アリスは醒めない夢をみる。




どれくらいお茶をしていたのかわからない。
だが、随分長い時間ここでお喋りをしていたことは確かだ。



「つまりアリスはこことは違う世界から白ウサギを追ってやって来たんだね。だけど白ウサギの行方はわからないし、帰り方もわからない、と」

「そう、そうなのよ」



机を挟んで私の目の前に座る帽子屋が、私の話を的確にまとめてくれたので、私はうんうんと力強くそんな帽子屋に頷く。

初めこそ、のんびり参加するわけにはいかないと、思っていたお茶会だったが、いざ参加してみると悪くなかった。
悪くないどころかむしろよかった。

お茶とお菓子は美味しい、何よりも一緒に話をする帽子屋は聞き上手で、話し上手なのだ。
帽子屋との会話は思っていた以上に楽しく、飽きる暇がなかった。

帽子屋との話が好きだと言っていたチェシャ猫の気持ちにも頷けた。



「それで帽子屋は白ウサギの行方を知っているの?」

「うーん。残念ながら今日は見ていないね」

「そうなんだ…」



帽子屋の答えに私はガクンと肩を落とす。
まさか帽子屋も知らないとは。
ここからどうやって白ウサギを探せばいいのだろうか。
手がかりがなくなってしまった。



「じゃあ、帽子屋。〝元の世界〟への帰り方は知ってる?」



期待していた答えがもらえず、落ち込んでいると、今度はチェシャ猫がニンマリ顔で帽子屋にそう質問した。



「そちらも残念ながら…。そもそも私たちには元の世界も何もそのような概念などないからね。逆に私が知りたいくらい実に興味を引く話だよ」



興味深そうに笑う帽子屋にチェシャ猫は「帽子屋でも知らないのかぁ」と、変わらずニンマリ顔を浮かべる。

私もチェシャ猫と同じように「知らないのか」と心の中で思いながらも、本日何杯目か忘れてしまったアップルティーに口を付けた。
口に含んだ瞬間に広がる程よい甘さと、りんごのみずみずしさを感じる味が、私好みの味で、何杯でもいけてしまう。



「あ」



アップルティーを楽しむ私の耳に、何かを思い出したかのような帽子屋の声が届く。



「クロッケー大会に行ってみるのはどうだろう?白ウサギも参加するかもしれない」

「クロッケー大会だぁ!?」



帽子屋の言葉に私が反応するよりも早く反応したのは、何故か今の今までお菓子に夢中で全然話に入ってこようとしなかった三月ウサギだ。



「あんなクソ大会にまさか参加するとか言うんじゃねぇだろうな!?」

「毎回行かない選択はできないよ。ハートの女王主催のものだしね」

「かぁーっ!最悪だっ!一気に菓子の味が不味くなった!」



頭を抱える三月ウサギに招待状のようなものを帽子屋が残念そうに見せると、更に気分が悪くなった様子で三月ウサギはドンッと机を思い切り叩く。

そして…



「起きろ!ヤマネ!最悪の知らせだ!明日はクソクロッケー大会だ!寝てる場合じゃねぇぞ!」



と、叫んで隣で寝ているヤマネの体をゆさゆさ乱暴に揺らし始めた。



「んん、やめてよ、三月…。まだ僕は寝ていたいんだ…」

「寝すぎだバカ!さっさと起きろ!テメェの天敵、チェシャ猫も来てんだぞ!食われっぞ!」

「ええ!?」



あんなに乱暴に揺さぶられても起きようとしなかったのに〝チェシャ猫〟という言葉に反応して椅子から飛び上がる勢いでヤマネが体を起こす。



「チェッ、チェシャ猫っ!」

「やぁ、ヤマネ。今日も美味しそうだなぁって思ってずっと見ていたよ」

「ひぃぃぃっ!!!!」



そんな完全にチェシャ猫にびびっている…いや、恐怖で慄いている様子のヤマネに、チェシャ猫はその恐怖心を更に煽るようにニンマリと笑った。

ドS猫再び!

ハートの女王主催のクロッケー大会…。
確かクロッケーはゲートボールみたいなスポーツで、不思議の国のアリスでもアリスがハートの女王とおかしなクロッケーの試合をやっていた気がする。

私のうろ覚えの記憶が正しければ、ボールはハリネズミで、クラブはフラミンゴ、ボールをくぐらせるアーチはトランプ兵だった。
おとぎ話だったから「ヘンテコで面白い!」と思い、他人事のように見ていたが、これがもし本当に起こることだとしたら、全く面白くない。

そもそも今のところチェシャ猫も三月ウサギもヤマネもみーんな人間の姿で現れた。

もしこの世界の全ての動物が人間の姿になっているのだとしたら、ハリネズミの人間をフラミンゴの人間で転がしてトランプ兵のアーチにくぐらせる競技となってしまう。

なんて狂気じみた競技なのだろう。

動物だろうが人間だろうがその競技に狂気を感じることは確かなのだが、人間で考えるとますます狂気さに拍車がかかる。



「ねぇ、三月ウサギ。そのクロッケー大会ってどんな大会なの?」



もしかしたら想像とは全く違う、ごくごく健全な話が出てくるかもしれないと、一抹の希望を持って三月ウサギに聞いてみる。



「クソ大会だ!ボールはハリネズミだし、クラブはフラミンゴだし、アーチはトランプ兵だし!」



だが、しかし三月ウサギからの回答は全く健全なものではなかった。



「さて、我々はハートの女王からの招待をこれ以上無視できないので、残念ながらこの最悪なクロッケー大会に参加しなければならないのだが、アリスはどうする?」



帽子屋がそう言って私の様子をどこか興味深そうに伺う。



「もちろん参加するよ。白ウサギを見つけないとだし、何より狂気のクロッケー大会を見て見ぬフリなんてできない!」



私の答えはもちろんイエスだ。
もしかしたら白ウサギも来るかもしれないし、狂気のクロッケー大会は何としても阻止しないと!

すぐに答えた私を見て、帽子屋はフッと優しく微笑んだ。



「では、明日は我々と共にハートの城へ向かうとしよう。今日はもう私の屋敷でゆっくり休むといい」



帽子屋が空を見上げたので、私も同じように空を見上げると、つい先ほどまで明るかった空がいつの間にか薄暗くなり始めていた。
もうすぐ夜だ。

そういえばチェシャ猫とこの世界について少し話した時、私と大きな齟齬があったことを思い出す。

この世界には夜が来て明日が来る、ちゃんと今日とは違う明日を迎えるはずなのに、どうしてチェシャ猫は毎日全く変わらないと、おかしなことを言うのだろうか。



「ねぇ帽子屋。この世界はいつも何もかも全く同じなの?」

「君はいつもおかしな質問をするね、アリス。そうだよ。そういうものだからね」



この世界について、帽子屋に聞いてみると、チェシャ猫と同じように訳の分からない答えが返ってきた。

全く同じ1日とはどういうことなのだろうか?