類似案件1 SHORT動画「灯りなし蕎麦」
※怪異の遭遇者・浜田ジュンイチのスマホに視聴履歴が残っていたショート動画の音声を文字おこししたもの。
※チャンネル名は「天狗と河童のお化け研究所」。当該動画のコーナー名は「ぷち怪談都市伝説図鑑」。登録者数百五十名以下の弱小チャンネルだが細々と更新は続いている模様。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
川太郎:
江戸時代の屋台版お化け屋敷!
「灯りなし蕎麦」を…
天ノ坊:
天狗と河童がだいたい一分で解説します!
天ノ坊:
ところで川太郎、君は本所七不思議って知ってますか?
川太郎:
当たり前だぜ!
江戸時代に流行った怪談って言うか、都市伝説的なやつだろ?
天ノ坊:
灯りなし蕎麦はそんな怪談、怪異の一つなんです。
どんなお話かと言いますと…。
天ノ坊:
江戸時代、本所南割下水付近では二八(にはち)蕎麦と呼ばれる
庶民向けのお手頃価格の屋台が良く出回っていたそうです。
天ノ坊:
ちなみに二八蕎麦というネーミングは蕎麦が一杯十六文出会ったことに由来します。
川太郎:
十六文ってことは…。
現代で言えば七百四十円ぐらいか。まあ、妥当な値段かもな。
天ノ坊:
そんな二八蕎麦の中で…
天ノ坊:
なぜか店員の姿もなく、あんどんの火も消された状態で放置された屋台が
時々、見かけられることがあったと言います
川太郎:
えー?
それじゃ、蕎麦たべられねーじゃんよ!
天ノ坊この時、不用意に屋台に近づいてはいけないと言われていまして…
天ノ坊:
うかつにもその屋台のあんどんに火をつけてしまった人は帰宅後、
恐ろしい災いに見舞われると言います。
川太郎:
ひぇえええ!?
立ち寄っただけで祟られんのかよー!?
天ノ坊:
実はこの怪異には複数バージョンがありまして…
天ノ坊:
例えば…逆に屋台のあんどんに火が灯りっぱなしの「消えずのあんどん」
出来立ての蕎麦が一杯だけ代の上に置かれている「一膳蕎麦」などですね。
川太郎:
はえー。人間を罠にかけるため、怪異もあの手この手でがんばってんだなー。
天ノ坊:
時代と共に怪異や妖怪もその性質を変えてゆきますからね。
天ノ坊:
ひょっとしたら…
天ノ坊:
現代の灯りなし蕎麦はキッチンカーなんかに姿を変え、メニューも豊富になっているかもしれませんよ? もし食べたら命が危ないかもしれませんけどね…。
川太郎:
お、俺様は生魚と生キュウリしか食わねーから関係ねーし!
こ、怖がってなんかねーし!
類似案件2 怪談「山盛りカルボナーラ」
※月刊誌アトランティス2021年■月号掲載
※投稿者は既に特定。現在も存命中であり、この体験による影響は見られない。
※玄武機関の所蔵するアーカイブより抜粋された。
これは私が大学生だった頃の話です。
同じサークルで一つ年上の男性でLさんという人がいました。
Lさんは今で言う陽キャというタイプでそこにいるだけでもうるさがられるような人でしたが、決して人当たりは悪くなくサークル仲間からも愛されキャラでした。
またLさんは無類の肝試し好きで、いわゆる心霊スポットと呼ばれる場所に大勢の仲間とドライブに頻繁に出かけていたようです。
ある時、Lさんは私にスマホに収めた一枚の画像を見せてくれました。
それは日中、山の中のような場所で大きな岩を撮影したものらしくて。
岩の上には一枚の皿が置かれていました。それはカルボナーラでした。
箸を二本、合わせて真っすぐに突き立てた湯気立つ大盛りのカルボナーラの画像。
これ何なんですか、と私が尋ねるとLさんはいつもと違う真面目な口調で教えてくれました。
それは数日前、Lさんが肝肝だめしの場所として下見に■■山という山に出かけた日のことでした。
■■山は、秋葉山三尺坊という偉い人が修験道の修行の場として開いた霊山の一つで、昔から怖くて不思議な話がたくさん伝わっているそうです。
その中でもLさんのお目当てはあの世と繋がっているという伝説の残る洞窟だったそうなのですが、地元の人に聞いても、どんなに探してもそれらしい洞窟は見つからなかったと言います。
そんな時、ふとLさんは近くにあった大岩の上に皿に盛りつけられたカルボナーラが置かれていることに気がつきました。
カルボナーラはLさんの大好物で……。
Lさんはその濃厚な香りに激しく食欲を揺さぶられましたが、同時に薄気味悪いなとも感じていました。
そこでスマホを取り出しカメラアプリを立ち上げ、岩の上のカルボナーラをパシャリ。
それか慌てて車に乗り込み、来た道を急いで引き返しました。
山に住んでいる良くない者の化かされそうになったのかな? とLさんは怯えた様子を見せていましたが、この話を聞いた時、正直私はLさんの自作自演じゃないの? と思っていました。
だけど、それ以来、Lさんが行く先々に現れるようになったと言います。
……そう、山盛りのカルボナーラが、です。
しかも、それはLさんが一人の時だけでなく、サークル仲間といっしょの時でも現れるようになり、実際に件のカルボナーラを見たという人が何人も出てきました。
それでも私はみんなの言うことが半信半疑でしたが――
ある日、Lさんと一緒にサークル室に入ったところ、机の上に見事なくらいホカホカと湯気の立つカルボナーラが置かれていたのです。
私はそれを一目見るなり怯えてしまいました。
怖かったのです。その得体の知れないカルボナーラに対して、すごく美味しそう一口でもいいから食べたい、なんてことを真剣に考えている自分が、まるで自分じゃないみたいで。
と、Lさんが「ああ! もう我慢できん」と叫び、ドカドカ足音をたてながらカルボナーラに近づき、面に突き立てられていた箸を抜き取り、ムシャムシャ食べ始めたのです。
「美味い! 美味い美味い! ホントは初めて見た時から食べたかったんだよぉおお!」
などと口走りながら。
私はそんなもの食べたらお腹を壊してしまうのではないか、と心配になりましたが、そうしているうちにLさんはカルボナーラを綺麗に平らげてしまいました。
そして、次の日、Lさんは車で買い物に行ってくると言い残して外出し――、そのまま行方不明になってしまいました。
私はもちろん、サークル仲間達も必死になって彼を探しましたが結局、見つけることは叶いませんでした。
それからまた、数日が経って――例の■山の麓でLさんの車が、そして山中の洞窟付近でLさんの脱ぎ散らかされた衣服が散らばっていました。
そして、この出来事から十年近くたった今でも、Lさんの行方はわかっていません。
類似案件3 小論「ヨモツヘグイと陰膳~対立する二つの共食~」
※月刊誌「旅と民俗のこころ」2015年■月号
※寄稿者は絵本作家飯田サダハル氏
……今回は■■県■■郡三千村の葬式にまつわる奇妙な風習を紹介する。
とある家庭で死者が出た場合、地元の付き合いのある人々や親戚などを招き葬儀を行うまでは他の土地と同様なのだが故人を荼毘に付した後、三千村では葬式の参列者は大きな一軒家を借り切って七日の間、物忌を行うことになる。
この時、用意される一軒家は「隠れ家」と呼ばれ、そこでしばしの生活を送ることになる葬列者達は故人の仏壇に供えられた陰膳と同じものを日に三度食することになり、「隠れ家」から外出することはもちろん、陰膳以外の食事を取ったり間食をすることすら許されない。
その理由は、死者の臭いに誘われてあちらの世界から這い出してきた目には見えないモウジャどもが生者に悪さ、をしようと七日七晩の間、あの手この手を尽くすからだと言う。
モウジャどもが企てる悪さとは何か?
この三千村ではモウジャにヨモツヘグイを強要されることを非常に恐れる、という。
では、ヨモツへグイとは何か?
それは「黄泉竃食」と表記され、「黄泉の国のカマドで調理された食べ物」の行為を指す。
それはある種の禁忌であり、それを行った者――ヨモツへグイを行った者は黄泉の国の住民となってしまい、現世に戻って来れなくなると言う。
有名な例はやはり「古事記」に登場する国生みの神イザナギ・イザナミの夫婦神のエピソードであろう。
火の神カグツチを生んだことで命を落とした妻であるイザナミを求めて黄泉の国へと向かったイザナギは、そこで巨大な宮殿を見つける。そこに亡き妻・イザナミの存在を感じたイザナギは固く閉ざされた宮殿の扉越しに「ともに地上に帰ろう」と呼びかける。
これに応えたイザナミの声が言うには「既に私は黄泉の国の食べ物を口にしてしまいました。あなた様の元に戻るわけにはいきません」という絶望的なものだった。
それでも、どうしても連れて帰ると譲らないイザナギ。
するとイザナミは何か良い手がないか、黄泉の神に相談してみるとして――
イザナミにはそこで待っているように、決して中を覗いてはいけませんと告げてその場を去ってしまう。
最初は言われた通り、ただ扉の前で待っていたイザナギだったが待てど暮らせど、いつまで待っても愛しい妻は帰ってこない。
そこでしびれを切らしたイザナギは妻の言いつけを破り、宮殿の中を覗いてしまう。
そこでイザナギが見たものは全身が腐敗して蛆がたかり、身体の八か所に恐ろしくおぞましい雷神に寄生された、変わり果てたイザナミの姿であった。
恐れ慄いたイザナギはその場を逃げ出し、それに気がつきよくも恥をかかせたなと激怒したイザナミはヨモツシコメ、ヨモツイクサなる魑魅魍魎を率いてかつての夫を追いかけるのだが……。
……少々脱線したが三千村とここで言うヨモツヘグイは同じ行為を指すと思われる。
つまり、死者の国で煮炊きしたものを食べる行為だ。イザナミがそれを行ったのは死後であり、イザナギの感情は別として手続きとしては正統なものである。
比べて三千村ではというと、新たな死者の臭いに誘われて現れたモウジャたちは黄泉の国の食べ物を食べるよう強要してくるのである。
モウジャたちに抗えず、ヨモツヘグイを行ってしまった生者の末路はいかなるものか。
当然、生きながらにして黄泉の国に捕らわれることになる。
それを避けるため、三千村では故人に供えた陰膳と同じものを参列者全員で共食するのだと言う。陰膳とは故人を弔うためのものだけではなく、そのお下がりを食べた親しい者達の結束を強め、霊的な防御を高めるという。
陰膳を行っている間は黄泉の国のモウジャ達もなかなか手が出せない、というの思想が三千村の伝統であり、文化なのだろう。
太古の昔から食とは栄養補給のための重要な行為だが、決してそれだけではない。
同じ釜の飯を食う、という表現は共に生活し、互いに依存しあう家族や共同体、組織を指す。
そして、食事とはそれらに属する人々の絆を深め、より強固にするための儀式でもあった。
三千村を襲う怪異とそれからの防御法がさし示すのは、ヨモツヘグイと陰膳は非常に似通った性質を持ちながらも互いに対立しあう儀式だということだ。
陰膳が死者と生者の絆を強め、死者を極楽に送り出すものであることに対してヨモツヘグイはそれを行った者を黄泉の国に縛りつけ、そのルールを強要し、現世の所属を失わせるのだ。
哀れなイザナミが愛する夫イザナギとの絆を断ち切られてしまったように。
そう考えるとヨモツヘグイとは生者にとっても死者にとっても吐き気を催す邪悪であり、呪いであると結論せざるを得ないのだ。
※怪異の遭遇者・浜田ジュンイチのスマホに視聴履歴が残っていたショート動画の音声を文字おこししたもの。
※チャンネル名は「天狗と河童のお化け研究所」。当該動画のコーナー名は「ぷち怪談都市伝説図鑑」。登録者数百五十名以下の弱小チャンネルだが細々と更新は続いている模様。
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川太郎:
江戸時代の屋台版お化け屋敷!
「灯りなし蕎麦」を…
天ノ坊:
天狗と河童がだいたい一分で解説します!
天ノ坊:
ところで川太郎、君は本所七不思議って知ってますか?
川太郎:
当たり前だぜ!
江戸時代に流行った怪談って言うか、都市伝説的なやつだろ?
天ノ坊:
灯りなし蕎麦はそんな怪談、怪異の一つなんです。
どんなお話かと言いますと…。
天ノ坊:
江戸時代、本所南割下水付近では二八(にはち)蕎麦と呼ばれる
庶民向けのお手頃価格の屋台が良く出回っていたそうです。
天ノ坊:
ちなみに二八蕎麦というネーミングは蕎麦が一杯十六文出会ったことに由来します。
川太郎:
十六文ってことは…。
現代で言えば七百四十円ぐらいか。まあ、妥当な値段かもな。
天ノ坊:
そんな二八蕎麦の中で…
天ノ坊:
なぜか店員の姿もなく、あんどんの火も消された状態で放置された屋台が
時々、見かけられることがあったと言います
川太郎:
えー?
それじゃ、蕎麦たべられねーじゃんよ!
天ノ坊この時、不用意に屋台に近づいてはいけないと言われていまして…
天ノ坊:
うかつにもその屋台のあんどんに火をつけてしまった人は帰宅後、
恐ろしい災いに見舞われると言います。
川太郎:
ひぇえええ!?
立ち寄っただけで祟られんのかよー!?
天ノ坊:
実はこの怪異には複数バージョンがありまして…
天ノ坊:
例えば…逆に屋台のあんどんに火が灯りっぱなしの「消えずのあんどん」
出来立ての蕎麦が一杯だけ代の上に置かれている「一膳蕎麦」などですね。
川太郎:
はえー。人間を罠にかけるため、怪異もあの手この手でがんばってんだなー。
天ノ坊:
時代と共に怪異や妖怪もその性質を変えてゆきますからね。
天ノ坊:
ひょっとしたら…
天ノ坊:
現代の灯りなし蕎麦はキッチンカーなんかに姿を変え、メニューも豊富になっているかもしれませんよ? もし食べたら命が危ないかもしれませんけどね…。
川太郎:
お、俺様は生魚と生キュウリしか食わねーから関係ねーし!
こ、怖がってなんかねーし!
類似案件2 怪談「山盛りカルボナーラ」
※月刊誌アトランティス2021年■月号掲載
※投稿者は既に特定。現在も存命中であり、この体験による影響は見られない。
※玄武機関の所蔵するアーカイブより抜粋された。
これは私が大学生だった頃の話です。
同じサークルで一つ年上の男性でLさんという人がいました。
Lさんは今で言う陽キャというタイプでそこにいるだけでもうるさがられるような人でしたが、決して人当たりは悪くなくサークル仲間からも愛されキャラでした。
またLさんは無類の肝試し好きで、いわゆる心霊スポットと呼ばれる場所に大勢の仲間とドライブに頻繁に出かけていたようです。
ある時、Lさんは私にスマホに収めた一枚の画像を見せてくれました。
それは日中、山の中のような場所で大きな岩を撮影したものらしくて。
岩の上には一枚の皿が置かれていました。それはカルボナーラでした。
箸を二本、合わせて真っすぐに突き立てた湯気立つ大盛りのカルボナーラの画像。
これ何なんですか、と私が尋ねるとLさんはいつもと違う真面目な口調で教えてくれました。
それは数日前、Lさんが肝肝だめしの場所として下見に■■山という山に出かけた日のことでした。
■■山は、秋葉山三尺坊という偉い人が修験道の修行の場として開いた霊山の一つで、昔から怖くて不思議な話がたくさん伝わっているそうです。
その中でもLさんのお目当てはあの世と繋がっているという伝説の残る洞窟だったそうなのですが、地元の人に聞いても、どんなに探してもそれらしい洞窟は見つからなかったと言います。
そんな時、ふとLさんは近くにあった大岩の上に皿に盛りつけられたカルボナーラが置かれていることに気がつきました。
カルボナーラはLさんの大好物で……。
Lさんはその濃厚な香りに激しく食欲を揺さぶられましたが、同時に薄気味悪いなとも感じていました。
そこでスマホを取り出しカメラアプリを立ち上げ、岩の上のカルボナーラをパシャリ。
それか慌てて車に乗り込み、来た道を急いで引き返しました。
山に住んでいる良くない者の化かされそうになったのかな? とLさんは怯えた様子を見せていましたが、この話を聞いた時、正直私はLさんの自作自演じゃないの? と思っていました。
だけど、それ以来、Lさんが行く先々に現れるようになったと言います。
……そう、山盛りのカルボナーラが、です。
しかも、それはLさんが一人の時だけでなく、サークル仲間といっしょの時でも現れるようになり、実際に件のカルボナーラを見たという人が何人も出てきました。
それでも私はみんなの言うことが半信半疑でしたが――
ある日、Lさんと一緒にサークル室に入ったところ、机の上に見事なくらいホカホカと湯気の立つカルボナーラが置かれていたのです。
私はそれを一目見るなり怯えてしまいました。
怖かったのです。その得体の知れないカルボナーラに対して、すごく美味しそう一口でもいいから食べたい、なんてことを真剣に考えている自分が、まるで自分じゃないみたいで。
と、Lさんが「ああ! もう我慢できん」と叫び、ドカドカ足音をたてながらカルボナーラに近づき、面に突き立てられていた箸を抜き取り、ムシャムシャ食べ始めたのです。
「美味い! 美味い美味い! ホントは初めて見た時から食べたかったんだよぉおお!」
などと口走りながら。
私はそんなもの食べたらお腹を壊してしまうのではないか、と心配になりましたが、そうしているうちにLさんはカルボナーラを綺麗に平らげてしまいました。
そして、次の日、Lさんは車で買い物に行ってくると言い残して外出し――、そのまま行方不明になってしまいました。
私はもちろん、サークル仲間達も必死になって彼を探しましたが結局、見つけることは叶いませんでした。
それからまた、数日が経って――例の■山の麓でLさんの車が、そして山中の洞窟付近でLさんの脱ぎ散らかされた衣服が散らばっていました。
そして、この出来事から十年近くたった今でも、Lさんの行方はわかっていません。
類似案件3 小論「ヨモツヘグイと陰膳~対立する二つの共食~」
※月刊誌「旅と民俗のこころ」2015年■月号
※寄稿者は絵本作家飯田サダハル氏
……今回は■■県■■郡三千村の葬式にまつわる奇妙な風習を紹介する。
とある家庭で死者が出た場合、地元の付き合いのある人々や親戚などを招き葬儀を行うまでは他の土地と同様なのだが故人を荼毘に付した後、三千村では葬式の参列者は大きな一軒家を借り切って七日の間、物忌を行うことになる。
この時、用意される一軒家は「隠れ家」と呼ばれ、そこでしばしの生活を送ることになる葬列者達は故人の仏壇に供えられた陰膳と同じものを日に三度食することになり、「隠れ家」から外出することはもちろん、陰膳以外の食事を取ったり間食をすることすら許されない。
その理由は、死者の臭いに誘われてあちらの世界から這い出してきた目には見えないモウジャどもが生者に悪さ、をしようと七日七晩の間、あの手この手を尽くすからだと言う。
モウジャどもが企てる悪さとは何か?
この三千村ではモウジャにヨモツヘグイを強要されることを非常に恐れる、という。
では、ヨモツへグイとは何か?
それは「黄泉竃食」と表記され、「黄泉の国のカマドで調理された食べ物」の行為を指す。
それはある種の禁忌であり、それを行った者――ヨモツへグイを行った者は黄泉の国の住民となってしまい、現世に戻って来れなくなると言う。
有名な例はやはり「古事記」に登場する国生みの神イザナギ・イザナミの夫婦神のエピソードであろう。
火の神カグツチを生んだことで命を落とした妻であるイザナミを求めて黄泉の国へと向かったイザナギは、そこで巨大な宮殿を見つける。そこに亡き妻・イザナミの存在を感じたイザナギは固く閉ざされた宮殿の扉越しに「ともに地上に帰ろう」と呼びかける。
これに応えたイザナミの声が言うには「既に私は黄泉の国の食べ物を口にしてしまいました。あなた様の元に戻るわけにはいきません」という絶望的なものだった。
それでも、どうしても連れて帰ると譲らないイザナギ。
するとイザナミは何か良い手がないか、黄泉の神に相談してみるとして――
イザナミにはそこで待っているように、決して中を覗いてはいけませんと告げてその場を去ってしまう。
最初は言われた通り、ただ扉の前で待っていたイザナギだったが待てど暮らせど、いつまで待っても愛しい妻は帰ってこない。
そこでしびれを切らしたイザナギは妻の言いつけを破り、宮殿の中を覗いてしまう。
そこでイザナギが見たものは全身が腐敗して蛆がたかり、身体の八か所に恐ろしくおぞましい雷神に寄生された、変わり果てたイザナミの姿であった。
恐れ慄いたイザナギはその場を逃げ出し、それに気がつきよくも恥をかかせたなと激怒したイザナミはヨモツシコメ、ヨモツイクサなる魑魅魍魎を率いてかつての夫を追いかけるのだが……。
……少々脱線したが三千村とここで言うヨモツヘグイは同じ行為を指すと思われる。
つまり、死者の国で煮炊きしたものを食べる行為だ。イザナミがそれを行ったのは死後であり、イザナギの感情は別として手続きとしては正統なものである。
比べて三千村ではというと、新たな死者の臭いに誘われて現れたモウジャたちは黄泉の国の食べ物を食べるよう強要してくるのである。
モウジャたちに抗えず、ヨモツヘグイを行ってしまった生者の末路はいかなるものか。
当然、生きながらにして黄泉の国に捕らわれることになる。
それを避けるため、三千村では故人に供えた陰膳と同じものを参列者全員で共食するのだと言う。陰膳とは故人を弔うためのものだけではなく、そのお下がりを食べた親しい者達の結束を強め、霊的な防御を高めるという。
陰膳を行っている間は黄泉の国のモウジャ達もなかなか手が出せない、というの思想が三千村の伝統であり、文化なのだろう。
太古の昔から食とは栄養補給のための重要な行為だが、決してそれだけではない。
同じ釜の飯を食う、という表現は共に生活し、互いに依存しあう家族や共同体、組織を指す。
そして、食事とはそれらに属する人々の絆を深め、より強固にするための儀式でもあった。
三千村を襲う怪異とそれからの防御法がさし示すのは、ヨモツヘグイと陰膳は非常に似通った性質を持ちながらも互いに対立しあう儀式だということだ。
陰膳が死者と生者の絆を強め、死者を極楽に送り出すものであることに対してヨモツヘグイはそれを行った者を黄泉の国に縛りつけ、そのルールを強要し、現世の所属を失わせるのだ。
哀れなイザナミが愛する夫イザナギとの絆を断ち切られてしまったように。
そう考えるとヨモツヘグイとは生者にとっても死者にとっても吐き気を催す邪悪であり、呪いであると結論せざるを得ないのだ。


