チェシャ猫とどこまでも続く森を歩き続けてやって来たのは、大きなお屋敷の立派な庭だった。
今まで歩いてきた森とは違い、ここの草木や花たちは綺麗に整えられており、人の手を感じる人工的な場所だ。
そんな庭の開けた場所には、白いテーブルクロスがかけられたとても長い机があり、その上には大量のお菓子が並べられていた。
どうやらここがチェシャ猫の言っていたお茶会の会場のようだ。
「うぁ…」
そこに広がっていた不思議の国のアリスのお茶会と同じ世界に、私は目を奪われ、感嘆の声を漏らしていた。
絵本で見た世界そのものだ!
「やぁチェシャ猫。先日ぶりかな?」
私たちが庭へ訪れたことに気がついた、お洒落で特徴的な模様と装飾のハットをかぶった美青年がこちらへ声をかける。
私たちに話しかけてきたのは、身なりからして、おそらく私たちが会いに来た帽子屋だろう。
お洒落で特徴的な帽子をかぶっている不思議の国のアリスの登場人物と言えば帽子屋しかいない。
「そうだね。帽子屋」
チェシャ猫の受け答えを聞いて「やっぱり」と心の中で納得した。
彼はやはり帽子屋だったようだ。
「で、そちらの可愛らしいお嬢さんはどちら様かな?見かけない顔だけど」
チェシャ猫とお互いに軽く挨拶を交わしたところで帽子屋は今度は私に話を振る。
「こんにちは。私はアリス。白ウサギを探しているんだけど、帽子屋は白ウサギがどこへ行ったか知らない?」
「おや、これは驚いた。お嬢さんは私の名前を知っているのかい?」
「もちろん」
私としては自己紹介などしなくとも、彼らのことは知っているので、さっさと白ウサギの情報を帽子屋から聞き出したかったのだが、帽子屋はそうではなかった。
「それは何故なのか聞いてもいいかい?」
すでに帽子屋のことを知っていた私を、帽子屋は興味深そうに見つめてきた。
うっかりまだ自己紹介が終わってないのに〝帽子屋〟とか呼ぶんじゃなかった。
少し……いや、かなりめんどくさいなと思いながらも、どう説明すればよいのか考える。
絵本で読んだことがあるから、というのが彼らを知っている理由なのだが、今目の前で生きてる当人たちにそんなことを馬鹿正直に言っても、きっと信じられないだろうし、正直に答えるのは違う気がする。
「そう言えばアリス、俺の名前も初めから知っていたよね」
どのように伝えればよいのか、なかなかいい案が思い浮かばず、思案し続けていると、私の横でチェシャ猫が、追い打ちをかけるように興味深そうに私を見つめた。
ど、どうしよう!
なんて答えるのが正解なの!?
「えーっと、あ、あれだよ!あれ!私、人の名前当てるの得意なの!てか得意通り越して特技だから!」
我ながら苦し紛れすぎるとはわかっている。
わかっているが、この言葉しか思いつかない。
私の苦し紛れの言葉とぎこちなさすぎる笑みを見て、帽子屋とチェシャ猫は、
「「ふーん」」
と、言い、私ににっこりと笑った。
肯定とも否定とも取れない相槌だが、2人の顔には〝全く信じていません〟と見えない文字がきちんと書かれている。
やっぱり信じてもらえてないよねー!疑われているー!
「名前を当てる特技のあるアリスには必要ないのかもしれないが、本日のお茶会参加者を紹介しよう」
帽子屋の言葉全体に、どこか棘を感じるあたり、やはり私の言葉は全くと言っていいほど、信じられていないみたいだが、そんなことにはこの際目をつぶろう。
気にしていたら先には進めない。
「そちらでお菓子を行儀悪く食しているのが三月ウサギ、そして劣悪な三月ウサギの横という環境で寝ているのが眠りネズミのヤマネだ」
帽子屋はそう言い、丁寧に右手のひらで2人のことを指す。
帽子屋に言われて、2人の方へと視線を向けると、そこには帽子屋の言う通り、とんでもない勢いで行儀悪くお菓子を食べているオレンジのうさ耳を生やした美青年、三月ウサギと、そんなお菓子の食べカスが降りまくっているまさに劣悪な環境なのに眠り続けているグレーのネズミ耳を生やした美少年、ヤマネの姿が目に入った。
これはチェシャ猫と同じパターンだ。
この2人も私の知っている三月ウサギとヤマネではない。
私が知っている三月ウサギとヤマネは人間ではないのだ。
「私はアリス。2人ともよろしくね」
今度は余計なことを言わないように2人に挨拶をする。
「「…………」」
だが、お菓子に夢中な三月ウサギとぐっすり眠っているヤマネに完全にそれは無視された。
「さて、アリスはアップルティーでいいかい?」
挨拶もひと段落ついたと判断した帽子屋がにっこりと微笑み、慣れた手つきでカップにアップルティーを注ぎ出す。
「ま、待って!私、お茶なんてする気ないよ!?早く白ウサギを追いかけないと!」
だが、今の私は全くもって、お茶なんて求めていないのですぐにそれを断った。
ここへ来たのはお茶をしにではなく、白ウサギや帰り方の情報を得るためだ。
決してのんびりしに来たわけではない。
「何を言っているんだい?君はお茶をしにここへ来たのだろう?」
「違う違う違う!私は帽子屋に聞きたいことがあってここへ来たの!」
「だからそれはつまりお茶をしに来たってことじゃないか」
「は、はい?」
私も帽子屋もお互いの言っている意味がわからないといった感じで首を傾げる。
全く会話が噛み合っていない。
「ここはお茶会会場だよ?お茶をせずに何をするんだい?」
「……」
帽子屋のお茶第一思考に呆れてしまい、最後には何も言えなくなってしまった。
そういえば、不思議の国のアリスに出てくる帽子屋は気が狂っていると言われていた気がする。
これは気が狂っているというよりかは、お茶に狂っているだけど。
お茶狂だ、お茶狂。
助けを求めるようにチェシャ猫を見れば、チェシャ猫は「俺は冷たいのね」と言って当たり前のように私の横の席へと着いていた。
お前は何をしとるんじゃい!
「さぁ、アリスも席に着いて」
にっこりと帽子屋が微笑み、私の目の前に暖かそうなアップルティーの入ったカップを置く。
「…ありがとう、帽子屋」
私はそんな帽子屋にしぶしぶお礼を言うと、目の前の椅子を引いた。
こんなことしている場合じゃないのに。
白ウサギは一体どこへ行ってしまったんだろう。

