推し活。それは生き甲斐。
「はぁ、このエイタ、何回見てもかっこいい……」
スマホの小さな液晶画面に映る〝推し〟。
俺が今推しているのは、LUNASOL(ルナソル)という二人組の男性アイドルグループだ。
エイタ。それが俺の推しているアイドルの名前。
昨夜、ファンクラブに入っている人しか観ることができない、特別なライブ映像が公開された。
小さな画面の中で踊るエイタは何度見ても飽きることがない。
「理都(りと)! 時間大丈夫なの⁉︎」
一階のリビングから、母が声を張り上げる。二階の自室までその声は響いて、慌てて壁に掛けてある時計を見た。
「わっ! やば。遅刻する」
最推しのエイタに見惚れていたら、いつの間にか家を出る時刻になっていたらしい。
エイタの顔面を名残惜しみながら、学習机の上に置いたスクールバッグを手に取る。
机の隣の飾り棚に並べた、LUNASOL(ルナソル)のグッズたちに心の中で、いってきますを言ってバタバタと階段を降りて玄関に向かった。
「いってきます!」
「気を付けてね〜」
母に見送られながら、外へ出る。
夏休みが明けて一週間が経った。まだ暑さの残る空の下、家から徒歩10分で到着する高校を目指す。
教室に入るとほとんどの生徒が登校していた。
「りっくんおはよー!」
「おはよう、羽衣(うい)」
最初に挨拶をしてくれたのは、三葉羽衣(みつは・うい)という女の子。
ストレートの髪は夏休み前より若干茶色に変わっていたけど、頭髪検査には引っ掛から無かったらしい。
「理都ー、おは。今日提出の課題ってどこまでだっけ?」
「おはよう、タケ。今日の提出する課題を今日聞くって、強者だね」
「タケって馬鹿すぎてカレンダー読めないの?」
「羽衣もこの間理都に教えてもらってただろ」
「私は当日じゃなくて前日ね」
タケこと、竹内颯太(たけうち・そうた)は野球部の明るい男子。
タケと羽衣の二人は、幼稚園からの幼馴染らしい。いつも言い合ってるけどなんだかんだ仲が良く微笑ましい。二人のやりとりを見て笑わされるのが日課だ。
高校に入学して、五ヶ月。
クラスの仲も良く、男女関係なく友達もできて、高校生活に不満はなかった。
けれど——最近、思うことがある。
「昨日の音楽番組見た? LUNASOLの新曲、かっこよかったぁ」
「見た! エイタもハルもビジュ進化し過ぎてて着いていけない」
少し離れた席で繰り広げられる、女子たちのテレビの話題が聞こえてくる。
〝LUNASOL(ルナソル)〟。そのグループ名にどうしても反応してしまう。
俺もあの会話に混ざれたら良いのにな。
LUNASOLが好きなことは、家族以外に公言出来ていない。
女子人気の高い男性アイドルグループだから、こちらから進んで女子たちの会話に混ざることにはためらいがあった。
好きな物を身近な人と語り合えたら、どんなに楽しいだろう。
一人でこっそりと推し活をしているけれど、誰かとこの〝好き〟という気持ちを共有したかった。
——ライブも本当は、LUNASOLが大好きな人と行きたいんだけど……。
来月、大きな会場で開かれるライブ。
ファンクラブに入会済みで、チケットも無事ゲットできた。手元には二席分の電子チケットがある。
エイタに会いたい。その一心で二枚分チケットを取った。
しかしながら、一緒にライブに行こうと誘える友達も居なかった。
母と一緒に行くことになっているが、母はそこまで興味があるわけでは無い。
『二人の顔がいまだに区別が付かなくて〜』。昨日の夜だって笑いながらそんなことを言っていた。
仕方がないが、同じくらいの熱量で語れる人と一緒に行くことが憧れだった。
一限開始のチャイムが鳴り、自分の席へ座る。
俺の席は、一番後ろの席。
スクールバッグから透明の下敷きを取り出した。
早足で高校を目指したせいでまだ額に薄ら張り付く汗。前髪を直しつつ顔をあおぎながら、ちらりと隣の席を見た。
窓際の席に座るクラスメイト。無線イヤホンをして、一人静かに外を眺めている。
そっと下敷きを彼に向けて風を送ってみた。
気付くだろうか。
窓の方を見ていた隣の席のクラスメイト、鷹塚祥真(たかつか・しょうま)くんが、こちらを向きながらイヤホンを片方外した。
気付いてくれたのが嬉しくて、笑みを溢して挨拶する。
「おはよう。鷹塚くん」
「はよ」
席替えで隣の席になった鷹塚くん。彼を一言であらわすなら〝男前〟だ。
入学してすぐに鷹塚くんは学年中の話題になっていた。
さりげなくかつセンスよくセットされたさらりとした黒髪。涼しげで洗練された顔立ちとスタイルの良さが周りの目を惹く。
あまり話す方ではなくて、同い年とは思えないほど落ち着いていた。
かっこいいクラスメイトだ。
憧れの存在。そんな意味で、もっと話してみたいなとは思っているけれど、朝の挨拶を交わすことで精一杯だ。
自分の話をしないクールな鷹塚くんに、何の話題を振って良いかも分からなかったし、当然向こうから、何か聞かれることもなかった。
ただ、よくイヤホンをして音楽を聴いている。どんなアーティストが好きなんだろう。
それを聞けたら、会話のきっかけになるかもしれないけど、なかなか挨拶以外の言葉を交わす勇気は出なかった。
一限目が終わり、10分の休み時間。タケがやって来て、空いた前の席へ座る。
「なあ、理都、今日の放課後空いてる? カラオケ行かね?」
「空いてるよ。タケは今日部活ないの?」
「よっしゃー! そう、今日は顧問が出張だから休みでさ。誰か誘いたい奴いたら誘っといてー」
誘いたい奴、か。隣の鷹塚くんにそっと視線を移す。
イヤホンはしていないから、俺とタケの会話は耳に入っているかもしれないけど、意に介さず……と言った感じで椅子にもたれかかってスマホを見ている。
一緒に遊んでみたいけど、鷹塚くんがカラオケとか、全然想像出来ないしな。
などと考えていると突然、他のクラスの女子二人組が教室に入ってきた。
何やら白い画用紙を両手に持った女子生徒が教壇に立ち、大きな声で言う。
「はーいみんな注目! 出ましたよ。我が学年のイケメンランキング!」
イケメンランキング。そういえば、夏休み前に女子限定で投票用紙が配られていたっけ。
学校主催のものではなく、多分、この女子生徒たちが主体になって始めたであろう、遊びの一環。
だけど先生たちもノリが良く、一位が決まったら教えてね、なんて言っていたっけ。
教室中の生徒の視線が、教壇に集まる。
「ランキングと言っても、一位しか発表しません。大勢の人が傷付くことはしません」
黒板に「イケメンランキング第一位」とだけ書かれた紙を貼り付けながら、女子生徒が言う。
「俺一位だったらどうしよ。モテ期到来⁉︎」
タケがわざとらしく頭を抱える。
「いや、アンタはないから心配しないで」
ちょうど隣に来た羽衣がすかさず突っ込んで、周りが笑った。
タケは野球部という部活柄髪の毛を坊主にしていて、笑いのセンスがあるからいじられることも多いけど、顔は整っていると思う。
本心ではそう思いながら、楽しい空気を壊すのは嫌で、みんなと一緒に笑った。
黒板に貼られた画用紙は、その上を覆うようにもう一枚の紙が貼られていた。
「なんと同率一位がこのクラスに二人います」
クラス中がどよめく。
——誰? いや、なんとなく分かるでしょ。
うちらクラスガチャ優勝だね。——
なんて期待の声があちこちから聞こえた。
同率一位が二人……すごいな……一人は鷹塚くんだろうな。
また隣に視線を送ってみる。鷹塚くんも意外にも結果が気になるのか、スマホから顔を上げて黒板に注目している。
ちょっと、話すチャンスかも。思い切って声を掛けてみた。
「誰だろうね、一位」
これならきっと、自然な会話のきっかけになるはず。一瞬こちらを見た鷹塚くんが、すぐに視線を前に戻してしまう。
あ、やっぱり話すのまずかったかな。
ごめんなさい、と頭の中で謝っていると、静かに言葉が返ってきた。
「……吉木(よしき)じゃね?」
「お、俺? 鷹塚くんも冗談とか言うんだ」
「発表します! 第一位は……鷹塚祥真くんと、吉木理都くんです」
俺の言葉にちょうど重なるように女子生徒が名前を発表する。
「えっ」
「ほら」
鷹塚くんの口の端が上がる。当ててやった、みたいな小さな笑顔。
「いや、あの、ほら……じゃなくて、鷹塚くんも呼ばれてるから」
びっくりして黒板を見ると、覆っていた白い紙がめくられ、俺と鷹塚くんの名前が並んでいた。
タケが立ち上がって俺と鷹塚くんの間に立ち、俺たち二人の肩をバシバシ叩いてくる。
「すげーじゃん! おめでとう!」
本当に自分のことのように嬉しそうに笑うタケ。良い奴だなあ。
「あ、ありがとう」
でも、まさか自分の名前が呼ばれるとは思っていなくて、自覚のないままお礼を言う。
イケメンランキング一位……ってことは、俺をイケメンと思ってくれている女子が居るってことか。
親戚のおばさんに「理都くんは両親の良いところを取ったお顔ね」と褒めてもらった事はある。目元は母さん似、鼻から下は父さん似、とよく言われる。
確かに母さんはくっきりとした二重が印象的なぱっちりとした目をしていて、父さんは鼻筋が綺麗に通っている。
親バカの逆とでも言うのだろうか。かっこいい父さんと綺麗な母さん、仲良しな二人、そんな両親が自慢だった。
周りのざわめきも気にせず女子生徒が話を続ける。
「鷹塚くんはクールなイケメン。吉木くんは可愛いイケメン。という感じで、好みで票が割れた感じですかね」
「わかるー! 二人とも違う色の魅力があるよね。ちなみに私は鷹塚くんに投票しました」
羽衣が言うと、当の本人の鷹塚くんは「どーも」とクールに返している。
タケが「なんで俺に投票しないんだよ!」と羽衣に突っ込んでいると、教壇に立っていた女子生徒二人がこちらにやってきた。
「ちょうど隣の席にいらっしゃるようなの、でインタビューさせてくださーい!」
「ほら、あんたが二人の前にいると邪魔だから」
「ひどっ」
羽衣がタケの腕を引っ張って、後ずさっていく。
代わりに目の前に立つ女子生徒におもちゃのマイクを向けられた。
「まずは吉木くん。好きなタイプを教えてください」
「好きなタイプ……」
いつの間にか周りは静かになっていて、視線が集中する。
答えはすぐに思い浮かばなかった。
俺の恋愛対象は、女の子でなく……。
なんと答えたら良いか分からず、黙り込んでしまう。シンとしている教室。
やばい。これ以上黙っていたら、空気が冷める。
分かっているのに、何も思い浮かばなくて変な汗が出そうだった。
「俺から言っていい?」
答えに困っていると、鷹塚くんが緩やかに手のひらを挙げた。
顔をぱっと鷹塚くんに向ける。もしかして、俺が困ってるのが分かって、言ってくれたのだろうか。
「はい! どうぞ。みんな注目してますよ」
楽しそうに言う女子生徒が鷹塚くんの前にマイクを移した。
鷹塚くんのタイプ……こんなにイケメンな人のタイプって、どんな子だろう。
単純な興味で、つい、じっと見つめてしまう。
インタビュアーの女子生徒からちらりと視線を外した鷹塚くんと、一瞬目が合った。
少しの間のあとに出た答えは。
「——顔が良くて、可愛い奴」
どっ、と笑いとざわめきが教室に響く。そりゃあそうだよなあ、とか男子が言って、拍手さえ湧き起こる。
「さっすがイケメン。直球ですね」
本当に。鷹塚くんだから似合う解答だ。
「顔が良くて可愛いだって。残念だったな羽衣」
「うざ。というか、鷹塚くんはあくまでも推しみたいなもので、リアコじゃないから! 残念って言うのすらおこがましいの」
タケと羽衣のやり取りが耳に入ってくる。
「はい、じゃあ吉木くんも好きなタイプをどうぞ」
もう一度、マイクが戻ってきた。
やばい、鷹塚くんのタイプが気になって、結局考えられなかった。
でも。タイプと言われて浮かんだのは、エイタの顔。羽衣が言うのと同じように、エイタは推しでありリアルに恋をしているわけではない。
けれどタイプといわれたらそうなのかもしれない。
落ち着いているところとか、背が高いところとか、凛とした顔立ちとか。
それを要約すると……。
「……かっこいい人、かな」
「意外! かっこいい女子がお好みですか?」
「そう、ですね」
厳密に言うと〝女子〟では無いんだけど。インタビュアーには苦笑いをして誤魔化した。
クラス中の「へえー」みたいな、静かな関心の声が上がる。
隣の鷹塚くんは特に反応無しだ。
(まあ、俺のタイプなんて興味ないよね……)
「では続いての質問です! 理想のデートを聞かせてください」
また、恋愛系の質問が続いた。
理想も何も、ちゃんと恋愛をしたことが無いから、これこそ何も思い浮かばない。
一度だけした片想いは、見事玉砕したし……。
『俺が好き? 冗談きっつ!』
インタビューの途中で、嫌な過去を思い出してしまった。
「えっと……」
露骨に、嫌な顔をしてしまったかもしれない。思ってることが顔に出るタイプだよなって、タケに言われたことがある。
ネガティブな感情はなるべく隠したかったけど、つい出してしまうのが俺の悪いところだ。
インタビューが嫌と言うわけではない。
でもあんまり、みんなの前で恋愛についてのことを答えるのは得意じゃないかもしれない。
すると、鷹塚くんが急に、机の引き出しの中から出した何も書かれていないルーズリーフを一枚女子生徒に渡す。
「質問、あと何個あんの? 今急に言われてもむずいから、紙に書いて。あとで答えていい?」
「あ、はい! 大丈夫です。急にごめんね。私たちだけ楽しんじゃって」
鷹塚くん、ナイス提案……。
女子生徒が残りの質問をルーズリーフに書いている最中、鷹塚くんの腕を指で二回突く。
こちらを向いた鷹塚くんに、口パクで「ありがとう」と言った。ゆるやかに首を横に振る鷹塚くん。やっぱり冷静で、かっこいいな。
それから少しして主催者の二人が「お騒がせしました」と教室を出ていく。
ひとまず、インタビューが終わったことにほっとした。
ようやく、教室にいつもの休み時間が戻ってきた。もうすぐ二限が始まる時間ということもあり、みんなが席に着いていく。なんだか10分間がすごく長く感じた。
ルーズリーフを見ると五個の質問が箇条書きに並んでいる。
さっき答えられなかった、理想のデート。それから、好きな食べ物、好きな色、得意な教科、苦手な教科……。
これを知ってどうするんだろう。今更疑問に思って首を傾げてしまう。
ひとまず、鷹塚くんにインタビューを切り上げてもらえたことが救いだった。
「あれ以上みんなの前で答える自信なかったから助かったよ。ほんとありがとう」
「……別に。俺もああいう空気、苦手だから」
「そ、そっか」
「吉木、それ先書いて良いよ」
「うん。分かった。これ、答えたらどうするんだろうね。どこかに貼り出されたりするのかな」
「そうなんじゃねーの」
どうでも良いというように、気怠げに言った鷹塚くんは窓の外を見てしまう。
なんか、俺と話すの面倒だったかな。
クールに見えて結構優しいのかな、なんて、鷹塚くんを見る目が少し変わった気がしたけれど。またすごく遠い存在に感じた。
