そして秋祭り当日の夕方。
車に揺られて辿り着いた神社にはすでに色とりどりの幟が立ち並んで、屋台からは甘い香りが漂っていた。
太鼓の音が闇夜を切り裂くように鳴り響き、子供達の笑い声や大人の話し声が至るところから聞こえたのだった。
「すごい人ですね。コンちゃんをお留守番させて正解でした」
まだ幼い子狐は人見知りをするのか、柊詩や怜桜、浅葱たち式神以外の前には滅多に姿を現さない。
普段でさえ怯えて物陰に隠れてしまうのに、こんな人混みではきっと逃げてしまうだろうと、今日は浅葱に世話を頼んで屋敷に置いてきたのであった。
「これだけ人が集まればあやかしも紛れ込みやすい。警戒を怠るな。気配を探りながら歩け」
そう言った怜桜はいつもの陰陽師の装束ではなく、紺色の着流し姿だった。それでも腰には祓いに使う霊力を帯びた刀を佩いていたが。
今夜は参拝客を装うと聞かされていたので、怜桜に合わせて柊詩も銀糸で小さな撫子が刺繍された淡い藤色の浴衣に袖を通し、浅葱に勧められるままに長い黒髪を半分だけ結い上げて小さな金色の簪で髪を留めていた。
毎年こうなのかと思っていたが、出掛けに浅葱が教えてくれたところによると、昨年までは目立つことなど全く気にせずに装束姿で出掛けていたとのことであった。
おそらく今年は参拝する柊詩に合わせてくれたのだろうが、あくまで参拝は警邏のついでのようなもの。付き合わせてしまったことに申し訳ない気持ちになってしまう。
「承知いたしました。今夜はどうぞよろしくお願いいたします」
「聞いた者が勘違いをするような言い方はやめろ。今宵の俺たちはあくまでも仕事上の相棒関係だ」
「勿論です。これも契約ですから」
何を勘違いするのか柊詩には分からなかったが、それよりもいつもなら返ってくるはずの「とんだ娘を選んだ」の言葉がこの時は無かったことに気付く。
だがその時には人混みで何度もはぐれそうになり、見失わないように怜桜の紺色の着流しの背を追い掛けるだけで精一杯であった。
人で溢れかえっている中を子供達が笑いながら駆け回り、さらには老若男女に押されているうちに徐々に距離が開いてしまい、その背はあっという間に人混みに紛れてしまったのだった。
「だっ、旦那様……」
「こっちだ」
助けを求めたところで横から腕を引かれる。顔を上げると、目の前には眉間に皺を寄せた怜桜の姿があったのだった。
「大丈夫か?」
「はい……」
叱責されると思っていただけに心配されて驚きつつもどうにか頷くが、それも柊詩の肩に人がぶつかったことでまたしても怜桜に寄りかかる形になってしまう。
先程よりも近い距離に柊詩の心臓が早鐘を打つ。両肩を掴んで支えてくれた怜桜も気付いたのか、慌てて手を離すと耳まで真っ赤になった顔を逸らしたのだった。
「……すまない」
「いえ……」
お互いに言葉少なく俯いていたその時だった。
「お兄さん」
近くの石段に腰掛けて、孫らしき男の子が焼き団子を頬張るのを手伝っていた老婆に声を掛けられる。
「そんなに離れて歩いていたら、奥さんとはぐれちまうよ。腕くらい組んであげなさい」
ニコニコと満面の笑顔を浮かべた老婆を二人は同時に見る。事情を知らないので仕方がないことだが、怜桜とは一時的な夫婦関係なだけで、腕を組むほど親密な仲ではない。
それは怜桜も同じようで、隣を見ると目を見開いたまま固まっていたのだった。
(腕を組む、のは夫婦なら当然のことだけれども……)
だが契約夫婦である二人にはその必要がない。
たしかに最初に提示された怜桜との約束には「任務終了まで夫婦を演じる」とはあったが、こんなところで演じなくてもいいはずだ。
窺うように見上げた柊詩だったが、それは怜桜も同じらしい。
「……どうする?」
困ったように顔を見合わせていると、やがて怜桜から尋ねられる。柊詩は少しだけ考えると、静かに頷いたのだった。
「これも契約ですから」
小声でそう言って怜桜の左腕へそっと手を添えると、柔らかな感触が布越しに伝わる。
そして怜桜の頼りがいのある身体に身を寄せたのだった。
「これでよろしいでしょうか?」
何でもないことのように尋ねたつもりだったが、やけに怜桜の身体が強張っているような気がする。
どこか間違えただろうかと首を傾げるが、怜桜は「うむ……」と返事をしたきり片手で顔を押さえて黙ってしまった。振り解かれないということは嫌では無いのだろう。
先程から祭囃子に混ざって耳に届く心臓の音は自分のものだろうか。今宵はやけに大きく感じていた。
そんな初々しい二人のやり取りを見ていた老婆が満足そうに笑って、「そうそう。若い夫婦は仲良く歩くものさ」と太鼓判を押してくれたのでこれが正解なのだろうが、怜桜の反応が精彩に欠けていて気になってしまう。
ただここでいつまでもじっとしているわけにもいかず、二人は老婆に軽く頭を下げるとその場を後にしたのだった。
腕を組んだまま歩いていた二人だったが、やがて「おーい! 天華!」と手を挙げる快活そうな青年を見つける。二人が近づくと、そこには参拝客に紛れるように着流し姿の青年数人と可憐な浴衣姿の少女たちがいたのだった。
車に揺られて辿り着いた神社にはすでに色とりどりの幟が立ち並んで、屋台からは甘い香りが漂っていた。
太鼓の音が闇夜を切り裂くように鳴り響き、子供達の笑い声や大人の話し声が至るところから聞こえたのだった。
「すごい人ですね。コンちゃんをお留守番させて正解でした」
まだ幼い子狐は人見知りをするのか、柊詩や怜桜、浅葱たち式神以外の前には滅多に姿を現さない。
普段でさえ怯えて物陰に隠れてしまうのに、こんな人混みではきっと逃げてしまうだろうと、今日は浅葱に世話を頼んで屋敷に置いてきたのであった。
「これだけ人が集まればあやかしも紛れ込みやすい。警戒を怠るな。気配を探りながら歩け」
そう言った怜桜はいつもの陰陽師の装束ではなく、紺色の着流し姿だった。それでも腰には祓いに使う霊力を帯びた刀を佩いていたが。
今夜は参拝客を装うと聞かされていたので、怜桜に合わせて柊詩も銀糸で小さな撫子が刺繍された淡い藤色の浴衣に袖を通し、浅葱に勧められるままに長い黒髪を半分だけ結い上げて小さな金色の簪で髪を留めていた。
毎年こうなのかと思っていたが、出掛けに浅葱が教えてくれたところによると、昨年までは目立つことなど全く気にせずに装束姿で出掛けていたとのことであった。
おそらく今年は参拝する柊詩に合わせてくれたのだろうが、あくまで参拝は警邏のついでのようなもの。付き合わせてしまったことに申し訳ない気持ちになってしまう。
「承知いたしました。今夜はどうぞよろしくお願いいたします」
「聞いた者が勘違いをするような言い方はやめろ。今宵の俺たちはあくまでも仕事上の相棒関係だ」
「勿論です。これも契約ですから」
何を勘違いするのか柊詩には分からなかったが、それよりもいつもなら返ってくるはずの「とんだ娘を選んだ」の言葉がこの時は無かったことに気付く。
だがその時には人混みで何度もはぐれそうになり、見失わないように怜桜の紺色の着流しの背を追い掛けるだけで精一杯であった。
人で溢れかえっている中を子供達が笑いながら駆け回り、さらには老若男女に押されているうちに徐々に距離が開いてしまい、その背はあっという間に人混みに紛れてしまったのだった。
「だっ、旦那様……」
「こっちだ」
助けを求めたところで横から腕を引かれる。顔を上げると、目の前には眉間に皺を寄せた怜桜の姿があったのだった。
「大丈夫か?」
「はい……」
叱責されると思っていただけに心配されて驚きつつもどうにか頷くが、それも柊詩の肩に人がぶつかったことでまたしても怜桜に寄りかかる形になってしまう。
先程よりも近い距離に柊詩の心臓が早鐘を打つ。両肩を掴んで支えてくれた怜桜も気付いたのか、慌てて手を離すと耳まで真っ赤になった顔を逸らしたのだった。
「……すまない」
「いえ……」
お互いに言葉少なく俯いていたその時だった。
「お兄さん」
近くの石段に腰掛けて、孫らしき男の子が焼き団子を頬張るのを手伝っていた老婆に声を掛けられる。
「そんなに離れて歩いていたら、奥さんとはぐれちまうよ。腕くらい組んであげなさい」
ニコニコと満面の笑顔を浮かべた老婆を二人は同時に見る。事情を知らないので仕方がないことだが、怜桜とは一時的な夫婦関係なだけで、腕を組むほど親密な仲ではない。
それは怜桜も同じようで、隣を見ると目を見開いたまま固まっていたのだった。
(腕を組む、のは夫婦なら当然のことだけれども……)
だが契約夫婦である二人にはその必要がない。
たしかに最初に提示された怜桜との約束には「任務終了まで夫婦を演じる」とはあったが、こんなところで演じなくてもいいはずだ。
窺うように見上げた柊詩だったが、それは怜桜も同じらしい。
「……どうする?」
困ったように顔を見合わせていると、やがて怜桜から尋ねられる。柊詩は少しだけ考えると、静かに頷いたのだった。
「これも契約ですから」
小声でそう言って怜桜の左腕へそっと手を添えると、柔らかな感触が布越しに伝わる。
そして怜桜の頼りがいのある身体に身を寄せたのだった。
「これでよろしいでしょうか?」
何でもないことのように尋ねたつもりだったが、やけに怜桜の身体が強張っているような気がする。
どこか間違えただろうかと首を傾げるが、怜桜は「うむ……」と返事をしたきり片手で顔を押さえて黙ってしまった。振り解かれないということは嫌では無いのだろう。
先程から祭囃子に混ざって耳に届く心臓の音は自分のものだろうか。今宵はやけに大きく感じていた。
そんな初々しい二人のやり取りを見ていた老婆が満足そうに笑って、「そうそう。若い夫婦は仲良く歩くものさ」と太鼓判を押してくれたのでこれが正解なのだろうが、怜桜の反応が精彩に欠けていて気になってしまう。
ただここでいつまでもじっとしているわけにもいかず、二人は老婆に軽く頭を下げるとその場を後にしたのだった。
腕を組んだまま歩いていた二人だったが、やがて「おーい! 天華!」と手を挙げる快活そうな青年を見つける。二人が近づくと、そこには参拝客に紛れるように着流し姿の青年数人と可憐な浴衣姿の少女たちがいたのだった。



