……さて。
このフォルダにたどり着いたあなたは、おそらく暇人ですね?
わざとDドライブの奥深く、誰にもバレなさそうな旧マニュアルフォルダの最下層に忍ばせてみたんですけどね。まさか見つかるとは。驚きです。こんなデータを開いてる暇があったらちゃんと仕事してください。
なんてね。
まあ、誰にも読まれないだろうと思ってます。それでも万が一、誰かに読まれたときのためにこんなふうに書いていますが、こんなところにたどり着く人はいないでしょう。別に、誰かに読まれなくたっていいんです。永遠にこの二番PCの底で眠ってもらってかまわない。だってこのデータ群は、俺の自己満足でまとめたものだから。
では改めて。カザミさん、ご結婚おめでとうございます。
って、こんなところに書いても意味ないですけどね。もう彼女、薬局辞めてるしね。もうすぐ一年経つかな? 元気にしてるかな? 子ども欲しいって言ってたから、今ごろ妊婦さんかもしれないな。幸せに暮らしていることを祈っています。
さて。このフォルダには、カザミさんにまつわるデータを格納しています。
もしあなたが俺の思惑通りにデータを番号順に見ていたとしたら、もうおわかりかと思います。あなたはここにたどり着くまでに、彼女の退職メール、Xでの投稿のキャプチャーを目にしたはずです。至って普通の内容でしたね。新婚ということでちょっと浮かれすぎている感は否めませんが、まあ、許容範囲といえるでしょう。
では、なんで俺がこんなデータをまとめ、ある種のストーカーじみた行為を行っているのか。
それは、彼女の薬歴に少し気になる点があったからです。
薬歴——つまり、ある患者とのやり取りの記録に、不自然な点があったのです。その内容は次の04のデータに載せているので見てもらえばわかります。先に確認してもらってもかまいませんよ。ここからは俺がぐだぐだ説明するだけなんで。
なにが不自然なのかというと、その薬歴の内容が到底普通のやり取りとは思えない、気味の悪いものだったからです。
一応、これを読んでいるあなたは彼女のことを知らないかもしれないから補足しておきます。彼女、カザミさんは優秀な薬剤師でした。投薬は丁寧、でも薬歴は端的で明瞭。彼女は自分のことを簡潔な文章が書けないと言っていたけれど、いざ業務となるとわかりやすい、スマートな文章を書く人でした。調剤に関しても俺が見ていた限りではインシデントもなし。すばらしい薬剤師であったことは変わりありません。ただひとつ、ある患者とのやり取りだけが一部、おかしいんです。
ほかの薬歴は問題ないのに、その患者についてだけは違っていた。基本的なルールすら守られていなかった。
それは薬歴のSの欄。患者自身が語った主観的な情報を記す部分が、どこか奇妙で、支離滅裂なことが書かれていた……。
どうして彼女はこんなものを書き残したのだろう。
たとえ恋愛に夢中になっていたとしても、そんな理由で理性を失うような人じゃなかったのに。
でも、彼女はそれくらい彼の虜になっていたということだったのでしょうか。自分の職責を見失うくらい。七年間、当たり前にやってきたことができなくなるくらい。
ここまで書けば、なんとなく察しますよね。
そうです。その薬歴の患者こそが、彼女と結婚した◯◯さんです。
柴滝南町店は薬剤師二人体制ですが、彼女の異様な薬歴について、おそらく誰も気づいていませんでした。彼女が在籍していた二年間、異動や一時的な増員で薬剤師は入れ替わりましたが、誰ひとりとしてこの薬歴の話をしていた人はいませんでした。それは、◯◯さんが必ず〝カザミさんひとり〟の時間帯を狙って来局していたからでしょう。うちの薬局は基本、俺とカザミさんでやりくりしているわけですが、彼は俺が昼休憩に入っている時間に来ていた。過去の薬歴を確認するのも、投薬するのも、彼女だけだった。
なんだか不思議ですよね。彼女がいなくなって一年、今さらこんなデータに気づいてしまうなんて。
別に俺は、彼女の薬歴を見るつもりなんてありませんでした。でもふと、同僚とカザミさんの話をしていて気になったんです。患者と恋愛関係になるなんて、投薬中になにかあったんだろうか。そのきっかけになるようなものが残されてはいないか。いや、そんなのあるわけない。仮になにかあったとしても、PC上に記録しているなんてあり得ない。そう思っていたのですが。
だから、この薬歴を見て、俺は下世話な好奇心が爆発してこんなところにデータをまとめてしまったわけです。
とはいえ、個人的な情報やデータを外部フォルダに置くなんて、問題です。
見つかったら問いただされるかもしれませんね。でもまあ、そのへんはどうでもいいかなって。俺、もうすぐ退職するから。それよりも、誰かがこのフォルダに気づいてネタとして楽しんでくれたらいいかなって思ってます。仮に数年後にこのフォルダが見つかったとしても、誰も問題にはしないでしょう。うちの会社は保守的な社風だからね。フォルダを削除して終わり、な気がする。
一応、このフォルダを見つけた人へご連絡。
口外せず、ひとりで楽しんでね。もしも進捗あったら追記してね。本部にチクんないでね。最悪、彼女の薬歴については不正確なんだから報告してもいいけど、そのときはこのフォルダは削除しといてね。お遊びだからさ。頼むぜ。
でも本当、なんなんだろうな。ヤツのことは投薬したことはないんだけど、昼休みに入る直前に一度すれ違ったことがあるんだ。俺と真逆の、細身の青年だった。調剤室を出ていく俺を、目だけで追ってた。彼女とふたりきりになるために俺の行動を見ていたんだろうけど、忘れられない。
真っ黒な目。飲み込れたら戻ってこられないような、深い闇。
顔はいいけど、なんだかうすら寒くなってすぐ目を逸らしたよ。カザミさんの男の趣味ってよくわかんないな。



