割と大きめに降る雪の粒が、春に見た華麗に舞う蝶のようで、それを掴もうと手を伸ばしてみたが、指の隙間を簡単にすりぬけていった。それを筒取燕は少しもどかしく感じた。針のように遠慮なく突き通ってくる風が痛くて、冷たい風から身を守るように肩をすぼめる。コートのジッパーを一番上まで上げ、マフラーを鼻の上でぐるぐる巻いた。それでも寒かった。
肺に入れた空気はミントのような爽快感があり、それを吐くと目視できるくらいの白い煙が空へと延びて溶けるように消えていった。
所狭しと薄い雪が覆う道を歩くとキュッキュッと澱粉を踏んだような音だけが聞こえる。冬眠した虫の寝息すら聞こえてきそうな、そのくらい静かな夜だった。
冬の陽は赤く、落ちるのも素早い。街灯の光が濡れた路面に反射し、ぼんやりと円を描く。その光がありがたいと素直に思う。
黒々とした夜闇に純白の雪があまりにも綺麗に映るから、自分が芸術的になった道を汚しながら進んでいのではないか、とそんな圧迫感が嫌で一刻も早く帰宅したくなった。
電柱を二本過ぎて信号のない横断歩道を渡りきる。角を曲がった先で僕の目に飛び込んできたのは、制服を着た美少女が自販機の前で、濡れることなど気にも留めずに雪の上に座り込み、雪だるまを造っている四ツ谷葉衣の姿だった。
人がすっぽり隠れるような大きな傘を肩にかけていさしている。
背中まである青みを帯びた深い黒の嫋やかな髪に、他のパーツとの調和が取れている引き締まった小鼻。子供のような、柔らかそうで魅力的な赤い唇。瞳は、理性的で冷たい、いくらか悪魔的にも見える。彼岸花のような鮮やかな赤色の傘と自販機が放つ光が彼女の妖艶さを際立たせているように見える。
「四ツ谷さんだよね。何してるの?」
彼女は頭だけを動かして声をかけた僕を見上げる。近くで見ると彼女の睫は、筆で書いたように細長くて、そこから覗かせる眼はまるで引力を持つ二つの黒い穴のようだった。僕はその大きな瞳から視線を逸らすことが出来なかった。
「………見てわからない?」
「家出中とか?」
「はずれ。家族と喧嘩したことない」
「それなら、誰かと待ち合わせ?」
「それもはずれ。私を待たせる人なんていない」
「………………それならこんな真夜中に一人で何してたの?」
「んとねー。私、自販機が好きなの。自販機の飲み物たちって、どれもパッケージのインパクトが強くて、派手なんだよね。缶やペットボトルが一本ずつキレイに並んでるところに心惹かれるの。カラフルなものが整列しているっていうのが、たまらなく好き。見てて気持ちいい。冬の自販機は特に。缶に入ったスープの種類も増えて、雑多な感じなのが何とも言えない」
突然のことに驚いて、きょとん。と音が出るほどに呆然とした。聞いたところで理解できなかったけれど、それでも四ツ谷がここまで饒舌に何かを語る姿を僕は初めて見た。
共感も反感もしなかったけれど、何かに没頭できるものがあることは純粋に羨ましいと思った。
頷いてから「そっか。それじゃあ、気を付けて」と言い残して僕は彼女の前を通り過ぎようとする。けれど、そんな僕に彼女はその氷柱のように細くて白い腕をすっとのばして僕の袖を摘まんだ。僕の足は凍ったように止まる。
「え、なに?」
「もしかして君、真夜中に見つけたこの美少女を、このまま置いてくつもり?」
確かに女の子を一人にするのは気が引けるが、僕がいたらかえって邪魔になるだろうと思ったのだ。僕なりに気遣いをしたつもりだった。それなのに、強引に僕の袖を引っ張るものだから、雪で危うく転倒しかけてしまった。華奢な彼女のどこから、男子高校生をヒヤリとさせるほどの力が出てくるのだろうか。
「まさか、一緒に雪だるまを作れってこと?」
「ううん。違うよ。雪だるまなんて、朝になればどうせ溶けてるし、暇だから作ってただけ。私が言いたいのはホテルとか君の家に誘わなくていいの?ってこと。別にいいよ。もし連れてく度胸があるならだけど、勝手に着いてくから」
眉一つ動かさずに、そう言い放った四ツ谷に対して、僕は恐怖すら覚えてしまう。女子高生が顔の表情に微塵も動揺を見せずに、平然とした態度で男に向かってそう易々と放っていいセリフではない。僕が誘う訳ないだろうに。恐らくだが、それを理解した上で四ツ谷は口にしている。
だから僕は敢えて言った。
「じゃあ、行く?」
「え。……………うん。行く」
傘に乗る雪は、気付けば小さな粉に変わっていた。バイクの走り去る音が遠くから聞こえてくる。冷えた気温が少し高くなったように思えたが、身体が寒さに適応してきただけなのだろう。
僕は携帯を取り出して自販機の写真を一枚撮り、それを眺めてみる。だけど、やっぱり僕にはそこら辺にある自動販売機とたいして変わらないように映った。やはり四ツ谷の趣味はいいとも悪いとも思えない。
自販機に小銭を入れて温かい珈琲を二缶買い、そのうちの一缶を四ツ谷に渡した。けれど「私、苦いの嫌いなの」と断られてしまった。先程買った珈琲の棚の上部にあるランプには《売切》と赤く表示されている。結局、僕の鞄が無駄に重くなっただけだった。

