アリスは醒めない夢をみる。




苦しい。辛い。消えてしまいたい。

頭の中でぐるぐるぐるぐるそんな言葉ばかりが浮かんでは消える。



「ねぇ、どうしたら私もここへ行けるんだろう」



そう言って少女はまた絵本のページをゆっくりとめくった。

少女の手にある1冊の絵本。
それは少女のお気に入りの絵本で、少女はいつもその絵本を読んでいた。
絵本のタイトルは〝不思議の国のアリス〟だ。

絵本の世界は楽しいことばかり。
どんな困難にあったって最後にはハッピーエンド。



「私も幸せになれるのかな」



少女は叶うはずのない言葉だと半ば諦めながらもそう呟いた。




*****




「おはよう、アリス」

「へ?」



朝、まだベッドの上。
目覚めた私の上にちょこんと座っている白ウサギを見て、私は朝から間の抜けた声を出した。


え、今この白ウサギ喋った?
流暢に〝おはよう〟って挨拶してきた?


自分の耳をどうしても疑ってしまう出来事に頭の中がたくさんの疑問で埋め尽くされ、理解が追いつかない。

そもそも喋るだけでもおかしなことなのに、よく見ればこの白ウサギはおしゃれな服まで着ていた。

水色と白のスーツに赤の蝶ネクタイは普通におしゃれで、白ウサギにもよく似合っており、可愛い。

じゃなくて。



「お、おはよう?」



これも違う気がする。

喋るおしゃれ白ウサギに対して色々考えた結果、私から出てきた言葉は〝おはよう〟の一言のみ。
もっと今言うべき言葉があるはずなのに。



「ふふっ、アリスは変わらないね。さぁ、行こう!」



白ウサギはいまだにベッドの上で状況を飲み込めずにいる私なんて気にも留めず、嬉しそうに笑うと、ピョンッと私の上から飛び降りて走り出した。



「え、ちょっ、待って!どこ行くの!?」



訳が分からなかったが、とりあえず私も体を起こして白ウサギの後を追うために走り出す。
まずは部屋を出て、階段を降りた。
それから廊下の突き当たりを曲がって玄関へ。


え!?もしかして外に出ちゃうの!?


今の私の格好は当然寝起きなのでパジャマだ。しかもこの純日本人には珍しすぎる長い白髪も寝癖でぐちゃぐちゃ。

私だって一応これでも華のJK、今のこの格好が外に出られるような格好ではないことくらいすぐに判断できる。
それでも私は足を止めなかった。
ただただ無我夢中で白ウサギの後を追った。


ガチャッと白ウサギが器用に玄関の扉を開けて、予想通り外へ出てしまう。

そして……

白ウサギは飛び込んでいった。
玄関の前にあった大きな穴に。



「えぇ!?」



我が家の玄関の前にあんな大きな穴なんてあったっけ!!?

自分の家なのに、全く見覚えのない大きな穴に驚いて、大きな声を出してしまう。
それでも、例え驚いていようとも、私の足は止まらなかった。

何故なら気になって仕方ないからだ。

喋るヘンテコな白ウサギも、白ウサギが向かう先も、この大きな見た事のない穴だってそう!!

知らない、見たこともない、不思議な出来事に、私は不審に思う気持ちよりもワクワクする気持ちの方が勝ってしまっていた。



「待って!!」



叫びながらも、迷うことなく大きな穴へ飛び込む。


ねぇ、これってあれじゃない?
あれあれ。


そう!!不思議の国のアリス!!


白ウサギを追いかけてアリスは大きな穴へ飛び込む。

そこから始まるアリスの大冒険!!

〝不思議の国のアリス〟は昔から大好きな絵本だった。
ハラハラドキドキの大冒険が楽しいし、何よりも主人公アリスと私の名前が全く同じだったので、私も絵本を読む度に、アリスと一緒に冒険しているような気分になれた。

薄暗い穴の中をすごい勢いで降下しながらも、私はこれから始まるかもしれない冒険に胸を高鳴らせた。




*****




「ぶへぇっ」



どのくらい落ちていたのかわからない。
だが、私がワクワクする心を忘れて飽きるくらいには下に落ちていた。

そして油断していたらこれだ。

いつの間にかたどり着いていた部屋に私は見事に着地失敗し、床に叩きつけられていた。

…我ながら恥ずかしい声を出してしまった。

ここには誰もいないのだが、コホンッと恥ずかしさを紛らわすために咳払いをして、体を起こす。



「あれ?」



服装が変わってる。

先ほどまで確かにパジャマだったのだが、今の私の服装は、まるで絵本のアリスのように水色と白色のワンピース姿だった。

コ、コスプレだ。

嬉しいような恥ずかしいような何とも言えない気持ちになりながらも、とりあえず周りを見渡す。

無機質な真っ白な部屋。
壁には大小様々な大きさの扉があり、部屋の真ん中にポツンとある小さな机には〝EATME〟と書かれたケーキと液体が入った小瓶。
それからおそらくどれかの扉の鍵があった。
そして後を追いかけて来たはずの白ウサギの姿がどこにもなかった。



「アリスー!!こっちだよー!!」



どこからかかすかに白ウサギの声が聞こえる。



「え!?どこ!?」

「ここだよ!!ここ!!この扉の向こうだよ!!」



私が呼びかければ、またかすかに聞こえる白ウサギの声。


え?どこ?


白ウサギの声が聞こえる扉を見つける為に耳に全神経を集中させる。



「ここだよ!!アリス!!」

「わかった!!」



かすかに聞こえた白ウサギの声を頼りに扉の方へと向かう。



「アリス!!わかったんだね!!じゃあ、僕は先に行っているね!!」



私が目指した扉は、ウサギ一匹分しか通れなさそうなほど小さな扉で、その扉の向こうから白ウサギの声が確かにはっきりと聞こえたので、この扉の向こうに白ウサギがいることは間違いなかった。
間違いないのだが。



「ええ!?待ってくれないの!!?」



どうやら白ウサギは私を待つ気がないらしい。
それ以降、白ウサギにどんなに呼びかけても、白ウサギが私に返事を返すことはなかった。

お、置いて行かれた……。

だけどぐずぐずしている暇はない。
早くこの扉の向こうへ行かないと白ウサギに追いつけなくなる。

親指と人差し指で小さな扉の小さなドアノブを掴んで回してみる。



「うーん、やっぱり鍵がかかってる」



小さな小さな白ウサギの声が聞こえた扉は鍵がかかっていて当然だが、全く開く気配がない。

だけどそこは大丈夫。
全く問題ではない。

むしろ問題なのは……



「えっと……どっちだったっけ?」



そうここでの問題はこの私が今見つめている〝EATME〟ケーキ&小瓶だ。
これは不思議の国のアリスに出てくるあの〝EATME〟私を食べてセットで間違いないだろう。
それは何となく見た時から気づいていたのだが。

私ももう本日2度目だが花のJK。
不思議の国のアリスが大好きだとはいえ、ちゃんとしっかり読んだのも、遠いとおーい昔の話であり、どっちが体が大きくなるやつで、どっちが体が小さくなるやつか、かなりうろ覚えなのだ。



「うーん、どっちだ?」



考えながらも、とりあえず机から鍵を取って、小さな扉の鍵穴に差し、回してみる。
するとやはり鍵は回り、カチャッと鍵の開いた音がこの部屋に小さく響いた。



「よし」



扉は私の予想通り難なく開いた。

あとは私が不思議の国のアリス同様小さくなって扉を通るだけなんだけど……。



「えーい!!一か八か!!」



考える時間がもったいない!!

そう思った私はケーキを手に取り勢いよく口に入れた。

なるようになれ!

すると……



ドンッ

「痛っ」



残念ながらみるみる体が大きくなってしまい、私は天井に勢いよく頭をぶつけてしまっていた。

どうやら食べるものを間違えてしまったみたいだ。

だが、これでやっとわかった。
小さくなるにはもう1つのEATME、小瓶の液体を飲めばいい、と。

体が大きくなったことにより、先ほどよりも何倍も小さく見える机からさらに小さな小瓶を指先で掴む。

そしてその液体を一気に飲み干した。
すると、今度はシューッと謎の音を立てて、みるみる私の体は予想通り小さくなり始めた。

大きすぎるサイズから元のサイズへ、更にはその先、扉をくぐれるほどの手のひらサイズへどんどん体の大きさが変わっていく。私の体の大きさが変わるにつれて、部屋の見え方も大きく変わっていった。
サイズが違うと同じものでもこんなにも見え方が変わってくるなんて。

当たり前のことを再確認したところで私の収縮化が止まった。

よし、計算通り。
さぁ、早く白ウサギのことを追いかけよう。

そう思いながらも、ガチャッと勢いよく扉を開ける。
扉を開けた先に広がっていたのは、どこまでも続く広い世界で、私よりも何倍も大きい草木や花のある自然だった。



「す、すごい!!」



小さいサイズだからこそ感じる自然が作り出す壮大な世界に感動しながら扉の向こうに飛び込む。

動物や虫、人間よりも小さい生き物の世界ってこんなにも面白くて不思議なんだ!!

草がまるで高層ビルみたいに高いし、木なんててっぺんがあまりに遠すぎて雲に触れられそうだし、大きな花からはいい匂いが普段の何倍も感じられる。

だが、そんなことに夢中になっている暇はない。

早く白ウサギを追いかけないと後を追えなくなってしまう。

このサイズで進んでも進める距離はたかが知れているので、あの部屋に戻ってケーキを外でもう一度食べようとした。 したのだが。


ガチャッ



「あれ?」



ガチャガチャッ


嘘…?

どんなにドアノブを回しても扉が開く気配はない。

何で?

すぐに大きくなって白ウサギを追いかけようと思っていたのに!!



「はぁ」



仕方がないので私は諦めてドアノブから手を離して小さい体のまま歩き出した。