本当の恋なんてわからないまま、私は大人になってしまったかもしれない。
 本気の恋愛だと思っていたけど、実はそうではなかっただなんて、渦中にいる中では、そんなこと、考えもしなかった。

 予感は現実になり、私はこれで、また大人になったんだと、別に体験したくなかったこの恋を正当化しようとした。
 だけど、君はまだ、私の胸の中に残ったままだ――。







 予感が現実になるずっと前、私と夏輝(なつき)はひまわり畑を見ていた。
 昭和公園の一角、青函トンネルまで繋がっているいさりび鉄道の線路の前に広がっている黄色と、緑はこのまま永遠に夏が続くんじゃないかって思うくらい、ずっと先までひまわり畑が続いていた。ひまわり畑の先には9月の夕日でオレンジ色になり始めた山並みが見えている。

「渚沙(なぎさ)」
「なに?」
「本当に優しいよな。なぎって」
「そう?」
「うん。なんかさ、本当に気が合うってこういうことなんだって思ったんだよね」
 私の右手は簡単に夏輝の左手に繋がれた――。
 これって、もしかしてと一瞬で気持ちが揺れたあと、夏輝は真剣な表情になり、もう一度、口を開いた。

「好きになっちゃったんだ。なぎのこと。俺と付き合って」と言われて、予感は簡単に的中した。もちろん、私はしっかりとゆっくり、頷いてあげた。すると、一気に夏輝の表情はほころび、やったと小さな声で言ってくれたから、私は余計に嬉しくなった。
 高校生までの私にはあまりいい出会いがなかったから、これで夏輝は私にとって、初めての彼氏になった。

 ちょうど、いさりび鉄道の一両の列車が軽い音を立てて、ひまわり畑の前を通り過ぎていった。
 夜空みたいに深い青色の列車が通っている最中に、少しだけ強い風でひまわりが左から右へ首を振った。
 それが畑全体で流れるような線が出来ていた。それの線は一瞬で消えて、手前にあるひまわりが、左右に小さい幅で揺れていた。

「――私、まだ、誰とも付き合ったことないんだよね。19歳になったのに」
「そうなんだ。って言う、俺も同じだよ」
 夏輝の金髪の前髪がそっと風で揺れた。大学デビューしたと言っている夏輝は高校のときに校則が厳しくて、やれなかったことが多かったらしい。だから、高校を卒業してまずやったことは金髪にしたことだったらしい。だから、最初、出会ったときの第一印象は最悪だった。

 夏休み中、サークルの定期的な飲み会でたまたま、夏輝と同じ席になった。
 この頃には私は、しばられることに嫌気がさして、サークルにほとんど顔を出さなくなっていた。
 だけど、この日は、無理やり友達に連れ出されてここに来てしまったから、私自身のテンションは最悪だった。

 そして、第一印象が最悪だった夏輝と一緒に飲むことが確定し、最初は適当に話を合わせようとした。
 その派手な見た目や、大学の敷地内でよく友達とスケボーをやっている姿を見ていたから、きっと、話も合うはずもないって思ってた。
 だけど、それは飲み始めて、たった5分で打ち崩された。

「そうなんだ。――私ね、謝らなくちゃいけないことがあるんだ」
「えっ、何さ、いきなり」
「私と住む世界が違う人間なんだって、勝手に決めつけてた。最初の頃」 
「そりゃあ、思うよね。こんだけチャラついてたら」
「そうだね。まさか、大学デビューだとは思わなかった」
 飲みの席で、俺は大学デビューしたくて、金髪にしたんだよねと、自分で自分のことをネタにし始めたかと思ったら、高校生のときは三年間、図書局をやっていて、カウンターでラノベの新刊を読んでたんだと、ギャップネタで周りを爆笑させていた。
 スケボー始めたのも最近で、ようやっと、飛び跳ねることができるようになったとか言って、じゃあ、見せてよって、まわりが言ったから、それを披露したとき、ちょこんとした1センチくらいのジャンプだったらしい。
 その姿が、面白かったみたいで、その場にいる4、5人は腹筋が割れるほど、夏輝のことを爆笑したらしい。

「だからさ、こんなに仲良くなれるなんて、最初、思ってなかったよ。――すごいね、私たち」
「んだね。渚沙がアプローチしてきたからだよ」
 そう言われて、私は思わず照れてしまった。二人きりで話すようになったのは、大学の敷地の隅で夏輝が一人でスケボーの練習をしている姿を見かけて、声をかけたからだった。そのときは飲み会から3日経っていて、まだ、親近感があった。だから、一人で寂しそうにスケボーの練習しているのはかわいそうだなって思って、声をかけた。

 そしたら、思った以上に話があったから、そのあと学食に二人で行って、缶コーヒーを飲みながら、まさかの3時間も話してしまった。そして、今日、大学の帰りにデートに誘われてここまで来た感じだった。

「なあ」
「なに?」
「これから、ずっと二人で楽しもう」
 夏輝は得意げにそう言って、握っていた私の左手から、手を離し、そして、右手の小指を立ててこちらに向けてきたから、私はそっと右手の小指でそれを結んだ。







 五稜郭駅の向かいにあるスタバで私と夏輝はお互いの小さいときのことをずっと話していた。
 私は中学生のときに学校に行けなくなり、1年位、不登校になったことを話し、夏輝も同じように、中学、高校と学校に馴染めなくて、たまに1週間くらい、学校を休んだりしてたという話に何故かなってしまい、私たちって、お互いに繊細なんだねと笑いあった。
 そして、学校が嫌いだったから、教師になって、自分と同じような思いを抱えている子をサポートしたいって夢も聞けた。
 私は夢なんてまだ、何もなくて、とにかく今は大学卒業が目標だって返したら、それは誰だってそうだよと笑われた。

 ダークモカチップフラペチーノを一口飲んだあと、持ったグラスをローテーブルに置き、深いソファの背もたれにもたれた。
「本当に話、聞けば聞くほど、似てるね。私たちって」
「確かに。なぎとこんなに似てるとは思わなかった」
「てかさ、金髪なのに不登校って」
「いや、そのときは陰キャでメガネで黒髪だったから」
「地味ー」
「なぎも黒髪のストレートボブだったんだろ。きっと」
「なんで、わかるの? 今、髪伸ばして、パーマかけて色入れてるのに」
「似た者同士だからだよ」
 夏輝はそう言ったあと、グラスを手に取り、フラペチーノを一口飲んだ。私と同じダークモカチップフラペチーノを頼んでいて、不思議に感じた。今回の限定フラペチーノも話題になってたんだから、それにしたってよかったのに――。

「ねえ」
「なに?」
「どうして、私と同じフラペチーノにしたの?」
「そういえば、飲んだことなかったなと思った。それに――」
「それに?」
「一緒の飲み物、飲んで、美味しいって一緒に言ってみたかった」
 そんなこと急に言いだされて、私ははずかしくなって、思わず頬が緩んでしまった。
 だから、慌てて、左手で口を隠した。だけど、目の前にいる夏輝の顔は真っ赤になっていて、そっちのほうが恥ずかしそうにしてるじゃんと思うと、おかしくなって、左手を口元から離し、弱く笑ってしまった。

「やっぱり、キメに行き過ぎたかな」
「もっと、自身持って。顔赤くなってるので笑っただけだから」
「それ、余計にダサくて恥ずかしいじゃん」
 そう言いながら、夏輝は両手を真上にあげて身体を伸ばし始めた。そして、あーあ、と言いながら、両手を下げて、また右手でグラスを持ち、フラペチーノを飲んだ。

「なあ」
「なに?」
「もっと、時間気にしないで二人きりで話したいな」
「えっ」
「どう? 今日、もっと一緒にいない?」
 優しく微笑みかけてくる夏輝は一体、どこでこんなセリフ覚えたんだろう――。私と同じで大学デビュー組の癖に。私は断る理由なんてないから、初めてをすべてあげることにした。








「まだ、離れたくないね」と耳元でささやかれ、私は本当にそう思った。
 だけど、今日は平日で、授業を受けなくちゃいけない。裸で抱き合って、身体をくっつけたまま男の子と寝たのは初めてだった。右に身体を向けると、枕がすっと、その分だけ、沈みこみ、左目で見た先に夏輝がいた。

 夏輝は左手で鼻の先を掻いていて、その姿を見ることも新鮮だし、なにより、昨日の夜から、新しいことだらけで、私の脳はセーラームーンのオープニング並に、ショート寸前だった。

「だけど、私、授業でなくちゃ」
「俺も。何講からなの?」
「2講から」
「俺、3講で午後からだけど、一緒について行ってあげる」
 そう言って、頬にキスをしてくれた。柔らかい唇が、頬から離れると、シャワー入ってくるねと言いながら、ベッドを抜けて、夏輝は裸のまま、バスルームに向かった。

 ベッドサイドに置いたiPhoneで時間を確認するとまだ、7時すぎだった。きっと、興奮してお互いに早く起きてしまったんだと思う。朝になっても股には夏輝の感触が残っていて、少しだけそれを思い出して、左手で陰部にそっと触ると、甘い電流が走った。
 今日、泊まったビジネスホテルのチェックアウトはきっと10時だけど、その前よりホテルをでなくちゃいけない――。
 非日常の終わりが来るんだと思うと、すごく切なくなった。
 iPhoneをもう一度、ベッドサイドに置き、ベッドから起きて、私もバスルームに行き、夏輝と一緒に身体を洗うことにした。







 これが本当の恋だと信じて、3年が過ぎた。
 お互いに就職も決まり、私は函館のホテルに、夏輝は北海道の教員採用試験に受かり、最初の配属先が稚内になることが決まった。3月になり、本当に離れちゃうんだと思うと、つらくなってきたから、それを紛らわすために毎日のように会っては身体を重ね続けた。

 そして、今日、本当に最後の朝を迎えた。ベッドのなかでいつものように裸のまま、抱き合ったまま寝た。だから、右肩が少しだけ痺れていた。私たちは函館駅の近くにあるホテルに私たちは泊まった。夏輝は7時の特急に乗って、札幌、旭川で特急、三本に乗り換えして、稚内に行くらしい。

「十時間だって」
「遠すぎだよ。何キロ離れてるの?」
「調べてみるわ」
 そう言って、夏輝は仰向けのまま、右手をベッドサイドの方へ伸ばし、iPhoneを手に取った。そして、iPhoneを操作したあと、
「630.1キロだって」
「630キロって何キロ?」
「これは東京、岡山間とほぼ同じ距離。だって」
「大阪までしか行ったことないからわからないや」
「やっぱ、普通に遠距離恋愛になるな」
「――寂しいこと言わないでよ」
「悪い。――なあ、長い休み出来たら、絶対、会いに行くから」
「私もだよ」
 そう言って、私は夏輝の頬にキスをした。



「そしたら、行くね。お見送りありがとう」
 夏輝はそう言って、スーツケースを浮かせて、列車の中に入った。函館駅のホームには冷たい風が吹き込んできて、思わず身震いしてしまった。コートを着ていても、まだ寒くて、両耳はあっという間に冷たくなった。
 そのまま、車内に入るのかと思ったら、夏輝は私の方を向いた。

「早く行きなよ」と私は弱く笑いながらそう言った。
「しばらく会えないんだからそんなこと言うなよ」と言って、微笑んでくれた。だけど、その微笑みは少しだけ寂しさを感じた。発車メロディが流れ始めた。本当にしばらく会えなくなるんだと思うと、胸の奥から鈍い感覚がこみ上げてきた。

「ねえ」
「――なに?」
「今度、会う時、きび団子買ってきてね」
「岡山じゃねーよ」
 それと同時に列車のドアが閉まった。窓越しにニヤニヤ笑っている夏輝が見える。だから、それを見て私も面白くなり、笑いながら、小さく手を振った。







 そもそも、会ってないときも、毎日のようにLINEで通話をしたり、メッセージを積み重ねてきた私と夏輝は距離は意外にも克服しつつあった。社会に出てからもお互いに連絡が遅くなったり、すれ違いそうになったけど、通話をこまめにすることでなんとか、繋ぎ止めることが出来ていた。
 そして、年に数回ある連休を使って、私と夏輝は会い、お互いが出向いて札幌で会ったり、夏輝が函館まで帰ってきたときに会ったり、私が旭川まで行って、夏輝の車で美瑛、富良野をドライブしたりして、大学生のときよりも確実に思い出が増えていった。そして、会うたびに身体を重ねて、お互いにそのぬくもりを忘れないように何回も交わした。

 そうして、2年が過ぎたけど、やっぱり気持ちは満たされなかった。



「俺、人生の選択ミスったかも」
「えー、なに弱気なこと言ってるのさ」
「いや、マジで。なんで教師なんかなったんだろう。渚沙と一緒にいれないのに」
 
 久々に函館に帰ってきた夏輝と一緒に市電に乗っている。私と夏輝は五稜郭のシエスタハコダテで待ち合わせをして、函館どつく前行きの電車に乗った。さすがに自分の車で稚内から札幌にしんどいと言って、夏輝は飛行機を乗り継ぎして帰ってきたらしい。
 車内はしっかりとクーラーが効いていて、8月上旬の熱気をしっかりと冷ましてくれていた。
 
「だって、自分みたいな子をサポートしたいと思って、教師やり始めたんじゃないの?」
「そうだけど、教師の現実は時間に追われて、なんにも出来てないから、本当にやりたかったことなんて出来てないなって思ったんだよ」
「そうなんだ」
 6か月ぶりに夏輝と会って、話すけど、全く違和感はなかった。まるで昨日まで会ってたみたいに自然にいつも通り会い、そして、手を繋いで電停まで向かい、電車に乗ったあともこうして、ずっと手を繋いだままだった。

「だから、今年度でやめちゃおうかなって思ってるんだ」
「えっ。やめちゃうんだ」
「そう。そして、函館戻ることにする」
 急に告げられたこんなことに私は嬉しすぎて、思わず頬がほころぶところだったけど、仕事辞めて、返ってくるわけだから、そんな表情もできないなと思い、嬉しさを我慢した。

「そっか。――私は嬉しいよ」
「だろ。もっと喜んでくれると思ったのにな」と夏輝はそう言って、私の方をちらっと見てきた。夏輝の髪は黒髪でベリーショートになり、横は刈り上げられている。大学生のときの金髪でロングの印象なんて微塵もなくなっていた。
「いや、喜んでるよ。ただ、夢だった仕事やってて、その切符捨てちゃうのは大丈夫なのかなって思ったの」
「俺はただ、なぎと一緒にいたいだけだよ」
 夏輝がそう言った直後、電車はゆっくりと函館駅前の電停に止まり、多くの客が降りていった。






 函館どつく前の電停を降りたあと、コンビニで缶ビールを4本買って、そのまま手を繋いで、函館山の方へ歩き、廃校になった小学校が見えたところで右に曲がり、道幅が狭い路地に入った。
 坂を下ると海が見えてきた。車一台しか走れない路地をさらに歩いて行くと、右手にあった住宅がいつのまにかなくなり、一気に視界が開けて、太陽の黄色い光を反射してキラキラしている海が見えてきた。
 対岸に北海道の左下まで続く山が見えている。
 小さい頃、何度か親に連れてこられて、道も細くて、心配になった景色だけど、今、こうして大人になって来ると、単純に狭い道幅の先に海が広がっていることにわくわくした。

「やっぱり、歩きだと少し遠かったな」
「車で帰ってこないからさ」
「600キロなんて運転してられないや」
 歩く道がアスファルトから未舗装になった。右側はさっきよりも海に近づいていて、道と海の間には岩場が広がっていた。私たちは適当な岩に座った。そして、夏輝が手に持っていたビニール袋から、ビールを2本取り出し、1本を渡してくれた。
 缶を開けて、お互いに無言のまま、乾杯をして、少しだけぬるくなったビールを飲んだ。

 海には函館港から出港した貨物船が数隻見えていた。ゆっくりとしたスピードで、私たちの目の前を通り過ぎようとしていた。

「本当は久々のデートだから、スカート履きたかったのに」と朝思ってたことをそのまま伝えた。今日の朝、急に入舟町の浜海水浴場いこうって言われたから、スキニーのジーンズにしてきた。
「急になぎと夏らしいことしたくなったからさ。思いついちゃったんだよ。あー、そういえば、昔、よくつれてこられてたなって」と言って、夏輝はビールを三回、喉を鳴らして飲み込んだ。

「あー、最高。街の外れでこうやってゆっくりしたかったんだよ。渚沙と」
「――私もだよ」
 そう答えると、いつものように夏輝は優しく微笑んでくれた。だけど、目元にはしっかりと隈ができていて、仕事、結構、大変なんだなってふと思った。もう一口、ビールを飲むと、急に酔いが回り始めた。

「なんかさ、なぎといると、全然、久々って感じしないのなんでだろうね」
「ほぼ、毎日、通話してるおかげだね」
「現代ってすごいな」
 そう言ったあと、夏輝は缶を一気に上に傾けてビールを飲みきった。そして、袋からもう一缶のビールを取り出し、また飲み始めた。
「ちょっと、ピッチはやくない?」
「いいんだよ。休みだし。てか、中学教師が昼間から飲んでたら、関係各所から怒られそうだよな」
「いいんでない? 休みだし」
「だよな。あーあ、早く函館帰りたくなってきたな。より」
 もう一口、ビールを飲んだあと、夏輝はわかりやすくため息を吐いた。

「――休みなんだしさ、仕事のこと忘れようよ」
「それがそうも行かないんだ。――渚沙、函館帰ってきたら、一緒に住もうぜ」
 びっくりして、思わず笑ってしまった。というか、絶対、お酒の所為で笑っちゃいけないところで笑ってしまった。
「最高じゃん。それ」と言ったあと、嬉しくて笑ってしまっている自分を誤魔化すために残っていたビールを飲み干した。








 同棲生活は予想していた通り、最高だった。
 ほぼ毎日、寝る前にキスをして、そして、2年間出来ていなかった分を埋め合わせるように、ほぼ毎日、身体をあわせた。夏輝は失業保険を貰い終わったあと、フリースクールの先生になった。こっちのほうがあってるじゃんって、内定もらったときは2人で喜びあった。
 なんか、こういう些細な嬉しさを共有できることすら、幸せに感じた。

 だけど、私たちはその1年後、同棲するのを辞めてしまうことになる――。






「今までありがとう」
「ううん。こっちこそ、ありがとう」
 私名義で借りたアパートから夏輝が出ていくことになった。私はこの部屋にしばらく住み続けることになると思う。

「――なんで上手くいかなったんだろうな」
「お互いに忙しくなりすぎたんだよ」
「――そうだね」
 私と夏輝は暮らし始めると様々に致命的に合わないところがお互いに露呈しはじめた。ホテルで一緒に裸で眠っている分には相性はよかったんだと思う。だけど、私たちはお互いに忙しいと気持ちに余裕がなくなり、思いやりが持てないことがわかった。

「当たり前に甘えすぎちゃったな。俺」
「そうだね。――私もだけど」
 もう、早く出ていってほしかった。もう、夏輝は外に出る準備はできている。なのに、なかなか家を出ようとしないでリビングで立ったままだった。

 私も、夏輝も合わないところやお互いにもっとこうしてほしいというところを、どんどん言いやった結果、お互いに注意しても相手に「あー、はいはい」とか、「わかった」と言って一向に改善しなかった。それが積み重なりすぎて、2か月前に私が爆発して大喧嘩になってしまった。そして、そのときに夏輝も普段から我慢していた私への不満をぶつけられた。
 そして、私たちが出した結論はストレスになるならお互いのためじゃないし、一回、離れたほうがいいってことになった。

「ねえ」
「なに?」
「私たちって、ロマンスの中では上手くいくタイプだったんだよ」
「そうなんだろうね」
 そう言って、夏輝はため息を吐いた。
「ただ、夏輝と一緒にいたかっただけなのに、どうしてこうなったんだろうね。本当に」
「――もういいや。決めたことだし」
「そうだね。だけど、これだけは言わせて。初めてが夏輝とでよかったよ。ありがとう」
 私は夏輝をそっと抱きしめると、なんでかわからないけど、両目から涙が溢れた。
 泣くつもりなんてなかったのに。