「なんでこんな点数が低いんだぁー」
1週間前にやった定期テストが返却された。
「そんなに嘆かなくても。何点だったんですか?」
俺は無言で答案用紙を差し出す。
「17点か……俺より低いな」
「ちゃんと勉強したはずなのに藍沢より低いなんて」
俺たちは人通りの少ない3階の外の渡り廊下に座り、テストの復習をしていた。
数学のテストは50点満点中俺は17点、藍沢は24点、立花は39点だった。最近数学の授業についていけてないとは思っていたがここまでとは。
「舞坂くん、この公式はここじゃないです。こっちの問題で使うんですよ」
「あ!こっちか!くそー」
「立花、この問題は分かるか」
「あー、ここは僕も間違っていたので分かりませんねぇ」
「なにこの問題?いつ使うの?意味あんの?」
「その問題は基本問題だぞーマイマイ」
「え?」
全く覚えがない。寝てたのかな。
はぁ、と深いため息をついて空を見上げた。雲ひとつない深い青色の空が吸い込まれそうなほどどこまでも続いている。
「気持ちいー!」
「おい、現実逃避するなよ」
俺は大きく手を頭の後ろに組んで目を瞑る。時折ビューと吹く風が心地良くてこのまま寝れそうだ。
「ああっ!」
「なんだよ、今いい気持ちで寝てたのに」
焦ったような大きな声に目を開けると、2人はフェンスから身を乗り出して何かを目で追っていた。ふわふわと白いものが宙を舞う。
「ん?なにあれ」
「答案用紙だ……お前の」
「ふーん」
答案用紙……?
「え!?」
なんだって!?
「風で飛んでっちゃいましたね……」
俺は飛び起き、渡り廊下を駆け抜けて全力疾走で階段を降りていく。俺史上最低得点の答案用紙、誰にも見られるわけにはいかない!
くっそー、なんで俺はいつもこうなんだ。
答案用紙は風に揺られて空を優雅に泳いでいた。
ひざに手をついて呼吸を整えているとさらりとした風が強く吹き、運良く校舎の空いていた窓の隙間に答案用紙が入っていくのが目に入った。
よし、早く行って誰かが拾う前に……
「いてっ!」
段差につまずきひざに鋭い痛みが走ったが、そんなことより今は答案用紙!
「あっそれ俺のです!!」
紙の前で立ち止まる影に俺は叫ぶ。
「あれー?舞坂くんじゃーん」
オレンジジュースのパックを片手に、そして反対側の手に答案用紙を持つのは……
「伊月くん?」
この人ならまだいいか。さっさと返してもらってこの答案用紙はすぐに捨ててしまおう。
「あのー、それ返してもらっても……」
「伊月?どうした?」
!?
この声って……
「おー、氷室おかえり」
「なんだこれ?数IIB、17点……ひどいな」
「うわぁ!!」
俺は素早く氷室から紙を奪い取った。
よりによってなんで氷室……
「お、なんだお前のか」
氷室は興味なさそうに言った。
「へえー、舞坂くんって勉強苦手なんだー?」
理数科相手じゃ誰だって勉強苦手だよ!
そう心の中でつぶやくが、伊月くんには全く悪意や嫌味が感じられない。それゆえに怒ることもできない。
「おー伊月!」
後ろから聞き覚えのある声が飛んできた。俺のクラスの数学担当で理数科の担任の野田先生だ。とても数学を教えているとは思えないいわゆる熱血教師って感じの見た目である。なんて最悪なタイミング。
「こんにちはー。あ、先生たしか7組の数学の担当ですよね。これ舞坂くんです」
「ああ、知ってるよ。今回のテストの最低得点で……」
「先生!」
俺はシィー!と口元に人差し指を付ける。
「あー、んんっ。でも舞坂、このままじゃお前赤点だぞ、どうするんだ」
「ど、どうしましょう……次のテストで何点取ればいいんですか?」
「何点取っても赤点な気がするがな」
「え!それは困ります。なんとか救済措置を……」
「救済措置といってもなぁ……あ、そうだ。これはどうだ?夏休みの勉強合宿に参加したら赤点を免除する」
「勉強合宿……え!?」
勉強合宿の正式名称は『理数科夏期特訓合宿』だ。毎年理数科は夏休みに2泊3日、近くの宿泊施設で文字通り勉強をする行事があるけど……もしかしてそれのこと!?
「あ、そうじゃんー!今年から希望者は普通科でも参加できるようになったんですよね!舞坂くんとお友達も来ればいいのに!なあ、氷室?」
「いや、ついていけないだろ」
「えーそうかなぁ?プリント解くだけじゃんー」
氷室くんの言う通りだ。まず理数科の伝統行事に普通科が参加することにプライドの高い理数科のやつら(偏見)はいい顔をしないだろう。そして絶対に勉強についていけない。
「いや先生それは……」
「じゃあ赤点でいいのか」
なんて鬼畜な先生だ。勉強合宿は絶対に行きたくない。でも赤点になると俺は2週間の地獄の補習だ。どっちにしてもきつい!
まあ、どっちもきついなら期間は短い方がいいか……補習は2週間、勉強合宿なら2泊3日だけだ。
「わっ、かりました。行きます、合宿に。そしたら絶対に赤点は付かないんですよね?」
「そうだ、関心・意欲・態度の項目は満点にしといてやる」
「ありがとうございます!」
俺は大袈裟なくらい頭を下げた。
「あ、そうそう伊月、職員室に来てくれ」
「はーい」
伊月は「じゃ!」と手を振って職員室へと消えていった。
取り残された俺と氷室。こんなに近くになるのは久しぶりだ。
緊張で唾を飲み込む。きっと氷室はなんとも思ってないのに俺はどうしてか目を合わせられない。
「……血がでてるぞ」
「え?」
見ると、さっき転んでぶつけた所から血がダラダラと流れていた。見るとだんだん痛みを感じる。
「うわぁ!本当だ。ど、どうしよ、とりあえず職員……じゃなくて保健室か。えっと、まずは血を……」
ハンカチで拭こうとポケットに手を入れるが、あいにく今日はカバンの中に入れっぱなしだったことを思い出す。
「ほら」
氷室くんはため息をつき、ポケットから紺のハンカチを取り俺に差し出した。
「あ、ありがとう」
「消毒した方がいい」
保健室で氷室は救急箱から消毒液とガーゼ、絆創膏を取り出し、手際よく手当てをしてくれる。
まあ、めっちゃめんどくさそうだけど。
氷室ともっと話してみたい。欲を言えば……ん?
そう思って考える。俺は氷室が気になると思ったけど、ただ人として興味があるのか、友達になりたいのか、結局のところよくわからない。
俺は何も知らない。氷室に関して俺が知っていることはイケメンだとか天才だとか、みんなも知っているようなことばかりだ。
何が好きなのか嫌いなのか、なんでバジルを植えた日俺を助けてくれたのか、なぜいつも笑わないのか、なぜ部室を訪れた日は笑ったのか。
彼の心の内に秘めてるものは分厚い氷で覆われていてわからない。見えない。
「よし終わった……行くぞ」
「ああ、うん。ありがとう」
まだ少し痛む右足を庇いながら氷室の前を歩く。下を見ると絆創膏がシワなく綺麗に貼られていて、氷室が触れた場所が熱を帯びているように感じた。
深呼吸をして心を落ち着かせる。
「おっと」
パチッ
壁に付いた手が偶然にも電気のスイッチに触れてしまったようだ。カーテンのしまった保健室は一瞬にして暗闇に包まれる。
「あ、ごめん……えっ?」
瞬間、背中の裾を掴まれた。その手がわずかに震えているのが背中越しに伝わってきて俺は硬直する。
氷室、だよな?こ、これはどういう……。
「……電気」
「え?あ、ああ。えっとー、これか」
電気を付けると氷室は素早く手を離した。
「悪い……ちょっとつまづいただけだ」
つまづいた?段差なんかあったっけ?
俺は不思議に思ったがそれ以上気にしないことにした。
「いやだから、なんで俺たちまで?」
俺の次なるミッションは藍沢と立花を勉強合宿の道連れに……じゃなくて一緒に楽しもうと誘うことだ。
「お願いだよー、赤点回避にはこれしかないんだ」
「俺は赤点じゃないし、理数科の勉強合宿なんて絶対にごめんだね」
「理数科と仲良くなりたがってたじゃないか!」
「マイマイ、お前知ってんのか?理数科の勉強合宿はえげつない量のプリントを終わらせるまで監禁されるっていう、地獄だぞ?それにプリントの難易度は鬼。誰が行くかよ」
知ってたのか。俺は縋るように立花を見る。
「悪いんですが僕もきついですね」
やはりイエスとは言ってくれない。そうだろうとは思っていたけど。
「俺1人じゃ行けないよ」
「お願い!」と手を合わせるが2人はなかなか首を縦に振らなかった。
「許せマイマイ。とにかく俺は絶対に行かな、」
「おーい!」
ぴょんぴょん跳ねるような声。もう振り向かなくても誰だかわかる。
「はいどうぞ、これ合宿の申込書!」
伊月くんはなんの躊躇いもなく教室に入ってきてドンと机に紙を叩きつけた。
「あ、ありが……ん?」
よく見ると同じプリントが……3枚?
「じゃあ、これ野田先生に渡してね!今週末締め切りだよー!じゃ!」
「お、おいお前」
「ん?」
藍沢は意義ありとばかりに伊月くんを呼び止める。
「これ3枚あるけど……なんでだ?」
「なんでって、3人でしょ?」
伊月くんはコテンと首を傾げる。
「ぼ、僕たちは行きませんよ!?」
「え?そうなの!?俺先生に言っちゃったよ、7組から3人行きますよーって」
「はあ!?」
藍沢と立花の声が重なる。
ナイスだ!ナイスすぎるよ伊月くん!
「いいじゃーん!俺、氷室と2人部屋だとつまんないし。藍沢くんに立花くんだよね?絶対楽しいって!じゃ、申込書よろしくぅー!」
伊月くんが去っていった方向を見つめ、藍沢と立花は絶望の表情を浮かべる。俺は心の中でガッツポーズをした。
2人はあの圧のすごい野田先生にキャンセルを申し出ることが出来ず、結局参加となった。
◇
「え……これは、ど、どういう……」
週明けの放課後、いつも通り部室に行くととても授業終わりとは思えないハツラツな声が飛んできた。
「やっほー!舞坂くん来るの遅いよ〜」
「伊月くん?なんで……」
奥の影に目を向ける。手を振る伊月の後ろには……
「ひ、氷室も!?」
「マイマイ?何してんの?」
「はやく入ってくださいよぉ」
入り口で固まっていると後ろにいた藍沢たちに背中を押された。2人も部室に入るなり、目の前のわけのわからない光景に俺と同じように固まる。
「親睦会でもどうかなーって!とりあえず座ってよ!」
……親睦会とは程遠い雰囲気の中に俺はいる。
「それにしても驚いたっす、先輩が勉強合宿に参加するなんて」
篠原の話によると、俺たちが来る少し前に伊月くんが大量のお菓子とジュースを抱えてやって来たんだとか。
「俺は行きたくて行くわけじゃ、」
「そうでしょ〜!まさか本当に参加してくれるなんて!いきなり合宿じゃあれだからまずはお互いの仲を深めてー、」
「急に来られても困る」
藍沢が不機嫌そうに言った。勝手に勉強合宿に参加させられたことをまだ根に持っているのだろう。
「ちょっと藍沢、そんな言い方……」
「えーでも柚野ちゃんに聞いたら今日は水やりだけって言ってたし、俺たちが手伝ってもう終わらせたからさ!」
「そういうことじゃ、」
「部長。いいじゃないですか。こんな優秀な先輩たちと話せる機会なんてなかなかないですし」
「そうですよ!来てくれてうれしいっす!」
なぜ後輩2人はノリノリなんだ。
「ここは園芸部の部室だ。部外者は立ち入り禁、」
カタン
藍沢の言葉を遮って無言で立ち上がったのは氷室だった。さっきまで部室の棚に置いてあった『ステキな花言葉辞典』をパラパラめくっていて、だるそうな表情から伊月くんに無理やり連れてこられた様子が容易に想像できる。
「ほら言ったろ、時間の無駄だ。俺は帰る」
「おい氷室、ちょっと待っ、」
「待って!」
俺は咄嗟に氷室の腕を掴んでいた。
「なに」
「……あ、いや」
反射的な行動なのでなに、と聞かれても困る。
「ほ、ほら!せっかくこうやって来てくれたんだし、合宿前にもっと2人と仲良くなりたい、からさ!」
「ははは」と俺の空笑いが響く。
穴があったら入りたいとはまさにこの事だ。いや、穴があったらなんてもんじゃない。穴を掘ってでも入りたい。
「そ、そうだよね伊月くん?」
「え?あー、うん!そうそう!どうかな?」
伊月くんは俺の雑なパスをなんとか繋いでくれた。
「……まあ、マイマイがそこまで言うなら」
張り詰めていた空気が緩み、ほっと胸を撫で下ろす。
「バーベキューに花火!?おい、なんでそれをはやく言わねーんだよ!」
「だってその方がサプライズ感があっていいかなーって。言っちゃうとつまんないじゃーん」
「つまるつまんないの話じゃねぇだろ」
「あはっ、ごめんごめん」
「イベントがあるなら勉強も頑張れそうですねぇ」
しばらくすると藍沢たちと伊月くんは仲良くなっていた。人たらし同士が打ち解けるのに時間はいらないらしい。
立花はもともと人と対立するような性格じゃないし、これでとりあえず一件落着だ。
「あ、そうだ氷室」
安心したこところで俺はポケットから借りていたハンカチとあるものを取り出す。
「その……色々迷惑かけちゃったお詫びに、これ」
「なんだこれ」
「しおりだよ。押し花で作ったんだ」
氷室は手に取ってまじまじとそれを見る。手芸部にラミネートフィルムやリボンを借りて作った自信作。
ここ1週間ほど部活帰りに残って作っていた。
「……もらっとく」
みんなにバレたくなかったのに、横から元気な声が飛んでくる。
「お、四葉のクローバーにパンジーっすか!たしか花言葉は……」
「ああっ!篠原、そこにあるクッキーとって」
「え?あ、はい」
何を言おうとしていたのだ篠原!
「これ舞坂先輩が作ったんですか?え、すごい!器用ですね!」
柚野は大袈裟なくらい目をキラキラさせてしおりを見つめた。
「なるほど、マイマイがおととい一日中中庭にいたのってクローバー探してたからなのか」
「たしか昼休みギリギリまでいて5時間目遅刻してましたよねぇ」
「なんか舞坂くんかわいい〜」
俺はうれしさと恥ずかしさで下を向いた。
受け取ってくれた、それだけでもう今日はお腹いっぱいだ。
氷室はしおりをかばんにしまって立ち上がる。
「あれ?帰るんすか?」
「ああ、電車だから」
「そうなんすね!じゃあ氷室先輩、また来て下さい!」
篠原は手を振って「僕もそろそろ帰りますね」と支度を始めた。柚野もぺこりとお辞儀をして片付け始める。
「なあ伊月くん」
「ん?」
「大丈夫だったかな、氷室。あんまこういう親睦会的なの好きじゃなさそうだから……」
「そんなことないよ。ああ見えて氷室はわいわいしたり楽しい事が好きなんだ」
伊月くんはいつになく真剣な顔だった。
「そう……なら良いけど」
早く帰りたいとか思ってなかったかな?めんどくさいって思われてなかったかな?
そんな不安が溶けて、俺は肺に溜まっていた空気を一気に吐き出した。
勉強合宿が楽しみでたまらない。
◇
「明日から夏休みですが、みなさん怪我や病気に気をつけてくださいね。宿題も早めに終わらせるように」
「はーい」
「それからみんなバジル持って帰って下さいねー。一応授業は終わりますけど何回でも葉を摘むことができますからお家でも育ててみて下さい」
「はいはーい」
いいからはやく帰らせてくれとクラスメイトたちは適当に返事をして帰っていく。明日から夏休み。そして1週間後はいよいよ勉強合宿だ。
「今日の当番は舞坂くんと柚野ですよね?」
「うん」
「立花、夏休み中の当番表送ったから忘れんなよ」
「はいはい部長、分かってますって」
カバンとバジルの苗を持ち、俺は部室へ藍沢と立花は靴箱へと向かう。
「お、伊月に氷室じゃん!やっほー」
藍沢は反対から歩いてきた2人に手を振る。
俺たちはあの親睦会からたまに一緒にお昼を食べたり廊下であったら話をしたりする仲になった。ほぼコミュ力の塊である藍沢と伊月くんのおかげだけど。
「やっほー!これから部活ー?」
「今日はマイマイだけだ。俺と立花はそのまま帰る」
「伊月くんたちも帰るんですか?」
「俺らも帰るよー」
「じゃあ途中まで一緒に帰ろーぜー」
少し前までは想像もできなかった光景。俺たちにとって理数科の人間はいわば違う世界の人だった。例えるなら貴族と農民。尊敬と畏怖、そして俺にとっては反発の対象。それが今は仲良く一緒に帰るまでになった。
俺たちの関係はいつから変わっていったのだろう。
「氷室」
「ん」
「勉強合宿楽しみだな」
「まあ。でもお前大丈夫なのか、数学の方は」
バカにしたような言い方に俺はついムキになって答える。
「大丈夫、に、決まってんだろ……!」
「ははっ、大丈夫じゃなさそうだけど」
——「痛っ……す、すいません!大丈……」
この日から?バジルの種が入ったダンボールを運んでて氷室にぶつかったあの日。その日を境に俺の日常は変わっていったような気がする。
そうやって出会えたこと、なんという幸運だろう。
「じゃあなー、マイマイ」
「水やり頼みますねぇ」
「また勉強合宿で!」
手を振り去るみんなの背中を俺はしばらく眺めていた。
「先輩、お疲れ様です」
「お疲れ。先来てたんだ」
部室に着くと柚野は俺に気付いてニコッと笑う。
「ホース出しといたので外からやりましょうか」
柚野すみれ。彼女は普通科だが定期テストで理数科にも引けを取らないほど頭がいいらしい。それに加え、控えめな性格でモテるのだと篠原が言っていた。
たしかにこんな俺に対してもよく笑うよな、とは思う。
「ひまわりがきれいに咲きましたね」
今が一番の見頃だろう。太陽に向かって真っ直ぐに伸びている。セミの声がBGMになってザ・夏みたいなワンシーン。
「うん……去年よりもたくさん咲いてる。俺たちの愛が届いたのかな」
「ふふっ、だといいですけど」
「やっば、ちょっと柚野!見てこれ」
ひときわ背の高いひまわりを指差すと、柚野はスマホを取り出してカメラを構える。
「え、なに?」
「舞坂先輩そこ立っててください。はいチーズ」
シャッターが切られる。柚野の顔はちょうどスマホに隠れて見えなかった。
「どう?上手く撮れた?」
「先輩」
いつもより少しトーンが低い柚野の声。
「ひまわりの花言葉って知ってますか?」
「花言葉?いや、知らないけど……」
「あなただけを見つめる」
「え?」
柚野は遠くの空を見ていた。風が吹くたび髪が揺れる。
花言葉好きの篠原から教わったのか?でもなんでそれを今……
「先輩好きな人います?」
「えっ、」
唐突な質問に驚いて言葉が出ない。
「舞坂先輩は氷室先輩のことが好きなんですか?」
俺が?氷室を?好き?
心臓の内側から胸をコンッと押される感覚がした。
「いや、そんなんじゃ、ないけど……」
「そうですか。よかったです」
「よかった……?」
意味がわからなすぎて俺は言葉の続きを待つ。柚野は何か覚悟を決めたようにパッと顔を上げた。
「私、舞坂先輩のことが好きなんです」
【第3話】あなただけを見つめる 完
1週間前にやった定期テストが返却された。
「そんなに嘆かなくても。何点だったんですか?」
俺は無言で答案用紙を差し出す。
「17点か……俺より低いな」
「ちゃんと勉強したはずなのに藍沢より低いなんて」
俺たちは人通りの少ない3階の外の渡り廊下に座り、テストの復習をしていた。
数学のテストは50点満点中俺は17点、藍沢は24点、立花は39点だった。最近数学の授業についていけてないとは思っていたがここまでとは。
「舞坂くん、この公式はここじゃないです。こっちの問題で使うんですよ」
「あ!こっちか!くそー」
「立花、この問題は分かるか」
「あー、ここは僕も間違っていたので分かりませんねぇ」
「なにこの問題?いつ使うの?意味あんの?」
「その問題は基本問題だぞーマイマイ」
「え?」
全く覚えがない。寝てたのかな。
はぁ、と深いため息をついて空を見上げた。雲ひとつない深い青色の空が吸い込まれそうなほどどこまでも続いている。
「気持ちいー!」
「おい、現実逃避するなよ」
俺は大きく手を頭の後ろに組んで目を瞑る。時折ビューと吹く風が心地良くてこのまま寝れそうだ。
「ああっ!」
「なんだよ、今いい気持ちで寝てたのに」
焦ったような大きな声に目を開けると、2人はフェンスから身を乗り出して何かを目で追っていた。ふわふわと白いものが宙を舞う。
「ん?なにあれ」
「答案用紙だ……お前の」
「ふーん」
答案用紙……?
「え!?」
なんだって!?
「風で飛んでっちゃいましたね……」
俺は飛び起き、渡り廊下を駆け抜けて全力疾走で階段を降りていく。俺史上最低得点の答案用紙、誰にも見られるわけにはいかない!
くっそー、なんで俺はいつもこうなんだ。
答案用紙は風に揺られて空を優雅に泳いでいた。
ひざに手をついて呼吸を整えているとさらりとした風が強く吹き、運良く校舎の空いていた窓の隙間に答案用紙が入っていくのが目に入った。
よし、早く行って誰かが拾う前に……
「いてっ!」
段差につまずきひざに鋭い痛みが走ったが、そんなことより今は答案用紙!
「あっそれ俺のです!!」
紙の前で立ち止まる影に俺は叫ぶ。
「あれー?舞坂くんじゃーん」
オレンジジュースのパックを片手に、そして反対側の手に答案用紙を持つのは……
「伊月くん?」
この人ならまだいいか。さっさと返してもらってこの答案用紙はすぐに捨ててしまおう。
「あのー、それ返してもらっても……」
「伊月?どうした?」
!?
この声って……
「おー、氷室おかえり」
「なんだこれ?数IIB、17点……ひどいな」
「うわぁ!!」
俺は素早く氷室から紙を奪い取った。
よりによってなんで氷室……
「お、なんだお前のか」
氷室は興味なさそうに言った。
「へえー、舞坂くんって勉強苦手なんだー?」
理数科相手じゃ誰だって勉強苦手だよ!
そう心の中でつぶやくが、伊月くんには全く悪意や嫌味が感じられない。それゆえに怒ることもできない。
「おー伊月!」
後ろから聞き覚えのある声が飛んできた。俺のクラスの数学担当で理数科の担任の野田先生だ。とても数学を教えているとは思えないいわゆる熱血教師って感じの見た目である。なんて最悪なタイミング。
「こんにちはー。あ、先生たしか7組の数学の担当ですよね。これ舞坂くんです」
「ああ、知ってるよ。今回のテストの最低得点で……」
「先生!」
俺はシィー!と口元に人差し指を付ける。
「あー、んんっ。でも舞坂、このままじゃお前赤点だぞ、どうするんだ」
「ど、どうしましょう……次のテストで何点取ればいいんですか?」
「何点取っても赤点な気がするがな」
「え!それは困ります。なんとか救済措置を……」
「救済措置といってもなぁ……あ、そうだ。これはどうだ?夏休みの勉強合宿に参加したら赤点を免除する」
「勉強合宿……え!?」
勉強合宿の正式名称は『理数科夏期特訓合宿』だ。毎年理数科は夏休みに2泊3日、近くの宿泊施設で文字通り勉強をする行事があるけど……もしかしてそれのこと!?
「あ、そうじゃんー!今年から希望者は普通科でも参加できるようになったんですよね!舞坂くんとお友達も来ればいいのに!なあ、氷室?」
「いや、ついていけないだろ」
「えーそうかなぁ?プリント解くだけじゃんー」
氷室くんの言う通りだ。まず理数科の伝統行事に普通科が参加することにプライドの高い理数科のやつら(偏見)はいい顔をしないだろう。そして絶対に勉強についていけない。
「いや先生それは……」
「じゃあ赤点でいいのか」
なんて鬼畜な先生だ。勉強合宿は絶対に行きたくない。でも赤点になると俺は2週間の地獄の補習だ。どっちにしてもきつい!
まあ、どっちもきついなら期間は短い方がいいか……補習は2週間、勉強合宿なら2泊3日だけだ。
「わっ、かりました。行きます、合宿に。そしたら絶対に赤点は付かないんですよね?」
「そうだ、関心・意欲・態度の項目は満点にしといてやる」
「ありがとうございます!」
俺は大袈裟なくらい頭を下げた。
「あ、そうそう伊月、職員室に来てくれ」
「はーい」
伊月は「じゃ!」と手を振って職員室へと消えていった。
取り残された俺と氷室。こんなに近くになるのは久しぶりだ。
緊張で唾を飲み込む。きっと氷室はなんとも思ってないのに俺はどうしてか目を合わせられない。
「……血がでてるぞ」
「え?」
見ると、さっき転んでぶつけた所から血がダラダラと流れていた。見るとだんだん痛みを感じる。
「うわぁ!本当だ。ど、どうしよ、とりあえず職員……じゃなくて保健室か。えっと、まずは血を……」
ハンカチで拭こうとポケットに手を入れるが、あいにく今日はカバンの中に入れっぱなしだったことを思い出す。
「ほら」
氷室くんはため息をつき、ポケットから紺のハンカチを取り俺に差し出した。
「あ、ありがとう」
「消毒した方がいい」
保健室で氷室は救急箱から消毒液とガーゼ、絆創膏を取り出し、手際よく手当てをしてくれる。
まあ、めっちゃめんどくさそうだけど。
氷室ともっと話してみたい。欲を言えば……ん?
そう思って考える。俺は氷室が気になると思ったけど、ただ人として興味があるのか、友達になりたいのか、結局のところよくわからない。
俺は何も知らない。氷室に関して俺が知っていることはイケメンだとか天才だとか、みんなも知っているようなことばかりだ。
何が好きなのか嫌いなのか、なんでバジルを植えた日俺を助けてくれたのか、なぜいつも笑わないのか、なぜ部室を訪れた日は笑ったのか。
彼の心の内に秘めてるものは分厚い氷で覆われていてわからない。見えない。
「よし終わった……行くぞ」
「ああ、うん。ありがとう」
まだ少し痛む右足を庇いながら氷室の前を歩く。下を見ると絆創膏がシワなく綺麗に貼られていて、氷室が触れた場所が熱を帯びているように感じた。
深呼吸をして心を落ち着かせる。
「おっと」
パチッ
壁に付いた手が偶然にも電気のスイッチに触れてしまったようだ。カーテンのしまった保健室は一瞬にして暗闇に包まれる。
「あ、ごめん……えっ?」
瞬間、背中の裾を掴まれた。その手がわずかに震えているのが背中越しに伝わってきて俺は硬直する。
氷室、だよな?こ、これはどういう……。
「……電気」
「え?あ、ああ。えっとー、これか」
電気を付けると氷室は素早く手を離した。
「悪い……ちょっとつまづいただけだ」
つまづいた?段差なんかあったっけ?
俺は不思議に思ったがそれ以上気にしないことにした。
「いやだから、なんで俺たちまで?」
俺の次なるミッションは藍沢と立花を勉強合宿の道連れに……じゃなくて一緒に楽しもうと誘うことだ。
「お願いだよー、赤点回避にはこれしかないんだ」
「俺は赤点じゃないし、理数科の勉強合宿なんて絶対にごめんだね」
「理数科と仲良くなりたがってたじゃないか!」
「マイマイ、お前知ってんのか?理数科の勉強合宿はえげつない量のプリントを終わらせるまで監禁されるっていう、地獄だぞ?それにプリントの難易度は鬼。誰が行くかよ」
知ってたのか。俺は縋るように立花を見る。
「悪いんですが僕もきついですね」
やはりイエスとは言ってくれない。そうだろうとは思っていたけど。
「俺1人じゃ行けないよ」
「お願い!」と手を合わせるが2人はなかなか首を縦に振らなかった。
「許せマイマイ。とにかく俺は絶対に行かな、」
「おーい!」
ぴょんぴょん跳ねるような声。もう振り向かなくても誰だかわかる。
「はいどうぞ、これ合宿の申込書!」
伊月くんはなんの躊躇いもなく教室に入ってきてドンと机に紙を叩きつけた。
「あ、ありが……ん?」
よく見ると同じプリントが……3枚?
「じゃあ、これ野田先生に渡してね!今週末締め切りだよー!じゃ!」
「お、おいお前」
「ん?」
藍沢は意義ありとばかりに伊月くんを呼び止める。
「これ3枚あるけど……なんでだ?」
「なんでって、3人でしょ?」
伊月くんはコテンと首を傾げる。
「ぼ、僕たちは行きませんよ!?」
「え?そうなの!?俺先生に言っちゃったよ、7組から3人行きますよーって」
「はあ!?」
藍沢と立花の声が重なる。
ナイスだ!ナイスすぎるよ伊月くん!
「いいじゃーん!俺、氷室と2人部屋だとつまんないし。藍沢くんに立花くんだよね?絶対楽しいって!じゃ、申込書よろしくぅー!」
伊月くんが去っていった方向を見つめ、藍沢と立花は絶望の表情を浮かべる。俺は心の中でガッツポーズをした。
2人はあの圧のすごい野田先生にキャンセルを申し出ることが出来ず、結局参加となった。
◇
「え……これは、ど、どういう……」
週明けの放課後、いつも通り部室に行くととても授業終わりとは思えないハツラツな声が飛んできた。
「やっほー!舞坂くん来るの遅いよ〜」
「伊月くん?なんで……」
奥の影に目を向ける。手を振る伊月の後ろには……
「ひ、氷室も!?」
「マイマイ?何してんの?」
「はやく入ってくださいよぉ」
入り口で固まっていると後ろにいた藍沢たちに背中を押された。2人も部室に入るなり、目の前のわけのわからない光景に俺と同じように固まる。
「親睦会でもどうかなーって!とりあえず座ってよ!」
……親睦会とは程遠い雰囲気の中に俺はいる。
「それにしても驚いたっす、先輩が勉強合宿に参加するなんて」
篠原の話によると、俺たちが来る少し前に伊月くんが大量のお菓子とジュースを抱えてやって来たんだとか。
「俺は行きたくて行くわけじゃ、」
「そうでしょ〜!まさか本当に参加してくれるなんて!いきなり合宿じゃあれだからまずはお互いの仲を深めてー、」
「急に来られても困る」
藍沢が不機嫌そうに言った。勝手に勉強合宿に参加させられたことをまだ根に持っているのだろう。
「ちょっと藍沢、そんな言い方……」
「えーでも柚野ちゃんに聞いたら今日は水やりだけって言ってたし、俺たちが手伝ってもう終わらせたからさ!」
「そういうことじゃ、」
「部長。いいじゃないですか。こんな優秀な先輩たちと話せる機会なんてなかなかないですし」
「そうですよ!来てくれてうれしいっす!」
なぜ後輩2人はノリノリなんだ。
「ここは園芸部の部室だ。部外者は立ち入り禁、」
カタン
藍沢の言葉を遮って無言で立ち上がったのは氷室だった。さっきまで部室の棚に置いてあった『ステキな花言葉辞典』をパラパラめくっていて、だるそうな表情から伊月くんに無理やり連れてこられた様子が容易に想像できる。
「ほら言ったろ、時間の無駄だ。俺は帰る」
「おい氷室、ちょっと待っ、」
「待って!」
俺は咄嗟に氷室の腕を掴んでいた。
「なに」
「……あ、いや」
反射的な行動なのでなに、と聞かれても困る。
「ほ、ほら!せっかくこうやって来てくれたんだし、合宿前にもっと2人と仲良くなりたい、からさ!」
「ははは」と俺の空笑いが響く。
穴があったら入りたいとはまさにこの事だ。いや、穴があったらなんてもんじゃない。穴を掘ってでも入りたい。
「そ、そうだよね伊月くん?」
「え?あー、うん!そうそう!どうかな?」
伊月くんは俺の雑なパスをなんとか繋いでくれた。
「……まあ、マイマイがそこまで言うなら」
張り詰めていた空気が緩み、ほっと胸を撫で下ろす。
「バーベキューに花火!?おい、なんでそれをはやく言わねーんだよ!」
「だってその方がサプライズ感があっていいかなーって。言っちゃうとつまんないじゃーん」
「つまるつまんないの話じゃねぇだろ」
「あはっ、ごめんごめん」
「イベントがあるなら勉強も頑張れそうですねぇ」
しばらくすると藍沢たちと伊月くんは仲良くなっていた。人たらし同士が打ち解けるのに時間はいらないらしい。
立花はもともと人と対立するような性格じゃないし、これでとりあえず一件落着だ。
「あ、そうだ氷室」
安心したこところで俺はポケットから借りていたハンカチとあるものを取り出す。
「その……色々迷惑かけちゃったお詫びに、これ」
「なんだこれ」
「しおりだよ。押し花で作ったんだ」
氷室は手に取ってまじまじとそれを見る。手芸部にラミネートフィルムやリボンを借りて作った自信作。
ここ1週間ほど部活帰りに残って作っていた。
「……もらっとく」
みんなにバレたくなかったのに、横から元気な声が飛んでくる。
「お、四葉のクローバーにパンジーっすか!たしか花言葉は……」
「ああっ!篠原、そこにあるクッキーとって」
「え?あ、はい」
何を言おうとしていたのだ篠原!
「これ舞坂先輩が作ったんですか?え、すごい!器用ですね!」
柚野は大袈裟なくらい目をキラキラさせてしおりを見つめた。
「なるほど、マイマイがおととい一日中中庭にいたのってクローバー探してたからなのか」
「たしか昼休みギリギリまでいて5時間目遅刻してましたよねぇ」
「なんか舞坂くんかわいい〜」
俺はうれしさと恥ずかしさで下を向いた。
受け取ってくれた、それだけでもう今日はお腹いっぱいだ。
氷室はしおりをかばんにしまって立ち上がる。
「あれ?帰るんすか?」
「ああ、電車だから」
「そうなんすね!じゃあ氷室先輩、また来て下さい!」
篠原は手を振って「僕もそろそろ帰りますね」と支度を始めた。柚野もぺこりとお辞儀をして片付け始める。
「なあ伊月くん」
「ん?」
「大丈夫だったかな、氷室。あんまこういう親睦会的なの好きじゃなさそうだから……」
「そんなことないよ。ああ見えて氷室はわいわいしたり楽しい事が好きなんだ」
伊月くんはいつになく真剣な顔だった。
「そう……なら良いけど」
早く帰りたいとか思ってなかったかな?めんどくさいって思われてなかったかな?
そんな不安が溶けて、俺は肺に溜まっていた空気を一気に吐き出した。
勉強合宿が楽しみでたまらない。
◇
「明日から夏休みですが、みなさん怪我や病気に気をつけてくださいね。宿題も早めに終わらせるように」
「はーい」
「それからみんなバジル持って帰って下さいねー。一応授業は終わりますけど何回でも葉を摘むことができますからお家でも育ててみて下さい」
「はいはーい」
いいからはやく帰らせてくれとクラスメイトたちは適当に返事をして帰っていく。明日から夏休み。そして1週間後はいよいよ勉強合宿だ。
「今日の当番は舞坂くんと柚野ですよね?」
「うん」
「立花、夏休み中の当番表送ったから忘れんなよ」
「はいはい部長、分かってますって」
カバンとバジルの苗を持ち、俺は部室へ藍沢と立花は靴箱へと向かう。
「お、伊月に氷室じゃん!やっほー」
藍沢は反対から歩いてきた2人に手を振る。
俺たちはあの親睦会からたまに一緒にお昼を食べたり廊下であったら話をしたりする仲になった。ほぼコミュ力の塊である藍沢と伊月くんのおかげだけど。
「やっほー!これから部活ー?」
「今日はマイマイだけだ。俺と立花はそのまま帰る」
「伊月くんたちも帰るんですか?」
「俺らも帰るよー」
「じゃあ途中まで一緒に帰ろーぜー」
少し前までは想像もできなかった光景。俺たちにとって理数科の人間はいわば違う世界の人だった。例えるなら貴族と農民。尊敬と畏怖、そして俺にとっては反発の対象。それが今は仲良く一緒に帰るまでになった。
俺たちの関係はいつから変わっていったのだろう。
「氷室」
「ん」
「勉強合宿楽しみだな」
「まあ。でもお前大丈夫なのか、数学の方は」
バカにしたような言い方に俺はついムキになって答える。
「大丈夫、に、決まってんだろ……!」
「ははっ、大丈夫じゃなさそうだけど」
——「痛っ……す、すいません!大丈……」
この日から?バジルの種が入ったダンボールを運んでて氷室にぶつかったあの日。その日を境に俺の日常は変わっていったような気がする。
そうやって出会えたこと、なんという幸運だろう。
「じゃあなー、マイマイ」
「水やり頼みますねぇ」
「また勉強合宿で!」
手を振り去るみんなの背中を俺はしばらく眺めていた。
「先輩、お疲れ様です」
「お疲れ。先来てたんだ」
部室に着くと柚野は俺に気付いてニコッと笑う。
「ホース出しといたので外からやりましょうか」
柚野すみれ。彼女は普通科だが定期テストで理数科にも引けを取らないほど頭がいいらしい。それに加え、控えめな性格でモテるのだと篠原が言っていた。
たしかにこんな俺に対してもよく笑うよな、とは思う。
「ひまわりがきれいに咲きましたね」
今が一番の見頃だろう。太陽に向かって真っ直ぐに伸びている。セミの声がBGMになってザ・夏みたいなワンシーン。
「うん……去年よりもたくさん咲いてる。俺たちの愛が届いたのかな」
「ふふっ、だといいですけど」
「やっば、ちょっと柚野!見てこれ」
ひときわ背の高いひまわりを指差すと、柚野はスマホを取り出してカメラを構える。
「え、なに?」
「舞坂先輩そこ立っててください。はいチーズ」
シャッターが切られる。柚野の顔はちょうどスマホに隠れて見えなかった。
「どう?上手く撮れた?」
「先輩」
いつもより少しトーンが低い柚野の声。
「ひまわりの花言葉って知ってますか?」
「花言葉?いや、知らないけど……」
「あなただけを見つめる」
「え?」
柚野は遠くの空を見ていた。風が吹くたび髪が揺れる。
花言葉好きの篠原から教わったのか?でもなんでそれを今……
「先輩好きな人います?」
「えっ、」
唐突な質問に驚いて言葉が出ない。
「舞坂先輩は氷室先輩のことが好きなんですか?」
俺が?氷室を?好き?
心臓の内側から胸をコンッと押される感覚がした。
「いや、そんなんじゃ、ないけど……」
「そうですか。よかったです」
「よかった……?」
意味がわからなすぎて俺は言葉の続きを待つ。柚野は何か覚悟を決めたようにパッと顔を上げた。
「私、舞坂先輩のことが好きなんです」
【第3話】あなただけを見つめる 完
