アリスは醒めない夢をみる。





「おかしなことを言うね、アリス。怪我をしても死んでもいいじゃないか。彼らはクロッケー大会の時はいつもそうだよ?」



帽子屋のあり得ない言葉に一瞬だけ、頭が真っ白になる。

何を言っているの?
怪我をしても、死んでもいいだって?


パシンッ


訳が分からなくて、でもすごく不快で、頭の中の血が一気に沸騰したと思った次の瞬間には、私は帽子屋の頬を平手打ちしていた。



「おかしなことを言ってるのは帽子屋の方よ!粗末にしていい命なんてない!」



帽子屋に怒鳴って今すぐこの狂気のクロッケー大会を中止させようと女王様の所へ向かおうとする。

でも…



「行ってはダメだよ、アリス。死に急ぐことはない」



それは恐ろしいほど冷静に微笑む帽子屋に腕を掴まれたことによって阻まれた。



「…っ、離して!」



どんなに力を入れても、腕をブンブン上下に振っても、その手が離れることはない。
暴れれば暴れるほど帽子屋は笑みを深め、腕を持つ手に力を込める。

帽子屋は男で、私は女だ。
いくら頑張っても、その差は大きく、どうにもこうにも逃れることができない。

だけどどうにか帽子屋から逃れないと。


目の前でみんな笑っている。

フラミンゴとハリネズミだけが今にも死にそうな表情を浮かべているというのに。

狂っている。
こんなのおかしい。



「……」



ねぇどうすればいい?

私は帽子屋から逃れようとすることを一度やめ、目を閉じて深く考える。


この会場で私の味方になってくれる人は誰?
私1人ではどうすることもできない。
誰かに協力してもらわないと。


私は今、〝不思議の国の〟アリス。
ただのアリスではない。

ねぇ〝不思議の国の〟アリスならどうする?

一か八かだが、私に応えてくれそうなのは人が、この会場に1人だけいる。



「チェシャ猫ぉ!面白いことしたくない!?」



唯一頼れるかもしれない人物に私の呼びかけが届くように大きな声で私は叫ぶ。

すると…



「したい!」



ルンルンの笑顔でチェシャ猫が私の目の前に現れた。



「この狂気のクロッケー大会をめちゃくちゃにするわよ!」

「だからそんなことはやめておいた方が……」

「帽子屋は黙ってて!」



私の言葉を聞いて『まだ言っている』と呆れ顔になる帽子屋の言葉を私は途中で遮る。



「チェシャ猫!フラミンゴとハリネズミを助けるよ!」

「んー。確かに今まで女王に逆らった奴っていないし、そのパターンは全く見たことないから気にはなるね。でもどうやって?」

「それはあとから考えるから!とりあえず帽子屋の手をどうにかして欲しいの!」



ニヤニヤ笑うチェシャ猫に、こちらもいたずらっぽい笑みを向けて、帽子屋に掴まれている腕を示すようにチェシャ猫に向ける。



「お安い御用だよ、アリスの為なら、ね」



そして次の瞬間には、チェシャ猫に帽子屋に掴まれていない方の腕を思いっきり引っ張られ、私は帽子屋から逃れることができていた。



「いった!」



だが、あまりにも強引すぎるチェシャ猫のやり方に、肩が外れそうな痛みを感じ、表情を歪ませる。
無理やりにも程がある!



「ありがとう!チェシャ猫!でももうちょっと違うやり方がよかったんですけど!」



お礼と苦情をチェシャ猫に同時に伝えるとチェシャ猫は、


「あははっ、わざとだよ。アリスいいリアクションするね」


と最低な答えが返ってきた。

忘れてた。コイツは意地が悪い、自分さえ楽しければいい、自分勝手なドS猫だった。



「はぁ、全くとんだじゃじゃ馬だね、アリス」



私を無理やり引き剥がされたにもかかわらず、帽子屋は焦る様子もなく、その笑みを崩さない。



「いいのかい?チェシャ猫。女王に逆らうことは死ぬ……、いや、死ぬだけなら可愛いもの、死に続けることを意味するんだよ?」

「そうかもしれないね。でも同じことの繰り返しにはもう飽きたのさ。帽子屋だってそうだろう?」



帽子屋とチェシャ猫が互いに見つめ合う。
二人とも目は笑っているが、相手が次どのように動くのか、どのような手を使うのか窺うような鋭い目つきだ。



「はぁ、負けたよ。確かに一理ある。私も飽きた、この世界に」



最初に緊張を解いたのは帽子屋で。
降参、と両手をヒラヒラとあげて振る。



「……では革命といこうか」



そしてすっと帽子屋は表情を引き締めた。

覚悟を決めたその表情は、元から美しい顔だったこともあり、ものすごく凛々しく、迫力がある。



「フフッ、楽しそう」



それを見てチェシャ猫はいつものニヤニヤ顔で笑った。

やったー!
帽子屋も味方になってくれるなんて心強い!



「さて、フラミンゴ達の助け方をあとから考えると言っていたけれど、何かいいアイディアは思いついたかい?アリス?」

「うっ、それがまだ…」

「そんなことだろうと思っていたよ。なるようになるとでも思っていたんじゃないかい?」

「…」



帽子屋の冷静な言葉があまりにも的確すぎて何も言えなくなる。
思考を丸々読まれている気分だ。



「私が作戦を立てよう」



帽子屋はそう言うと、不敵に私に笑った。