お隣さんと待ち合わせ
もう少し一歩踏み出す勇気のある人間だったなら。周りの目なんて気にしない図太さのある人間だったら。そんなどうしようもないタラレバばかり考えながら、怜治は何度目かのため息をついた。深夜一時のベランダから景色を眺めたって、住宅街のマンションの低層階ではなんの味気もない。
雑にビールを煽って、ちらりと隣の部屋を見る。部屋の明かりは既に消えており、今頃どんな夢を見ているのだろうかと思いを馳せた。
缶ビールは、もう既に生ぬるくなってしまっていてそのままでいくにはちょっと味気無い。それでもなんだか飲んでいないと寝れそうにもなかった。
木下怜治、二十一歳大学生。隣の部屋に住む後輩に絶賛片思い中である。
隣人の正樹は同じ学部に通う一個下の後輩だ。後輩ではあるものの、ほぼ友人として最近は接することの方が多くなってきたくらいには仲良くさせてもらっている。
最初こそ、引っ越しの挨拶に彼が来た時に同じ学部という事で話が盛り上がったことから始まるが、好きなゲームが一緒であったり、味の好みが似ていたり。そういう積み重ねがあって、いつしか怜治にとって正樹は大学で最も仲の良い存在になっていった。大学で昼を一緒に食べて、それぞれ授業を受けて帰宅して。隣同士の部屋で通話を繋げてオンラインゲームをする。それが怜治の生活の「あたりまえ」であり、非常気に入っている日常だった。
それが少し変わったのは、今年のバレンタインデーだった。
「バレンタインデーにもデートとか無くゲームって、しょっぱすぎるだろ」
「はは、まぁ良いんじゃないすか?これはこれで充実してるでしょ」
「まぁ楽しいけどさぁ……みんながウキウキ浮ついてる時に何も無いって、結構虚しくない?大学生とかもうチョコのドキドキとかも無いし……正樹だってそうだろ?」
わざとらしくため息をつきながら、拗ねたような声をだしてみる。正樹も同じようなバレンタインデーを迎えてるに違いない。そんな風に信じきって、いつものようにふざけて返してくれるこもをきたいしていた。
「え、チョコは貰えたりしません?同じ講義受けてる子から貰ったりとか」
返答は怜治にとって予想していなかったもので、思わず固まった。きちんと聞き返すことすら出来なくて、へぇと間の抜けた声が出てきた。
「え、もしかして告白とかされたり……?」
「してないですよ。ただチョコ貰っただけ」
「……そっか。えー、正樹にもどっかで彼女とか出来ちゃうんだろうなー!」
なんだか心臓が痛くて、思わず茶化したような調子で寂しいだなんて零してしまう。ただチョコ貰っただけでも、その子はお前にちょっと気があるだろう。
可愛い子ならやっぱ付き合うんだろうな。
その時、羨ましいと感じていることに気がついた。
後輩に恋人が出来ることではなく、後輩と付き合えるかもしれないという女の子に対して。そちらに「いいな」と仄暗い嫉妬のようなドロドロとしてなにかが自分の中で生まれていることに。
あれ、自分ってもしかして正樹のことが…………
「……怜治先輩?」
正樹の声で、パッと正気に戻る。ぐるぐると渦巻く何かのことは一度頭の端へと追いやった。
「あー……いや、意外とお前ってモテてたりするのかもなぁとか思っちゃったよ。羨ましいな」
「それを言うなら怜治さんの方がそうでしょ。友達とか、めっちゃ多いし」
「マジでただの友達だよ。女子とか俺はナシって言ってくるんだぞ!マジ酷いよな」
「えー、何でですか。先輩めっちゃ優しいのにね」
「だ、だろ?」
何気ない一言に、ドキリと心臓が高鳴る。落ち着け、ただ友達のノリでお世辞みたいに言ってくれているだけだ。
それでも浮つく気持ちは止められそうになかった。
その日はその後の一戦だけで通話を切って解散した。ちょっと体調が良くないかも、なんて嘘までついて。切り際に、やばかったら連絡してくださいね、なんて言われて余計に心苦しくなったけれど。そのまま話し続けて何かボロを出してしまうよりはマシだと思った。
気が付きたくない、恋心にそうして俺は自覚せざるを得なかったのだ。どうにかなる見込みも薄く、隠していくことしかないものに。
そこから数ヶ月、現在。もう少しで正樹の誕生日を迎える。告白なんてするつもりは無いが、気が付いたら彼が少し前に欲しいと零していたアクセサリーなんて買ってしまっていた。丁寧なラッピングまでしてもらって、引き出しの奥の方に見つからないようにひっそりとしまっている。
数ヶ月経って恋ごころは、これくらいならバレないだろうかという気持ちと、全てバレてしまってもう引き返せないくらいめちゃくちゃになってくれないかという破滅的な願望も生まれつつあった。
つまり、抑えるどころか大きくなってきつつある。
一緒にいたらふとした事でドキッとしてしまったり。動揺してしまったり。そのせいで妙に通話を繋げることすら気恥ずかしくなっていた。
課題が忙しいからという嘘をついてまで、正樹とのゲームを以前よりも控えている。
大学でもよく会うし、飯だって食べるけれども前よりも頻度は減った。
正樹に恋人が出来た時の練習だ。そんな風に考えて、もう少し会いたいと思う心に蓋をしている。こういう時に一年違うというのは、誤魔化しやすくてちょうど良かったかもしれない。バイトもちょっぴり増やした。以前よりも正樹以外の友人と会うことも多くなり、友人にも珍しいなんて言われてしまった。それほどまで自分は正樹とずっと過ごしていたのだろうか。
頻度を増やした最初こそ、正樹は少しだけ不満げな顔を見せていたが最近はそれにも慣れて来てくれたようだ。それに勝手な寂しさを覚えてしまうのも、自分が撒いたことの結果であるというのに。
これまでの頻度が高すぎたのだ。よくよく考えてみたら、大学に入ってから正樹が誰かと付き合っているのは見たことが無い。彼は贔屓目に見たとしても、清潔感があり好印象を与える優しげな顔立ちをしていた。
最初はクールなタイプなのかと思っていたら、実は人見知りだっただけで本質はかなり明るくてよく喋る。冗談も好きで、ノリも悪くない。何か言い過ぎたと感じる事があればすぐに謝ることの出来る素直さもまた彼の魅力だった。
「あー、好きだな」
そんな風に正樹のことを考えているだけでもむくむくと好きという気持ちが溢れてくる。
好きだと自覚する度に、正樹から距離をとる。正樹も特に引き止めることもなく、ただその距離を素直に守ってくれていた。それが、ありがたくて痛い。
こんな風に項垂れて酒を煽っているのも、しょうもない消せない、諦めきれていない恋心のせいだった。
いつものようにキャンパスを移動していた時に、少し遠くで正樹を見つけた。声をかけようかとした時に、その隣に女子が居ることに気が付く。
別にそれだけだったら特に思うことは無い。ただ、正樹が女子の話に笑っていて。楽しそうな様子を見てしまって心がざわついた。
「あ、これコイツが誰かと付き合ってもちゃんと祝えないかも」
そんな事をまざまざと痛感してしまったのだった。別に距離をとったのは自分の選択だし、それなのに傷付いた気分になっているのはあまりにも身勝手だ。
それでもやはり、男の中でも割とずっとスポーツをやっていた体は逞しい方で、身長だって少しだけ俺の方が正樹よりも高い。
顔立ちも可愛らしいとは程遠い顔つきをしている。
こんなの叶う見込みなんてないじゃないか。
そうしてヤケになった俺は、普段は1人でなんて買わない酒を飲んで全部流してしまおうなんて無茶な事を起こしていた。
「あー……つらい……うー……本当に馬鹿、女々しいし、ガチでダサすぎる」
そんな風に小さく語彙のない唸り声を聞こえない程度に続けている。言葉に出して発散しなければ、身体の中に溜まっていっていつしか爆発してしまうような気がしていた。
「こんなことにダメージ受けてんのもダサすぎ、かっこいい怜治先輩なんて居なかったんだ…………あーあ」
誕生日、一緒に過ごさせて欲しいって言えたら良かったのに。誕生日は数日後、もう予定なんて埋めてしまっているだろう。正樹にも友達は結構いるのだから。そして何本目かの缶ビールを飲み切れば、程よい酩酊感で何とか眠れそうだった。シラフでは、色々と考えすぎて眠れない。
今のうちに寝る準備をしようとベランダから部屋へと戻る。そうして、引き出しから正樹へ渡そうとしていたプレゼントを取りだした。
「……コレがあるから、余計諦め切れないんだ」
そうして掴んだプレゼントを思い切りゴミ箱に入れてしまおうか、そんな風に悩んだ瞬間にピンポンとチャイムがなった。
慌ててプレゼントを一旦テーブルにおいて玄関へと向かう。この時間に誰だ、と少し警戒しながらドアスコープから向こうを覗けば、向こうに正樹が立っていた。
どうしよう、と頭にふたつ選択肢が上がってドアを開けようとする手が止まる。
するとスマホが振動して、メッセージが届いている通知が来ていた。
「怜治さん、起きてるよね?」
「開けて欲しい、こんな時間にごめん。お願い」
お願い、という言葉が目に入ってぐっと眉間に皺を寄せる。コイツの常套手段だ、お願いって言ったら俺が叶えてくれると思ってる。
俺が正樹に恋心を自覚する以前から甘い事に彼は気が付いていたし、それを利用する。そんなやつだった。
酒を飲んでたから酔ってて上手く頭は回らないしどうしようかと悩むが、もういいかと何となく全部どうでも良くなった。なるようになってしまえば良い。
そうしてドアをゆっくりと開ける。開けたドアの隙間から、正樹の顔が少しづつ明るくなる様子が見えた。あ、ヤバいかもな。なんてそんなちょっとしたことにも思ってしまう。
「あ、良かった…………先輩、飲んでます?」
「うん、飲んでた……てか、何時だと思ってんだよ」
「いつもなら全然ゲームしてたりするでしょ」
「最近はしてねーって……で、こんな時間にわざわざどうした?」
少しだけ不機嫌そうなふりをして、取り繕う。
「先輩に会いたくなりました」
ガサガサと面倒くさそうに頭を搔いていた手が止まる。今コイツなんて言った?会いたくなった?
バッとアルコールの力ではないところで、体温が上がる。思わず上がりそうになる口角を押さえた。
「お、まえ……そういうのは気になる女の子に言うやつだよ。まぁそれでもこの時間はやめといた方が良いと思うけど」
肩をポンポンとして、隣の部屋に押し返そうとするが。上手く力が入らない。
「……それなら間違ってないし、先輩全然説得力ないです」
「だから、そういうことは――」
「やだ、まだ戻りませんから」
そうして俺を押しのけて、俺の部屋に入り込む。
なんだか、彼が自分の部屋に来るのは久しぶりな気がした。
「お邪魔しますからね……って、なんか前より汚くなってない?」
「おい開口一言それはねぇだろ……忙しいから片付けられてないだけだって」
「嘘。先輩自分から忙しくしてるだけでしょ。聞いたよ俺」
「は?何で……」
「先輩の友達に聞いた。そしたらなんか最近そっちとは会ってるらしいじゃん。ズルくない?」
そうして拗ねたような顔を見せる。そんな顔をするなよ、と全部ぶちまけそうになるこころをどうにかまた抑え込む。ぐっ、と押して奥に仕舞いこもうとする。
「べ、つに。お前とばっか遊んでるなって思ったからたまには別のやつとも遊ぶかって思っただけ」
「嘘。俺の事避けてるよね?今日だって、声掛けてくれなかったし」
「…………気づかなかっただけだよ」
コイツ気付いてたのかよ、思わずため息が溢れる。
「それで、この時間にわざわざ先輩に会いたくなったって?」
「だって先輩、ずっと起きてたじゃん」
「理由になってねぇよ……用がないなら帰っとけ、明日まだ平日だぞ」
「俺も先輩も全休でしょ」
「……そうだったな」
二人で揃って履修登録をしたのだ。そうして作った時間割が、今は少しだけ怨めしい。
「…………なんかあるなら、さっさと終わらせて帰れよ」
「わかった、じゃあ一度廊下じゃなくて部屋まで入れてよ」
狭い部屋の廊下でずっと押し問答を続けていたことに気が付く。
ただ、部屋には片付けそびれたコイツへのプレゼントが置いてあるままだ。どうにかそれだけ隠さないと。
「……いいけど、ちょっと待て」
「嫌だ。だから入るね」
「ちょっ!?言うこと聞けって!」
「言うことばっか大人しく聞いてたら、怜治さん逃げてくじゃん」
静止する俺を振り切って、正樹は部屋の奥へと入っていく。
慌ててそれを追って、どうにか走ってテーブルの上のプレゼントを掴んで後ろ手に隠す。
「……ねぇ、それって」
少しだけ驚いたような顔をしている正樹をキッと睨みつける。
「何で俺の言うこと聞いてくれないんだよ、いつもみたいに」
「言ったじゃん、じゃなきゃ先輩逃げるからって」
「俺は逃げてない、何にも」
「……そうだとしても、俺は嫌だから。だからここに来たよ」
「さっさともう、言えよ。要件とか……」
投げやりに言葉をぶつける。ガンガンと頭が痛かった。何を言われるのか分からなくて、怖い。
「……先輩」
そうして、一歩また一歩正樹が近付いてくる。思わず怖気付いて、一歩ずつ後退してしまう。そうして気が付けば、壁際に追いやられていた。
「ちょ、正樹」
そう制止すれば、俺の手を取ろうとしてか腕の裾を小さく引っ張る。それまでは大胆に動いていたのにそれだけが控えめで、可愛いなだなんて笑いそうになる。
「ねぇ、先輩。一個お願いあるんです」
「……なに?」
「俺の誕生日、一緒に過ごしてよ」
「え?お前まだ誕生日空いてたのか?」
「空けてたんだよ、先輩と過ごしたかったから」
目尻を下げて、こちらに甘えるように俯いて、視線を向けられる。グラリと、視界が一瞬揺れる心地がした。
「……そういうのも、女の子に言ってやれよ」
「やだ。先輩がいい。我慢しようと思ってたけど、もう辞める。夜に会いたくなってくるのも、誕生日一緒に祝って欲しいのも、俺にとっては全部怜治さんが良いんだよ」
そう言うと、握った裾をギュッと掴まれた。眉間を寄せるその表情すら、絵になるななんて他人事のように思った。
「俺、先輩のことが好きだよ。友愛じゃなくて、恋愛として。ねぇ、だから避けないでよ。前みたいに会って、ゲームしてくだらない事もしたいし。それ以外もしたいこといっぱいあるよ」
そうして、正樹は俺の身体を引き寄せた。俺の方が少しだけ正樹よりも大きい筈なのに、抱きしめられた心地に酷く安心してしまう自分がいた。
「す、きって、う、嘘だろ」
「嘘じゃないよ。俺は、1年の頃からずっと先輩のこと好きだったよ」
「は!?そんな素振り全然……」
「だって、先輩俺の事ただの後輩としか見てなかったもん」
「……それは、そうだけど」
「先輩がなんか忙しくなって、嫌だなって思ってたけど仕方ないかって最初思ってた。でも、色々聞いてみたらそうじゃないっぽくて……ねぇ、俺のこと嫌いになった?」
「んなわけない!……そんなん、出来たらよかったのに」
後ろに隠したプレゼントをまた少し強く掴んだ。
さっきからずっと心臓が痛い。抱きしめられた所が酷く熱い。どうしても浮かれそうになる気分に、乗っかって良いのかとぐるぐる思考が回る。
「……ほんとに、俺のこと好きなのかよ」
「好きだよ。今も、抱き締めててめっちゃドキドキしてるし。手汗とかどうしようって焦ってる」
「どんな心配……」
ふっと思わず笑ってしまう。このマイペースな感じが、正樹らしくてなんだか嬉しくなってしまった。
あぁ、本当に良いのだろうか?浮つく心のゆくままに、もう乗っかってしまおうか。
「……ねぇ、俺にしてよ。好きって言ってよ、怜治さん」
正樹が肩に頭を擦りつける。なんだか、その甘え方に色々と張り詰めていたものが崩れていく。
あぁやっぱり好きだな。本当に。
「好きだよ、俺も。多分、ずっと好きだった……ぎりぎりになっちゃったけど、お前の誕生日一緒に過ごさせてよ」
そう言って、後ろに組んだ手を解いて正樹を抱きしめ返した。
なんだか夢見心地で、そのまま寝て起きたら嘘になってるんじゃないかとすら感じる。
「は、はは!やった!良かった……自惚れとかじゃなくて、ちゃんとほんとで……」
「自惚れってどういうこと?」
「……あの、正直俺のこと避け始めたくらいから先輩、凄い分かりやすく反応するから……前まで全然しなかったことでめっちゃ照れるし、かと思えば俺の事すげー見てる時もあるし……だから、その、恥ずかしいんだけど、絶対俺のこと好きじゃない!?って……でも、なんか違ったら怖いなって思ったからズルズル引き伸ばしてたり良い子にしてたらこんな事に」
「は!?お、俺分かりやすかった!?」
思わず身体を押し返して尋ねれば、キョトンとした様子で正樹は答えた。
「はい……あー、でもね。周りには別にバレてないかと……元々先輩俺に距離近かったからむしろ離れた位だったし」
「うわ……え、じゃあもしかしてお前って、めちゃくちゃ頑張って誤魔化してたりしてた?」
「してましたよ。部屋来るのも毎回ドキドキしてましたし、目の前で寝始めた時もどうしようかと思ってましたし。まぁでも本当にずっと意識されてなかったから我慢してましたけど。……だからマジで最近許せなかったんすよ」
「それは、ごめん?」
「別に付き合えるなら何でも!もうそれだけで、めっちゃ幸せなんで」
そうはにかむ姿は幸せそうで、俺が今こいつにこの表情をさせているんだと思うと、幸福感が湧いてくる。
「……俺も、今幸せだよ」
「へへ……ねぇ、今日もうここに泊まっちゃダメですか?」
「……初手からがっつき過ぎじゃないか?」
「えっ!?あ、いや!ただ一緒に過ごしたいだけ!」
「ははは!冗談!……良いよ、じゃあ寝るまでお前の誕生日どうしようか考えようか」
「俺、行きたいとことかあるんですよね……一緒に来てくれますか?」
「もちろん、どこでもついてくよ」
そうして、少し悩んでから躊躇いがちにキスをした。正樹が目を見開いて、そこからすっと愛しげに細める。
何度かバードキスを続けて、正樹の髪を撫でた。少しだけ石鹸の香りが残っている。正樹の家のシャンプーの匂いだなと感じた。
「……先輩って結構積極的だった?」
「これまでの恋人には割とそうだったかも……あーでも今回は流石に怖かったから、全然出来なかったけどさ……逃げてたのは、お前を傷付けたな。ごめん」
頭を下げれば、そのまま再び軽く抱きしめられて背中をトントンと叩かれる。
「もう謝らなくていいよ。結果オーライというか。だからこそ俺も追いかけなきゃって火ついたし」
「……お前は思ってたより情熱的だったんだな」
「そうだよ?俺先輩の事、先輩が想像してるよりも大好きだから」
「……そういうこと惜しげも無く言えちゃうようなところはお前の良いところだよ」
「先輩の照れ方、なんか可愛いよね」
「おい、生意気」
トンと腰の当たりを軽く小突く。いたいいたい、なんて正樹は嬉しそうに笑った。
「……てかさ、先輩がずっと持ってるそれって、俺が期待しても良いやつ?」
「あっ…………あー、あの、一旦見なかった事に」
「……任せて、俺初見の反応得意だから。てかマジでそれ、いや普通に多分ちゃんと見たら超喜べると思う」
「めちゃくちゃオタクみたいなこと言うじゃん」
「いや俺オタクだしね」
「それもそうだな……」
正樹は確かにどちらかと言うとオタク趣味の持ち主だ。パソコンにも強く、ゲーム好きで部屋には漫画が多く置かれている。
「ゲームもまた、一緒に沢山やろう」
「先輩腕訛ったんじゃないすか?ランク大丈夫?」
「おい煽りか?」
「やべっ!違う違う」
軽口を言い笑い合いながら、ふと疑問に思ったことを聞いてみる。
「そういやさ、お前ってなんで俺の事好きになったの?」
「……めっちゃ突然来ますね。えー……その、先輩って、男前よりの顔だなって思ってるんすけど、その割に可愛く笑うんだなーとか……めっちゃ距離感近いとことか、ゲームでミスってもちょっと冗談交じりに怒るくらいで凄い励ましてくれるとことか……そういう積み重ねで気が付いたら好きになってました」
「全然自覚が無い……あーでも俺もお前のこと好きなんだなってなったのはそういう積み重ねだし、それは同じか」
「ちなみに先輩は俺のどこが好き?」
「えー……意外と表情豊かで、懐くと結構べったり来てくれるところはずっと可愛いなって思ってたよ。あとは……こういう風にちゃんとやらなきゃって思ったら迷わず行動出来るところはカッコイイよな」
すらすらと答えてみると、じわじわと正樹が照れていくのが目に見えてわかった。可愛い男だ。
「思ったよりなんか、恥ずかしいっすね」
「まぁそれはそうなんだけど……でもそっかーそういうとこ好きなのか……」
じわじわと先程の言葉を反芻する。それだけでもうこれから幸せに生きていけそうだ。
思わず上がる口角を気恥ずかしさから抑えた。
そこからふと、付き合うならと思い付いたことを口に出してみる。
「……俺さぁ、お前にバレンタインチョコやりたいんだよね」
「えっ今バレンタインの話します?結構先……」
「……お前がバレンタインチョコ貰ったせいで俺はお前を避けることになったんだからな」
そう唇を軽く尖らせれば、正樹が動揺したようにこちらを勢いよく向いた。
「えっあれ!?マジで市販の大袋のチョコだったんですよ!?……もしかしてここ聞いてなかったりしました?」
「……知らないな。え、マジで?嘘、市販のチョコに嫉妬してたの俺?」
「嫉妬してくれてたんだ……」
そこじゃないだろ、というツッコミは飲み込む。それよりも自分自身がただの大袋のチョコにこんなに惑わされていた事実が憎たらしい。
「マジで高ぇチョコ渡すからな」
「大袋チョコへの当てつけすか?」
「そうだよ!……まぁあと、選ぶのも悪くないかもなって思ったから」
「へへ、なら楽しみにしてます」
「ホワイトデーは十倍な」
「年下にめっちゃ重いの課すじゃないすか、勘弁してくださいよ」
「総合的に俺が十倍だって感じれたら、値段は気にしないよ」
「十倍なのは変わらないの重いですって……でも、怜治さんのことめちゃくちゃ喜ばせてみせますよ」
「お、楽しみにしてるよ」
これからの事を話ながら、幸せに満ちた夜がまた更けていく。ただ眠れない夜ではなく、明けてしまうのが惜しい夜がそこにはあった。
もう少し一歩踏み出す勇気のある人間だったなら。周りの目なんて気にしない図太さのある人間だったら。そんなどうしようもないタラレバばかり考えながら、怜治は何度目かのため息をついた。深夜一時のベランダから景色を眺めたって、住宅街のマンションの低層階ではなんの味気もない。
雑にビールを煽って、ちらりと隣の部屋を見る。部屋の明かりは既に消えており、今頃どんな夢を見ているのだろうかと思いを馳せた。
缶ビールは、もう既に生ぬるくなってしまっていてそのままでいくにはちょっと味気無い。それでもなんだか飲んでいないと寝れそうにもなかった。
木下怜治、二十一歳大学生。隣の部屋に住む後輩に絶賛片思い中である。
隣人の正樹は同じ学部に通う一個下の後輩だ。後輩ではあるものの、ほぼ友人として最近は接することの方が多くなってきたくらいには仲良くさせてもらっている。
最初こそ、引っ越しの挨拶に彼が来た時に同じ学部という事で話が盛り上がったことから始まるが、好きなゲームが一緒であったり、味の好みが似ていたり。そういう積み重ねがあって、いつしか怜治にとって正樹は大学で最も仲の良い存在になっていった。大学で昼を一緒に食べて、それぞれ授業を受けて帰宅して。隣同士の部屋で通話を繋げてオンラインゲームをする。それが怜治の生活の「あたりまえ」であり、非常気に入っている日常だった。
それが少し変わったのは、今年のバレンタインデーだった。
「バレンタインデーにもデートとか無くゲームって、しょっぱすぎるだろ」
「はは、まぁ良いんじゃないすか?これはこれで充実してるでしょ」
「まぁ楽しいけどさぁ……みんながウキウキ浮ついてる時に何も無いって、結構虚しくない?大学生とかもうチョコのドキドキとかも無いし……正樹だってそうだろ?」
わざとらしくため息をつきながら、拗ねたような声をだしてみる。正樹も同じようなバレンタインデーを迎えてるに違いない。そんな風に信じきって、いつものようにふざけて返してくれるこもをきたいしていた。
「え、チョコは貰えたりしません?同じ講義受けてる子から貰ったりとか」
返答は怜治にとって予想していなかったもので、思わず固まった。きちんと聞き返すことすら出来なくて、へぇと間の抜けた声が出てきた。
「え、もしかして告白とかされたり……?」
「してないですよ。ただチョコ貰っただけ」
「……そっか。えー、正樹にもどっかで彼女とか出来ちゃうんだろうなー!」
なんだか心臓が痛くて、思わず茶化したような調子で寂しいだなんて零してしまう。ただチョコ貰っただけでも、その子はお前にちょっと気があるだろう。
可愛い子ならやっぱ付き合うんだろうな。
その時、羨ましいと感じていることに気がついた。
後輩に恋人が出来ることではなく、後輩と付き合えるかもしれないという女の子に対して。そちらに「いいな」と仄暗い嫉妬のようなドロドロとしてなにかが自分の中で生まれていることに。
あれ、自分ってもしかして正樹のことが…………
「……怜治先輩?」
正樹の声で、パッと正気に戻る。ぐるぐると渦巻く何かのことは一度頭の端へと追いやった。
「あー……いや、意外とお前ってモテてたりするのかもなぁとか思っちゃったよ。羨ましいな」
「それを言うなら怜治さんの方がそうでしょ。友達とか、めっちゃ多いし」
「マジでただの友達だよ。女子とか俺はナシって言ってくるんだぞ!マジ酷いよな」
「えー、何でですか。先輩めっちゃ優しいのにね」
「だ、だろ?」
何気ない一言に、ドキリと心臓が高鳴る。落ち着け、ただ友達のノリでお世辞みたいに言ってくれているだけだ。
それでも浮つく気持ちは止められそうになかった。
その日はその後の一戦だけで通話を切って解散した。ちょっと体調が良くないかも、なんて嘘までついて。切り際に、やばかったら連絡してくださいね、なんて言われて余計に心苦しくなったけれど。そのまま話し続けて何かボロを出してしまうよりはマシだと思った。
気が付きたくない、恋心にそうして俺は自覚せざるを得なかったのだ。どうにかなる見込みも薄く、隠していくことしかないものに。
そこから数ヶ月、現在。もう少しで正樹の誕生日を迎える。告白なんてするつもりは無いが、気が付いたら彼が少し前に欲しいと零していたアクセサリーなんて買ってしまっていた。丁寧なラッピングまでしてもらって、引き出しの奥の方に見つからないようにひっそりとしまっている。
数ヶ月経って恋ごころは、これくらいならバレないだろうかという気持ちと、全てバレてしまってもう引き返せないくらいめちゃくちゃになってくれないかという破滅的な願望も生まれつつあった。
つまり、抑えるどころか大きくなってきつつある。
一緒にいたらふとした事でドキッとしてしまったり。動揺してしまったり。そのせいで妙に通話を繋げることすら気恥ずかしくなっていた。
課題が忙しいからという嘘をついてまで、正樹とのゲームを以前よりも控えている。
大学でもよく会うし、飯だって食べるけれども前よりも頻度は減った。
正樹に恋人が出来た時の練習だ。そんな風に考えて、もう少し会いたいと思う心に蓋をしている。こういう時に一年違うというのは、誤魔化しやすくてちょうど良かったかもしれない。バイトもちょっぴり増やした。以前よりも正樹以外の友人と会うことも多くなり、友人にも珍しいなんて言われてしまった。それほどまで自分は正樹とずっと過ごしていたのだろうか。
頻度を増やした最初こそ、正樹は少しだけ不満げな顔を見せていたが最近はそれにも慣れて来てくれたようだ。それに勝手な寂しさを覚えてしまうのも、自分が撒いたことの結果であるというのに。
これまでの頻度が高すぎたのだ。よくよく考えてみたら、大学に入ってから正樹が誰かと付き合っているのは見たことが無い。彼は贔屓目に見たとしても、清潔感があり好印象を与える優しげな顔立ちをしていた。
最初はクールなタイプなのかと思っていたら、実は人見知りだっただけで本質はかなり明るくてよく喋る。冗談も好きで、ノリも悪くない。何か言い過ぎたと感じる事があればすぐに謝ることの出来る素直さもまた彼の魅力だった。
「あー、好きだな」
そんな風に正樹のことを考えているだけでもむくむくと好きという気持ちが溢れてくる。
好きだと自覚する度に、正樹から距離をとる。正樹も特に引き止めることもなく、ただその距離を素直に守ってくれていた。それが、ありがたくて痛い。
こんな風に項垂れて酒を煽っているのも、しょうもない消せない、諦めきれていない恋心のせいだった。
いつものようにキャンパスを移動していた時に、少し遠くで正樹を見つけた。声をかけようかとした時に、その隣に女子が居ることに気が付く。
別にそれだけだったら特に思うことは無い。ただ、正樹が女子の話に笑っていて。楽しそうな様子を見てしまって心がざわついた。
「あ、これコイツが誰かと付き合ってもちゃんと祝えないかも」
そんな事をまざまざと痛感してしまったのだった。別に距離をとったのは自分の選択だし、それなのに傷付いた気分になっているのはあまりにも身勝手だ。
それでもやはり、男の中でも割とずっとスポーツをやっていた体は逞しい方で、身長だって少しだけ俺の方が正樹よりも高い。
顔立ちも可愛らしいとは程遠い顔つきをしている。
こんなの叶う見込みなんてないじゃないか。
そうしてヤケになった俺は、普段は1人でなんて買わない酒を飲んで全部流してしまおうなんて無茶な事を起こしていた。
「あー……つらい……うー……本当に馬鹿、女々しいし、ガチでダサすぎる」
そんな風に小さく語彙のない唸り声を聞こえない程度に続けている。言葉に出して発散しなければ、身体の中に溜まっていっていつしか爆発してしまうような気がしていた。
「こんなことにダメージ受けてんのもダサすぎ、かっこいい怜治先輩なんて居なかったんだ…………あーあ」
誕生日、一緒に過ごさせて欲しいって言えたら良かったのに。誕生日は数日後、もう予定なんて埋めてしまっているだろう。正樹にも友達は結構いるのだから。そして何本目かの缶ビールを飲み切れば、程よい酩酊感で何とか眠れそうだった。シラフでは、色々と考えすぎて眠れない。
今のうちに寝る準備をしようとベランダから部屋へと戻る。そうして、引き出しから正樹へ渡そうとしていたプレゼントを取りだした。
「……コレがあるから、余計諦め切れないんだ」
そうして掴んだプレゼントを思い切りゴミ箱に入れてしまおうか、そんな風に悩んだ瞬間にピンポンとチャイムがなった。
慌ててプレゼントを一旦テーブルにおいて玄関へと向かう。この時間に誰だ、と少し警戒しながらドアスコープから向こうを覗けば、向こうに正樹が立っていた。
どうしよう、と頭にふたつ選択肢が上がってドアを開けようとする手が止まる。
するとスマホが振動して、メッセージが届いている通知が来ていた。
「怜治さん、起きてるよね?」
「開けて欲しい、こんな時間にごめん。お願い」
お願い、という言葉が目に入ってぐっと眉間に皺を寄せる。コイツの常套手段だ、お願いって言ったら俺が叶えてくれると思ってる。
俺が正樹に恋心を自覚する以前から甘い事に彼は気が付いていたし、それを利用する。そんなやつだった。
酒を飲んでたから酔ってて上手く頭は回らないしどうしようかと悩むが、もういいかと何となく全部どうでも良くなった。なるようになってしまえば良い。
そうしてドアをゆっくりと開ける。開けたドアの隙間から、正樹の顔が少しづつ明るくなる様子が見えた。あ、ヤバいかもな。なんてそんなちょっとしたことにも思ってしまう。
「あ、良かった…………先輩、飲んでます?」
「うん、飲んでた……てか、何時だと思ってんだよ」
「いつもなら全然ゲームしてたりするでしょ」
「最近はしてねーって……で、こんな時間にわざわざどうした?」
少しだけ不機嫌そうなふりをして、取り繕う。
「先輩に会いたくなりました」
ガサガサと面倒くさそうに頭を搔いていた手が止まる。今コイツなんて言った?会いたくなった?
バッとアルコールの力ではないところで、体温が上がる。思わず上がりそうになる口角を押さえた。
「お、まえ……そういうのは気になる女の子に言うやつだよ。まぁそれでもこの時間はやめといた方が良いと思うけど」
肩をポンポンとして、隣の部屋に押し返そうとするが。上手く力が入らない。
「……それなら間違ってないし、先輩全然説得力ないです」
「だから、そういうことは――」
「やだ、まだ戻りませんから」
そうして俺を押しのけて、俺の部屋に入り込む。
なんだか、彼が自分の部屋に来るのは久しぶりな気がした。
「お邪魔しますからね……って、なんか前より汚くなってない?」
「おい開口一言それはねぇだろ……忙しいから片付けられてないだけだって」
「嘘。先輩自分から忙しくしてるだけでしょ。聞いたよ俺」
「は?何で……」
「先輩の友達に聞いた。そしたらなんか最近そっちとは会ってるらしいじゃん。ズルくない?」
そうして拗ねたような顔を見せる。そんな顔をするなよ、と全部ぶちまけそうになるこころをどうにかまた抑え込む。ぐっ、と押して奥に仕舞いこもうとする。
「べ、つに。お前とばっか遊んでるなって思ったからたまには別のやつとも遊ぶかって思っただけ」
「嘘。俺の事避けてるよね?今日だって、声掛けてくれなかったし」
「…………気づかなかっただけだよ」
コイツ気付いてたのかよ、思わずため息が溢れる。
「それで、この時間にわざわざ先輩に会いたくなったって?」
「だって先輩、ずっと起きてたじゃん」
「理由になってねぇよ……用がないなら帰っとけ、明日まだ平日だぞ」
「俺も先輩も全休でしょ」
「……そうだったな」
二人で揃って履修登録をしたのだ。そうして作った時間割が、今は少しだけ怨めしい。
「…………なんかあるなら、さっさと終わらせて帰れよ」
「わかった、じゃあ一度廊下じゃなくて部屋まで入れてよ」
狭い部屋の廊下でずっと押し問答を続けていたことに気が付く。
ただ、部屋には片付けそびれたコイツへのプレゼントが置いてあるままだ。どうにかそれだけ隠さないと。
「……いいけど、ちょっと待て」
「嫌だ。だから入るね」
「ちょっ!?言うこと聞けって!」
「言うことばっか大人しく聞いてたら、怜治さん逃げてくじゃん」
静止する俺を振り切って、正樹は部屋の奥へと入っていく。
慌ててそれを追って、どうにか走ってテーブルの上のプレゼントを掴んで後ろ手に隠す。
「……ねぇ、それって」
少しだけ驚いたような顔をしている正樹をキッと睨みつける。
「何で俺の言うこと聞いてくれないんだよ、いつもみたいに」
「言ったじゃん、じゃなきゃ先輩逃げるからって」
「俺は逃げてない、何にも」
「……そうだとしても、俺は嫌だから。だからここに来たよ」
「さっさともう、言えよ。要件とか……」
投げやりに言葉をぶつける。ガンガンと頭が痛かった。何を言われるのか分からなくて、怖い。
「……先輩」
そうして、一歩また一歩正樹が近付いてくる。思わず怖気付いて、一歩ずつ後退してしまう。そうして気が付けば、壁際に追いやられていた。
「ちょ、正樹」
そう制止すれば、俺の手を取ろうとしてか腕の裾を小さく引っ張る。それまでは大胆に動いていたのにそれだけが控えめで、可愛いなだなんて笑いそうになる。
「ねぇ、先輩。一個お願いあるんです」
「……なに?」
「俺の誕生日、一緒に過ごしてよ」
「え?お前まだ誕生日空いてたのか?」
「空けてたんだよ、先輩と過ごしたかったから」
目尻を下げて、こちらに甘えるように俯いて、視線を向けられる。グラリと、視界が一瞬揺れる心地がした。
「……そういうのも、女の子に言ってやれよ」
「やだ。先輩がいい。我慢しようと思ってたけど、もう辞める。夜に会いたくなってくるのも、誕生日一緒に祝って欲しいのも、俺にとっては全部怜治さんが良いんだよ」
そう言うと、握った裾をギュッと掴まれた。眉間を寄せるその表情すら、絵になるななんて他人事のように思った。
「俺、先輩のことが好きだよ。友愛じゃなくて、恋愛として。ねぇ、だから避けないでよ。前みたいに会って、ゲームしてくだらない事もしたいし。それ以外もしたいこといっぱいあるよ」
そうして、正樹は俺の身体を引き寄せた。俺の方が少しだけ正樹よりも大きい筈なのに、抱きしめられた心地に酷く安心してしまう自分がいた。
「す、きって、う、嘘だろ」
「嘘じゃないよ。俺は、1年の頃からずっと先輩のこと好きだったよ」
「は!?そんな素振り全然……」
「だって、先輩俺の事ただの後輩としか見てなかったもん」
「……それは、そうだけど」
「先輩がなんか忙しくなって、嫌だなって思ってたけど仕方ないかって最初思ってた。でも、色々聞いてみたらそうじゃないっぽくて……ねぇ、俺のこと嫌いになった?」
「んなわけない!……そんなん、出来たらよかったのに」
後ろに隠したプレゼントをまた少し強く掴んだ。
さっきからずっと心臓が痛い。抱きしめられた所が酷く熱い。どうしても浮かれそうになる気分に、乗っかって良いのかとぐるぐる思考が回る。
「……ほんとに、俺のこと好きなのかよ」
「好きだよ。今も、抱き締めててめっちゃドキドキしてるし。手汗とかどうしようって焦ってる」
「どんな心配……」
ふっと思わず笑ってしまう。このマイペースな感じが、正樹らしくてなんだか嬉しくなってしまった。
あぁ、本当に良いのだろうか?浮つく心のゆくままに、もう乗っかってしまおうか。
「……ねぇ、俺にしてよ。好きって言ってよ、怜治さん」
正樹が肩に頭を擦りつける。なんだか、その甘え方に色々と張り詰めていたものが崩れていく。
あぁやっぱり好きだな。本当に。
「好きだよ、俺も。多分、ずっと好きだった……ぎりぎりになっちゃったけど、お前の誕生日一緒に過ごさせてよ」
そう言って、後ろに組んだ手を解いて正樹を抱きしめ返した。
なんだか夢見心地で、そのまま寝て起きたら嘘になってるんじゃないかとすら感じる。
「は、はは!やった!良かった……自惚れとかじゃなくて、ちゃんとほんとで……」
「自惚れってどういうこと?」
「……あの、正直俺のこと避け始めたくらいから先輩、凄い分かりやすく反応するから……前まで全然しなかったことでめっちゃ照れるし、かと思えば俺の事すげー見てる時もあるし……だから、その、恥ずかしいんだけど、絶対俺のこと好きじゃない!?って……でも、なんか違ったら怖いなって思ったからズルズル引き伸ばしてたり良い子にしてたらこんな事に」
「は!?お、俺分かりやすかった!?」
思わず身体を押し返して尋ねれば、キョトンとした様子で正樹は答えた。
「はい……あー、でもね。周りには別にバレてないかと……元々先輩俺に距離近かったからむしろ離れた位だったし」
「うわ……え、じゃあもしかしてお前って、めちゃくちゃ頑張って誤魔化してたりしてた?」
「してましたよ。部屋来るのも毎回ドキドキしてましたし、目の前で寝始めた時もどうしようかと思ってましたし。まぁでも本当にずっと意識されてなかったから我慢してましたけど。……だからマジで最近許せなかったんすよ」
「それは、ごめん?」
「別に付き合えるなら何でも!もうそれだけで、めっちゃ幸せなんで」
そうはにかむ姿は幸せそうで、俺が今こいつにこの表情をさせているんだと思うと、幸福感が湧いてくる。
「……俺も、今幸せだよ」
「へへ……ねぇ、今日もうここに泊まっちゃダメですか?」
「……初手からがっつき過ぎじゃないか?」
「えっ!?あ、いや!ただ一緒に過ごしたいだけ!」
「ははは!冗談!……良いよ、じゃあ寝るまでお前の誕生日どうしようか考えようか」
「俺、行きたいとことかあるんですよね……一緒に来てくれますか?」
「もちろん、どこでもついてくよ」
そうして、少し悩んでから躊躇いがちにキスをした。正樹が目を見開いて、そこからすっと愛しげに細める。
何度かバードキスを続けて、正樹の髪を撫でた。少しだけ石鹸の香りが残っている。正樹の家のシャンプーの匂いだなと感じた。
「……先輩って結構積極的だった?」
「これまでの恋人には割とそうだったかも……あーでも今回は流石に怖かったから、全然出来なかったけどさ……逃げてたのは、お前を傷付けたな。ごめん」
頭を下げれば、そのまま再び軽く抱きしめられて背中をトントンと叩かれる。
「もう謝らなくていいよ。結果オーライというか。だからこそ俺も追いかけなきゃって火ついたし」
「……お前は思ってたより情熱的だったんだな」
「そうだよ?俺先輩の事、先輩が想像してるよりも大好きだから」
「……そういうこと惜しげも無く言えちゃうようなところはお前の良いところだよ」
「先輩の照れ方、なんか可愛いよね」
「おい、生意気」
トンと腰の当たりを軽く小突く。いたいいたい、なんて正樹は嬉しそうに笑った。
「……てかさ、先輩がずっと持ってるそれって、俺が期待しても良いやつ?」
「あっ…………あー、あの、一旦見なかった事に」
「……任せて、俺初見の反応得意だから。てかマジでそれ、いや普通に多分ちゃんと見たら超喜べると思う」
「めちゃくちゃオタクみたいなこと言うじゃん」
「いや俺オタクだしね」
「それもそうだな……」
正樹は確かにどちらかと言うとオタク趣味の持ち主だ。パソコンにも強く、ゲーム好きで部屋には漫画が多く置かれている。
「ゲームもまた、一緒に沢山やろう」
「先輩腕訛ったんじゃないすか?ランク大丈夫?」
「おい煽りか?」
「やべっ!違う違う」
軽口を言い笑い合いながら、ふと疑問に思ったことを聞いてみる。
「そういやさ、お前ってなんで俺の事好きになったの?」
「……めっちゃ突然来ますね。えー……その、先輩って、男前よりの顔だなって思ってるんすけど、その割に可愛く笑うんだなーとか……めっちゃ距離感近いとことか、ゲームでミスってもちょっと冗談交じりに怒るくらいで凄い励ましてくれるとことか……そういう積み重ねで気が付いたら好きになってました」
「全然自覚が無い……あーでも俺もお前のこと好きなんだなってなったのはそういう積み重ねだし、それは同じか」
「ちなみに先輩は俺のどこが好き?」
「えー……意外と表情豊かで、懐くと結構べったり来てくれるところはずっと可愛いなって思ってたよ。あとは……こういう風にちゃんとやらなきゃって思ったら迷わず行動出来るところはカッコイイよな」
すらすらと答えてみると、じわじわと正樹が照れていくのが目に見えてわかった。可愛い男だ。
「思ったよりなんか、恥ずかしいっすね」
「まぁそれはそうなんだけど……でもそっかーそういうとこ好きなのか……」
じわじわと先程の言葉を反芻する。それだけでもうこれから幸せに生きていけそうだ。
思わず上がる口角を気恥ずかしさから抑えた。
そこからふと、付き合うならと思い付いたことを口に出してみる。
「……俺さぁ、お前にバレンタインチョコやりたいんだよね」
「えっ今バレンタインの話します?結構先……」
「……お前がバレンタインチョコ貰ったせいで俺はお前を避けることになったんだからな」
そう唇を軽く尖らせれば、正樹が動揺したようにこちらを勢いよく向いた。
「えっあれ!?マジで市販の大袋のチョコだったんですよ!?……もしかしてここ聞いてなかったりしました?」
「……知らないな。え、マジで?嘘、市販のチョコに嫉妬してたの俺?」
「嫉妬してくれてたんだ……」
そこじゃないだろ、というツッコミは飲み込む。それよりも自分自身がただの大袋のチョコにこんなに惑わされていた事実が憎たらしい。
「マジで高ぇチョコ渡すからな」
「大袋チョコへの当てつけすか?」
「そうだよ!……まぁあと、選ぶのも悪くないかもなって思ったから」
「へへ、なら楽しみにしてます」
「ホワイトデーは十倍な」
「年下にめっちゃ重いの課すじゃないすか、勘弁してくださいよ」
「総合的に俺が十倍だって感じれたら、値段は気にしないよ」
「十倍なのは変わらないの重いですって……でも、怜治さんのことめちゃくちゃ喜ばせてみせますよ」
「お、楽しみにしてるよ」
これからの事を話ながら、幸せに満ちた夜がまた更けていく。ただ眠れない夜ではなく、明けてしまうのが惜しい夜がそこにはあった。
