【2025年10月21日(火)の日記】
 今日は10月も終わりが見えてきたというのに、汗ばむ陽気だった。これも温暖化のせいだろうか。それとも若き血潮を感じたからだろうか。
 今日も昼休みは教室に居場所のない生徒たちで、理科準備室は大盛況だった。特に今日は鹿野(かの)の失恋話で持ちきりだった。なんでも昨日の放課後、彼女に振られたらしい。理由は、
 ・本人に自覚のない我慢をさせていたから
 ・彼女の想いに寄り添ってくれなかったから
 というのが彼女の言い分らしい。
 「我慢させてるなら言えよ」「振られるオレの想いには寄り添ってくれねぇのか」。アホか。男子というのはやはりいつの時代も幼い、幼稚、自分勝手。斯くいう私もその一人であったのだが。私の場合、数ヶ月後に「子どもができた」と呼び戻されて今に至るのだが。そんな胸の内を言ってしまえばコンプラが危ういのが今の時代。気心の知れている生徒たちだけ、とは言え、どこにカメラやマイクが隠れているか分からない時代だ。帰ってから息子にだけ言ってみたのだった。
 「ま、そうよな。男ってアホ。そのセリフ俺も聞き覚えあるわ。」と。「なんなら先週も聞いた。」とも。おい、私はその彼女の存在、知らなかったぞ! まぁ2回成人したようなもらいそびれの息子だから、居てもおかしくないし、言わなくても勝手にしろという話だが。先週聞いたとは…。私の子育て、どうだったんだろう?
 話を昼休みに戻そう。
 彼等、少しはマシなことも言っていた。鹿野本人が言っていたことだが、彼は幼い頃に震災で母親を亡くしているらしい。だから女心を察する(・・・)能力が欠けているのではないかと。確かに、女兄弟のいる男のほうが女の子の気持ちがわかるやつが多かったかも知れない。とは言え、それはもうどうしようもないこと。
 あとこれもどうしようもない。彼は生まれつき生え際がM字になっている。「やっぱ、ハゲだから?」「おれは生まれつき!」そんなやりとりもしていたな。
 見かけに頼らず、自分の力で女の子の、人の気持ちがわかるよう、力をつけていって欲しいものだ。

 【2025年10月23日(木)の日記】
 今日も鹿野がやって来た。来たときから少し気が高ぶっているような、いつもより肌艶のいい顔をしていた。
 「先生、母さんの写真、見つけたんだ。」
 彼は口角を上げながら、いつもよりわずかに高い声でそう言った。もしや、母親の写真も見たことがなかったのか? そう思わせる高ぶりようだった。
 なんでも、父親の再婚に合わせて引っ越すことになったらしく、その荷造りで母親の遺品に触れたらしい。出てきたのは写真屋で現像するとついでにもらえた薄いアルバム1冊とデジカメ。なんと彼はそれを学校に持ってきていて、例の如く集まった生徒たちと見始めたではないか。親の、両親は無理だとしても父親の、許可は得ているのか? まあ許可しないだろうから、無断だろうが。にしても、さすがに、お父様の猛アプローチで、交際1か月で結婚したとか、そんな生々しい話は秘めておくものだぞ! さすがにうちのバカ息子だってそんなことはしない。その点については子育て上手くいったようだ。

 婚姻届の写真。

 2008年11月22日。

 「お前の父ちゃん、いい夫婦の日に結婚したのかよ!」
 友人たちからツッコミが入る。アルバムは婚姻届を持って記念撮影をしている夫婦から始まり、新婚旅行、帰省、里帰り、そして彼の出産までがおさめられていた。

 新婚旅行の写真。2008年11月22日。

 帰省時の写真。2009年1月2日。

 里帰り、臨月の写真。2009年5月2日。

 赤ちゃんの写真。2009年8月2日。

 写真はさすがに貼れないが、日付だけは記憶していたので一応記しておく。新婚旅行はいい夫婦の日で覚えやすかったのと、それ以外はすべて2日だったので、覚えてしまった。このくらいの数字、覚えられないと理科教員などやってはいられない。
 「ねぇ、先生。データ修復ってできるよね?」
 そう、これが今日一番の衝撃。鹿野がデジカメのデータ修復を依頼してきたのだ。たしかにそういうのが得意だと授業で言ったことはあったが、まさか本当にこんなことがあるとは。明日から早く来ないとな。

 【2025年10月25日(土)の日記】
 定年退職して、部活顧問を免除されてから初めて、休日出勤というものをした。例のデータ修復のためだ。20年ほど前のデジカメだから、そこまで規格は古いものではなさそうたが、なんせ潮水を被っているようで、サビがひどく、本体からのデータ修復は難しかった。
 ただ、SDカードは無事だった。
 1日がかりで修復できたが、どうしたものだろうか。真実はまだ分からないが、これが事実。月曜日すぐにでも伝えよう。。

 【2025年10月27日(月)の日記】
 鹿野は呼び出すとすぐに理科準備室にやって来た。いつもは2分遅れが当たり前なのに、13時3分前には廊下にいた。
 彼の反応は思った通りだった。デジカメのSDカードに残された写真は、次のとおり。

 スキー旅行の写真。

 南国旅行の海の写真。

 飛行機の車窓の写真。

 紅葉の写真。

 アテネオリンピックの写真。

 愛・地球博の写真。

 婚姻届の写真。2008年11月22日…。

 愛・地球博まではほぼ毎年どこかに出かけた記念撮影があるのに、2005年から3年以上空いて唐突に結婚している。
 それ以降はアルバムに入っていた写真と同じだった。
 「本当に、これで全部?」
 ああ、私も同じことをデジカメに問うたよ。私は誓って改ざんや隠ぺいなどしていない。これが事実だ。
 「毎年写真撮ってた人が3年も空くかなぁ。」
 「スマホで撮ったとか?」「なんか撮れない事情があったとか?」「いやいやどこも行かなかったんじゃ?」そんなことを彼の仲間たちは無責任に言い合っている。そうこうしているうちに予鈴が鳴り、彼らを追い出す時間になった。
 すると鹿野がポケットから校内で禁止されている「携帯電話」を取り出した。
 「コレの修復は…?」すまん、専門外だ。「せめて、充電だけでも。」時代はタイプC。申し訳ないが、ココも例外ではない。