あれから2週間ほど。
俺の日常は特に変わらない……はずだった。
「6月中旬となればやっぱ暑いっすよねー」
俺の所属する園芸部は2年生3人、1年生2人で活動している。今日の昼休みは全員で部室周りの花壇の草むしりだ。
軍手をはめたまま手で風を仰ぐ後輩の篠原。運動部にいそうな爽やかな見た目で、彼の毛先の跳ね方は若干の陽キャ味を感じさせる。
「ほんとに。マジで暑いよな」
蒸し暑さで若干の苛立ちを含んだ俺の返事はすぐに可憐な声に上書きされた。
「舞坂先輩、とりあえずここ終わりました!」
「おー、ありがとな柚野」
篠原とは対照的に真面目な後輩の柚野は「いえいえ」と言いながら俺の横にしゃがみ込む。
「あ。先輩、ちょっと動かないでくださいね」
俺の肩を優しくはたく。土が付いてたらしい。
「お、サンキューな」
「マイマーイ!中庭の方も終わったぜー」
額の汗を拭いながら、藍沢と立花が戻ってきた。
元気だな、こいつらは。2人の元気に自然と口角が上がる。
「こっちはもうちょーい、手伝ってー」
5人で仕上げに取り掛かると、俺は雑草を引っこ抜いてゴミ袋に入れるという単純作業に飽きてきて、ため息と同時にふと渡り廊下を見た。
すらっとした背の高い男が教科書やノートを手に持って堂々と歩いている。その横には笑顔が似合う茶髪の男と男子が数人。
よく目を凝らして見た瞬間、息が止まった。
あれって……
「お、氷王子ですねぇ」
「あー、俺この前初めて見たんすよ。やっぱオーラあるっすよねー」
「1年の女子も何人か告白して、玉砕したとか聞いたことあります」
「ほらマイマイも見てみろよ……え?」
素早く大きな花壇に身を隠す俺を4人は不思議そうに見つめた。俺は唇を噛み締めて目をつぶる。
氷王子、いや氷室とはもう関わりたくない。嫌われてるだろうし……まあ俺も嫌いだし。
「マイマイ先輩の理数科嫌いはまだ治んないんすかー?」
「ふふ、ブレないですよね」
後輩たちはやれやれといった感じで笑う。
「そういえばこの前……」藍沢と立花が何か言おうと口を開きかけた所を俺は反射的にパチンと手を叩いて制止した。
「はいはい、じゃあ時間もないし弁当食べよう、な?」
我ながら雑な会話のぶった斬り方だ。
藍沢と立花には「余計なことを言うな」と目線を送っておく。
ポケットに手を当てると伝わる固い感触。
そういえば名札、返してなかったな。
「あ、そうだマイマイ先輩、新体力テストの結果どうでした?」
部室に戻り輪になってお弁当を食べていると、篠原が卵焼きを口に運びながら聞いてきた。
「……俺に聞くなよ」俺は眉間に皺を寄せる。
毎年新学期に行われる新体力テスト。握力、上体起こし、ソフトボール投げ、50m走など全8種目を行い、総合得点でAからEまで評価されるお馴染みの行事。運動の成績がド平均の俺はギリB評価だった。
「俺は去年よりは良かったぞー」
藍沢はそこそこ。評価はAだったらしい。
「職員室前にランキング張り出されてたっす、見に行きました?」
「俺らまだ見てねーわ」
「私さっき見に行って来て。立花先輩載ってましたよ」
「本当ですか。いやぁ、今年は頑張ったんですよぉ」
体力テストの結果は、総合得点上位100位まで張り出されて表彰される。こう見えて立花は運動がめちゃめちゃできるのだ。去年はギリギリランキングに入れず悔しがっていた。
「まあ、元陸上部の篠原くんには負けますけどねぇ」
立花の言葉に篠原が「へへっ」と笑った。
「去年1位だった先輩は今年ライキング入ってなかったらしいんですけどどうしたんすかね?」
「……え?」
篠原の言葉に俺と藍沢、立花が顔を合わせる。
「し、篠原……今なんて?」
「え?だから去年1位だった先輩がランキング載ってなかったのでどうしたのかなーって。2位の人とかなり点差があったんで今年も圧倒的1位でもおかしくないのにってみんな言ってました」
「去年の1位って……」
「なんでしたっけ?たしか、氷室先輩?って人っす。2年生の人らしいですよ、知ってます?」
篠原はなにか問題があるのかと首を傾げる。
知ってるも何も……
そうか、俺だって最近まで知らなかったんだ。1年生が氷王子の本名を知ってる可能性は低い。
いやちょっと待てよ。新体力テストをやるのは毎年6月入ってすぐだ。俺が氷室にぶつかったあの日はたしか……
——「遅刻届、5月27日……今日?」
怪我をしたから……?あいつ、足首を思いっきり怪我してたよな?だとすると……俺のせいじゃないか!!
「先輩?どうしたんですか?」
「なんてことだ……」
俺はぽかんとする2人に氷王子とぶつかった日のことを話した。ため息をつきたくなるほど感情がぐちゃぐちゃだったあの1日の出来事。
「氷室先輩ってあの氷王子すか!?さっきの」
「まさか体力テストまで1位だったなんて……すごいですね」
氷室はきっと今回も1位になれたはず。全校生徒の前で表彰され、黄色い歓声を浴びていたはず。それにもし体力テストに参加してないのなら体育の成績はかなり低くなるだろう。
氷室は俺を恨んでいるよな?
氷室のファンにバレたら俺は社会的に殺されるだろうし、俺はもうこの学校に通えなくなるのか!?
頭を抱えた俺の肩を篠原が手を置いて揺すった。
「先輩!弁当なんて食べてる場合じゃないっすよ!今すぐ謝るべきです!」
「……え?」
「相手はあの氷王子なんですよね?許してもらわないと!早い方がいいっす!」
「え、え……」
「ちょっと待って下さいよ」
「なんで俺まで?」
「はいはい、行った行った」
俺たち2年生組は背中を押されてそのまま廊下へ追い出された。
5分後……
「おい、いるか?」
「いやー多分いないかな」
「ちょっと、ちゃんと見て下さいよ」
しゃがんで理数科の教室を覗き込む。教室には弁当を食べながら勉強している人ばかり、さすが理数科って感じだ。可能な限り見渡すけど氷室の姿はない。
「教室にはいないっぽい」
出直そうとしたその時、廊下の奥がざわざわしてきた。
この雰囲気はたぶん、
「おいマイマイ、氷王子だぞ!」
ですよねー。
こちらへ歩いてくるのが遠くに見える。
俺はなんでか素早く自分の教室へと逃げた。
「舞坂くん?何してるんですか?」
「なんで隠れるんだよ」
「だ、だって!あんな人がいっぱいいる所に行けるわけないだろ、お、俺みたいなやつが!」
「サッと謝るだけだろ」
教室の横を通り過ぎる氷室の姿が視界に入ると胸の鼓動はよりいっそう速くなった。
なんでこんなに緊張してるんだ俺は。
藍沢や立花に「はやく行け」と捲し立てられている間に5時間目の予鈴が鳴った。あと5分で昼休みも終わりだ。
「も、もう行くしかないよな……?」
「こういうのは勢いだぞ、マイマイ」
「大丈夫です、頑張ってください」
勢いか……。背中を押された俺は意を決して理数科へと走り、そのまま氷室が座る机へと向かった。教室中の人がなんだこいつと不愉快そうに見る視線が痛い。
「あの……」
机の前に立ち息切れする俺を氷室は怪訝そうに見つめた。
あの日と同じ嫌悪を詰め込んだような睨み顔。怖いんですけど。
「あの……これ」
言いながら机を一面埋めるほどの大量のお菓子やパンを彼の机に広げる。お詫びの品としてさっき急いで購買で買ってきたものだ。
「ほ、本当にすいませんでした!!」
用意してた言葉は全部飛んで、俺はそれだけ言って一目散に退散した。ずっとこの場にいたらおかしくなりそうだ。氷室が「なにが?」と口を開きかけた気がしたが、今さら足が止まらない。
「死ぬかと思った……」
教室に戻ると乱れた息を整える。かなりの体力を消耗した。
「どうでしたか?」
「一応謝ってきたよ……」
これで合っているのかはわからない。
もしかして逆に迷惑だったり……?
「ねえ、舞坂くんっているー?」
名前を呼ばれて反射的に振り返る。
見覚えがある明るめの茶髪の男。
たしかあの人は伊月くんとかいう氷室の友達だ。
彼ははさっき氷室にあげたはずのメロンパンをかじってきょろきょろと教室を見渡していた。
「やばい、伊月くんだよ!」
「伊月くんがこの教室に……」
「幸せすぎるー」
目を輝かせる女子たちに伊月くんはニコッと優しい笑みを向けた。
氷室なんかよりよっぽど王子に見えるよ、白馬の王子。
「は、はい!」
なんで君が食べている?という疑問は胸に押し込んで立ち上がる。
「あーいたいた!これ!」
俺を見つけると伊月くんはそう言って何かを投げつけた。キャッチして見ると、さっき氷室くんにあげたクリームパンがひとつ。
え、なんで?
俺は首を傾げて伊月くんを見る。
「氷室、カスタードは嫌いだってさ!」
それだけ言って彼は去っていった。
うさぎのような軽やかなステップ、理数科らしからぬフレンドリーで元気な人だ。
クラスメイトの視線が気になった俺はひとつ息を吐いてそっと椅子に座った。
氷室、カスタード嫌いなんだ……
5時間目のチャイムが鳴ると、行き場を失ったクリームパンをさっとカバンに入れて前を向く。
◇
「ごめんなマイマイー」
「すいませんねぇ」
放課後。今日はバイトがあるらしく藍沢と立花は部室に寄らず帰るという。
「全然いいって。気をつけて帰れよー」
「じゃあなー」
「お願いしますねぇ」
今日は水やりだけだし休みでいっか。
スマホを取り出して篠原と柚野に『今日部活なしで!』とメッセージを送る。
「よっしゃー、やるか!」
部室でひとり気合を入れて腕まくりをした。
今部室の花壇で育てているのはペンタス。
白、ピンク、赤、紫のいろんな色がある星型の花で柚野が形がかわいいと推していた花だ。
水やりを終えて軽く部室の掃除をしていると、扉をノックする音が聞こえた。顧問の中村先生だろうか。
「はい、どうぞー」
部長の藍沢はいないけど、まあいいか。
「先生どうもー。こんにち、わぁっ!!」
中村先生じゃ……ない。俺は目を疑った。
「こ、氷王子……」
なんだなんだ?俺を殺しにやってたとか?
無言で近づいてくる氷室にどんどん後ずさりすると、やがて背中を壁にぶつけた。冷たく固い感触が背にまとわりつく。
「どうすればいい?」
「な、なにが……?」
「これ」
氷室の手には所々虫に食われてたバジルの苗があった。
バジルは葉が柔らかく香りが強いため虫を寄せ付けやすい。氷室は虫に食われた苗を見て対処法を聞きに園芸部を訪れたという。
そうならそうとはやく言えよ、心臓に悪い。
心で文句を言いながらも貼り付けの笑顔で部室に招き入れる。
「ヨトウムシかな……食酢スプレーをつくるよ」
野菜の苗を育てる時はいつもこのスプレーで害虫対策をする。水と酢を50:1の割合で混ぜるだけで簡単に作ることができる。たしか去年トマトを育てた時に作ったような……俺は奥の棚にあった霧吹きと酢を手にし、早速スプレー作りに取り掛かった。
沈黙が気まずい。
氷室は座って頬杖をつきながら俺の作業を見ていた。
「……お前園芸部だったんだな」
「え、あー、うん」
「そんな緊張すんな、やりずらい」
「そ、そうだな」
もうすでに色々やらかしてるというのに、緊張するなとは無理なお願いだ。氷王子と俺2人ってどんな空間だよ、ここ。
「……よし、できた」
完成したスプレーを手渡すと氷室はおそるおそるスプレーを握る。
「そのままかければいいのか?」
「あ、それじゃちょっと近すぎる」
酢は酸性なので薄めていても直にかけすぎるとよくない。俺は氷室がスプレーを握る手を掴み、苗から30cmの距離に調節する。
「あ」
無意識に触れてしまったことに気づいて俺は慌てて手を離した。
「んんっ。こ、このくらいで」
バレないように小さく息を吐く。
気をつけろ、氷室と接する時は細心の注意を払うんだ。
「あのー」
氷室の苗の新しく出る葉にはかなり虫食いがあった。
「ん?」
「もしかしたら、その苗に虫がいるなら近くの他の苗にもいるかも。理数科の苗全体にかけた方がいいと思う」
出過ぎた真似だっただろうか?でもこれは園芸部員として見過ごせない事案だ。チラリと顔を伺うと氷室は「そうだな」と頷き立ち上がった。
中庭の理数科のプレートの前。
種を植えた時あんなに騒がしかったこの中庭も今日は人がいない。穏やかで優しい空気が漂っていて、向こうのグラウンドでやっている部活の掛け声が時々遠くに聞こえてくる。
「あの花は?」
理数科の苗にスプレーをかけ終えると氷室が突然、花壇をゆび指して聞いてきた。
「ペチュニアだよ、4月に植えたんだ」
濃い紫に薄い紫、そして、白。ひとつひとつの花が重なることなくギチギチに咲き乱れている。
氷室くんは「へぇー」と言いながら花壇の前に腰を下ろした。
「きれいだな」
「そうだろ?ここに植えてあるやつは紫系の色で統一してるんだ。で、あっちにある花壇にはピンク系でその奥は赤と紫と白が混ざった花が植えてあって、その奥には……あ」
「……」
なに興奮しているんだ。ベラベラと話していた自分に驚き、同時に恥ずかしくなって下を向いた。
「あ、いや、園芸部以外の人に花壇の花褒められたの初めてで……なんかうれしくって……」
「たしかにお前のクラスには花に情緒を感じるやつはいなそうだ。花を蹴って荒らすやつがいるぐらいだしな」
井上たちのことだろう。あの日の氷室の姿が脳裏に映る。
「あの時はありがとう。それと、怪我のこと……ご、ごめん。俺のせいで新体力テスト参加出来なかったわけだし」
氷室は目を細める。
「別にお前のせいじゃない」
「え?」
「たしかに怪我はしたけど、あんな軽い捻挫じゃ別に見学するほどじゃねーし」
「じゃあなんで……」
「怪我を言い訳にしてサボっただけだ。だるかったからな」
「え、それだけ?」
「ああ。そうすれば他のやつの順位がひとつずつ上がるし、俺も楽できて一石二鳥だ」
拍子抜けだ。俺があんなに悩んだのはなんだったんだ。
「……あんたもサボりたいって思うんだね」
「は?」
共通点なんてない、違う次元にいる人だと思ってた氷室が急に近くに感じた。
「俺なんか何してもダメだからさー。勉強も運動も、学校だってつまんないし、面倒くさいって思いながらやってる」
自虐混じりに言う俺に氷室は「そ」と一言、笑いはしなかった。
「でもあんたはなんでもできるから、俺とは違って楽しんでやってるのかなって思ってたんだ。だからなんか俺たちと同じ感覚っていうか、普通だなーって……」
言っている途中でハッとする。氷室が普通とは侮辱になりかねない。
「あっ、いや、なんていうかほら、ちゃんと人間なんだなーって」
フォローになってないと思いつつも慌てて言い換える。
「ふっ……ははっ」
少しの沈黙の後に氷室は「なんだそれ」とわずかに口元を緩ませた。
「…………笑った」
「は?」
「……氷王子が、笑った」
笑うんだこいつ。
初めて氷室の笑顔を見た。いつも無表情で感情が読み取れない彼の少しこちらを見下すような、だけど優しく包まれるような笑顔。目を合わせていたらその破壊力にきっと俺はどうにかなっていただろう。
俺の視線に気付くと氷室はすぐにいつもの冷たい表情に戻った。さっきまでの笑顔の面影はどこにもない。
「その呼び方……」
「え?」
「普通に名前で呼べ、俺はそんなんじゃない」
彼の顔に少し影が入る。
「完璧な人間じゃねーから」
どうしてそんな暗い顔をするんだろう。俺は彼の言葉の裏側を知りたくなった。
落ち着かない気持ちのまま、整った横顔を見つめた。
「俺、誤解してたかも」
そう言うと氷室は「は?」と言ってこちらを向く。
「俺はずっとあんたを、氷王子ってみんなにお膳立てられて調子乗ってる、スカした性格悪い奴だと思ってたんだ」
「ふんっ、それは偏見だな」
氷室は呆れたように笑う。
危ない……
余裕そうなこの笑顔に心臓がギュッと掴まれそうだった。
「あ!」
咄嗟に目を逸らして立ち上がる。
「そういえば、これ返す」
ずっとポケットに入れたままだった氷室の名札。
「やっぱお前が持ってたのか」
言いながら名札を取る手。一瞬触れた手は自分のよりはるかに冷たかった。
「スプレー……助かった」
名札をつけ終えると氷室はさっとカバンをもって「じゃ」と駐輪場の方へと消えていく。
流れがゆっくりに感じた時間は、ふーっと息を吐くといつものように動き出す。
夕暮れどきの生ぬるい風が吹く。ペチュニアの花が気持ちよさそうになびいていた。
◇
「今からAチームとCチームの試合やるぞー。Bチームは休憩なー」
あれから数日後の体育の授業。キュッキュッと体育館シューズが嫌な音を立て、バレーボールが弾む音が地面に響く。お昼の後の運動は地味にきつい。俺球技苦手だし。
なんでチーム戦をやらせるんだろう。運動のできるできないは個人差があるってんのに。先生はわかってない。
失敗して愚痴られんのはどうせ……
「おい舞坂!横だ、パスっ!」
「え……うわ!」
飛んできた球にギリギリまで気付かず、ボールが側頭部に直撃し、鈍い痛みが頭に響く。
「舞坂何やってんだ、集中しろ!」
チームメイトの怒号に気合を入れ直す。飛び交う球を必死に目で追っていると、相手チームのアタックがまたもや俺の所へ飛んできた。
待ってくれ、今レシーブの構えを……
「舞坂いけー!繋げー!」
……見事に空振った。
「おいマジかよ」
「負けたじゃんかー」
「はい、チーム交代ー、次のチーム入って!」
「ちっ、なんだよあいつ。マジで使えねー」
「なんで俺らと同じチームなんだよ」
ほら、こうやって文句言われるんだ。そのことにもう何も思わなくなった時、それにとって代わった感情は諦めだった。
「いったー……」
頭を抑えながら奥のコートに目を移す。立花のチームと藍沢のチームが試合をしていた。
立花はチームメイトと円陣を組んだ後、「任せたぞ」という声に拳を挙げた。普段あまり目立つことのない立花だけど、体育の時はみんなに頼りにされ輪の中心にいる。
「藍沢、さっきマジナイスだったわ!」
「へへ、だろ?」
「だろじゃねーよ、次も頼むぞー」
「ういー」
藍沢は特別運動が出来るわけではないが、持ち前の愛嬌でみんなと仲良くなれる明るい性格だ。ムードメーカーというのか。
「楽しそうだな……」
小さな独り言はポロリと足元に落ちる。
普段一緒にいる俺たちだけど、時々2人が遠く感じる。
こいつらは輝ける場所と自分を証明する武器を持っている。いや、こいつらだけじゃない。手前のコートには井上がチームメイトと勝利を喜び合っていた。素行は悪いけど人をまとめられる、それだって素晴らしい才能だ。
俺は?俺のもつ武器ってなんだ?
俺には何か自慢できることがあるのだろうか。
「うわ、絶対勝てねーじゃん!このチーム強すぎだろ」
そう、うらやましいからなのかもしれない。
だからだ。
だから、無数の武器を持っている眩しい一等星を見ると手を伸ばしたくなるんだ。
次の試合を待っている間、俺はぼーっとグラウンドを見つめる。そこでは理数科が同じく体育の授業でハンドボールをやっていた。
「うわー、負けたわ。マイマイ、俺のアタックどうだったよ?」
試合を終えた藍沢と立花が水を飲みに戻ってくる。
「え?あ、ごめん。見てなかったわ」
「あん?」
「舞坂くん、何見てるんですか?」
俺の視線の先に2人も目をやる。
「なあ、氷室ってかっこいいよな……?」
「……は?」
2人は同時に口をぽかんと開けた。
「ん?ま、まあ顔はイケメン……だよな?」
「氷とついても王子と呼ばれてるくらいですからね……?」
何を言っているんだ、という感じで2人は顔を合わせる。やっぱり俺がおかしいんだよな……?
「パスパス!おっけー氷室、投げろ!」
氷室の投げたボールは綺麗なカーブを作ってゴールへと吸い込まれる。
「ナイスぅ〜!」
彼はチームメイトとハイタッチをして交代、息を切らしながら座り込んだ。
体育着、濡れた前髪、水を飲んで湿った唇、首元をスッと流れる汗……なぜか目が離せない。
「最近、俺の目おかしいんだ。氷室の周りだけ輝いて見える。キラキラが周りに……なんで?……変だよな……目薬、いや病院行った方がいいかな……」
「おーい、マイマイ?大丈夫か?」
魂を吸い取られたみたいにぼーっとする俺に正気を取り戻せとばかりに藍沢が大きく肩を揺する。
本当に、なんで?
姿を見る度にあの笑顔を思い出してしまう。
むしろ何か病気であってくれ。
氷室のことが気になってしょうがないんだ!
太陽の光を受けて、水滴が残るペチュニアの白い花びらがキラリと光った。花言葉は『淡い恋』である。
【第2話】動き出す季節 完
俺の日常は特に変わらない……はずだった。
「6月中旬となればやっぱ暑いっすよねー」
俺の所属する園芸部は2年生3人、1年生2人で活動している。今日の昼休みは全員で部室周りの花壇の草むしりだ。
軍手をはめたまま手で風を仰ぐ後輩の篠原。運動部にいそうな爽やかな見た目で、彼の毛先の跳ね方は若干の陽キャ味を感じさせる。
「ほんとに。マジで暑いよな」
蒸し暑さで若干の苛立ちを含んだ俺の返事はすぐに可憐な声に上書きされた。
「舞坂先輩、とりあえずここ終わりました!」
「おー、ありがとな柚野」
篠原とは対照的に真面目な後輩の柚野は「いえいえ」と言いながら俺の横にしゃがみ込む。
「あ。先輩、ちょっと動かないでくださいね」
俺の肩を優しくはたく。土が付いてたらしい。
「お、サンキューな」
「マイマーイ!中庭の方も終わったぜー」
額の汗を拭いながら、藍沢と立花が戻ってきた。
元気だな、こいつらは。2人の元気に自然と口角が上がる。
「こっちはもうちょーい、手伝ってー」
5人で仕上げに取り掛かると、俺は雑草を引っこ抜いてゴミ袋に入れるという単純作業に飽きてきて、ため息と同時にふと渡り廊下を見た。
すらっとした背の高い男が教科書やノートを手に持って堂々と歩いている。その横には笑顔が似合う茶髪の男と男子が数人。
よく目を凝らして見た瞬間、息が止まった。
あれって……
「お、氷王子ですねぇ」
「あー、俺この前初めて見たんすよ。やっぱオーラあるっすよねー」
「1年の女子も何人か告白して、玉砕したとか聞いたことあります」
「ほらマイマイも見てみろよ……え?」
素早く大きな花壇に身を隠す俺を4人は不思議そうに見つめた。俺は唇を噛み締めて目をつぶる。
氷王子、いや氷室とはもう関わりたくない。嫌われてるだろうし……まあ俺も嫌いだし。
「マイマイ先輩の理数科嫌いはまだ治んないんすかー?」
「ふふ、ブレないですよね」
後輩たちはやれやれといった感じで笑う。
「そういえばこの前……」藍沢と立花が何か言おうと口を開きかけた所を俺は反射的にパチンと手を叩いて制止した。
「はいはい、じゃあ時間もないし弁当食べよう、な?」
我ながら雑な会話のぶった斬り方だ。
藍沢と立花には「余計なことを言うな」と目線を送っておく。
ポケットに手を当てると伝わる固い感触。
そういえば名札、返してなかったな。
「あ、そうだマイマイ先輩、新体力テストの結果どうでした?」
部室に戻り輪になってお弁当を食べていると、篠原が卵焼きを口に運びながら聞いてきた。
「……俺に聞くなよ」俺は眉間に皺を寄せる。
毎年新学期に行われる新体力テスト。握力、上体起こし、ソフトボール投げ、50m走など全8種目を行い、総合得点でAからEまで評価されるお馴染みの行事。運動の成績がド平均の俺はギリB評価だった。
「俺は去年よりは良かったぞー」
藍沢はそこそこ。評価はAだったらしい。
「職員室前にランキング張り出されてたっす、見に行きました?」
「俺らまだ見てねーわ」
「私さっき見に行って来て。立花先輩載ってましたよ」
「本当ですか。いやぁ、今年は頑張ったんですよぉ」
体力テストの結果は、総合得点上位100位まで張り出されて表彰される。こう見えて立花は運動がめちゃめちゃできるのだ。去年はギリギリランキングに入れず悔しがっていた。
「まあ、元陸上部の篠原くんには負けますけどねぇ」
立花の言葉に篠原が「へへっ」と笑った。
「去年1位だった先輩は今年ライキング入ってなかったらしいんですけどどうしたんすかね?」
「……え?」
篠原の言葉に俺と藍沢、立花が顔を合わせる。
「し、篠原……今なんて?」
「え?だから去年1位だった先輩がランキング載ってなかったのでどうしたのかなーって。2位の人とかなり点差があったんで今年も圧倒的1位でもおかしくないのにってみんな言ってました」
「去年の1位って……」
「なんでしたっけ?たしか、氷室先輩?って人っす。2年生の人らしいですよ、知ってます?」
篠原はなにか問題があるのかと首を傾げる。
知ってるも何も……
そうか、俺だって最近まで知らなかったんだ。1年生が氷王子の本名を知ってる可能性は低い。
いやちょっと待てよ。新体力テストをやるのは毎年6月入ってすぐだ。俺が氷室にぶつかったあの日はたしか……
——「遅刻届、5月27日……今日?」
怪我をしたから……?あいつ、足首を思いっきり怪我してたよな?だとすると……俺のせいじゃないか!!
「先輩?どうしたんですか?」
「なんてことだ……」
俺はぽかんとする2人に氷王子とぶつかった日のことを話した。ため息をつきたくなるほど感情がぐちゃぐちゃだったあの1日の出来事。
「氷室先輩ってあの氷王子すか!?さっきの」
「まさか体力テストまで1位だったなんて……すごいですね」
氷室はきっと今回も1位になれたはず。全校生徒の前で表彰され、黄色い歓声を浴びていたはず。それにもし体力テストに参加してないのなら体育の成績はかなり低くなるだろう。
氷室は俺を恨んでいるよな?
氷室のファンにバレたら俺は社会的に殺されるだろうし、俺はもうこの学校に通えなくなるのか!?
頭を抱えた俺の肩を篠原が手を置いて揺すった。
「先輩!弁当なんて食べてる場合じゃないっすよ!今すぐ謝るべきです!」
「……え?」
「相手はあの氷王子なんですよね?許してもらわないと!早い方がいいっす!」
「え、え……」
「ちょっと待って下さいよ」
「なんで俺まで?」
「はいはい、行った行った」
俺たち2年生組は背中を押されてそのまま廊下へ追い出された。
5分後……
「おい、いるか?」
「いやー多分いないかな」
「ちょっと、ちゃんと見て下さいよ」
しゃがんで理数科の教室を覗き込む。教室には弁当を食べながら勉強している人ばかり、さすが理数科って感じだ。可能な限り見渡すけど氷室の姿はない。
「教室にはいないっぽい」
出直そうとしたその時、廊下の奥がざわざわしてきた。
この雰囲気はたぶん、
「おいマイマイ、氷王子だぞ!」
ですよねー。
こちらへ歩いてくるのが遠くに見える。
俺はなんでか素早く自分の教室へと逃げた。
「舞坂くん?何してるんですか?」
「なんで隠れるんだよ」
「だ、だって!あんな人がいっぱいいる所に行けるわけないだろ、お、俺みたいなやつが!」
「サッと謝るだけだろ」
教室の横を通り過ぎる氷室の姿が視界に入ると胸の鼓動はよりいっそう速くなった。
なんでこんなに緊張してるんだ俺は。
藍沢や立花に「はやく行け」と捲し立てられている間に5時間目の予鈴が鳴った。あと5分で昼休みも終わりだ。
「も、もう行くしかないよな……?」
「こういうのは勢いだぞ、マイマイ」
「大丈夫です、頑張ってください」
勢いか……。背中を押された俺は意を決して理数科へと走り、そのまま氷室が座る机へと向かった。教室中の人がなんだこいつと不愉快そうに見る視線が痛い。
「あの……」
机の前に立ち息切れする俺を氷室は怪訝そうに見つめた。
あの日と同じ嫌悪を詰め込んだような睨み顔。怖いんですけど。
「あの……これ」
言いながら机を一面埋めるほどの大量のお菓子やパンを彼の机に広げる。お詫びの品としてさっき急いで購買で買ってきたものだ。
「ほ、本当にすいませんでした!!」
用意してた言葉は全部飛んで、俺はそれだけ言って一目散に退散した。ずっとこの場にいたらおかしくなりそうだ。氷室が「なにが?」と口を開きかけた気がしたが、今さら足が止まらない。
「死ぬかと思った……」
教室に戻ると乱れた息を整える。かなりの体力を消耗した。
「どうでしたか?」
「一応謝ってきたよ……」
これで合っているのかはわからない。
もしかして逆に迷惑だったり……?
「ねえ、舞坂くんっているー?」
名前を呼ばれて反射的に振り返る。
見覚えがある明るめの茶髪の男。
たしかあの人は伊月くんとかいう氷室の友達だ。
彼ははさっき氷室にあげたはずのメロンパンをかじってきょろきょろと教室を見渡していた。
「やばい、伊月くんだよ!」
「伊月くんがこの教室に……」
「幸せすぎるー」
目を輝かせる女子たちに伊月くんはニコッと優しい笑みを向けた。
氷室なんかよりよっぽど王子に見えるよ、白馬の王子。
「は、はい!」
なんで君が食べている?という疑問は胸に押し込んで立ち上がる。
「あーいたいた!これ!」
俺を見つけると伊月くんはそう言って何かを投げつけた。キャッチして見ると、さっき氷室くんにあげたクリームパンがひとつ。
え、なんで?
俺は首を傾げて伊月くんを見る。
「氷室、カスタードは嫌いだってさ!」
それだけ言って彼は去っていった。
うさぎのような軽やかなステップ、理数科らしからぬフレンドリーで元気な人だ。
クラスメイトの視線が気になった俺はひとつ息を吐いてそっと椅子に座った。
氷室、カスタード嫌いなんだ……
5時間目のチャイムが鳴ると、行き場を失ったクリームパンをさっとカバンに入れて前を向く。
◇
「ごめんなマイマイー」
「すいませんねぇ」
放課後。今日はバイトがあるらしく藍沢と立花は部室に寄らず帰るという。
「全然いいって。気をつけて帰れよー」
「じゃあなー」
「お願いしますねぇ」
今日は水やりだけだし休みでいっか。
スマホを取り出して篠原と柚野に『今日部活なしで!』とメッセージを送る。
「よっしゃー、やるか!」
部室でひとり気合を入れて腕まくりをした。
今部室の花壇で育てているのはペンタス。
白、ピンク、赤、紫のいろんな色がある星型の花で柚野が形がかわいいと推していた花だ。
水やりを終えて軽く部室の掃除をしていると、扉をノックする音が聞こえた。顧問の中村先生だろうか。
「はい、どうぞー」
部長の藍沢はいないけど、まあいいか。
「先生どうもー。こんにち、わぁっ!!」
中村先生じゃ……ない。俺は目を疑った。
「こ、氷王子……」
なんだなんだ?俺を殺しにやってたとか?
無言で近づいてくる氷室にどんどん後ずさりすると、やがて背中を壁にぶつけた。冷たく固い感触が背にまとわりつく。
「どうすればいい?」
「な、なにが……?」
「これ」
氷室の手には所々虫に食われてたバジルの苗があった。
バジルは葉が柔らかく香りが強いため虫を寄せ付けやすい。氷室は虫に食われた苗を見て対処法を聞きに園芸部を訪れたという。
そうならそうとはやく言えよ、心臓に悪い。
心で文句を言いながらも貼り付けの笑顔で部室に招き入れる。
「ヨトウムシかな……食酢スプレーをつくるよ」
野菜の苗を育てる時はいつもこのスプレーで害虫対策をする。水と酢を50:1の割合で混ぜるだけで簡単に作ることができる。たしか去年トマトを育てた時に作ったような……俺は奥の棚にあった霧吹きと酢を手にし、早速スプレー作りに取り掛かった。
沈黙が気まずい。
氷室は座って頬杖をつきながら俺の作業を見ていた。
「……お前園芸部だったんだな」
「え、あー、うん」
「そんな緊張すんな、やりずらい」
「そ、そうだな」
もうすでに色々やらかしてるというのに、緊張するなとは無理なお願いだ。氷王子と俺2人ってどんな空間だよ、ここ。
「……よし、できた」
完成したスプレーを手渡すと氷室はおそるおそるスプレーを握る。
「そのままかければいいのか?」
「あ、それじゃちょっと近すぎる」
酢は酸性なので薄めていても直にかけすぎるとよくない。俺は氷室がスプレーを握る手を掴み、苗から30cmの距離に調節する。
「あ」
無意識に触れてしまったことに気づいて俺は慌てて手を離した。
「んんっ。こ、このくらいで」
バレないように小さく息を吐く。
気をつけろ、氷室と接する時は細心の注意を払うんだ。
「あのー」
氷室の苗の新しく出る葉にはかなり虫食いがあった。
「ん?」
「もしかしたら、その苗に虫がいるなら近くの他の苗にもいるかも。理数科の苗全体にかけた方がいいと思う」
出過ぎた真似だっただろうか?でもこれは園芸部員として見過ごせない事案だ。チラリと顔を伺うと氷室は「そうだな」と頷き立ち上がった。
中庭の理数科のプレートの前。
種を植えた時あんなに騒がしかったこの中庭も今日は人がいない。穏やかで優しい空気が漂っていて、向こうのグラウンドでやっている部活の掛け声が時々遠くに聞こえてくる。
「あの花は?」
理数科の苗にスプレーをかけ終えると氷室が突然、花壇をゆび指して聞いてきた。
「ペチュニアだよ、4月に植えたんだ」
濃い紫に薄い紫、そして、白。ひとつひとつの花が重なることなくギチギチに咲き乱れている。
氷室くんは「へぇー」と言いながら花壇の前に腰を下ろした。
「きれいだな」
「そうだろ?ここに植えてあるやつは紫系の色で統一してるんだ。で、あっちにある花壇にはピンク系でその奥は赤と紫と白が混ざった花が植えてあって、その奥には……あ」
「……」
なに興奮しているんだ。ベラベラと話していた自分に驚き、同時に恥ずかしくなって下を向いた。
「あ、いや、園芸部以外の人に花壇の花褒められたの初めてで……なんかうれしくって……」
「たしかにお前のクラスには花に情緒を感じるやつはいなそうだ。花を蹴って荒らすやつがいるぐらいだしな」
井上たちのことだろう。あの日の氷室の姿が脳裏に映る。
「あの時はありがとう。それと、怪我のこと……ご、ごめん。俺のせいで新体力テスト参加出来なかったわけだし」
氷室は目を細める。
「別にお前のせいじゃない」
「え?」
「たしかに怪我はしたけど、あんな軽い捻挫じゃ別に見学するほどじゃねーし」
「じゃあなんで……」
「怪我を言い訳にしてサボっただけだ。だるかったからな」
「え、それだけ?」
「ああ。そうすれば他のやつの順位がひとつずつ上がるし、俺も楽できて一石二鳥だ」
拍子抜けだ。俺があんなに悩んだのはなんだったんだ。
「……あんたもサボりたいって思うんだね」
「は?」
共通点なんてない、違う次元にいる人だと思ってた氷室が急に近くに感じた。
「俺なんか何してもダメだからさー。勉強も運動も、学校だってつまんないし、面倒くさいって思いながらやってる」
自虐混じりに言う俺に氷室は「そ」と一言、笑いはしなかった。
「でもあんたはなんでもできるから、俺とは違って楽しんでやってるのかなって思ってたんだ。だからなんか俺たちと同じ感覚っていうか、普通だなーって……」
言っている途中でハッとする。氷室が普通とは侮辱になりかねない。
「あっ、いや、なんていうかほら、ちゃんと人間なんだなーって」
フォローになってないと思いつつも慌てて言い換える。
「ふっ……ははっ」
少しの沈黙の後に氷室は「なんだそれ」とわずかに口元を緩ませた。
「…………笑った」
「は?」
「……氷王子が、笑った」
笑うんだこいつ。
初めて氷室の笑顔を見た。いつも無表情で感情が読み取れない彼の少しこちらを見下すような、だけど優しく包まれるような笑顔。目を合わせていたらその破壊力にきっと俺はどうにかなっていただろう。
俺の視線に気付くと氷室はすぐにいつもの冷たい表情に戻った。さっきまでの笑顔の面影はどこにもない。
「その呼び方……」
「え?」
「普通に名前で呼べ、俺はそんなんじゃない」
彼の顔に少し影が入る。
「完璧な人間じゃねーから」
どうしてそんな暗い顔をするんだろう。俺は彼の言葉の裏側を知りたくなった。
落ち着かない気持ちのまま、整った横顔を見つめた。
「俺、誤解してたかも」
そう言うと氷室は「は?」と言ってこちらを向く。
「俺はずっとあんたを、氷王子ってみんなにお膳立てられて調子乗ってる、スカした性格悪い奴だと思ってたんだ」
「ふんっ、それは偏見だな」
氷室は呆れたように笑う。
危ない……
余裕そうなこの笑顔に心臓がギュッと掴まれそうだった。
「あ!」
咄嗟に目を逸らして立ち上がる。
「そういえば、これ返す」
ずっとポケットに入れたままだった氷室の名札。
「やっぱお前が持ってたのか」
言いながら名札を取る手。一瞬触れた手は自分のよりはるかに冷たかった。
「スプレー……助かった」
名札をつけ終えると氷室はさっとカバンをもって「じゃ」と駐輪場の方へと消えていく。
流れがゆっくりに感じた時間は、ふーっと息を吐くといつものように動き出す。
夕暮れどきの生ぬるい風が吹く。ペチュニアの花が気持ちよさそうになびいていた。
◇
「今からAチームとCチームの試合やるぞー。Bチームは休憩なー」
あれから数日後の体育の授業。キュッキュッと体育館シューズが嫌な音を立て、バレーボールが弾む音が地面に響く。お昼の後の運動は地味にきつい。俺球技苦手だし。
なんでチーム戦をやらせるんだろう。運動のできるできないは個人差があるってんのに。先生はわかってない。
失敗して愚痴られんのはどうせ……
「おい舞坂!横だ、パスっ!」
「え……うわ!」
飛んできた球にギリギリまで気付かず、ボールが側頭部に直撃し、鈍い痛みが頭に響く。
「舞坂何やってんだ、集中しろ!」
チームメイトの怒号に気合を入れ直す。飛び交う球を必死に目で追っていると、相手チームのアタックがまたもや俺の所へ飛んできた。
待ってくれ、今レシーブの構えを……
「舞坂いけー!繋げー!」
……見事に空振った。
「おいマジかよ」
「負けたじゃんかー」
「はい、チーム交代ー、次のチーム入って!」
「ちっ、なんだよあいつ。マジで使えねー」
「なんで俺らと同じチームなんだよ」
ほら、こうやって文句言われるんだ。そのことにもう何も思わなくなった時、それにとって代わった感情は諦めだった。
「いったー……」
頭を抑えながら奥のコートに目を移す。立花のチームと藍沢のチームが試合をしていた。
立花はチームメイトと円陣を組んだ後、「任せたぞ」という声に拳を挙げた。普段あまり目立つことのない立花だけど、体育の時はみんなに頼りにされ輪の中心にいる。
「藍沢、さっきマジナイスだったわ!」
「へへ、だろ?」
「だろじゃねーよ、次も頼むぞー」
「ういー」
藍沢は特別運動が出来るわけではないが、持ち前の愛嬌でみんなと仲良くなれる明るい性格だ。ムードメーカーというのか。
「楽しそうだな……」
小さな独り言はポロリと足元に落ちる。
普段一緒にいる俺たちだけど、時々2人が遠く感じる。
こいつらは輝ける場所と自分を証明する武器を持っている。いや、こいつらだけじゃない。手前のコートには井上がチームメイトと勝利を喜び合っていた。素行は悪いけど人をまとめられる、それだって素晴らしい才能だ。
俺は?俺のもつ武器ってなんだ?
俺には何か自慢できることがあるのだろうか。
「うわ、絶対勝てねーじゃん!このチーム強すぎだろ」
そう、うらやましいからなのかもしれない。
だからだ。
だから、無数の武器を持っている眩しい一等星を見ると手を伸ばしたくなるんだ。
次の試合を待っている間、俺はぼーっとグラウンドを見つめる。そこでは理数科が同じく体育の授業でハンドボールをやっていた。
「うわー、負けたわ。マイマイ、俺のアタックどうだったよ?」
試合を終えた藍沢と立花が水を飲みに戻ってくる。
「え?あ、ごめん。見てなかったわ」
「あん?」
「舞坂くん、何見てるんですか?」
俺の視線の先に2人も目をやる。
「なあ、氷室ってかっこいいよな……?」
「……は?」
2人は同時に口をぽかんと開けた。
「ん?ま、まあ顔はイケメン……だよな?」
「氷とついても王子と呼ばれてるくらいですからね……?」
何を言っているんだ、という感じで2人は顔を合わせる。やっぱり俺がおかしいんだよな……?
「パスパス!おっけー氷室、投げろ!」
氷室の投げたボールは綺麗なカーブを作ってゴールへと吸い込まれる。
「ナイスぅ〜!」
彼はチームメイトとハイタッチをして交代、息を切らしながら座り込んだ。
体育着、濡れた前髪、水を飲んで湿った唇、首元をスッと流れる汗……なぜか目が離せない。
「最近、俺の目おかしいんだ。氷室の周りだけ輝いて見える。キラキラが周りに……なんで?……変だよな……目薬、いや病院行った方がいいかな……」
「おーい、マイマイ?大丈夫か?」
魂を吸い取られたみたいにぼーっとする俺に正気を取り戻せとばかりに藍沢が大きく肩を揺する。
本当に、なんで?
姿を見る度にあの笑顔を思い出してしまう。
むしろ何か病気であってくれ。
氷室のことが気になってしょうがないんだ!
太陽の光を受けて、水滴が残るペチュニアの白い花びらがキラリと光った。花言葉は『淡い恋』である。
【第2話】動き出す季節 完
