「おーい陽翔ー部活行くぞー」

 誰かが名前を呼んでいる気がする。
 俺は何をしていたんだっけ。さっきまで陽向くんとお昼を食べて、チャイムが鳴ったから教室に戻って…

「陽翔?聞こえてんのかー?」

 さっきまでなんの授業だったっけ?てか今なんの時間だ?俺、何すればいいんだっけ。

「おーい、陽翔くーん!生きてますかー!」

 脳内にツバサの声が爆音で響いた。

「わ!!え?ツバサ!?なんでここにいんの!?」

 ここは俺のクラスのはずだ。なんでツバサがここに。俺寝ぼけてんのかな。

「は?もう授業終わって、放課後だけど?」

 その言葉で辺りを見渡すと、半分以上の人がわらわらと教室から姿を消していた。一体帰りのホームルームが終わってからどれくらい経っていたのだろう。

「え!!まじか…俺、ずっとボーッとしてたわ…」
「よく授業で指されなかったな笑」
「確かに笑ごめん待たせて、部活行くか…」
「お、おう…大丈夫か?目ぇ死んでっけど」

ふわぁ〜…

 そう言ったものの、席を立つと頭がぼんやりとしてうまく働いてくれない。昨日あんま寝れなかったせいか?それとも一時間目の体育で体力を奪われたせいか?さすがに運動部だからそんなことはないか。

 とりあえず部活に行こう。そうすれば頭がスッキリするかもしれない。

           ☆♡☆

 体育館へ足を進めてくたびに、春の陽気が俺の眠気を誘ってくる。名前の知らない花の甘い香りが尾行をくすぐる。鳥のさえずり、穏やかな風の音、隣で笑うツバサの声、その全てが今の俺にとっては子守唄でしかなかった。
 体育館入り口について靴を履き替えている間には、もうすでにボールを床に突きつける音と床にこすれる靴の音がいくつも聞こえてきた。

「あ!先輩!!」

 聞き覚えのある声が飛んできた。陽向くんだ。そういえば彼は同じ部活だったっけ。

「陽翔〜、ってもう後輩と仲良くなってんの?」

 隣にいたツバサは俺の眠気がうつったのか、あくびをついていた。

「確か…た、た、高松つば…きさん?でしたっけ?」

 急な名前間違えにツバサは目を見開いていた。だがそれをボケと捉えたのか口角を上げ、

「いや誰やねん!なんか惜しいけど違うわ、まじで誰ー?俺は髙橋ツバサです!」

 と、華麗なツッコミを披露してみせた。
 2人の急なコントにこっちも口角が上がった。
 相性が良さそうだ。

「じゃあ後輩、このデカいのの名前ならわかるか?」」

デカいのって…笑

「もちろんですよ!大山はると先輩!そうですよね?」
「おー正解」
「おい、陽翔。この小僧、陽翔に媚び売ってやがる」
「違います!俺は先輩の"お友達"なんですっ!名前なんて知ってて当然です!」
 
 陽向くんは自信満々なドヤ顔をツバサに向けた。
 ツバサは「やれやれ」とでも言いたげな表情でため息をついていた。
 この2人はまるで親戚のおじさんと子供のようだ。

「お前、小森陽向だよな。いつの間に陽翔の友達になってたんだよ。てか!朝俺のこと睨んでたのお前だろ!」

 前言撤回。2人の関係がどうなるか不安で仕方がない。
 とりあえず、今日初めて話したっぽい陽向くんとツバサが普通?に会話できていて、安心した。

           ☆♡☆

 今日は本当に集中できない。
 眠気のせいで頭が動かなくて、普段よりさらにみんなの足を引っ張ってしまった。自分の唯一の取り柄である身長も上手く使えず、監督にベンチに戻されたときは心が乱れた。
 タオルで汗を拭き、水筒に入ったスポーツドリンクを一気に体内に流し込む。氷の冷たい音も相まって、頭がスッキリした気がした。

「先輩、大丈夫ですか?」

 いつの間にか隣には陽向くんがいた。片手にはバスケットボールを持っていて、運動部特有の爽やかなミントの香りが鼻をくすぐる。陽向くんは眉を下げ、心配そうに俺の顔をのぞいている。
 
「今日寝不足だったからかな…いつも以上に俺、みんなに迷惑かけちゃってるよね……はぁー…」

 自分の不甲斐なさに呆れてくる。なんで後輩にこんな情けない姿を晒しているんだ。もっとかっこいい姿見せたいのに。陽向くんは本当に、俺のどこを好きになったんだよ。

「先輩、ツバサ先輩見てください」

 そう言った彼の声はさっきよりトーンが低く感じた。
 彼の声に顔を上げると、コートの中にはドリブルで颯爽と選手の間を駆け抜ける、ツバサの姿があった。
 普段のツバサとは違い、ピアスを外していて、真剣な顔つきでプレイに取り組んでいる。視線がツバサただ一点に吸い込まれる。
 かっこいいなぁ、と純粋に思った。それ以外言葉がでてこなかった。きっと陽向くんはかっこよさの影もない俺よりもツバサのほうがかっこいいと思っただろう。当然だ。仕方がない。
 ツバサがゴール下まで行くとレイアップシュートを繰り出した。が、失敗。相手にボールをとられ、3ポイントシュートを決められてしまった。

「先輩、今のツバサ先輩見て、どう思いました?」
「え、…かっこいいなぁって思ったよ。俺には到底真似できない」
「ツバサ先輩はシュートを外したんですよ?それでもかっこいいと思えますか?」

 この人は何を聞きたいんだろう。そんなのもちろんだ。

「失敗しても、バスケをしてるツバサはかっこいいと思うかな」
「それが、俺から見た先輩なんです」
「っ…」 

 声にならない声が漏れた。陽向くんが言葉にしなくても言いたいことがわかった。

「かっこよくシュートを決めてたって、失敗して得点を取られたって、先輩は先輩じゃないですか」

 さっきまで心に堆積していた罪悪感がポロポロと形を崩していく。

「俺がかっこいいと思うのは"上手にプレイをしてる先輩"じゃなくて、"バスケをしている先輩"なんです。…真剣に、でも楽しくバスケに向き合って、チームメンバーに気を遣える先輩が、俺にとっては魅力的です」

 そう言った陽向くんの横顔はどこか今ではない遠くを見ていて、手を伸ばしても届かないような儚さがあった。
 陽向くんからの言葉がシンプルに嬉しい。人からこんなに正面から褒められたことがあったっけ。
 いつも褒められても、お世辞だとしか思えなかった。けれど彼が放つ言葉は俺の心に直接響く説得力があった。本当にそうなのかもしれないと自分を納得させてくれる。
 俺は自分を過小評価しすぎていたのだろうか。
 でも俺よりツバサのほうが上手いと思うし、輝いていると思う。
 それは中学から思っていたことだし、迷うことのない事実なのだろう。
 陽向くんから見た俺はどんな姿をしているのだろう。
 初めて自分をしっかり見てみたいと思った。
 
           ☆♡☆

 この日から、俺の横に陽向くんがいるのが当たり前になった。
 休み時間には軽い雑談をして、昼休みには空き教室でただ向かい合ってお昼を食べた。たまにするおかず交換がなによりも楽しかった。
 ツバサが混ざってくるときもあった。陽向くんは人の名前を覚えるのが苦手らしい。ツバサと陽向くんのコントのような会話を見ていると、思わず口角が上がり、笑いが絶えなかった。
 放課後はいつもツバサと2人で下校していたが、その横に陽向くんもいるようになった。昼休みの時と変わり、放課後はお互いの話をすることが多かった。
 陽向くんからの言葉は俺を救い出してくれて、いつも俺を前向きにさせてくれた。
 陽向くんから告白されたことに関してはツバサには何も話していない。
 何回か言おうと思ったこともあるが、タイミングがうまく掴めずにいる。今ではツバサに気を遣わせないためには言わないほうがいいと思っている。
 なぜ陽向くんと仲良くなったのか、ツバサが聞いてこないのが救いだ。
 とにかく、陽向くんと過ごすようになって、高校生活がさらに楽しくなったのは事実だった。
 だからこそ、陽向くんと過ごす中で疑問に思うことがある。
 なぜ陽向くんは俺を好きになったのか。
 一度聞いた質問だが、あれから尋ねることもできていない。
 陽向くんと日々を過ごして、俺に何度も優しく、真っ直ぐな言葉をくれて、彼を知っていく度に、俺よりももっといい人がいるはずだと思ってしまう。
 俺には彼みたいな真っ直ぐさも、自信も、勇気もない。
 陽向くんには俺よりもかっこいい彼氏か、美人な彼女のほうがお似合いだろう。俺にあるのは無駄に期待される顔と身長だけなんだ。
 よし、明日の昼休み聞いてみよう。
 陽向くんと出会ってから二度目の小さい決意をし、俺は夢に浸かった。

           ☆♡☆

「先輩、今日もお昼いいですか?」

 4時間目の授業の終わりを告げるチャイムがなって教室を出ると、そこにはいつも通り陽向くんがいた。

「う、うん。…いいよ」

 声が裏がってしまった。怪しまれていないだろうか。
 昨日決意したじゃないか。ただ質問をすればいいだけ。何をそんなに緊張しているのだろう。
 不安と緊張が入り混じった感情を抱えながらいつもの空き教室へ向かった。

 空き教室は初めて陽向くんときたときよりもどこか活気を取り戻したように感じた。
 古いおもちゃに電池を入れたかのような、大切なものに命を吹き込んだような、どこか人間味のある温かさがあった。
 俺と陽向くんとツバサのおかげで教室が変わったのかと思うと少し嬉しかった。
 いつも通り椅子と机を動かして、向かい合って席につく。そしていつも通りお母さんが作ってくれたお弁当を開け、卵焼きを陽向くんのお弁当箱の蓋に置く。いつも通り、いつも通りの動きのはずなのに、なにか間違えているような、彼がその間違えを指摘するのにおびえているかのような不安感があった。

「いただきます!」
「いただきます…」

 手と声を合わせ食事が始まる。
 陽向くんは相変わらずりすのように頬張っている。

「ほういえわへんふぁい、おえへんふぁいのふひなひほほうほ、うぃふはいまひはよ」
「あ、そうなんだ」

 やばい話が入ってこない。てか何言ってるかわかんない。俺緊張しすぎで耳まで詰まったのだろうか。
 とはいえいつ話を切り出せばいいのだろうか。急に話し始めたら不自然だと思われないだろうか。
 米を口いっぱいに詰め込み水筒のお茶を流し入れた。
 聞くだけ。ただ聞くだけ。何にこんなおびえてんだ俺。ただ”なんで俺を好きになったのか”聞けばいいだけなのに。

”思ってたのと違う”

 脳裏にあの言葉がよぎった。俺を今も苦しみ続けたこの言葉が。
 あー、そっか。俺は怖かったのだ。
 陽向くんに拒絶されるのが。絶望されるのが。
 だって仮に陽向くんが俺を見た目で好きなっていたら、俺の性格を知ってきっと幻滅されるだろう。いや、もうすでに愛想尽かされている可能性だってある。
 だから真実を知ろうとしないで、ただ目をそらしていたのだ。なんならあの日、彼が好きになった理由を「秘密」と言ったとき、俺はほっとしていたのかもしれない。聞きたくもないことを聞く羽目になっていたかもしれないのだから。
 俺大分安心しきっていたんだろうな。俺に好意をもってくれて、思いも伝えてくれている子が本当の俺を見ても嫌わないでいてくれるんじゃないかって。
 俺ってこんな貪欲だったんだ。

「先輩大丈夫ですか?」

 彼の声が耳に入り頭が現実に引き戻された。いつの間にか手は汗でびっしょりだった。

「うん、ごめん、なんだっけ」
「先輩の好きな人きいてたんですけど。先輩全然反応なかったので…なにか悩み事でも?俺でよければ聞きますよ」

 陽向くんを心配させてしまった。もう聞くしかないのか。

「悩み…ではないんだけど…」

 言葉が詰まった。息を深く吸い込む。

「陽向くんに、俺を好きになった理由聞けてないなって」

 陽向くんは元々丸い目をもっとまんまるくさせて俺を見つめた。
 やっぱり言いにくい事なのか。

「俺が先輩を好きなった理由ですか…言わなきゃダメですか?」

 彼の声色と顔から言うのを渋っているのを感じる。
 折角質問したんだ。ここで聞かないなんて、これ以上チャンスを逃しそうでならない。
 どうする。もう好きじゃないって言われたら。もう幻滅されてたら。
 でも聞かなきゃ前に進まない。俺を"魅力的だ"と言ってくれた彼を信じないと、もしこのままこの関係が続いても俺はうまく接することができないんじゃないか。
 聞くしかない。

「教えてほしい。なんでこんな俺を好きになってくれたのかを」

 彼の表情は変わらない。

「……わかりました。でも、その前に…俺先輩に謝らないといけないことがあるんです」

 思わず「えっ」と声が漏れてしまった。

「俺…本当は先輩に噓ついてたんです」