2-2 緊張する先輩


「母さん、俺八月の始め出かけるから、沙月と樹を保育園行かせてよ」
仕事から帰ってきて仕事服からラフな服に着替えたタイミングの母親に、椿先輩とのデートの約束を伝えると、母親はニヤリと口角を上げた
「了解〜。彼女?」
「ば、バカ!まだ彼女じゃねぇって!言っただろ、先輩だって!」
 誰でもいいから、母親のこういう所鋭い習性を名前付けてくれないかな
「へぇ……まだねぇ。アンタがそんなに嬉しそうな顔して、一日空けるなんて初めてじゃない。相手、よっぽど素敵な子なのね」
その時、リビングで遊んでいた妹の沙月が目をキラキラさせて駆け寄ってきた
「あおにい、けっこんするの?」
「ぶっっっ」
 沙月の唐突でストレートな質問に、飲んでいたお茶を勢いよく吹き出す。結婚、それどころかまだ振り向いてすらもらえていないのに。しかし、その言葉は桜良の心に未来の可能性として、甘い響きを残した。
「げほっ、ごほっ……出来るならな。でもまだ兄ちゃんは好きになってもらう途中なんだよ。だからデートで頑張ってくるんだ」
「ふーん、がんばれあおにい!」
 先輩へのアプローチは我ながらいい感じだと思う
 最初の頃は無理を言って承諾なしにクラスに乗り込んでたけど、最近は先輩も「仕方ない」「うるさいぞ、桜良」とため息をつきながらも、以前のような徹底した拒絶はしなくなってくれた
 昼食を共にし、帰り道を一緒に歩くのも、今や日常になりつつあるし、期末テストの賭けに勝って、約束のデートまでした
 これ以上ないくらい順調だ
 でも、時々先輩は、誰も寄せ付けないような遠い瞳をしていることがある。透明な壁の向こう側から世界を見ているような、孤独な表情。俺の存在も、周りの世界も全てシャットアウトしているかのような、深い悲しみを秘めた目。その瞬間、どれだけ自分が近くにいても、先輩の心には届いていない気がして、酷く焦燥感を覚える。俺は先輩に色んなことを教えているけど……俺は先輩のことを少ししか知らない
「デートで……絶対先輩との距離を近づけるんだ」
 あの時、期末テストで一桁の順位になったらデートという条件を出したのも、単に遊びたいだけじゃない。二人きりの時間を手に入れることで、俺のことをもっと知ってもらって、先輩のことをもっと知ること。それを叶えるためだった。先輩のあの寂しそうな瞳を、いつか俺が塗り替えたいと願っていた


「……落ち着かない」
 スマホの画面に映し出されたトーク画面
『八月二十日と二十一日!隣の市で夕方からお祭りやってるのでどちらかで一緒に行きませんか!』
『了解。二十日なら予定は空いている』
『じゃあ二十日で!先輩の浴衣姿楽しみだな〜』
『俺は着ないぞ』
『え!なんでですか!』
『着付けが面倒だ』
『せっかく浴衣見れると思ったんすけどね。俺は着ていくんで気が向いたら着てきてください!』
『向かないだろうな』
 最後に「ぴえん」と泣いてる犬のスタンプを送ってきた桜良でトークは終わっている
「浴衣、か」
 最後に着たのはいつだったか。母親が働き始めて家に帰る時間が遅くなる前だから小学生くらいの頃か
『やっぱり椿先輩のこと大好きです!』
 あの笑顔……浴衣着たら、また見れるのか……?
 っ……何考えてんだよ俺は。浴衣なんて出すのも面倒だし、着付けだって……
 思考を停止させるために目の前の数学の課題に向き合うが、あいつの顔ばかり浮かんで落ち着かない
「……あぁ、もう!あいつのペースに持ってかれてるじゃねぇか……」
 このままでは課題が手につかないから。と正当な理由をこじつけて、俺は乱暴にドアを開け、物置部屋の箪笥へ向かった