かつてこの国を未曾有の危機に陥れた「雪消の変」。
見習い巫女である柊詩も、その災禍の中で家族を失った一人であった。
亡き父の知己にして巫女としての恩師でもある小倉に引き取られて、十三年の月日が経とうとしていた。
他の巫女見習いの中では見目や技術が幾分も劣る上に、十八になっても婚約者すらいない最年長の柊詩は、名家出身にして美姫にも相当する容姿端麗で優秀な巫女たちから格好の標的にされていたのだった。
「このグズ! 今日の分の護符がまだ書き終わっていないじゃない。それが終わったら祈祷室の掃除もあるのよ!」
「……申し訳ありません。笹丘様」
「あら~? せっかくですから私の分もお願いしようかしら。それから祭壇の掃除もね」
「良いわね。檜葉さん。今日は婚約者の方がお迎えに来られるのでしょう? 待たせては失礼よ」
笹丘という若い巫女は自慢の長い黒髪を手で弄びながら、友人の檜葉に向き直る。肩口で切り揃えた黒髪が特徴的な檜葉は「そうなのよ!」と得意げな顔をしたのだった。
「西の地での任務を終えて帰還されるの。待ちきれないわ~!」
「いいわね。私の婚約者は東の海にいるのよ。早く帰って来てくれないかしら」
「東の海は強力なあやかしばかりですってね。任されるだけすごいわ。巫女の名家出身の笹丘さんに相応しい殿方ね」
「でも大結界の担い手には選ばれなかったのよね。あの方が選ばれていたら私も巫女として選ばれたかもしれないのに。残念だわ」
そんなかしましい会話の間も柊詩は無言で護符を書き続ける。自分の分は終わったが笹丘の分まで押し付けられたので、この調子では今日中に祈祷室と祭壇の掃除まで手が回らないだろう。
それなら少しでも手を動かした方が賢明だった。
時折もぞもぞと動く左袖を押さえながら、柊詩は護符書きに専念する。
「羨ましいわ。大結界の担い手に選ばれた巫女は実質国一番の巫女も同然だもの。すでに陰陽師の方は決まっているけれども、未だ独り身ということだし、まだその座を狙う機会はいくらでもあるわ」
「天華家のご当主様ね。あの方は気難しくて巫女嫌いという噂だもの。きっと選ばないわ」
「選ばれたとしても他人のまま終わるでしょうね。大結界を託された巫女と陰陽師は生涯愛し合えない。その代わりに生活は安泰ね。天華家なんて陰陽師でも一流のお家柄だし、あの『雪消の変』で皇族の覚えもめでたいお方だもの」
笹丘の発した「雪消の変」で柊詩の手がピクリと止まるが、二人は何も気付いていないようだった。
一心不乱に護符を書いているフリをして、そっと耳を傾ける。
「婚約者がいる身だけれども、天華様から巫女に求められた日には迷っちゃうわ。まあどこかの誰かさんにはご縁の無いことでしょうけど」
上品に「ふふふ」と微笑んでいた笹丘たちだったが、次の瞬間には柊詩が護符を書く文机を蹴り飛ばす。「きゃあ!?」と短い悲鳴を上げて左袖を押さえたのも束の間のこと。
その弾みで硯の中の墨汁が机に飛び散って柊詩の巫女装束と書き終えた護符にまで広がると、柊詩の顔は真っ青になったのだった。
見習い巫女である柊詩も、その災禍の中で家族を失った一人であった。
亡き父の知己にして巫女としての恩師でもある小倉に引き取られて、十三年の月日が経とうとしていた。
他の巫女見習いの中では見目や技術が幾分も劣る上に、十八になっても婚約者すらいない最年長の柊詩は、名家出身にして美姫にも相当する容姿端麗で優秀な巫女たちから格好の標的にされていたのだった。
「このグズ! 今日の分の護符がまだ書き終わっていないじゃない。それが終わったら祈祷室の掃除もあるのよ!」
「……申し訳ありません。笹丘様」
「あら~? せっかくですから私の分もお願いしようかしら。それから祭壇の掃除もね」
「良いわね。檜葉さん。今日は婚約者の方がお迎えに来られるのでしょう? 待たせては失礼よ」
笹丘という若い巫女は自慢の長い黒髪を手で弄びながら、友人の檜葉に向き直る。肩口で切り揃えた黒髪が特徴的な檜葉は「そうなのよ!」と得意げな顔をしたのだった。
「西の地での任務を終えて帰還されるの。待ちきれないわ~!」
「いいわね。私の婚約者は東の海にいるのよ。早く帰って来てくれないかしら」
「東の海は強力なあやかしばかりですってね。任されるだけすごいわ。巫女の名家出身の笹丘さんに相応しい殿方ね」
「でも大結界の担い手には選ばれなかったのよね。あの方が選ばれていたら私も巫女として選ばれたかもしれないのに。残念だわ」
そんなかしましい会話の間も柊詩は無言で護符を書き続ける。自分の分は終わったが笹丘の分まで押し付けられたので、この調子では今日中に祈祷室と祭壇の掃除まで手が回らないだろう。
それなら少しでも手を動かした方が賢明だった。
時折もぞもぞと動く左袖を押さえながら、柊詩は護符書きに専念する。
「羨ましいわ。大結界の担い手に選ばれた巫女は実質国一番の巫女も同然だもの。すでに陰陽師の方は決まっているけれども、未だ独り身ということだし、まだその座を狙う機会はいくらでもあるわ」
「天華家のご当主様ね。あの方は気難しくて巫女嫌いという噂だもの。きっと選ばないわ」
「選ばれたとしても他人のまま終わるでしょうね。大結界を託された巫女と陰陽師は生涯愛し合えない。その代わりに生活は安泰ね。天華家なんて陰陽師でも一流のお家柄だし、あの『雪消の変』で皇族の覚えもめでたいお方だもの」
笹丘の発した「雪消の変」で柊詩の手がピクリと止まるが、二人は何も気付いていないようだった。
一心不乱に護符を書いているフリをして、そっと耳を傾ける。
「婚約者がいる身だけれども、天華様から巫女に求められた日には迷っちゃうわ。まあどこかの誰かさんにはご縁の無いことでしょうけど」
上品に「ふふふ」と微笑んでいた笹丘たちだったが、次の瞬間には柊詩が護符を書く文机を蹴り飛ばす。「きゃあ!?」と短い悲鳴を上げて左袖を押さえたのも束の間のこと。
その弾みで硯の中の墨汁が机に飛び散って柊詩の巫女装束と書き終えた護符にまで広がると、柊詩の顔は真っ青になったのだった。



