ねじれの位置。同一平面上になく、平行でも交わってもいない状態のこと。同じ図形を構成している線のはずなのになんだかお互い関係のないみたいに違う方向を向いている。
この頃のオレたちはそう、まさにそんな感じだった。
「えー、ただいまより、令和四年度始業式を始めます」
高校二年生、四月。体育館で三角座りをしながら小さく周りを見渡すと頭をガクンと揺らしたりぼうっと空気を見つめたりみんな心ここにあらずって感じだ。まあそうだよな、オレだって窓からの日差しが気持ち良くて思わず目を閉じそうだったから。いい日だなーなんてしばらく外の桜の木を眺める、なんてことない普通の新学期だった。
「生徒代表挨拶、8組理数科の氷室くんです」
キーン。
突然、耳を塞ぎたくなるような機械音が響く。黒板を爪で引っ掻いた音と同じような不快感。何の音だ?反射的にステージに目を移すと無表情な男子がマイクを握っていた。ああ、マイクを入れた音か。周りに座る生徒たちもこちらに意識が戻ってきたようでなんだなんだとざわざわしてくる。
「ねえ見てよ」「うわー朝からイケメン」
「あの人が氷室くん?」「やっぱかっこいいー」
女子たちの視線の先にいる彼の名は氷室澄生(ひむろすい)だ。
「本日より新年度が始まります。2年生としての自覚と責任を持ち、仲間と切磋琢磨しながら更なる高みを——」
一瞬にして空気が変わる。スンとした冷たい声が春の暖かな空気をさらって体育館の気温を下げた。オレは肺に入った冷たい空気が体の熱を奪っていくのを感じ、ステージを見上げた姿勢のまま凍ったみたいに動けなくなった。
着崩さずキッチリと着た制服。ピシッと上まで締めたネクタイ。彼の鋭い目は全てを見透かしているようで恐ろしさすら感じる。髪は黒く、艶のあるストレートだ。
これは……少女漫画の圧倒的主人公。ヒーローだ。
1ミリたりともズレのない、完璧な彫刻フェイス。
「なーマイマイ、聞いたか?」
後ろに座る同じクラスの藍沢蓮(あいざわれん)がオレの肩を叩いた。
「ん?なにが?」
「氷室だよ、氷室。今喋ってるやつ。去年の定期テスト、全部一位だったらしい」
「え?まじで?……たしか体力テストでも校内一位で表彰されてたような……」
「理数科のくせに運動もできるなんて、許せませんねぇ」
この独特な言い回しをするのはこれまた同じクラスの立花幸希(たちばなこうき)だ。寝てたのか、こいつ。目を擦っている。くせっ毛でゴワゴワした髪で文学小説を書いているような真面目というより少し不気味な風貌だ。
「成績優秀で運動神経もバツグン。それでいてあのルックスだろ。なるほど俺らに春が来ないわけだ」
「……ん?おい、俺らってなんだよ、俺"ら"って!」
オレは藍沢の脇腹に肘を喰らわす。
「なんだよ合ってるだろ?マイマイだって彼女いないじゃーん?」
「クッ……」
言い返す言葉が見つからず、食いしばった歯の隙間から空気が漏れた。藍沢は勝ち誇ったようにニヤリと笑う。
「まあ、いいじゃん。俺らは氷室がいるからモテませーんって言い訳できるし」
氷室は相変わらず無表情で淡々とスピーチを続けている。無感情で仕事をこなすAIみたいだ。
「でもマイマイだって知ってるだろ?氷室に彼女がいるって噂は聞いたことがない」
「そういえば……そうだね」
モテるだろうに、不思議だ。
「女子と一切話さないし、無愛想で塩対応。だからこう呼ばれてる」
藍沢はちょいちょいと手招きをした。
「香陵高校の氷王子」
「……氷、王子?」
前を向き直るとスピーチを終えたらしい氷室は堂々とお辞儀をして先生にマイクを渡した。
「生徒代表、理数科の氷室くんの挨拶でした、ありがとう。えー、続いては……」
◇
「ふわぁ……眠かった」
始業式が終わり、あくびをして立ち上がると藍沢はオレと立花の肩にドンと手を置いて歩き出す。
「今日はこれで終わりだし、さっさと部室寄って帰ろうぜー」
「今日は新しい苗植える予定だろ?」
「そうですよぉ。忘れてたんですか?藍沢くん」
これから始まる学校生活もきっとこんな感じだ。学校行って、授業受けて、園芸部の活動をするだけ。
「ねえやばい、氷室君だよ」隣にいた女子グループの視線の先に目を向けると、氷室が出口へ向かっているところだった。
「お、やっぱモテんなー氷室は」
彼は女子たちを気にする様子もなく歩いていく。その顔には相変わらず笑顔はなく、目には温度が感じられない。
この人は笑うんだろうか?一体どんな風に笑うのだろう?想像もつかな、
「あっ……」
視線を感じたのかもしれない。一瞬彼と目が合ったような気がしてオレは慌てて目を逸らした。ほんの一瞬なのに大きな鋭い針で刺されたような圧があった。
「ん?どうしたマイマイ」
「いや、なんでもない」
——人気者な優等生と冴えない園芸部員。
きっと一生関わることはない。
別にそれが悲しいと思わないくらい、当たり前に住む世界が違う人。二人の距離は離れもせず縮まりもしない、いや、そもそも距離なんて概念すらここには存在してないだろう。それほどにオレたちはなにも始まらないはずだった。
外に出るとふわりと優しい風が頬をなでる。桜の花びらが目の前を舞っていた。
この頃のオレたちはそう、まさにそんな感じだった。
「えー、ただいまより、令和四年度始業式を始めます」
高校二年生、四月。体育館で三角座りをしながら小さく周りを見渡すと頭をガクンと揺らしたりぼうっと空気を見つめたりみんな心ここにあらずって感じだ。まあそうだよな、オレだって窓からの日差しが気持ち良くて思わず目を閉じそうだったから。いい日だなーなんてしばらく外の桜の木を眺める、なんてことない普通の新学期だった。
「生徒代表挨拶、8組理数科の氷室くんです」
キーン。
突然、耳を塞ぎたくなるような機械音が響く。黒板を爪で引っ掻いた音と同じような不快感。何の音だ?反射的にステージに目を移すと無表情な男子がマイクを握っていた。ああ、マイクを入れた音か。周りに座る生徒たちもこちらに意識が戻ってきたようでなんだなんだとざわざわしてくる。
「ねえ見てよ」「うわー朝からイケメン」
「あの人が氷室くん?」「やっぱかっこいいー」
女子たちの視線の先にいる彼の名は氷室澄生(ひむろすい)だ。
「本日より新年度が始まります。2年生としての自覚と責任を持ち、仲間と切磋琢磨しながら更なる高みを——」
一瞬にして空気が変わる。スンとした冷たい声が春の暖かな空気をさらって体育館の気温を下げた。オレは肺に入った冷たい空気が体の熱を奪っていくのを感じ、ステージを見上げた姿勢のまま凍ったみたいに動けなくなった。
着崩さずキッチリと着た制服。ピシッと上まで締めたネクタイ。彼の鋭い目は全てを見透かしているようで恐ろしさすら感じる。髪は黒く、艶のあるストレートだ。
これは……少女漫画の圧倒的主人公。ヒーローだ。
1ミリたりともズレのない、完璧な彫刻フェイス。
「なーマイマイ、聞いたか?」
後ろに座る同じクラスの藍沢蓮(あいざわれん)がオレの肩を叩いた。
「ん?なにが?」
「氷室だよ、氷室。今喋ってるやつ。去年の定期テスト、全部一位だったらしい」
「え?まじで?……たしか体力テストでも校内一位で表彰されてたような……」
「理数科のくせに運動もできるなんて、許せませんねぇ」
この独特な言い回しをするのはこれまた同じクラスの立花幸希(たちばなこうき)だ。寝てたのか、こいつ。目を擦っている。くせっ毛でゴワゴワした髪で文学小説を書いているような真面目というより少し不気味な風貌だ。
「成績優秀で運動神経もバツグン。それでいてあのルックスだろ。なるほど俺らに春が来ないわけだ」
「……ん?おい、俺らってなんだよ、俺"ら"って!」
オレは藍沢の脇腹に肘を喰らわす。
「なんだよ合ってるだろ?マイマイだって彼女いないじゃーん?」
「クッ……」
言い返す言葉が見つからず、食いしばった歯の隙間から空気が漏れた。藍沢は勝ち誇ったようにニヤリと笑う。
「まあ、いいじゃん。俺らは氷室がいるからモテませーんって言い訳できるし」
氷室は相変わらず無表情で淡々とスピーチを続けている。無感情で仕事をこなすAIみたいだ。
「でもマイマイだって知ってるだろ?氷室に彼女がいるって噂は聞いたことがない」
「そういえば……そうだね」
モテるだろうに、不思議だ。
「女子と一切話さないし、無愛想で塩対応。だからこう呼ばれてる」
藍沢はちょいちょいと手招きをした。
「香陵高校の氷王子」
「……氷、王子?」
前を向き直るとスピーチを終えたらしい氷室は堂々とお辞儀をして先生にマイクを渡した。
「生徒代表、理数科の氷室くんの挨拶でした、ありがとう。えー、続いては……」
◇
「ふわぁ……眠かった」
始業式が終わり、あくびをして立ち上がると藍沢はオレと立花の肩にドンと手を置いて歩き出す。
「今日はこれで終わりだし、さっさと部室寄って帰ろうぜー」
「今日は新しい苗植える予定だろ?」
「そうですよぉ。忘れてたんですか?藍沢くん」
これから始まる学校生活もきっとこんな感じだ。学校行って、授業受けて、園芸部の活動をするだけ。
「ねえやばい、氷室君だよ」隣にいた女子グループの視線の先に目を向けると、氷室が出口へ向かっているところだった。
「お、やっぱモテんなー氷室は」
彼は女子たちを気にする様子もなく歩いていく。その顔には相変わらず笑顔はなく、目には温度が感じられない。
この人は笑うんだろうか?一体どんな風に笑うのだろう?想像もつかな、
「あっ……」
視線を感じたのかもしれない。一瞬彼と目が合ったような気がしてオレは慌てて目を逸らした。ほんの一瞬なのに大きな鋭い針で刺されたような圧があった。
「ん?どうしたマイマイ」
「いや、なんでもない」
——人気者な優等生と冴えない園芸部員。
きっと一生関わることはない。
別にそれが悲しいと思わないくらい、当たり前に住む世界が違う人。二人の距離は離れもせず縮まりもしない、いや、そもそも距離なんて概念すらここには存在してないだろう。それほどにオレたちはなにも始まらないはずだった。
外に出るとふわりと優しい風が頬をなでる。桜の花びらが目の前を舞っていた。
