この辺じゃ見かけない顔だな。どこから来たの。ああ東京かあ。そうだよな、アンタみたいな華やかな人はやっぱり都会にしか居ないもんな。そんなところからわざわざ怖い話を聞きに来たってことは、よっぽどの物好きだね、アンタ。

 でもそういった話はないよ。俺は高校を卒業してから五年ほど漁師やってるからさ、日が登らない真っ暗な海にも慣れっこだけど、へんなものを見たことなんて一回もないからな。

 あー、この辺の風習ねえ。それならひとつあるけど、別に幽霊とかじゃないよ。あ、それでもいいんだ。オッケー。

 お姉さんはノンゾメって知ってる? 

 簡単に言えば漁師の仕事始めに行う行事かな。この言い方は千葉県が発祥みたいだけど、言葉の意味はわからない。まあ、なんとなくこの辺でも広まってるから、俺らも使うって感じ。

 ノンゾメの意味はわからないけど、やることは簡単。一月二日に船の上から餅とかみかんを撒きながら漁の真似するんだ。魚は捕らない。本当にフリだけ。それなのに大の大人が今日は大漁だったなとか言って、おままごとしてるみたいでちょっと面白いんだけど、世代が上がれば上がるほど真剣なんだよ。

 これは景気づけのための風習らしいけど、海の神様に対する礼儀ってのもあるみたい。で、ノンゾメが終わったあとに縁起のいい日を探して、初漁の日を決めるんだ。

 初漁の日になったら、次はくじ引きでナマキリってのを三隻くらい決める。ナマキリは一番先に港に出る船のことで、誰もやりたがらないからくじ引きになった。なんで避けられてるかっていうと、ナマキリはあらゆる運が強くなっちゃうらしくて、事故や不漁みたいな災いまで降り掛かるって言われてるんだよ。

 ぶっちゃけ俺世代の漁師はあんま信じてないけど、親父なんかはナマキリだけは嫌だって毎年怯えてる。

 でも去年の正月に親父の船がナマキリになっちゃってさ。まあ仕方ないから他のナマキリと三隻でゆっくり出港して、一番船を押し付け合いながら沖に出ていくの。

 まあ親父も別にその年は何も無かったし、今もピンピンしてるし、やっぱり昔ながらの風習って感じだよ。

 え、ナマキリになった船のお祓いなんてしないけど。
 勝浦市ではしてるの。へえ、そうなんだ。

 お姉さん物知りだね。