──これは、取材小説である。
「……書かなくちゃ……」
額に浮く汗を拭いながら、私はノートパソコンに打ち込み続けていた。
新人賞を獲った漫画家の周囲に起こる不可思議な現象。
恋人と同棲していたはずがある日突然姿を消し──言葉通り消えたという信じられない現実から、小説という創作に没頭しはじめたという『私』の、取材小説。
一心不乱に書き続け、趣味の範囲内でネットにあげていたら、とある出版社のN氏という人物から声がかかった。
ハッケン
私は自分に遇った出来事を洗いざらい──ことはなく、あくまで取材小説風のエッセンスとして恋人に振られた過去を文章に落としているだけだと、自嘲気味に笑いながらネタとして話した。
話したところで頭がおかしいと思われるだけだ。
あんなに頑張っていた本業の仕事もままならなくなり、趣味の貯金を頼りに今は人生を休んでいるだけだと。
その方が都合がいい。
N氏は「大変でしたね」と同調してくれ、それでも昨今流行りのモキュメンタリー風にまとめれば売れる作品が作れますよと、気合の入ったアドバイスをしてくれる。
体格が良く豪快に笑うN氏は、心身的な闇とは無関係に見えた。
少年漫画とスポーツで育ち恋愛経験もそこそこに、特に苦労もなく──実際、苦労らしい苦労は「中学受験が最後」だという、人生を謳歌しているように見受けられる健やかな人間。
それがよかった。
ハッケン
カンサツ
心身健やかな人間は、えてして鈍感だ。
というと主語が大きいことは自覚しているけど、N氏は鈍感だった。
他人の感情の機微に鈍感であれば必要以上に他人を気にする必要もなく、であれば「他人の言動を気に病む」こともない。
小さな変化や、こちらから合わせていくことにも気づかない。
すべて「気のせい」「偶然」だと笑い飛ばすN氏に焦点を合わせるのに、そう時間はかからなかった。
ハッケン
カンサツ
シンニュウ
書かなくてはいけない。
とにかく、書き続けなければいけない。
その衝動に理由などなく、あえて言うならばかつての恋人から感染ったのかもしれない。
ハッケン
カンサツ
シンニュウ
キロク
「……目線、ズレなし……っと……」
私は今日も、作品にN氏を書いていく。
N氏がこの事実を【認識】してくれるまでは。
了.



