はっと目を開けると、朝の光が障子越しに淡く差し込んでいた。
僕は布団の上でしばらく瞬きを繰り返し、がばっと起き上がる。
(寝坊だ……!)
慌てて時計を見ればもう七時時過ぎ。いつも六時には起きているから、一時間以上の寝坊だ。
僕は急いでパジャマを脱ぎ捨ててTシャツを頭から被ると、自分の部屋を飛び出した。
「ばあちゃんごめん、寝坊したっ」
台所にも茶の間にも、ばあちゃんの姿はなかった。ダイニングのテーブルの上に『先にしおさい亭に行ってるよ』というばあちゃんのメモが残っている。
「うわ~、やっちゃった……」
寝坊するなんていつぶりのことだろう。昨日の夜、遅くまで起きてた自分が悪いんだけど……。
――昨日。
千里くんから『一緒にオープンキャンパスに行かねえか?』と誘われて、興奮して眠れなくなってしまったのだ。どんな感じなのかな……と大学のホームページを見始めてしまったのも悪かった。
キャンパスの写真、説明会の様子、模擬授業の情報、交通アクセス……。それらを見ているうちに夢中になってしまい、はっと気が付けば夜中の一時を過ぎ。慌てて布団に入ってけど興奮しすぎてなかなか眠りにつけず、ようやく寝入ったのはかなり遅い時間だった。
(だって、千里くんといっしょに大学に遊びにいくだなんて……)
想像するだけで、また心臓がどきどきとしてきてしまう。
だけど問題が一つある。どうやってばあちゃんに話を切り出すか、だ。
ばあちゃんと進学の話をしたことはない。僕が先手を打って、就職すると明言していたからだ。
今さら大学のことなんて言い出したら、ばあちゃんは驚いたりしないだろうか。腰を抜かしたりして……。
(でも……やっぱりオープンキャンパスだけでも行ってみたいしな)
言いたいことをのみ込んでいても、何も変わらない。相手に伝わることもない。ここは勇気を出して話してみるべきだ。ばあちゃんだってきっと、僕の話を聞いてくれるはずだ。
そのためには、やるべきことをきちんとやらないといけない。話はそれからだ。
よしっと気合を入れ、洗面所に向かう。
顔をざばざば洗いながら、もう千里くんは起きただろうか、とふと思った。
もう起きてるだろうな。お客さんの朝食の準備をしているころかな。それとも洗濯してたりして。
(――あ~、なんか……早く千里くんに会いたいなぁ)
早く会って『大学のホームページ見たよ』と言いたい。一緒にオープンキャンパスに行く計画を立てたい。
千里くんに話したいことが山ほどある。千里くんから聞きたいことも山ほどある。
そんなことを考えながら、濡れた顔をタオルで拭いて顔を上げると、洗面所の鏡には上気した自分の顔が写っていた。
(……あれ?)
僕は自分の顔を見て、目を瞬いた。
相変わらず眉毛も目じりも垂れ下がったパンダみたいな顔だし、茶色みがかった猫っ毛が寝ぐせであっちこっちにくるくる飛び跳ねているのもいつも通りなのに、なんか違う。
瞳は睡眠不足で真っ赤なのにらんらんと輝いているし、口元にはだらしなく緩んでいる。頬はまるでクレヨンで染めたみたいにピンク色だ。
(なんだこの顔はっ!?)
僕は慌てて両方の手のひらでばしばし頬を叩いた。目に力を入れて、きりっとした顔を作ってみる。
でもそんな真面目な顔も十秒も持たない。
「し……しっかりしなきゃ。とりあえず早く海の家に行こう……」
僕はそう呟き、全速力で準備を始めた。
***
浜辺はすでに相当な暑さだった。
海水浴場が開くまであと一時間ちょっと。まだ駐車場に車はなく、今日は隣の海の家の人もまだ来ていないようだ。
(これなら急いで来ることもなかったかな)
今日も穏やかな波の音を聞きながら、しおさい亭の裏口のドアを開けた。
むわっと熱い空気が流れてくる。厨房ではすでに火を使って、仕込みをしているのだろう。
しかし厨房に足を踏み入れた僕は、「あれ?」と首を傾げた。
暑いだけじゃない、なんだかちょっと焦げ臭いような……?
「おはよう、ばあちゃん、ねぇ何か焦げて——…………」
声をかけながら厨房の奥を覗き込んで僕は、そのまま固まった。
調理台の向こう側の床。
そこから誰かの足が見えていた。
「…………え」
瞬間、心臓が凍りつく。
僕は悲鳴を上げながら厨房へ駆けこんだ。
「ばあちゃん!?」
厨房の床に、ばあちゃんが横向きに倒れている。目を固く閉じたその顔は、真っ青で汗が滲んでいて……。
「ばあちゃん、ねえ……! ばあちゃんってば!」
「……ぅ……」
ばあちゃんが胸を押さえて呻いた。
「……心臓? もしかして心臓が痛いの!?」
呼びかけてみても、まともな返事はない。
汗が背中を流れ落ちる。鼓動が痛いほどに鳴っている。
昔からばあちゃんは心臓が弱かった。最近薬も増えたと聞いていた。もしかして心臓の発作が起きた? どうしよう、どうしたら……?
「そうだ……きゅ、救急車……!」
はっと我に返った僕は、慌ててポケットからスマホを取り出した。震える指で「119」を押す。
「助けてください、ばあちゃんが、ばあちゃんが倒れて……っ、心臓を抑えてて、苦しそうなんです……お願い、早く来て――っ」
僕はスマホに向かって叫びながら、苦しそうに胸を押さえるばあちゃんの手を、必死で握った。
僕は布団の上でしばらく瞬きを繰り返し、がばっと起き上がる。
(寝坊だ……!)
慌てて時計を見ればもう七時時過ぎ。いつも六時には起きているから、一時間以上の寝坊だ。
僕は急いでパジャマを脱ぎ捨ててTシャツを頭から被ると、自分の部屋を飛び出した。
「ばあちゃんごめん、寝坊したっ」
台所にも茶の間にも、ばあちゃんの姿はなかった。ダイニングのテーブルの上に『先にしおさい亭に行ってるよ』というばあちゃんのメモが残っている。
「うわ~、やっちゃった……」
寝坊するなんていつぶりのことだろう。昨日の夜、遅くまで起きてた自分が悪いんだけど……。
――昨日。
千里くんから『一緒にオープンキャンパスに行かねえか?』と誘われて、興奮して眠れなくなってしまったのだ。どんな感じなのかな……と大学のホームページを見始めてしまったのも悪かった。
キャンパスの写真、説明会の様子、模擬授業の情報、交通アクセス……。それらを見ているうちに夢中になってしまい、はっと気が付けば夜中の一時を過ぎ。慌てて布団に入ってけど興奮しすぎてなかなか眠りにつけず、ようやく寝入ったのはかなり遅い時間だった。
(だって、千里くんといっしょに大学に遊びにいくだなんて……)
想像するだけで、また心臓がどきどきとしてきてしまう。
だけど問題が一つある。どうやってばあちゃんに話を切り出すか、だ。
ばあちゃんと進学の話をしたことはない。僕が先手を打って、就職すると明言していたからだ。
今さら大学のことなんて言い出したら、ばあちゃんは驚いたりしないだろうか。腰を抜かしたりして……。
(でも……やっぱりオープンキャンパスだけでも行ってみたいしな)
言いたいことをのみ込んでいても、何も変わらない。相手に伝わることもない。ここは勇気を出して話してみるべきだ。ばあちゃんだってきっと、僕の話を聞いてくれるはずだ。
そのためには、やるべきことをきちんとやらないといけない。話はそれからだ。
よしっと気合を入れ、洗面所に向かう。
顔をざばざば洗いながら、もう千里くんは起きただろうか、とふと思った。
もう起きてるだろうな。お客さんの朝食の準備をしているころかな。それとも洗濯してたりして。
(――あ~、なんか……早く千里くんに会いたいなぁ)
早く会って『大学のホームページ見たよ』と言いたい。一緒にオープンキャンパスに行く計画を立てたい。
千里くんに話したいことが山ほどある。千里くんから聞きたいことも山ほどある。
そんなことを考えながら、濡れた顔をタオルで拭いて顔を上げると、洗面所の鏡には上気した自分の顔が写っていた。
(……あれ?)
僕は自分の顔を見て、目を瞬いた。
相変わらず眉毛も目じりも垂れ下がったパンダみたいな顔だし、茶色みがかった猫っ毛が寝ぐせであっちこっちにくるくる飛び跳ねているのもいつも通りなのに、なんか違う。
瞳は睡眠不足で真っ赤なのにらんらんと輝いているし、口元にはだらしなく緩んでいる。頬はまるでクレヨンで染めたみたいにピンク色だ。
(なんだこの顔はっ!?)
僕は慌てて両方の手のひらでばしばし頬を叩いた。目に力を入れて、きりっとした顔を作ってみる。
でもそんな真面目な顔も十秒も持たない。
「し……しっかりしなきゃ。とりあえず早く海の家に行こう……」
僕はそう呟き、全速力で準備を始めた。
***
浜辺はすでに相当な暑さだった。
海水浴場が開くまであと一時間ちょっと。まだ駐車場に車はなく、今日は隣の海の家の人もまだ来ていないようだ。
(これなら急いで来ることもなかったかな)
今日も穏やかな波の音を聞きながら、しおさい亭の裏口のドアを開けた。
むわっと熱い空気が流れてくる。厨房ではすでに火を使って、仕込みをしているのだろう。
しかし厨房に足を踏み入れた僕は、「あれ?」と首を傾げた。
暑いだけじゃない、なんだかちょっと焦げ臭いような……?
「おはよう、ばあちゃん、ねぇ何か焦げて——…………」
声をかけながら厨房の奥を覗き込んで僕は、そのまま固まった。
調理台の向こう側の床。
そこから誰かの足が見えていた。
「…………え」
瞬間、心臓が凍りつく。
僕は悲鳴を上げながら厨房へ駆けこんだ。
「ばあちゃん!?」
厨房の床に、ばあちゃんが横向きに倒れている。目を固く閉じたその顔は、真っ青で汗が滲んでいて……。
「ばあちゃん、ねえ……! ばあちゃんってば!」
「……ぅ……」
ばあちゃんが胸を押さえて呻いた。
「……心臓? もしかして心臓が痛いの!?」
呼びかけてみても、まともな返事はない。
汗が背中を流れ落ちる。鼓動が痛いほどに鳴っている。
昔からばあちゃんは心臓が弱かった。最近薬も増えたと聞いていた。もしかして心臓の発作が起きた? どうしよう、どうしたら……?
「そうだ……きゅ、救急車……!」
はっと我に返った僕は、慌ててポケットからスマホを取り出した。震える指で「119」を押す。
「助けてください、ばあちゃんが、ばあちゃんが倒れて……っ、心臓を抑えてて、苦しそうなんです……お願い、早く来て――っ」
僕はスマホに向かって叫びながら、苦しそうに胸を押さえるばあちゃんの手を、必死で握った。
