約束の日曜日。
待ち合わせは、俺の最寄駅。
朝から何度鏡を確認したか分からないのに、また不安になってハンドミラーを取り出してしまう。
生まれつきの茶髪。
今日に向けて、ちょっといいトリートメントでケアしてきた。
よく白いと言われる肌。
毎日の化粧水と乳液は欠かさないし、日焼けすると赤くなるから、しっかり日焼け止めも塗ってきた。
厚くも薄くもない唇。
いつもは無着色の保湿リップをつけてるけど、今日は色つきでぷるぷるにしてきた。
……俺って、かっこいい、よな?
学校ではモテるし、街で芸能事務所にスカウトされたこともあるし、スマホアプリのイケメン診断では最高ランクのSSSを叩き出したこともあるし……。
自分の顔には自信あったはずなんだけど、いよいよデート直前になると、ちょっぴり不安になるもんだな。
「もっとメイクとかした方が良かったかなー……」
独り言を呟いたそのとき、眺めていたハンドミラーの背後に、何やら人影が……
「って神星⁉︎」
「おはよ。すごい集中して鏡見てたね。俺のこと気づかなかった?」
「っ、び、ビビったわ……」
心拍数がぎゅいんと急激に上がった。
これは、どっちかと言うと、お化け屋敷とかで驚かされたときに近い挙動だぞ……。
「ふふ、俺のためにオシャレしてくれたの?」
「な、っ、そ、そうだけど?」
恥ずかしくて爆発しそうで、ショルダーバッグの紐をぎゅっと握って目を逸らした。
「……可愛いよ、服も似合ってる」
「……!」
悩みに悩んだ夏のデートコーデ。
結局、オーバーサイズのシャツに細身のパンツ、首元にネックレスっていう、俺の中では良くも悪くも無難なメンツを選んだけど……
今、確かに神星が、似合ってるって、言ってくれた。
膨らみ続ける恋心が、レモネードに浸されたみたいにしゅわしゅわ踊る。
「あ、ありがと!悩んだ甲斐あったわ……てか!神星も!」
「ん?」
「か、神星も、かっけーよ……」
「っ、ありがと……」
俺よりずっと背が高くて、脚も長くて、タックインスタイルも似合ってる。
髪も艶があって綺麗だし、顔は安定して抜群にイケてる。
そんな、誰もが振り向く男の手を取って、俺だけ見て!ってその手を引いた。
「行こ!神星!」
「……!ああ、行こう」
◇
◇
◇
降りた駅から水族館までは、徒歩五分もかからないくらいだった。
けれど、この異常な暑さだ。
少し歩いただけで汗が噴き出してきた。
けれど、その分、館内に足を踏み入れたときの爽快感といったらもう……!
「涼し〜!」
「今日も相変わらず暑いね」
「だな、今ならイルカショーで水浴びまくってもいいかも」
ははっと笑いながら、冗談のつもりで言ったのに。
「最初から行っちゃう?イルカショー」
ふふっと微笑みながら、神星にそう提案された。
「え、マジ?神星も行きたい?」
「俺は楠木が行きたいところに行きたい」
「っ、な、なんだよそれ……」
「そのままの意味」
いつもより笑顔の糖度が高いのは、気のせいだろうか。
甘くなるほど苦しくなるのに、もっと甘いのを知りたくなる。
好きって、もしかして、本当に際限がないのかも。
イルカショーの開催される会場は、日曜日ということもあってかそれなりに混んでいた。
「どこら辺に座る?」
「レインコート買ってないし、さすがに要注意って書いてあるゾーンはやばそうだから……そこの列とかは?」
「いいね、そうしよ。ちょうど空いてるし」
「ん」
神星は当然のように俺の手を引いてリードしてくれる。
行きの電車でもそうだった。
空いてる席をすぐに見つけて、端っこに俺を座らせてくれた。
こんなの……ほんとに、彼氏みたいじゃん。
「楠木、こっち向いて」
「?」
横を見た瞬間、カシャッとシャッター音が鳴る。
「っ、おい、撮るなら言えよ!」
「自然なのがいいんだよ」
スマホ片手に満足気に笑う神星を見て、仕返しをしてやりたくなった。
油断して俺の写真を眺める横顔に手を伸ばす。
「神星」
トントン、と肩を叩いて、
「ん?」
指先がほっぺに刺さった瞬間にシャッターを押した。
「へへ、引っかかった」
「っ……」
よしよし、ちゃーんと照れている。
ほっぺツンツンの攻撃力は確かだったようだ。
「楠木」
「もう引っかからねーぞ」
「ふふ、分かってる分かってる。ただ……」
「っ!」
ぐっと肩を引き寄せられて、一気に体の距離がゼロになる。
斜め上を見れば、四角い枠の中に、照れた顔の男が二人映っている。
「一緒に撮っていい?」
「っ、うん……」
俺ってこいつの前でこんな顔してんだ⁉︎とか、この至近距離で俺の方を見て話すな!とか、甘酸っぱい気持ちがぐちゃぐちゃになって、ぎこちない笑顔しか作れない。
「はい、チーズ」
でも、そんな笑顔が写った写真の中には、今この瞬間のときめき全部を残せる気がして……
「神星、それ……あとで、写真、送ってほしい」
「……もちろん、送るよ」
ぎこちないのも、悪くないなって。
写真を撮り終えて、イルカショーが始まるアナウンスが流れても、近づいた体の距離を離すことはできなかった。
◇
◇
◇
イルカショーを観て、館内も一通り回った俺たちは、少し遅めのお昼ご飯タイムに入っていた。
「こちら、ハンバーグセットですね〜」
「「おぉ……」」
目の前に運ばれてきたのは、出来立て熱々のデミグラスハンバーグ。
これは美味しいが確定しているやつだ。
そして、セットのライスは、可愛いイルカの形に盛り付けられている……!
「これ、詩音と玲音も連れてきたら喜びそうだなぁ〜」
「弟、詩音くんと玲音くんって言うんだね」
「うん!でも、あいつらはまだお子様プレートの方かな」
「あれ?翠くんはお子様プレートじゃなくて良かったの?」
「俺はれっきとした高校せ……って、お前、今……」
数秒遅れてやって来た、特大級の胸キュン爆弾。
「はは、照れすぎだろ……翠」
「っ!待って、待って……」
ああ、もう、本当に酷いやつ。
この状況で追撃してくるなんて、正気とは思えない。
頭がおかしくなったついでに、俺のこと好きになれよバカ野郎。
「……ねぇ、そんなに照れられると、こっちまで恥ずいんだけど……」
「言われた方がやばいに決まってんだろ、一緒にすんな……」
ハンバーグを焼けそうなほどに熱いほっぺはそのままに、神星にナイフとフォークを手渡した。
「ほら、冷めないうちに食べるぞ……す、鈴斗」
「っ……いや、うん、言われた方が何倍もやばいかもな」
「だろ?」
ふん、いい気味だ。
そんなに顔赤くしてさ、ハンバーグの味も分かんなくなるんじゃないの。
「ん、美味い!」
ほら、こんなに美味しいのに。
もったいない。
「ん、ほんと、美味い」
なんだ、味覚が麻痺するほどではなかったか。
「イルカショー、見応えあったね」
「あったな〜」
「いい感じに濡れたね」
「だなー、なんか、俺が折り畳み傘忘れた日のこと思い出したわ」
二人で雨に濡れて、急遽、公園で雨宿りして、神星が寒さで震える俺にジャージかけてくれて……。
思い出そうとすれば、まだ鮮やかに蘇る、あの日ののぼせるようなときめき。
「……ねぇ、翠くん、自爆してない?顔が真っ赤だけど」
「う、うるさい……」
神星の発言を否定できないことへのこそばゆさを誤魔化したくて、セットでついてきたサラダを掻き込んだ。
案の定ちょっと咽せたら、神星にくすくす笑われた。
◇
◇
◇
昼食を終え、水族館横の遊園地に遊びに行こうと出口へ向かう途中、ふと、お土産ショップの前で足が止まる。
「楠木?」
「あ、ごめん……あのさ、ちょっと寄ってもいい?」
「ふふ、いいよ。何買いたいの?」
「えっと、なんでもいいんだけどさ、その……なんか、お揃いのもの、買いたくて!」
「……!いいな、それ」
勇気を出して言ってみたら、想像以上にいい反応が返ってきた。
心の中の小さな俺も、トランポリンでぴょんぴょん飛び跳ねてる。
「ふふ、何がいいかな」
「迷うなー。キーホルダーもいいし……あ!このステッカーも可愛くね⁉︎」
海の生き物のゆるいイラストが描かれたステッカーを見つけて、嬉しくて神星の方を見ると、
「うん、可愛い」
「ぇ、」
俺の目を見つめて微笑むから、自分が可愛いと言われている気分になるじゃないか。
「どれがいい?」
「……いるか」
ぽつりと呟くと、神星はイルカのステッカーを二つ取ってくれた。
そして、俺が少し気になると言ったキーホルダーも。
他に欲しいものはないかと尋ねられ、首を横に振ると、神星がレジに並んでお金を全部出そうとするから、慌てて止めたのに……
結局、あとで何か奢ってくれたらいいから〜とか言って、神星が払ってしまった。
買ってもらったステッカーはすぐに開けて、互いにスマホケースに挟んで、早速お揃いにした。
キーホルダーも、帰ってから学校のバッグにつけるんだ。
◇
◇
◇
遊園地では、ジェットコースターをはじめ、スリル満点のアトラクションをはしごした。
この暑さだから、さすがに途中に休憩は挟んだけど……。
神星も絶叫系が好きだったのは意外だったな。
いっぱい叫んでいっぱい笑って……ここまでテンションの高い神星を見るのは初めてだったし、俺自身もこんなにはしゃいで何かを楽しんだのは久々だった。
「はー楽しかったなー」
「今の結構怖かったな」
「それな、今日一じゃね?てか、次は何乗る?」
広げたパンフレットを眺めて、神星が一言。
「なんか、乗り尽くした感あるな」
「確かに……ってもうこんな時間なのか!まあ、たくさん乗ったもんなぁ〜」
「……そうだな」
神星は寂しそうに笑う。
急に、そんなにシュンとするなよ。
俺だって、この夢のような時間がもうすぐ終わるなんて、寂しくて寂しくて堪らないのに。
「……なぁ、神星」
「ん?」
そっと神星の腕を掴んで、その美しい顔を見上げた。
さっきアトラクションで騒いだせいか、それとも今、めちゃくちゃ緊張してるせいなのか……喉がカラカラに渇いちゃってるよ。
「せ、せっかくだからさ……観覧車、乗りたい、神星と」
「っ!」
「だ、だめ、か?」
よく神星がしている首を傾げる仕草で、返答を待つ。
お願い、神星。
いいよって言って……!
「……っ、だめ」
「はぁ⁉︎」
「それちょっと、攻撃力高すぎるから、だめ……」
「え、っと、何、観覧車は?いいの?」
「それは……もちろん」
「んだよ、紛らわしい!ショックで死ぬかと思った!」
はぁ〜と大きなため息と共に、神星の胸をポカポカ叩いてやったら、そのままぎゅっとハグされた……ハグされた⁉︎
「紛らわしくてごめんね」
「お、お前!体育祭のダンスはもう終わっただろ!ずりぃぞ!反則!」
「はは、ごめんって……よし、じゃあ、乗ろっか」
「っ……ウン」
やっぱり神星は手を引いてくれて、それ以上怒る気力が失せてしまった。
さっきより、手を握る力、強い気がするし。
「次の二名様、どうぞ〜!」
「「……!」」
少し列に並んだら、ついに俺たちの順番がやって来てしまった。
既に速い鼓動が、さらにそのスピードを上げる。
お前、まだそんなに速くなるポテンシャルあったのかよ……。
自分の心臓にツッコミを入れつつ、案内されたゴンドラにゆっくりと乗り込んだ。
……あれ、観覧車のゴンドラの中って、こんなに狭かったっけ?
これ、思った以上に、やばい、かも……。
「……楠木、ありがと」
「へ?」
向かいに座る神星は、耳こそ赤いものの、どこかしんみりとした落ち着いた雰囲気で、独り言のように呟いた。
「今日、すごく楽しかった。こんな風に友達と遊んだの……生まれて初めてだよ」
「え、う、生まれてって……そうなの?」
「うん……小中の頃は、何かを頑張るほど、周りから距離を取られることが多くて。高校生にもなると、近づいてくる人は増えたけど、今度はそこにあるのが純粋な好意かどうか怪しくなるし」
「……幼馴染とかは、いないのか?」
「特別仲のいい人はいないな……そっか、楠木は、原田くんがいるもんな……俺も、親友って呼べるような幼馴染でもいれば良かった」
「っ……!」
その悲しそうな声色と表情に、なぜか俺は苛立ってしまった。
多分、俺には原田がいるから神星はいらないって、勝手に決めつけられたような、そんな気がしたから……
それと……
「……俺がいるじゃん」
「え?」
「俺は確かに、幼馴染じゃないよ……でも!神星とまた遊びたいって思ってるし……っ、俺だって、できることなら、もっともっと早く出会えるなら、出会いたかったし!」
「っ……!」
「小学生の神星も、中学生の神星も、知らないのが悔しい……あ、よ、幼稚園も!俺なら、絶対、幼稚園のときからいっぱい遊んでたし!」
気持ちが昂って、思わず前のめりになって、気づけば神星の顔がすぐそこにあった。
「ぁ……す、座りま〜す……」
「待って」
「っ!」
腰を下ろそうとしたら、腕をギュッと掴まれる。
普段は見上げる神星の顔を、今は見下ろしているせいで、俺が上目遣い〝される側〟になっている……!
「横に座りなよ」
「え、あ……うん……」
神星の色んな顔、もう結構知ってると思ってたのに、今この瞬間、また新しい顔を見つけられたみたいだ。
甘えるような、それでいて色っぽく誘うような……磁石みたいに、抗えず惹かれてしまう。
俺の腕を掴んでいた手と、流れでなんとなく手を繋ぐ。
「……」
「……」
しばらく外の景色を眺めていたら、神星が口を開く。
「……幼馴染は、いないけど」
「……うん」
「ライバル兼親友が、今、隣にいるから」
「……!」
「もう、寂しくないな」
潤んだ瞳で笑った神星は、あまりにも美しく、愛おしかった。
その瞬間をカメラで切り取りたいくらいだった。
代わりに、自分の脳に焼きつけるように、目を逸らさなかった……いや、逸らせなかったんだ。
「神星、俺……今日のこと、一生忘れないと思う」
「はは、急になんだよ……俺もきっと、ずっと覚えてるよ」
気づけば、ゴンドラはとっくに頂上を過ぎていた。
大好きな温度を身体に染み込ませるように、繋いでいた手の指をそっと絡めて、ぎゅ、と握った。
神星の顔は見れなかったけど、まもなく、ぎゅ、と握り返された手の感触が伝わってきた。
◇
◇
◇
「じゃあ、ここで!ありがとな、こんな家の近くまで」
「ううん……また明日な、楠木」
「そうじゃん、明日会えるんだな!」
「テスト返ってくるかも」
「うわ!今それ言う?」
「まあ、追試になったらまた教えてあげる」
ちょっと生意気な微笑みさえも、今は別れるのが惜しい。
神星はそんな俺の気持ちに寄り添うかのように、優しく頭を撫でてくる。
「また明日、いつものとこで待ってるから。一緒に学校行こう」
「……うん」
コクリと頷いて、神星に手を振った。
重い足を、一歩一歩、頑張って前に進めた。
無事に玄関には辿り着いたけれど、家族に赤い顔を見られるのが恥ずかしくて、その日はしばらく扉を開けることができなかった。
待ち合わせは、俺の最寄駅。
朝から何度鏡を確認したか分からないのに、また不安になってハンドミラーを取り出してしまう。
生まれつきの茶髪。
今日に向けて、ちょっといいトリートメントでケアしてきた。
よく白いと言われる肌。
毎日の化粧水と乳液は欠かさないし、日焼けすると赤くなるから、しっかり日焼け止めも塗ってきた。
厚くも薄くもない唇。
いつもは無着色の保湿リップをつけてるけど、今日は色つきでぷるぷるにしてきた。
……俺って、かっこいい、よな?
学校ではモテるし、街で芸能事務所にスカウトされたこともあるし、スマホアプリのイケメン診断では最高ランクのSSSを叩き出したこともあるし……。
自分の顔には自信あったはずなんだけど、いよいよデート直前になると、ちょっぴり不安になるもんだな。
「もっとメイクとかした方が良かったかなー……」
独り言を呟いたそのとき、眺めていたハンドミラーの背後に、何やら人影が……
「って神星⁉︎」
「おはよ。すごい集中して鏡見てたね。俺のこと気づかなかった?」
「っ、び、ビビったわ……」
心拍数がぎゅいんと急激に上がった。
これは、どっちかと言うと、お化け屋敷とかで驚かされたときに近い挙動だぞ……。
「ふふ、俺のためにオシャレしてくれたの?」
「な、っ、そ、そうだけど?」
恥ずかしくて爆発しそうで、ショルダーバッグの紐をぎゅっと握って目を逸らした。
「……可愛いよ、服も似合ってる」
「……!」
悩みに悩んだ夏のデートコーデ。
結局、オーバーサイズのシャツに細身のパンツ、首元にネックレスっていう、俺の中では良くも悪くも無難なメンツを選んだけど……
今、確かに神星が、似合ってるって、言ってくれた。
膨らみ続ける恋心が、レモネードに浸されたみたいにしゅわしゅわ踊る。
「あ、ありがと!悩んだ甲斐あったわ……てか!神星も!」
「ん?」
「か、神星も、かっけーよ……」
「っ、ありがと……」
俺よりずっと背が高くて、脚も長くて、タックインスタイルも似合ってる。
髪も艶があって綺麗だし、顔は安定して抜群にイケてる。
そんな、誰もが振り向く男の手を取って、俺だけ見て!ってその手を引いた。
「行こ!神星!」
「……!ああ、行こう」
◇
◇
◇
降りた駅から水族館までは、徒歩五分もかからないくらいだった。
けれど、この異常な暑さだ。
少し歩いただけで汗が噴き出してきた。
けれど、その分、館内に足を踏み入れたときの爽快感といったらもう……!
「涼し〜!」
「今日も相変わらず暑いね」
「だな、今ならイルカショーで水浴びまくってもいいかも」
ははっと笑いながら、冗談のつもりで言ったのに。
「最初から行っちゃう?イルカショー」
ふふっと微笑みながら、神星にそう提案された。
「え、マジ?神星も行きたい?」
「俺は楠木が行きたいところに行きたい」
「っ、な、なんだよそれ……」
「そのままの意味」
いつもより笑顔の糖度が高いのは、気のせいだろうか。
甘くなるほど苦しくなるのに、もっと甘いのを知りたくなる。
好きって、もしかして、本当に際限がないのかも。
イルカショーの開催される会場は、日曜日ということもあってかそれなりに混んでいた。
「どこら辺に座る?」
「レインコート買ってないし、さすがに要注意って書いてあるゾーンはやばそうだから……そこの列とかは?」
「いいね、そうしよ。ちょうど空いてるし」
「ん」
神星は当然のように俺の手を引いてリードしてくれる。
行きの電車でもそうだった。
空いてる席をすぐに見つけて、端っこに俺を座らせてくれた。
こんなの……ほんとに、彼氏みたいじゃん。
「楠木、こっち向いて」
「?」
横を見た瞬間、カシャッとシャッター音が鳴る。
「っ、おい、撮るなら言えよ!」
「自然なのがいいんだよ」
スマホ片手に満足気に笑う神星を見て、仕返しをしてやりたくなった。
油断して俺の写真を眺める横顔に手を伸ばす。
「神星」
トントン、と肩を叩いて、
「ん?」
指先がほっぺに刺さった瞬間にシャッターを押した。
「へへ、引っかかった」
「っ……」
よしよし、ちゃーんと照れている。
ほっぺツンツンの攻撃力は確かだったようだ。
「楠木」
「もう引っかからねーぞ」
「ふふ、分かってる分かってる。ただ……」
「っ!」
ぐっと肩を引き寄せられて、一気に体の距離がゼロになる。
斜め上を見れば、四角い枠の中に、照れた顔の男が二人映っている。
「一緒に撮っていい?」
「っ、うん……」
俺ってこいつの前でこんな顔してんだ⁉︎とか、この至近距離で俺の方を見て話すな!とか、甘酸っぱい気持ちがぐちゃぐちゃになって、ぎこちない笑顔しか作れない。
「はい、チーズ」
でも、そんな笑顔が写った写真の中には、今この瞬間のときめき全部を残せる気がして……
「神星、それ……あとで、写真、送ってほしい」
「……もちろん、送るよ」
ぎこちないのも、悪くないなって。
写真を撮り終えて、イルカショーが始まるアナウンスが流れても、近づいた体の距離を離すことはできなかった。
◇
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イルカショーを観て、館内も一通り回った俺たちは、少し遅めのお昼ご飯タイムに入っていた。
「こちら、ハンバーグセットですね〜」
「「おぉ……」」
目の前に運ばれてきたのは、出来立て熱々のデミグラスハンバーグ。
これは美味しいが確定しているやつだ。
そして、セットのライスは、可愛いイルカの形に盛り付けられている……!
「これ、詩音と玲音も連れてきたら喜びそうだなぁ〜」
「弟、詩音くんと玲音くんって言うんだね」
「うん!でも、あいつらはまだお子様プレートの方かな」
「あれ?翠くんはお子様プレートじゃなくて良かったの?」
「俺はれっきとした高校せ……って、お前、今……」
数秒遅れてやって来た、特大級の胸キュン爆弾。
「はは、照れすぎだろ……翠」
「っ!待って、待って……」
ああ、もう、本当に酷いやつ。
この状況で追撃してくるなんて、正気とは思えない。
頭がおかしくなったついでに、俺のこと好きになれよバカ野郎。
「……ねぇ、そんなに照れられると、こっちまで恥ずいんだけど……」
「言われた方がやばいに決まってんだろ、一緒にすんな……」
ハンバーグを焼けそうなほどに熱いほっぺはそのままに、神星にナイフとフォークを手渡した。
「ほら、冷めないうちに食べるぞ……す、鈴斗」
「っ……いや、うん、言われた方が何倍もやばいかもな」
「だろ?」
ふん、いい気味だ。
そんなに顔赤くしてさ、ハンバーグの味も分かんなくなるんじゃないの。
「ん、美味い!」
ほら、こんなに美味しいのに。
もったいない。
「ん、ほんと、美味い」
なんだ、味覚が麻痺するほどではなかったか。
「イルカショー、見応えあったね」
「あったな〜」
「いい感じに濡れたね」
「だなー、なんか、俺が折り畳み傘忘れた日のこと思い出したわ」
二人で雨に濡れて、急遽、公園で雨宿りして、神星が寒さで震える俺にジャージかけてくれて……。
思い出そうとすれば、まだ鮮やかに蘇る、あの日ののぼせるようなときめき。
「……ねぇ、翠くん、自爆してない?顔が真っ赤だけど」
「う、うるさい……」
神星の発言を否定できないことへのこそばゆさを誤魔化したくて、セットでついてきたサラダを掻き込んだ。
案の定ちょっと咽せたら、神星にくすくす笑われた。
◇
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昼食を終え、水族館横の遊園地に遊びに行こうと出口へ向かう途中、ふと、お土産ショップの前で足が止まる。
「楠木?」
「あ、ごめん……あのさ、ちょっと寄ってもいい?」
「ふふ、いいよ。何買いたいの?」
「えっと、なんでもいいんだけどさ、その……なんか、お揃いのもの、買いたくて!」
「……!いいな、それ」
勇気を出して言ってみたら、想像以上にいい反応が返ってきた。
心の中の小さな俺も、トランポリンでぴょんぴょん飛び跳ねてる。
「ふふ、何がいいかな」
「迷うなー。キーホルダーもいいし……あ!このステッカーも可愛くね⁉︎」
海の生き物のゆるいイラストが描かれたステッカーを見つけて、嬉しくて神星の方を見ると、
「うん、可愛い」
「ぇ、」
俺の目を見つめて微笑むから、自分が可愛いと言われている気分になるじゃないか。
「どれがいい?」
「……いるか」
ぽつりと呟くと、神星はイルカのステッカーを二つ取ってくれた。
そして、俺が少し気になると言ったキーホルダーも。
他に欲しいものはないかと尋ねられ、首を横に振ると、神星がレジに並んでお金を全部出そうとするから、慌てて止めたのに……
結局、あとで何か奢ってくれたらいいから〜とか言って、神星が払ってしまった。
買ってもらったステッカーはすぐに開けて、互いにスマホケースに挟んで、早速お揃いにした。
キーホルダーも、帰ってから学校のバッグにつけるんだ。
◇
◇
◇
遊園地では、ジェットコースターをはじめ、スリル満点のアトラクションをはしごした。
この暑さだから、さすがに途中に休憩は挟んだけど……。
神星も絶叫系が好きだったのは意外だったな。
いっぱい叫んでいっぱい笑って……ここまでテンションの高い神星を見るのは初めてだったし、俺自身もこんなにはしゃいで何かを楽しんだのは久々だった。
「はー楽しかったなー」
「今の結構怖かったな」
「それな、今日一じゃね?てか、次は何乗る?」
広げたパンフレットを眺めて、神星が一言。
「なんか、乗り尽くした感あるな」
「確かに……ってもうこんな時間なのか!まあ、たくさん乗ったもんなぁ〜」
「……そうだな」
神星は寂しそうに笑う。
急に、そんなにシュンとするなよ。
俺だって、この夢のような時間がもうすぐ終わるなんて、寂しくて寂しくて堪らないのに。
「……なぁ、神星」
「ん?」
そっと神星の腕を掴んで、その美しい顔を見上げた。
さっきアトラクションで騒いだせいか、それとも今、めちゃくちゃ緊張してるせいなのか……喉がカラカラに渇いちゃってるよ。
「せ、せっかくだからさ……観覧車、乗りたい、神星と」
「っ!」
「だ、だめ、か?」
よく神星がしている首を傾げる仕草で、返答を待つ。
お願い、神星。
いいよって言って……!
「……っ、だめ」
「はぁ⁉︎」
「それちょっと、攻撃力高すぎるから、だめ……」
「え、っと、何、観覧車は?いいの?」
「それは……もちろん」
「んだよ、紛らわしい!ショックで死ぬかと思った!」
はぁ〜と大きなため息と共に、神星の胸をポカポカ叩いてやったら、そのままぎゅっとハグされた……ハグされた⁉︎
「紛らわしくてごめんね」
「お、お前!体育祭のダンスはもう終わっただろ!ずりぃぞ!反則!」
「はは、ごめんって……よし、じゃあ、乗ろっか」
「っ……ウン」
やっぱり神星は手を引いてくれて、それ以上怒る気力が失せてしまった。
さっきより、手を握る力、強い気がするし。
「次の二名様、どうぞ〜!」
「「……!」」
少し列に並んだら、ついに俺たちの順番がやって来てしまった。
既に速い鼓動が、さらにそのスピードを上げる。
お前、まだそんなに速くなるポテンシャルあったのかよ……。
自分の心臓にツッコミを入れつつ、案内されたゴンドラにゆっくりと乗り込んだ。
……あれ、観覧車のゴンドラの中って、こんなに狭かったっけ?
これ、思った以上に、やばい、かも……。
「……楠木、ありがと」
「へ?」
向かいに座る神星は、耳こそ赤いものの、どこかしんみりとした落ち着いた雰囲気で、独り言のように呟いた。
「今日、すごく楽しかった。こんな風に友達と遊んだの……生まれて初めてだよ」
「え、う、生まれてって……そうなの?」
「うん……小中の頃は、何かを頑張るほど、周りから距離を取られることが多くて。高校生にもなると、近づいてくる人は増えたけど、今度はそこにあるのが純粋な好意かどうか怪しくなるし」
「……幼馴染とかは、いないのか?」
「特別仲のいい人はいないな……そっか、楠木は、原田くんがいるもんな……俺も、親友って呼べるような幼馴染でもいれば良かった」
「っ……!」
その悲しそうな声色と表情に、なぜか俺は苛立ってしまった。
多分、俺には原田がいるから神星はいらないって、勝手に決めつけられたような、そんな気がしたから……
それと……
「……俺がいるじゃん」
「え?」
「俺は確かに、幼馴染じゃないよ……でも!神星とまた遊びたいって思ってるし……っ、俺だって、できることなら、もっともっと早く出会えるなら、出会いたかったし!」
「っ……!」
「小学生の神星も、中学生の神星も、知らないのが悔しい……あ、よ、幼稚園も!俺なら、絶対、幼稚園のときからいっぱい遊んでたし!」
気持ちが昂って、思わず前のめりになって、気づけば神星の顔がすぐそこにあった。
「ぁ……す、座りま〜す……」
「待って」
「っ!」
腰を下ろそうとしたら、腕をギュッと掴まれる。
普段は見上げる神星の顔を、今は見下ろしているせいで、俺が上目遣い〝される側〟になっている……!
「横に座りなよ」
「え、あ……うん……」
神星の色んな顔、もう結構知ってると思ってたのに、今この瞬間、また新しい顔を見つけられたみたいだ。
甘えるような、それでいて色っぽく誘うような……磁石みたいに、抗えず惹かれてしまう。
俺の腕を掴んでいた手と、流れでなんとなく手を繋ぐ。
「……」
「……」
しばらく外の景色を眺めていたら、神星が口を開く。
「……幼馴染は、いないけど」
「……うん」
「ライバル兼親友が、今、隣にいるから」
「……!」
「もう、寂しくないな」
潤んだ瞳で笑った神星は、あまりにも美しく、愛おしかった。
その瞬間をカメラで切り取りたいくらいだった。
代わりに、自分の脳に焼きつけるように、目を逸らさなかった……いや、逸らせなかったんだ。
「神星、俺……今日のこと、一生忘れないと思う」
「はは、急になんだよ……俺もきっと、ずっと覚えてるよ」
気づけば、ゴンドラはとっくに頂上を過ぎていた。
大好きな温度を身体に染み込ませるように、繋いでいた手の指をそっと絡めて、ぎゅ、と握った。
神星の顔は見れなかったけど、まもなく、ぎゅ、と握り返された手の感触が伝わってきた。
◇
◇
◇
「じゃあ、ここで!ありがとな、こんな家の近くまで」
「ううん……また明日な、楠木」
「そうじゃん、明日会えるんだな!」
「テスト返ってくるかも」
「うわ!今それ言う?」
「まあ、追試になったらまた教えてあげる」
ちょっと生意気な微笑みさえも、今は別れるのが惜しい。
神星はそんな俺の気持ちに寄り添うかのように、優しく頭を撫でてくる。
「また明日、いつものとこで待ってるから。一緒に学校行こう」
「……うん」
コクリと頷いて、神星に手を振った。
重い足を、一歩一歩、頑張って前に進めた。
無事に玄関には辿り着いたけれど、家族に赤い顔を見られるのが恥ずかしくて、その日はしばらく扉を開けることができなかった。



