「…な、何を言っているんですか。私の企み事だなんて…」
「会場を見させない位置に私を座らせ、私の気を引き、私の後ろをずっと気にしているんだもの。気づかない方がおかしいわ。私の可愛いアリスにはこういう企み事は不向きね。誰の入れ知恵かしら」
クスリと笑う女王様に背筋が凍っていく。
冷や汗が止まらず、緊張で握り締められた手が汗でいっぱいになる。
もう誤魔化すことも、バレずに逃げることもできない。
ならば、正面から行くしかないだろう。
怖い。逃げたい。
そう思う気持ちもあるが、それでは先へ進めない。
私はついに意を決して、まっすぐと女王様を見た。
「女王様。お言葉ですが、クロッケーでは、フラミンゴもハリネズミもトランプ兵も使わないんです。あのクロッケーは何もかもおかしなものでした」
冷静に、心の中の恐怖を悟られぬように淡々と私は話し始める。
「だから私が止めさせたんです」
そしてそう女王様に言い切った。
これは誰かの入れ知恵じゃない。
私の意思で起こしたものだ。
…まあ、作戦自体は帽子屋の入れ知恵だが。
「…これはアリスの仕業なのね?」
「そうだよ。どんな命も大切だからね。無下に扱っていいものなんてない。それが女王様、例えアナタでも」
こちらに鋭い視線を向ける女王様を、私は説得するように静かに言葉を並べる。
だが、私の言葉など女王様には一切響かなかった。
「違うわ、アリス。私はハートの女王。この世界の支配者。どの命をどう扱おうが私の自由。私に許された権利よ。そんな私、ハートの女王の権利を脅かす存在など、例えアリスでも許されない」
恐ろしいほど静かに冷たくそう言い放つ女王様に恐怖心を煽られる。
本気で女王様は自分以外の命全てを軽んじており、そうできる権利が自分にはあると思っているようだ。
どう考えたっておかしいじゃないか。
「女王様、聞いて!その考え方がすでにおかしくて…」
「うるさい。トランプ兵たち、アリスを捕えなさい。首をはねるわ」
「「はっ」」
何とか女王様への説得を試みたが、それを女王様が冷たく遮り、右手を上げ、傍にいたトランプ兵たちに命令を出す。
それに応えるように返事をし、こちらに来たのは2人のトランプ兵で。
私、今捕まると首をはねられるの?
つまり、死ぬってこと?
そんなこと絶対に嫌だ!逃げなきゃ!
「アリス!」
逃げようとしたその時、私の後ろに誰かが現れた。
いや、誰かではない。
この深みのある声は…
「帽子屋!」
私の後ろに現れたのは額にじんわりと汗をかき、焦っている様子の帽子屋だった。
「いつまで経っても騒ぎが起こらないと思い、様子を見に来てみれば…。違う騒ぎを起こしていたとは」
「ご、ごめん。私の演技が下手すぎてバレちゃって…」
呆れている様子の帽子屋に私はとりあえず苦笑いを浮かべて謝る。
するとそんな私を見て帽子屋は「いや、謝らなくてもいい。君の力量を見誤った私にも責任がある」とどこか悔しそうにしていた。
まさかここまで演技が下手だったとは…と、失礼な理由で失望されていることは伝わるが、怒れる立場ではないので、申し訳ないとただただ思う。
「それよりアリス、今すぐに逃げよう。ここで捕まれば全て終わりだ」
「う、うん」
やけに深刻な表情で帽子屋にそう言われて私は緊張しながらも頷く。
そして次の瞬間には私たちはその場から駆け出していた。
「待ちなさい!アリス!お前たち!アリスを捕えよ!」
逃走した私たちに向かって女王様がそう叫ぶ。
すると、女王様の周りにいたトランプ兵が一斉にこちらに飛びかかってきた。
だが、しかし。
「うりゃあっ!」
気がつけば私たちのそばにいた三月ウサギがそのトランプ兵たちを全てなぎ倒してくれていた。
「遅えぞ!アリス!」
「ご、ごめん!」
私に文句を言いながらも、三月ウサギはどんどん何でもないようにトランプ兵たちの相手をしていく。
バシッドシンッガンッとずっと痛々しい効果音が聞こえてくる。
「強い、強~い、さすが三月~」
気がつけばそこにはチェシャ猫もおり、チェシャ猫はどんどんトランプ兵を倒していく三月ウサギを面白そうに見て笑っていた。
三月ウサギの暴れっぷりに私の横にもともといた帽子屋は、
「やはり暴れ出した三月ウサギを止められる者はいないね」
と、愉快そうに笑っており、こちらもいつの間にかそばにいたヤマネは、
「伊達に僕を毎日抱えているわけじゃないよね」
と感心している。
いや、ヤマネ、それ自信を持って言えることなのでしょうか?
「さぁ、アリス!今のうちに!」
三月ウサギが起こした混乱の中、私のそばにいた帽子屋はグッと私の腕を掴むと、グイッと私の腕を引き、大乱闘中の狂気のクロッケー大会会場を走り抜けていく。
帽子屋に腕を引かれ、頬に感じる柔らかな風。
現実世界ではまず見られない整えられた赤のハートの庭には、たくさんのトランプ兵とそのトランプ兵に対抗している三月ウサギが。
だが、よく見ると、三月ウサギだけではなく、いろいろな人がなぜか私たちの味方をしており、トランプ兵と戦っていた。
戦況は五分五分といったところだろうか。
命がかかっているこの場面で私は不謹慎にもドキドキしてしまう。
まるで物語の世界で冒険しているようだ、と。
こんな危ないことが楽しいと思ってしまう。
平和なだけではない。
次はどうなるのかわからない。
時に自分の信念、正しさを通す為に、戦う時だってある。
ハラハラドキドキが続き、高鳴り続ける私の心臓は私を休ませてなんかくれない。
ずっとずっとスリルが私を待っている。
「アリス、君も大概狂っているね」
「え?」
ふと共に並走していたチェシャ猫に声をかけられて我に帰る。
どういうこと?
「こんな状況でそんな楽しそうな顔しちゃってさ。俺と一緒だ」
首を傾げている私にニヤニヤとチェシャ猫はそう言った。
あぁ、私、顔にも出ていたんだ。
「そうだね。狂っているのかも」
この世界の人達はどこかおかしいけれど、私もその例に漏れずおかしいのかもしれない。
だって私は〝不思議の国の〟アリスだから。
「アリス!逃がさないわよ!私のものにならないなら死になさい!」
パンッと、女王様の叫び声の後、私の後ろから大きな音がする。
現実ではテレビでぐらいしか聞いたことのない音。
リアリティがない、あまりにも非現実的な音。
これは発砲音、銃だ。
何となくある私の知識の中からそんなことを導き出した時にはもう遅かった。
「っ!」
背中から胸が熱い。
動けない。
気がついた時にはそんな熱を感じ、私はバタッとうつぶせに倒れた。
それから激痛が私を襲った。
何これ!?痛い!?
撃たれたの!?
「ゔぅ、が、はぁ、はぁ」
全身が熱くて痛い。
気がつけば口からも血が溢れ、止まらない。
けれど、その熱さも痛さもすぐになくなった。
感覚自体がなくなったのだ。
感覚もなく、意識さえも朦朧としていく。
女王様に着せられた赤い服よりももっと濃い赤い血が目の前いっぱいに広がった。
嘘でしょ、私、死ぬの?
よくわからない状況の中でそれだけは何故かわかってしまう。
「直撃だ。もうアリスはダメだろう」
ぼんやりとしてきた頭で、そんなことを思っていると、帽子屋の冷静な声が耳に入ってきた。
え、私死にそうなんだよ。
何でそんなに冷静でいられるの。
「今日はもう終わりだね。おやすみ、アリス」
視界がかすんできて、もうよくわからない。
息も絶え絶えで感覚もなく、今まさに命の火が消えかかっているのだと自覚する。
そんな私に聞こえてきたのは何故か優しい帽子屋の声で。
わけわかんない…。
帽子屋の言葉に疑問を抱いても、もう今の私にはその答えを聞く術がない。
ーーーー私はそこで息絶えた。

