするけど。
夜、自分の部屋で一人になって、初めて泣いた。
なかなか涙が止まらなかった。
胸が張り裂けそうなほど苦しくて、ズキズキと痛くて。
『……ごめん、完全に間違えた……』
あの神星の言葉が頭から離れない。
そこまで言わなくてもいいじゃん。
間違えたって、そんな言い方は酷いだろ。
……恋愛対象でもない男相手に、やりすぎたって思ったんだろうけどさ。
俺が神星を好きな気持ちも、間違いだって言ってるのと同じじゃん。
俺たちの関係に、そこにある想いに、間違いだとか正解だとか、そんな言葉を選んでほしくなかった。
ああ、恋なんてしなきゃ良かったな。
だって、辛いよ、すごく。
最低だ、最悪だ、本当に傷ついた。
でも、もう……嫌いになるには、遅すぎた。
神星のこと、
何も知らなかった四月に、戻りたい。
いけ好かない奴だと思ってたあの頃に、戻りたい。
この身体全体が、大きな一つの楽器になったみたいに、内側から激しく振動する。
自分の鼓動が、脳の細胞まで揺らしている気がする。
「楠木?」
「ひゃい!」
「ふふ、そんな緊張しないでよ、親もいないし」
だぁかぁらぁ!
俺にとって、お前のご両親がいないことは、リラックスする要素にならねぇんだよ!
むしろ別の意味を持つわけさ!!分かる⁉︎
「とりあえず、なんかジュース持ってくるね」
「ありがとう……」
分かんないよな、そうだよな。
神星は俺のことそんな風に意識してないもんな。
ガチのマジで恋しちゃってるのは、俺の方だけだもん。
「はい、オレンジジュースで良かった?」
「うん!さんきゅ」
緊張で喉が渇いたから、ありがたくジュースを飲んでいると、神星がなんだかソワソワとしている。
「ん?どうした?」
「っ、あー、いや……俺、家に友達呼ぶのとか初めてだから、何していいか分からなくて。漫画とか、テレビゲームとか、あとはカードゲームとかも用意したんだけど……気になるもの、ある?」
辿々しく話しながら、部屋の色んなところから色んなものを出してくる神星を見て、思わず笑みが溢れた。
なんて愛おしいんだよ、神星鈴斗って男はさ。
「っ、ごめん、家で遊ぶって、こういうことではなかった……?」
「ははっ、間違いも正解もないよ。色々考えてくれて嬉しい!全部めっちゃ楽しそう!」
「……!良かった……」
神星がホッとしたように柔らかい笑顔を見せるときには、俺の緊張もすっかり和らいで。
「よし!じゃあー……まずはゲームやるか!」
「ふふ、いいね」
「てか、神星ってゲームとかやんの?」
「ん〜たまに?スマホゲームも少しはやってる」
「マジ⁉︎何やってんの?教えて!」
いいよ、と神星が手を伸ばした先にあったスマホ。
そこには、今もちゃんとお揃いのステッカーが挟んである。
「なぁなぁ、神星」
「ん?」
なんか嬉しくなっちゃって、トートバッグにつけてきたキーホルダーを見せた。
「これ、ちゃんとつけてきたんだぜ」
「っ!ほんとだ……ふふ、可愛いことするよな、楠木って」
「っ……!」
優しく頭を撫でられて、ちょっとは引っ込んでいたドキドキが、ぬっと顔を出しそうになる。
「ほ、ほら!ゲームゲーム!やろうぜ!」
慌ててわたわた騒いだら、神星はふっと笑った。
余裕の差にムカついたから、今からやるゲームでは、容赦なく神星を潰してやる……!と密かに意気込んだ。
◇
◇
◇
楽しい時間というのは、あっという間に過ぎるもの。
ゲームで俺が神星に何連勝もして、勝負魂に火がついた神星が、優秀な頭脳を使って少しずつ攻略してきやがって、そしたら今度は俺が何連敗もして……。
ちょうど勝敗数がイコールになったところで、二人とも空腹で力尽きた。
「はーマジで頭使った」
「楠木は感覚でやってるだろ」
「あ?バカって言いたいのか?まあバカだけど」
「はは、感覚的にできる方がかっこいいよ」
普通なら嫌味かよって言いたくなりそうなのに、不思議と嫌味に聞こえなかった。
そのせいで、ただ少し照れたやつになったじゃねぇか。
「あーもー飯だ飯!よし!買い物行くぞ!」
むずむずした気持ちになったから、バッグを持ってそそくさと玄関に向かった。
靴を履いて玄関の扉を開けようとしたとき、ふわりとすぐ後ろに神星の気配を感じる。
「ハンバーグだっけ?楠木に作ってもらえるなんて、嬉しい」
「っ……」
わざわざ壁ドンみたいなことして、耳元で囁きやがって。
今から外に出るっていうのに、顔が赤くなっちゃうだろ。
与えられる熱から逃げるように、玄関の扉を勢いよく開けて飛び出した。
「楠木!待ってよ」
鍵をかける動作すら、神星がやるとかっこよく見えてしまう。
「っ、早く行こうぜ」
恋のフィルターを通して見る世界が、どれだけ眩くて、どれだけ甘く切ないか……神星に教えてあげられるのが、俺だったらいいのにな。
◇
◇
◇
神星の家から数分のスーパーで必要な食材を揃え、無事に帰宅したわけだけど……。
神星との買い物、ぶっちゃけ、控えめに言って……
最っっっ高だった!!
家族やカップルが多い店の中を、二人で一緒に歩いてさ……野菜はどれが美味しそうか〜とか、肉が割引になっててラッキーだ〜とか、他愛もない話して。
もし同棲したら、毎週こんな感じで買い出しに行けるのかな〜なんて……付き合ってもないのに、妄想膨らみすぎだろ!って自分でも引くけど。
でも、本当に、楽しくて……。
「楠木、お皿これでいい?」
「!あ、あぁ、うん、ありがと」
ハンバーグを盛り付ける皿を持った神星の声で、ハッと意識がクリアになった。
手伝わなくていいよって言ったのに、神星は細々としたことを手を利かせてやってくれる。
「おぉ……めっちゃ美味しそう」
「へへ、だろ?今日のために何回も何回も練習し……っ、なんでもない」
しまった!と思ったときには、時すでに遅し。
「……へぇ?何回も何回も?練習したの?」
案の定、神星はにんまりと口角を上げて、上機嫌にこちらを見ている。
「あーあ、料理上手なキャラでいこうと思ったのになー」
わざと頬をぷくっと膨らませて、分かりやすく拗ねてみたら、頭をわしゃわしゃと撫でられた。
……実はちょっとだけ、これを期待してた。
「ふふ、実際上手だし、楠木はそのままでいいよ」
「っ……」
期待して自分からあざといことをしたくせに、頭なでなで耐性は全然ない。
「っ、冷める前に食べようぜ」
「はーい」
今、このときめきを紛らわす方法は、もはやこのハンバーグたちを机に運ぶことくらいしかない。
せかせかとお盆を持って、付け合わせのサラダとかも全部、バランス良く並べたら……
なんか、結構豪華に見えるじゃん⁉︎
「神星!どう⁉︎俺すごい⁉︎」
頑張って作ったから、開き直って全力で褒められにいくことにした。
今だけは尻尾を振る子犬だって思われてもいいさ。
「すごいよ、ほんとに。楠木、ありがと」
ほっぺを優しく包まれて、親指ですり、と撫でられた。
もし本当に犬になれたなら、ワンッと可愛く鳴いて、神星に抱きついても、怒られなかっただろうな。
可愛く鳴くことも、抱きつくこともできない俺は、頬に添えられた手を少しだけ唇に寄せて我慢する。
この大きな手と優しい温度が、どうしようもなく好きなんだ。
「……楠木、ハンバーグ冷める……」
「っ!!」
顔を赤くした神星の声で、途端に正気に戻った。
今の俺、相当恥ずかしいことしてた……よな?
神星の熱に浮かされてるときは、多分、蜂蜜みたいな甘い物質が脳から出ているんだと思う。
そうじゃなきゃ、こんなことできないよ……。
「えっと……食べますか?」
「ハイ、タベマス」
「食べていいですか?」
「ドウゾ!!」
ほんのり頬を染めたままの神星が、いただきます、と手を合わせる。
そして、ハンバーグを丁寧に切り分け、一口サイズのものを口に運ぶ。
頼む、どうか、神星の口に合ってくれ……!
これでフラれたら、俺はもう二度とキッチンに立てねぇぞ……!
「……美味い……」
「ほ、ほんと?」
「何これ、美味すぎるよ、楠木」
「……!」
目を輝かせた神星は、まるで小さな子どものような純粋な笑顔を見せてくれた。
俺は昔の神星を知らないし、それが少し悔しかったけど……。
今、神星の幼い頃の面影みたいなものが、淡く瞬いたように感じて……ちょっと、夢が叶った気分だ。
「へへ、神星ありがと!俺も食べよっと!……ん!美味い!俺ってすげー!」
「ははっ、自画自賛もそこまでいくと清々しいな」
「俺、褒められると伸びるタイプなんで。これからは自分で自分を褒めていく時代なんだよ神星くん」
「ふふ、何それ、面白いし最高じゃん。俺も見習わなきゃ」
「お前は褒めるとこしかないから忙しくなるな」
「……!」
二秒後くらいに「あっ」となって、カアっとなって、深めの穴を掘って消えようかと思った。
でも……
隣の神星が、天使のような柔らかい笑顔で、もぐもぐと俺の作ったご飯を食べるのを見たら……
「っ、楠木?」
あまりの愛おしさに、消えるどころかむしろ、その身体に寄りかかってみたくなった。
体重をぐーっとかけていったら、食べにくいと言って跳ね返された。
◇
◇
◇
「ふ、風呂さんきゅ〜……」
「……!」
「か、神星も入ってこいよ!」
「うん……行ってくる」
バタンと部屋の扉が閉まり、ふぅ〜と大きく息を吐いた。
楠木翠(16)、このお泊まり最大のTo doリスト項目(風呂)を無事に完遂しました!
マーーージで疲れた……。
いや、やってることとしては、普段と大きく変わるわけじゃないけど……そもそも他人の家って時点で、勝手が違うから気を遣うじゃん?
神星……好きな人の家となれば尚更……。
そんな中で、髪も身体も綺麗に洗って、いつもより入念なスキンケア!保湿バッチリ!ピチピチ!
さらには香水!
俺はあえて、昼間は香水をつけずに、ギャップ萌えを狙うことにした。
風呂上がり、急にいい香りがしたら、さすがの神星だってドキドキが止まらなくなる……はずだ。
あとは、さぷらぁいず!って言うほどでもないけど、神星が風呂から帰ってくる前に、色つきリップを塗って〜。
そして……何より。
外見だけじゃあの男は落とせない……行動あるのみ!
思い返せば今日一日、俺、ほぼ何もできてない!
あんなにドキドキさせてやるって意気込んでたはずなのに、結局、俺がドキドキさせられっぱなし……。
このままじゃ、不完全燃焼にもほどがある。
しかし、まだ間に合うはずだ。
なんといっても、お泊まりの最大ドキドキチャンスなんて、寝る前の時間だと古代より決まってるのだから……!……多分……!
ってなわけで、俺にとっては今からが勝負。
お泊まりマジックで、もしかしたらもしかすると、神星が俺のこと……
恋愛対象として見てくれるかも、しれないじゃん。
水族館デートのときも睨めっこしたハンディミラーを片手に、ささやかな色を唇に足した。
俺は男だし、女子みたいに可愛くないし、身体も柔らかくないけど……あ、ほっぺだけは柔らかいか。
……初めて好きになった人なんだ。
簡単には、諦めたくないよ。
「……」
神星のベッドに触れるだけで、身体がじわりと熱くなる。
机に伏せるみたいに、布団に顔を埋めたら……ああ、やっぱり、好き、この匂い。
「ただいま、楠木……」
「ぁ、神星……おかえり」
風呂上がりの神星は、さらさらのストレートな髪が綺麗だった。
いつもはセットしてるから、新鮮で特別感がある。
「楠木、ベッド使う?俺、敷き布団で寝るよ」
「ぇ、ぁ、いや、」
さっき俺がベッドで顔を伏せていたからか、神星は敷き布団の方に座って、今にも横になって寝ようとしているではないか。
「まって、神星、」
「っ、ん?」
咄嗟に神星の隣に行って、腕をぎゅっと掴んだ。
「ちがう、ベッドじゃなくてもいい……」
「……ごめん、こっちが良かった?」
「あ、」
神星はすくっと立ち上がって、今度はベッドへ向かう。
焦りとか、寂しさとか、とにかく胸がいっぱいになって、ベッドの上まで追いかけて、神星の腕をもう一度掴んだ。
「っ、どうしたの?」
「ま、っ、まだ、寝なくても、いいじゃん……」
「は……」
「せ、せっかく、お泊まり、なのに……」
「……また明日、起きてから遊べるだろ」
神星は俺から目を逸らして、背を向けて横になろうとする。
待ってよ、もっとドキドキしてよ。
動揺してよ。顔赤くしてよ。
俺のこと……ちゃんと、意識してよ。
「っ……」
溢れる想いのまま、背中に抱きついた。
本当はもっと、計画的に色々したかった。
たくさん困らせて、照れさせてやりたかった。
でも、なんにも余裕がないんだ。
「……まだ、寝ないで……」
「……楠木、」
「寝ないでよ……鈴斗……」
「っ……!」
首元に顔を埋めて、抱きしめる力をぎゅう、と強くしたら、
「っ、あ、」
気づけば、ぼふっと柔らかいベッドが背中を受け止めてくれていて、むせかえるような甘く濃い好きな人の匂いが広がった。
「すず……と……」
くらくらする。
チカチカする。
見上げる神星の顔が……すごく、色っぽい。
ふわふわする意識のまま、ぼーっと神星を見つめていたら、突然その熱っぽい顔がこちらへ近づいてきて、
「⁉︎」
首筋にちゅ、と唇が触れた。
「すず、まって、」
吐息が熱い。唇も熱い。
キスされた場所が次々にやけどしていくみたいだ。
「……っ、みどり……」
こんな欲情的な声、知らない。
甘すぎて鼓膜が溶けそうだ。
身体の奥がゾクゾクする。
「みどり……」
右の首筋に何度も口づけされて、今度は反対側の首筋にも同じことをされて……
くすぐったくて、恥ずかしくて、変になりそうなのに、抵抗する気は起こらない。
溢れそうな声だけは、なぜか必死で我慢してた、けど、
「ひぁ、っ、」
つう、と唇で首筋をなぞられたとき、聞いたこともないような情けない声が出てしまった。
それが、全てが壊れる合図になった。
「……あ……」
神星は、俺の首筋から顔を離して、大きく大きく目を見開いていた。
その顔を見て、心臓がヒュッと乾いて冷たくなった。
だって、その瞳は、この世の終わりだと言っているような、酷く絶望したような、そんな……
真っ暗な闇を見るようなものだったから。
「……か、神星……」
それでも、このときはまだどこかで、期待していたんだ。
そんな目で俺を見るわけないって、思いたくて。
だけど、上体を起こして、俯く神星の頬に手を伸ばしたら、強い力で遠ざけられた。
そして―――
「……ごめん、完全に間違えた……」
「……は……」
トドメの一言が、心臓の真ん中にぐさりと突き刺さった。
「……ごめん、今日は、寝させてくれ」
神星の表情は分からなかった。
電気を消されたのもあるし、背を向けられてしまったから。
本当なら、今すぐにこの家から飛び出したかった。
けれど、夜中に走って帰るなんて、家族に心配をかけるに決まってる。
俺は放心状態のまま、床に敷かれた布団に横になった。
神星は眠っているのか、起きているのか。
どれだけ時間が過ぎたのか。
分からないまま、最悪の永遠のような夜に耐えた。
精神的に大きなショックを受けたからか、明け方に少しだけ意識は飛んだ。
目覚めても、神星は昨夜の体勢のまま、静かに背を向けていた。
朝日が本格的に街を照らし始める頃、俺は何も言わずに神星の家を出た。
自分の家に帰るには早すぎるから、早朝から開いている店を探して、テキトーに暇を潰した。
昼頃に家に帰ると、平和な家族の日常が待っていた。
昨夜のことがバレないように、なるべく明るくいつも通りに接するよう心がけた。
お泊まり楽しかったよ〜なんて言っちゃったし。
なんとなく、母さんには元気がないと気づかれているような気がするけど。
夜、自分の部屋で一人になって、初めて泣いた。
なかなか涙が止まらなかった。
胸が張り裂けそうなほど苦しくて、ズキズキと痛くて。
『……ごめん、完全に間違えた……』
あの神星の言葉が頭から離れない。
そこまで言わなくてもいいじゃん。
間違えたって、そんな言い方は酷いだろ。
……恋愛対象でもない男相手に、やりすぎたって思ったんだろうけどさ。
俺が神星を好きな気持ちも、間違いだって言ってるのと同じじゃん。
俺たちの関係に、そこにある想いに、間違いだとか正解だとか、そんな言葉を選んでほしくなかった。
ああ、恋なんてしなきゃ良かったな。
だって、辛いよ、すごく。
最低だ、最悪だ、本当に傷ついた。
でも、もう……嫌いになるには、遅すぎた。
神星のこと、
何も知らなかった四月に、戻りたい。
いけ好かない奴だと思ってたあの頃に、戻りたい。



