昨日は途中で帰ってしまいました。失礼しました。

 ひとつ前に置いた画像は、◯◯さんの処方箋の発行元病院の住所です。
 病院らしきものは見当たりませんね。病院名で検索してもなにもヒットしませんでした。彼が薬局に来ていたのは五年ほど前だから、もう潰れてしまったのでしょうか。それとも、もともと……。
 処方箋の記録を見るとなんと自費処方だったので、不備があっても気づかれなかった可能性はありますね。ここは深追いしないでおきます。
 話を戻します。
 市のホームページには、旧◯◯家屋敷について以下のように書かれていました。

〈江戸時代に当地の名主を務めた◯◯家の屋敷です。往時の面影を残す建物で、歴史を身近に感じることができます〉

 市内の観光スポットとしては優先順位が低く、あっさりとした紹介でした。
 旧◯◯家屋敷について、さらに調べました。詳しく載っていたのはある個人サイトでした。おそらくブログやSNSが登場する前に作られた、歴史好きの人間が運営していたものでしょう。サイトはT県や近隣にまつわる歴史探索といった具合で、旧◯◯家屋敷もコンテンツのひとつとして載っていました。
 
〈◯◯家は江戸時代に栄えた名主の家柄であった。しかし◯◯家の男は代々心臓が弱く、幾度も存続の危機に陥った。そこで◯◯家は、遠い地に伝わる薬売りの一族を嫁として迎えることにし、どうにか家を維持させようと試みた……〉

 要約すると、以下のような話です。
 
 ・◯◯家は金にものを言わせ、医療に長けた薬売りの一族の女をT県の家へと迎え入れていた。
 ・薬売りの女は◯◯家の当主と結婚させられ、跡継ぎを産むよう命じられていた。しかし産まれた子どもは◯◯家の親族たちに奪われ、彼女は育てることはできず、ひたすら当主の看病を強いられていた。
 ・やがて◯◯家は衰退し、過去の栄光も消えちりぢりになっていった。

 ここまでは◯◯家の歴史として普通に読んできましたが、この先の記述で驚くべきことがわかりました。
 それは以下の点です。

 ・これは年月が経って発覚したことだが、看病も虚しく当主が病死した際、一族は罰として薬売りの女も殺し、当主とともに墓に埋めていた。
 ・薬売りたちが住んでいたもともとの場所は、N県の最南端だった。

 
 N県の最南端。それは、この薬局がある場所と一致しています。

 柴滝南町店がこの地にできたのは、二〇一四年、つまり十年前でしたね。

 最初の薬局長は、すでに退職された夏野三郎さん。ベテラン薬剤師でしたが、持病の腰痛が悪化したことで早期退職を決意したそうです。その代わりとして入ってきたのがカザミ薬局長と、男性薬剤師。
 つまり、はじめて柴滝南町店にやってきた女性が、カザミさんだった。
 俺にはこれが偶然とは思えません。
 薬売りの一族の家が、かつて、この薬局のある地に存在していたとしたら。滅んだはずの◯◯家が、今でもその命をつなごうと、薬売りを探してこの世を彷徨っていたとしたら。
 カザミさんを見つけた彼は、彼女を連れて


 すみません。
 ちょっと、書くのはここまでにします。

 今、二十二時なんですけど、薬局の外に誰かが立っています。ガラス戸に張り付いて、うれしそうに手を振ってるんです。昨日も同じことがありました。目の端で見ているからよくわからないけど、ひとりじゃない。大勢のなにか。

 見ない振りをして、帰ることにします。

 これ以上はよくない気がします。