期末テスト最終日。
季節がすっかり夏に移り変わったせいで、朝から外は蒸し暑い。
そんな中でも毎日、衰えない爽やかさを纏うのは―――
「楠木、おはよ」
「神星!おはよ!」
神星鈴斗。
俺の最強のライバルで、最高に好きな人。
「やーっと終わるぜ期末テスト!」
「はは、最終日に近づくにつれて、分かりやすく元気になってるよ」
「そりゃーそうだろ。テスト週間長すぎるんだよ!俺なんて問題集のページを捲る度に絶望すんのに、酷だよなぁ」
「でも、赤点は回避できそうでしょ、俺のおかげで」
「自分で言うかよ。でもその通りですあざっす!」
ここ二週間弱は、ずっとテストの話しかしてない。
数学の公式が覚えられないだとか、英語の文法が意味不明だとか、俺がグチグチとキレ気味で溢す泣き言を、神星は笑いながら聞いてくれる。
そのうえ、バカな俺でも分かるように、簡単に分かりやすく説明もしてくれてさ。
おかげで今回のテストは、いつもより正答率が上がっている感覚がする。
……これで赤点だったら神星に合わせる顔ないけど。
「で、単語は覚えられたの?」
「単語な!そう、聞いてくれ、マジで頑張ったんだよ」
教室に入り、自分の席にはバッグだけ置いて、神星の席で単語帳を広げる。
「昨日、ラストスパートめっちゃ頑張ってさ、そんで、」
俺の話聞いてくれてるかなって思って、油断して神星に視線を移して、ズキュンと心臓を射抜かれた。
「ん?」
シャツを胸元でパタパタとさせながら、ハンディファンで汗ばんだ首筋に風を送って、甘やかに首を傾げる。
眩しい夏色の艶にあてられて、醒めない熱が出てしまいそうだ。
「楠木?」
「ぁ、っ、単語、こっからここまでは全部覚えたんだよ、すごくね?」
「へぇ、じゃあ問題出してあげるよ」
その後、神星は容赦なく高難度な抜き打ちテストを実施。
俺が必死に喰らいついたら、神星は少し驚いてた。
単語のクイズをするだけで、こんなにも楽しくて幸せでいっぱいになるなんて、やっぱり恋ってとんでもない。
神星と一緒なら、話題も場所も、なんだっていいと思えちゃうんだ。
◇
◇
◇
最終科目、数学IIのテストをなんとかやり切り、解答用紙の回収が終わったら、一目散に神星の席に駆け寄った。
「か〜み〜ほ〜し〜ぃ」
「おつかれ、やっと終わったね」
「問題2の答え何になった……」
「m = -2だな」
「マジ⁉︎ っしゃ〜合ってた!」
「いや俺が合ってる前提じゃん」
「合ってるだろ」
神星は自信の滲み出る表情で「まあ合ってると思うけど……」と溢した後、「あっ」と何か思い出したように俺を見る。
もしかして、と期待したけれど、
「今日、やっぱり部活あるって。だから一緒に帰れない」
神星の口から出たのはそれだけ。
「そっかー……テスト明けの部活ってキツそうだよな、頑張れよ!」
シュンとした心を隠すように、バシッと神星の背中を叩いた。
神星は「痛いなぁ」と言いつつ、もう慣れた手つきで俺の頭をくしゃっと撫でてくる。
俺は、撫でられるの全然慣れてないのに。
「明日は部活休みだから、一緒に帰ろうな」
「ん……」
前の俺だったら、「寂しくねぇし」とか言って、噛みついてたと思うけど……。
昨日寝る前に見たサイトに、素直な方がキュンとくるって書いてあったから……っていう単純すぎる理由。
自分の気持ちが自然と動く方へ行動して、神星をキュンとさせたいって思ったんだ。
◇
◇
◇
「――っていう感じで。ねぇどう思う?これってやっぱりなかったことになってる?」
「神星くんに限ってそんなことないと思うけど」
「だよなぁ?でも、全然その話題出ないんだぜ……」
放課後、バイトがない俺は、学校の近くのファストフード店で原田にお悩み相談をしていた。
内容は、もちろん神星のこと。
「はぁ……水族館のチケット渡してくれたの、幻覚だったって言うのかよ……」
「いや幻覚じゃないでしょ、今あなた持ってるんだから」
そう、水族館のチケットは確かに今、俺の手にある。
体育祭の後、二人で歩いた帰り道で、神星がデート(仮)に誘ってくれたときのこと……
風の匂いまで覚えてるんだ、幻だったはずがない。
「テスト終わったら行こうって感じだったんでしょ?それなら、明日にでも何か話してくるんじゃないかな」
「……それならいいけどさぁ」
でも、この二週間弱、デート(仮)の話題は一度も出なかった。
ちょっと不安になっちゃっても、仕方ないと思うんだ。
「ていうか、自分から話題出せばいいのに」
「だって、そんなの、俺ばっかり必死で、楽しみにしてるって感じじゃん……」
「そんなことないと思うけど……でも、向こうは誘ってくれたんだから。一番大きな勇気がいることやってもらって、まだ向こうにアクションさせようとしてるの?それに、片想いしちゃった方が必死になるのは当然。必死になれないくらいなら、諦めた方が自分のためにもいいよ」
「うっ……」
さすが幼馴染。
しっかり痛いところを突いてくる。
いやもうグサグサ刺されてる気分。
「……って、待て待て待て、片想いって何?」
原田は今しがた、はっきりと「片想い」というワードを口にした。
それはつまり、俺の神星への気持ちに気づいているのか?
「なんで気づいてるのって顔してるね」
「っ!」
「翠は恋愛経験ゼロだから分からないのかもしれないけど、客観的に見たらバレバレだよ〜」
「ば、バレバレ⁉︎そんなに⁉︎」
「そんなに」
「そ、そう……」
ボワっと火が出たように顔が熱くなる。
好きって気持ちがひとりでに表に出ることが、こんなにも恥ずかしいなんて。
「え、じゃあ、神星にもバレてるってこと……?」
そうだとしたら、色々と話が変わってくる。
「俺が神星を好き」という前提条件が入ってしまえば、互いの言動が持つ意味が、真逆になってしまうこともある。
「神星くんはどうかな。彼は当事者側だからね。客観的には見れないよ」
「なるほど……」
「あれ、ミスターコンはどうすんの?出るのやめる?」
「絶対やめない!優勝する!」
「なんで?」
「だ、だって……優勝したら、自信持って神星に気持ち伝えられると思うし……神星も俺のこと認める気になるかなって」
「……へぇ……」
「な、なんだよ!」
「んや、恋する翠ってこんな感じなんだ〜って。新鮮で面白いよ」
人が真剣に悩んでいるのに、面白いだなんて酷いじゃないか!と怒りたくなったけど、原田のおかげで俺のメンタルヘルスが良好な状態に保たれているのも事実。
ここは、相殺されたと考えてやろう。
「てか、そろそろ部活終わる時間じゃない?ちょうどいいじゃん、迎えに行きなよ」
「え、もうそんな時間……って迎えに行く⁉︎わざわざ学校に⁉︎︎そ、そんなの、か、カップルみたいじゃねぇか……」
「友達でもそのくらいするし、いずれはカップルになりたいんでしょ?そのくらい頑張れよー」
原田に圧をかけられるまま、俺はソワソワしながら学校まで戻り、校門のところで神星を待つ。
思えば、部活が終わる時間帯の学校の様子をこうして眺めるのは、初めてかもしれない。
「あ、神星……」
遠くの体育館から、神星が出てくるのが見える。
同じバスケ部の男子数人と固まって歩いていて、少し距離の離れたところから女子がその様子を観察しているのが分かる。
ズキン。
胸のあたりが痛む。
神星、楽しそう。
前より、笑顔の彩度が上がったような。
部活の友達にも、あんなに笑いかけるんだ。
……いや、そりゃそうだよな。
朝は一緒に登校して、昼間は同じ教室で授業を受けて、常に近くにいるけれど。
放課後とか休日とか、俺と離れている時間だってたくさんあって、そのとき神星は他の人と過ごしているわけで。
俺の知らない神星を知っているやつがいるわけで。
そんな当たり前のことですら……こんなに胸を苦しくさせちゃうんだな。
「……帰ろうかな」
待ってたら喜んでもらえるかも、なんて、ほんの少しでも思えていたのは、俺が神星の一部しか知らなかったからだ。
部活終わりはそのテンションのまま、部活のメンバーと楽しく話して帰りたいだろ。
全然おかしなことじゃないよ、ごく自然なことだ。
自分で自分に言い聞かせながら、校門へ向かってくる神星に背を向けた。
こういうときこそ、俺の駿足の出番だな!
全速力で走ったら、気分もカラッと晴れるかもしれな――
「楠木!」
「っ!」
まさに今から駆け出そうというとき、神星の声が背中にぶつかった。
ぐるんと勢いよく振り向いて、ばきゅん!とハートが撃ち抜かれた。
「か、神星……」
だって、だってだって!
神星、すっげー嬉しそうに笑ってんだもん。
ぱあっと向日葵が咲いたみたいに、笑ってんだもん。
こんなの見たら、やっぱり俺が一番特別なのかなって思っちゃうだろバカ。
「なんでいるの?ビックリした!」
「さ、さっきまで原田とポテト食ってて、ちょうど部活終わる時間だったから……来た……」
「……俺のこと、迎えに来てくれたんだ?」
ああ、もう、ダメだ。
こいつとの勝負、ほんとにハードモードすぎる。
ふわりきらりと微笑まれただけで、キュンキュンが溢れ出して止まらない。
対して今の俺の武器は、素直になることだけ。
「……そうだよ。神星のこと、待ってた」
「……!」
「け、けど、部活の友達はいいのかよ」
「みんな逆方向だから。それに……楠木がいるなら、楠木と帰るに決まってるよ」
「そ、そう?」
「あ、照れてる」
「っ……」
今の俺は、照れてないと言った瞬間、それが嘘だとバレる顔の色をしてると思う。
熱くて熱くてたまらない顔を晒すのはどうしたって恥ずかしいけど、横を歩く神星の機嫌良さそうな顔を見たら、この胸のむず痒さだって愛しくなる。
「……あ、あのさ」
「ん?」
だから!
ん?って優しく首傾げる仕草、弱いからダメだって!
……という叫びは、ぐっと堪えて。
「体育祭の後、誘ってくれたじゃん、水族館……あ、あれ、いつにする?」
言ってしまった……!
この後の返答によっては、俺は山に篭り、悟りを開かなければならない。
「楠木」
「っ!」
神星は、俯きながら返答を待っていた俺の前に立って、さらりと髪を耳にかけてくる。
チラリと視線を上げると、
「俺も同じこと話そうと思ってた」
そう言ってこちらを愛おしそうに見つめる神星がいた。
愛おしそうに、というのは、俺の自惚れかもしれないけど。
でも、きっと少しくらい自惚れてなきゃ、恋なんて進められないだろ?
「お、俺は……」
神星の胸元をきゅ、と掴んだ。
手のひらに、神星の鼓動が伝わってくる。
なんだよ……お前も、ちゃんと、速いじゃん。
「今週の日曜とか、空いてる、けど……」
「……!」
何度も使った常套手段、上目遣いで神星を見つめる。
俺と同じくらいドキドキして、熱くなって、そのまま恋の沼に落ちてしまえ。
抜け出せないくらい、深くまで。
「……俺も、空いてる。行こっか、日曜」
「っ……!」
「いっぱいドキドキさせてね?」
「か、神星こそ……せいぜい頑張れよ」
いや頑張らんでいい!!
もう何もしなくても俺はお前にときめいてるから!!
とは、言えるはずもないが……。
何はともあれ、水族館デート(仮)の話は健在だった!
そして日程も決めることに成功!
テストも終わったし、気分は最高だ!
◇
◇
◇
神星との約束に浮かれて、鼻歌を歌いながら皿洗いをしていると、浴室へ向かおうとしていた弟たちにじっと見つめられる。
「お母さん、兄ちゃんがニヤニヤしてるー」
「っ!」
「いいことあったのかな」
「ねー、お兄ちゃん楽しそうねぇ」
洗濯物を畳む母さんまでそんなことを言うから、途端に顔の筋肉の動かし方が分からなくなった。
「あはは、兄ちゃん変な顔〜」
「お風呂行ってきまーす」
「い、いってらっしゃい……」
弟たちに無駄に変顔を披露した俺は、皿洗いを終えて、母さんの横に座ってふわふわの洗濯物に手を伸ばす。
「ふふ、翠、何かいいことあったの?」
「た、大したことじゃないけど……」
「もしかして、神星くん?」
「っ⁉︎な、なんで」
母さんはエスパーなのだろうか。
今日も相変わらず、穏やかな顔でドキッとするような鋭い予想をしてくる。
「体育祭のとき、すっごく仲良さそうだったから」
「ま、まあ、うん……今週末、遊び行こうって話してて」
「あら!いいねぇ、気をつけて行ってきてね」
「うん……」
期待に胸を膨らませ、ほわほわとしていた俺は、次の瞬間、母さんの一言でハッとする。
「そうだ、服は何着てくの?」
「……服……」
そうだ、俺にはまだまだ考えなければならないことが!
星の数ほど!……はないけど、好きな人と初めてのデート(仮)となれば、とびっきりオシャレしていきたいから、事前に検討に検討を重ねなければ……!
洗濯物を畳み終えた俺は、すぐさま自分の部屋に向かい、クローゼットを勢いよく開ける。
「どんな服が好きなんだろ……」
爽やかな感じ?カジュアル系?それとも結構キレイめ?
色は?何色が好きなんだ?
「分かんねー……」
分かんないけど、迷うのも楽しいな。
神星の笑った顔が見たい。
神星をドキドキさせたい。
神星にかっこいいって言われたい。
俺の頭の中、神星でいっぱいだ。
コーデの候補をいくつか決めた頃、ピコン、とスマホに通知が入る。
「っ!神星!」
神星を想ってあれこれ考えていたときに、その神星から連絡が来るなんて。
離れていても、心が繋がってるみたい。
『日曜、水族館の他に行きたいとこある?』
『したいこととか、食べたいものとか、なんでも言って』
ぼふっとベッドにダイブして、枕に顔を埋めた。
バタバタと足を動かしても、全身を甘く巡るときめきを発散しきれない。
「……行きたいとこ……したいこと……食べたいもの……」
しばらくベッドでうつ伏せになったまま、神星のメッセージを噛み締める。
そして、ゆっくり起き上がって、机に向かった。
広げるのは問題集じゃなくて、宣戦布告の日に作った作戦ノート。
まさか、神星と恋人になるために奮闘することになるなんて、あの日の俺は微塵も思ってなかったけど。
『神星としたいこと』
文字に書き起こすと、頭で思うより何倍も照れてしまう。
でも、神星としたいこと、ほんの少しだって取りこぼしたくない。
『イルカショーを見る』
『おそろいのもの買う』
『観覧車に乗る』
『ツーショット撮る』
『手繋ぐ』
「きす……って!バカじゃねーの⁉︎」
流れでぶっ飛んだことを書こうとしていた自分のほっぺをバチン!とぶっ叩く。
肌はヒリヒリして、手のひらはジンジンした。
「……そりゃ、いつかは……してみたい、けど……」
けど、その前に、神星に告白させなきゃ。
その前に、好きになってもらわなきゃ。
そのために、初めての休日デート(仮)で、たくさんドキドキさせてやる。
季節がすっかり夏に移り変わったせいで、朝から外は蒸し暑い。
そんな中でも毎日、衰えない爽やかさを纏うのは―――
「楠木、おはよ」
「神星!おはよ!」
神星鈴斗。
俺の最強のライバルで、最高に好きな人。
「やーっと終わるぜ期末テスト!」
「はは、最終日に近づくにつれて、分かりやすく元気になってるよ」
「そりゃーそうだろ。テスト週間長すぎるんだよ!俺なんて問題集のページを捲る度に絶望すんのに、酷だよなぁ」
「でも、赤点は回避できそうでしょ、俺のおかげで」
「自分で言うかよ。でもその通りですあざっす!」
ここ二週間弱は、ずっとテストの話しかしてない。
数学の公式が覚えられないだとか、英語の文法が意味不明だとか、俺がグチグチとキレ気味で溢す泣き言を、神星は笑いながら聞いてくれる。
そのうえ、バカな俺でも分かるように、簡単に分かりやすく説明もしてくれてさ。
おかげで今回のテストは、いつもより正答率が上がっている感覚がする。
……これで赤点だったら神星に合わせる顔ないけど。
「で、単語は覚えられたの?」
「単語な!そう、聞いてくれ、マジで頑張ったんだよ」
教室に入り、自分の席にはバッグだけ置いて、神星の席で単語帳を広げる。
「昨日、ラストスパートめっちゃ頑張ってさ、そんで、」
俺の話聞いてくれてるかなって思って、油断して神星に視線を移して、ズキュンと心臓を射抜かれた。
「ん?」
シャツを胸元でパタパタとさせながら、ハンディファンで汗ばんだ首筋に風を送って、甘やかに首を傾げる。
眩しい夏色の艶にあてられて、醒めない熱が出てしまいそうだ。
「楠木?」
「ぁ、っ、単語、こっからここまでは全部覚えたんだよ、すごくね?」
「へぇ、じゃあ問題出してあげるよ」
その後、神星は容赦なく高難度な抜き打ちテストを実施。
俺が必死に喰らいついたら、神星は少し驚いてた。
単語のクイズをするだけで、こんなにも楽しくて幸せでいっぱいになるなんて、やっぱり恋ってとんでもない。
神星と一緒なら、話題も場所も、なんだっていいと思えちゃうんだ。
◇
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最終科目、数学IIのテストをなんとかやり切り、解答用紙の回収が終わったら、一目散に神星の席に駆け寄った。
「か〜み〜ほ〜し〜ぃ」
「おつかれ、やっと終わったね」
「問題2の答え何になった……」
「m = -2だな」
「マジ⁉︎ っしゃ〜合ってた!」
「いや俺が合ってる前提じゃん」
「合ってるだろ」
神星は自信の滲み出る表情で「まあ合ってると思うけど……」と溢した後、「あっ」と何か思い出したように俺を見る。
もしかして、と期待したけれど、
「今日、やっぱり部活あるって。だから一緒に帰れない」
神星の口から出たのはそれだけ。
「そっかー……テスト明けの部活ってキツそうだよな、頑張れよ!」
シュンとした心を隠すように、バシッと神星の背中を叩いた。
神星は「痛いなぁ」と言いつつ、もう慣れた手つきで俺の頭をくしゃっと撫でてくる。
俺は、撫でられるの全然慣れてないのに。
「明日は部活休みだから、一緒に帰ろうな」
「ん……」
前の俺だったら、「寂しくねぇし」とか言って、噛みついてたと思うけど……。
昨日寝る前に見たサイトに、素直な方がキュンとくるって書いてあったから……っていう単純すぎる理由。
自分の気持ちが自然と動く方へ行動して、神星をキュンとさせたいって思ったんだ。
◇
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「――っていう感じで。ねぇどう思う?これってやっぱりなかったことになってる?」
「神星くんに限ってそんなことないと思うけど」
「だよなぁ?でも、全然その話題出ないんだぜ……」
放課後、バイトがない俺は、学校の近くのファストフード店で原田にお悩み相談をしていた。
内容は、もちろん神星のこと。
「はぁ……水族館のチケット渡してくれたの、幻覚だったって言うのかよ……」
「いや幻覚じゃないでしょ、今あなた持ってるんだから」
そう、水族館のチケットは確かに今、俺の手にある。
体育祭の後、二人で歩いた帰り道で、神星がデート(仮)に誘ってくれたときのこと……
風の匂いまで覚えてるんだ、幻だったはずがない。
「テスト終わったら行こうって感じだったんでしょ?それなら、明日にでも何か話してくるんじゃないかな」
「……それならいいけどさぁ」
でも、この二週間弱、デート(仮)の話題は一度も出なかった。
ちょっと不安になっちゃっても、仕方ないと思うんだ。
「ていうか、自分から話題出せばいいのに」
「だって、そんなの、俺ばっかり必死で、楽しみにしてるって感じじゃん……」
「そんなことないと思うけど……でも、向こうは誘ってくれたんだから。一番大きな勇気がいることやってもらって、まだ向こうにアクションさせようとしてるの?それに、片想いしちゃった方が必死になるのは当然。必死になれないくらいなら、諦めた方が自分のためにもいいよ」
「うっ……」
さすが幼馴染。
しっかり痛いところを突いてくる。
いやもうグサグサ刺されてる気分。
「……って、待て待て待て、片想いって何?」
原田は今しがた、はっきりと「片想い」というワードを口にした。
それはつまり、俺の神星への気持ちに気づいているのか?
「なんで気づいてるのって顔してるね」
「っ!」
「翠は恋愛経験ゼロだから分からないのかもしれないけど、客観的に見たらバレバレだよ〜」
「ば、バレバレ⁉︎そんなに⁉︎」
「そんなに」
「そ、そう……」
ボワっと火が出たように顔が熱くなる。
好きって気持ちがひとりでに表に出ることが、こんなにも恥ずかしいなんて。
「え、じゃあ、神星にもバレてるってこと……?」
そうだとしたら、色々と話が変わってくる。
「俺が神星を好き」という前提条件が入ってしまえば、互いの言動が持つ意味が、真逆になってしまうこともある。
「神星くんはどうかな。彼は当事者側だからね。客観的には見れないよ」
「なるほど……」
「あれ、ミスターコンはどうすんの?出るのやめる?」
「絶対やめない!優勝する!」
「なんで?」
「だ、だって……優勝したら、自信持って神星に気持ち伝えられると思うし……神星も俺のこと認める気になるかなって」
「……へぇ……」
「な、なんだよ!」
「んや、恋する翠ってこんな感じなんだ〜って。新鮮で面白いよ」
人が真剣に悩んでいるのに、面白いだなんて酷いじゃないか!と怒りたくなったけど、原田のおかげで俺のメンタルヘルスが良好な状態に保たれているのも事実。
ここは、相殺されたと考えてやろう。
「てか、そろそろ部活終わる時間じゃない?ちょうどいいじゃん、迎えに行きなよ」
「え、もうそんな時間……って迎えに行く⁉︎わざわざ学校に⁉︎︎そ、そんなの、か、カップルみたいじゃねぇか……」
「友達でもそのくらいするし、いずれはカップルになりたいんでしょ?そのくらい頑張れよー」
原田に圧をかけられるまま、俺はソワソワしながら学校まで戻り、校門のところで神星を待つ。
思えば、部活が終わる時間帯の学校の様子をこうして眺めるのは、初めてかもしれない。
「あ、神星……」
遠くの体育館から、神星が出てくるのが見える。
同じバスケ部の男子数人と固まって歩いていて、少し距離の離れたところから女子がその様子を観察しているのが分かる。
ズキン。
胸のあたりが痛む。
神星、楽しそう。
前より、笑顔の彩度が上がったような。
部活の友達にも、あんなに笑いかけるんだ。
……いや、そりゃそうだよな。
朝は一緒に登校して、昼間は同じ教室で授業を受けて、常に近くにいるけれど。
放課後とか休日とか、俺と離れている時間だってたくさんあって、そのとき神星は他の人と過ごしているわけで。
俺の知らない神星を知っているやつがいるわけで。
そんな当たり前のことですら……こんなに胸を苦しくさせちゃうんだな。
「……帰ろうかな」
待ってたら喜んでもらえるかも、なんて、ほんの少しでも思えていたのは、俺が神星の一部しか知らなかったからだ。
部活終わりはそのテンションのまま、部活のメンバーと楽しく話して帰りたいだろ。
全然おかしなことじゃないよ、ごく自然なことだ。
自分で自分に言い聞かせながら、校門へ向かってくる神星に背を向けた。
こういうときこそ、俺の駿足の出番だな!
全速力で走ったら、気分もカラッと晴れるかもしれな――
「楠木!」
「っ!」
まさに今から駆け出そうというとき、神星の声が背中にぶつかった。
ぐるんと勢いよく振り向いて、ばきゅん!とハートが撃ち抜かれた。
「か、神星……」
だって、だってだって!
神星、すっげー嬉しそうに笑ってんだもん。
ぱあっと向日葵が咲いたみたいに、笑ってんだもん。
こんなの見たら、やっぱり俺が一番特別なのかなって思っちゃうだろバカ。
「なんでいるの?ビックリした!」
「さ、さっきまで原田とポテト食ってて、ちょうど部活終わる時間だったから……来た……」
「……俺のこと、迎えに来てくれたんだ?」
ああ、もう、ダメだ。
こいつとの勝負、ほんとにハードモードすぎる。
ふわりきらりと微笑まれただけで、キュンキュンが溢れ出して止まらない。
対して今の俺の武器は、素直になることだけ。
「……そうだよ。神星のこと、待ってた」
「……!」
「け、けど、部活の友達はいいのかよ」
「みんな逆方向だから。それに……楠木がいるなら、楠木と帰るに決まってるよ」
「そ、そう?」
「あ、照れてる」
「っ……」
今の俺は、照れてないと言った瞬間、それが嘘だとバレる顔の色をしてると思う。
熱くて熱くてたまらない顔を晒すのはどうしたって恥ずかしいけど、横を歩く神星の機嫌良さそうな顔を見たら、この胸のむず痒さだって愛しくなる。
「……あ、あのさ」
「ん?」
だから!
ん?って優しく首傾げる仕草、弱いからダメだって!
……という叫びは、ぐっと堪えて。
「体育祭の後、誘ってくれたじゃん、水族館……あ、あれ、いつにする?」
言ってしまった……!
この後の返答によっては、俺は山に篭り、悟りを開かなければならない。
「楠木」
「っ!」
神星は、俯きながら返答を待っていた俺の前に立って、さらりと髪を耳にかけてくる。
チラリと視線を上げると、
「俺も同じこと話そうと思ってた」
そう言ってこちらを愛おしそうに見つめる神星がいた。
愛おしそうに、というのは、俺の自惚れかもしれないけど。
でも、きっと少しくらい自惚れてなきゃ、恋なんて進められないだろ?
「お、俺は……」
神星の胸元をきゅ、と掴んだ。
手のひらに、神星の鼓動が伝わってくる。
なんだよ……お前も、ちゃんと、速いじゃん。
「今週の日曜とか、空いてる、けど……」
「……!」
何度も使った常套手段、上目遣いで神星を見つめる。
俺と同じくらいドキドキして、熱くなって、そのまま恋の沼に落ちてしまえ。
抜け出せないくらい、深くまで。
「……俺も、空いてる。行こっか、日曜」
「っ……!」
「いっぱいドキドキさせてね?」
「か、神星こそ……せいぜい頑張れよ」
いや頑張らんでいい!!
もう何もしなくても俺はお前にときめいてるから!!
とは、言えるはずもないが……。
何はともあれ、水族館デート(仮)の話は健在だった!
そして日程も決めることに成功!
テストも終わったし、気分は最高だ!
◇
◇
◇
神星との約束に浮かれて、鼻歌を歌いながら皿洗いをしていると、浴室へ向かおうとしていた弟たちにじっと見つめられる。
「お母さん、兄ちゃんがニヤニヤしてるー」
「っ!」
「いいことあったのかな」
「ねー、お兄ちゃん楽しそうねぇ」
洗濯物を畳む母さんまでそんなことを言うから、途端に顔の筋肉の動かし方が分からなくなった。
「あはは、兄ちゃん変な顔〜」
「お風呂行ってきまーす」
「い、いってらっしゃい……」
弟たちに無駄に変顔を披露した俺は、皿洗いを終えて、母さんの横に座ってふわふわの洗濯物に手を伸ばす。
「ふふ、翠、何かいいことあったの?」
「た、大したことじゃないけど……」
「もしかして、神星くん?」
「っ⁉︎な、なんで」
母さんはエスパーなのだろうか。
今日も相変わらず、穏やかな顔でドキッとするような鋭い予想をしてくる。
「体育祭のとき、すっごく仲良さそうだったから」
「ま、まあ、うん……今週末、遊び行こうって話してて」
「あら!いいねぇ、気をつけて行ってきてね」
「うん……」
期待に胸を膨らませ、ほわほわとしていた俺は、次の瞬間、母さんの一言でハッとする。
「そうだ、服は何着てくの?」
「……服……」
そうだ、俺にはまだまだ考えなければならないことが!
星の数ほど!……はないけど、好きな人と初めてのデート(仮)となれば、とびっきりオシャレしていきたいから、事前に検討に検討を重ねなければ……!
洗濯物を畳み終えた俺は、すぐさま自分の部屋に向かい、クローゼットを勢いよく開ける。
「どんな服が好きなんだろ……」
爽やかな感じ?カジュアル系?それとも結構キレイめ?
色は?何色が好きなんだ?
「分かんねー……」
分かんないけど、迷うのも楽しいな。
神星の笑った顔が見たい。
神星をドキドキさせたい。
神星にかっこいいって言われたい。
俺の頭の中、神星でいっぱいだ。
コーデの候補をいくつか決めた頃、ピコン、とスマホに通知が入る。
「っ!神星!」
神星を想ってあれこれ考えていたときに、その神星から連絡が来るなんて。
離れていても、心が繋がってるみたい。
『日曜、水族館の他に行きたいとこある?』
『したいこととか、食べたいものとか、なんでも言って』
ぼふっとベッドにダイブして、枕に顔を埋めた。
バタバタと足を動かしても、全身を甘く巡るときめきを発散しきれない。
「……行きたいとこ……したいこと……食べたいもの……」
しばらくベッドでうつ伏せになったまま、神星のメッセージを噛み締める。
そして、ゆっくり起き上がって、机に向かった。
広げるのは問題集じゃなくて、宣戦布告の日に作った作戦ノート。
まさか、神星と恋人になるために奮闘することになるなんて、あの日の俺は微塵も思ってなかったけど。
『神星としたいこと』
文字に書き起こすと、頭で思うより何倍も照れてしまう。
でも、神星としたいこと、ほんの少しだって取りこぼしたくない。
『イルカショーを見る』
『おそろいのもの買う』
『観覧車に乗る』
『ツーショット撮る』
『手繋ぐ』
「きす……って!バカじゃねーの⁉︎」
流れでぶっ飛んだことを書こうとしていた自分のほっぺをバチン!とぶっ叩く。
肌はヒリヒリして、手のひらはジンジンした。
「……そりゃ、いつかは……してみたい、けど……」
けど、その前に、神星に告白させなきゃ。
その前に、好きになってもらわなきゃ。
そのために、初めての休日デート(仮)で、たくさんドキドキさせてやる。



