アリスは醒めない夢をみる。




「アリスー!起きてー!朝だよー!」



目覚まし時計の代わりに、白ウサギの声が私に朝を告げる。この世界に留まることを決めて何日、何週間、何ヶ月経ったのかわからない。
でも私は随分長いことここで生きた気がする。



「まだぁ…あと5分…」

「そう言って30分も寝続けてるでしょ!今日は帽子屋のところに行くんだよね?」



まだまだ眠たい私は布団に潜って再び寝ようとしたが、それはバサァッ!と勢いよく白ウサギに布団を剥がされたことによって、阻止されてしまった。



「うぅー!布団…っ」

「はい、起きるー。おはよー」



必死に布団を取り返そうとする私をひらりとかわして、白ウサギは私が起き上がらないと取れないような場所に布団を置く。

…これはもう起きるしかない。

ここは白ウサギと共に暮らしている小さな一軒家。もちろん帽子屋屋敷や女王様のお城みたいに豪華絢爛、超巨大な建物ではない。
ごくごく普通の2人で住むには丁度よいサイズの木の家だ。

ちなみに私がこの世界に残ることを決めた時に寝ていた部屋もこの家の部屋だった。今ではそこが私の部屋だ。

いつもの水色のワンピースに袖を通して、身支度をする。それから白ウサギが用意してくれていた朝食を白ウサギと共に食べ始めた。



「そういえば白ウサギは帽子屋の所には行かないの?」

「うん。僕もアリスと行きたい気持ちは山々なんだけど、お城での仕事があってね」



温かいスープを口にしながら、白ウサギを見つめれば、白ウサギが残念そうな顔をしてこちらを見る。

あれからこの世界はいろいろ変わり、白ウサギはこの世界での何と宰相のようなポジションをすることになったらしい。
なので、時折こうやって、お城に行かなければならない日があった。



「そっか…。残念だね。あ!あとで差し入れ持って行くよ」

「本当!忘れないでよ?アリス」



2人でクスクス笑い合いながら朝食を食べる。
幸せだなぁといつもこういった瞬間にふと感じた。

何気ない日常に幸せを感じられる。
元に戻る選択をしていれば、得られなかった幸せだ。
本当にここへ残る選択をしてよかったと心から思った。



*****



この森を少し歩けば、帽子屋屋敷に着く。何度も歩いて見慣れてしまった帽子屋屋敷までの道のり。

そういえば、この森でチェシャ猫に会ったんだよね。

小さな私の上から降りてきた。
それがチェシャ猫だった。



「アーリス」



チェシャ猫との出会いのことを考えていると、いつものように木の上からチェシャ猫が降りてきた。



「どこに行くの?俺もついて行くよ」



私の前に立ってニコニコ…いやニヤニヤ笑うチェシャ猫。悪いことを考えているようにしか思えない。いや実際考えているのだろう。何を考えているのかまではわからないが。



「帽子屋の所だよ。お茶会のついでに新しい計画の話をしようと思うの」

「えーなになに?やっぱりアリスは楽しいなぁ」



私の話を聞き、チェシャ猫はますます笑みを深める。



「アリスのおかげでこの世界はうーんと楽しくなったし、今回も期待してるよぉ」

「もちろん。期待してて」



楽しそうに笑うチェシャ猫に私も楽しそうに笑った。
今回もきっと楽しい冒険になるはずだ。



*****



帽子屋屋敷に着くと、いつものように豪華なお庭でお茶会が始まった。

メンバーはこれまたいつもと変わらず、帽子屋、三月ウサギ、ヤマネ、そして後からやって来た私とチェシャ猫だ。
ヤマネは寝ているし、その横で三月ウサギは相変わらず行儀悪くお菓子を平らげている。
もちろん横で寝ているヤマネには、お菓子の雨が降っているのだが、気にせず寝続ける辺り、さすがヤマネである。

そして私、帽子屋、チェシャ猫はお茶とお菓子を飲んだり、食べたりしながら会話を楽しんでいた。



「アリスのおかげで自由になった世界は驚きでいっぱいだよ。毎日が新鮮だ」



優雅に紅茶を飲むと帽子屋は楽しそうに笑みを深めた。

そう帽子屋の言う通りこの世界は自由になった。
私のおかげ…というか私が白ウサギにお願いをしたのだ。この世界で生きる全ての生き物に自由を与えて欲しいと。

白ウサギは私の為にこの世界を作るくらいだ。他の願いなんてそれに比べれば容易い願いだろう。
すぐにその願いを叶えてくれた。

自由を与えられたことによって、もう〝不思議の国のアリス〟のお話は始まらないが、それでも生き物が、人が、自由に生きるということは、それだけで新たな物語が生まれるということだ。
それを私はとても楽しんでいるし、帽子屋やチェシャ猫も私と一緒だった。

だが、自由ばかりでは、秩序が乱れるので頑張っているのが、この世界の元々の女王様とこの世界を作った白ウサギだ。
日々規律を守らせる為に特に女王様が奮闘している。

この世界には、自由な人が多く、女王様も大変そうだ。目の前にいるこの2人がまさに自由代表だろう。



「で、でー?新しい計画って何ー?」



世界のことについて改めて考えていると、ワクワクした様子でチェシャ猫が私に話を振った。
ここへ来る前からお預けをしていたので、チェシャ猫は相当私の計画が気になっていたようだ。



「あー。実はね、女王様のお城の向こうの森に大きな竜がいるって聞いたことあるでしょ?そこには迷路のようなダンジョン?みたいなところがあるらしくて。そのダンジョンに行きたいのと、竜を見てみたいと思っているんだけど…」

「なるほど情報が曖昧だからしっかり計画を練って万全の体制で行きたい、と」

「そう!そこで帽子屋の力を借りたいの!」



説明の途中でちらりと帽子屋を見れば、帽子屋はすぐに私の欲しい答えをくれた。

さすが帽子屋!よくわかってる!



「知識の豊富さでいったら帽子屋の右に出る奴なんていないもんねぇ」



なるほどー、とチェシャ猫も納得している様子だ。



「我が屋敷に膨大な量の書物が保管されている書庫があるのだが、そこに何か情報がありそうだ。前にその竜について触れている本を見たことがある。三月ウサギ!」



流れるように言葉を並べると、帽子屋はそのままの流れで三月ウサギの名前を呼ぶ。



「らんだお」



すると口にお菓子を含んだまま、おそらく「なんだよ」と答えた三月ウサギが、お菓子から帽子屋に視線を移した。



「手伝って欲しいことができた。書庫での本探しだ」

「げぇ。書庫ってあの本が無限にある部屋だろ?嫌だぜ、頭が痛くなる」

「毎日タダで大量のお菓子を食べ、毎日タダで帽子屋屋敷に宿泊している三月ウサギに選択権があるとでも?」

「や、やってやるぜ!もちろんヤマネもだ!」



ニコニコ笑ったまま、もちろん目は笑っていない帽子屋に脅される形で、本捜索をすることになった三月ウサギとそれに巻き込まれてしまったヤマネ。
まあ、帽子屋の言葉的におそらく同じことを言って、ヤマネにも手伝わせる気満々だっただろうが。

興味のない本探しはさすがに面白くないだろうから私の目的を三月ウサギにももう一度伝えておこう。



「三月ウサギ」

「なんだよ、アリス」

「本探しなんだけどね、女王様のお城の向こうにある森にいる竜が見たくて、その情報を探す為の本探しなの」

「へぇ、竜ね」

「あとそこに行くまでがダンジョンみたいになっているとかで…」

「ダンジョン?」

「あー、ダンジョンっていうのは迷路みたいなもので罠があったり、魔物?みたいなものに襲われるから戦ったりする所なんだけど」

「なんだそれ!面白そうだな!」



最初こそ全く興味が無さそう…むしろお前のせいか!て恨めしそうな目で私を見ていた三月ウサギだったが、ダンジョンには興味が湧いたようで目をキラキラさせながらこちらを見る。

the男の子って、感じの反応だ。

私の説明にチェシャ猫も「何それ!ダンジョン面白そう!」とすごく興味を示していた。



「さて、今日が終われば、また今日がくる訳だが、それでも時間が惜しい。早速情報収集の一環として書庫に向かおうか」



すっと帽子屋が綺麗な所作で、その場から立つ。そしてそれが合図かのようにチェシャ猫、三月ウサギ、それから寝ていたヤマネは三月ウサギに叩き起こされて、その場から同じように立った。

ちなみに、ヤマネは起きると、すぐにチェシャ猫を見つけて、



「うわ!チェシャ猫がいる!た、食べられる!」

「クククッ!ヤマネほっんとーに美味そうだね。いつ食べてやろうか」

「嫌ぁぁぁっ!死にたくないぃぃ!」



と、いう会話をチェシャ猫と繰り広げていた。
顔面蒼白で死にそうなヤマネに思いっきり意地悪な顔をしてニヤニヤ笑うチェシャ猫。ヤマネが非常にかわいそうである。



「帽子屋!」

「なんだい?アリス」



このままでは本捜索が始まりそうな流れだったのでは、私はみんなと同じように席から立ち、帽子屋に慌てて声をかけた。
本捜索をしたい気持ちは、私も山々だが、今日はこの後、白ウサギの所へ差し入れを持って行く約束をしている。

それを帽子屋に伝えれば、



「ならアリスは本捜索はいいから、その代わりお城で情報収集に努めてくれるかい?こちらでは見つからない情報がきっと見つかるはずだ。もちろん時間があればで構わない」



と、言ってくれた。



「わかった。やれるだけやってみるね」



なので、私は笑顔で帽子屋に頷いた。
女王様の時間があれば女王様に聞いてみよう。



「ところでアリス」

「?」

「君は今幸せかな?」



帽子屋が私の様子を窺うように優しく笑う。だが、その笑顔が、優しさだけではないような気がして違和感を覚えた。
何かを探るようなそんな瞳だ。



「幸せだよ」



だが、答えに迷うことはなかった。
本当に今の私ははっきりと自分が幸せだと答えられるから。



「そうか。今回のアリスは幸せでよかった。アリスが幸せだとこの世界も幸せで溢れる。今の世界が1番幸せな世界だ」



ふわりと帽子屋が今度こそ私に優しく笑い、私の頭を撫でる。

どういう意味なのだろう?
今回?私が幸せだと世界も幸せ?



「これからも笑っていておくれ、アリス」



私の問いかける視線に気が付いているはずなのに、帽子屋はそれには答えようとせず、ただ意味深に笑った。