2-1 にゃんこ先輩


「いた。桜良」
 土曜日、本当なら家で勉強でもしていようと思っていたのだが……
『先輩!俺のバスケの試合見に来てください!』
『バスケ?』
 終業式前日の昼休み。もはや常連と化した桜良は俺の前に弁当を広げながらバスケの試合観戦に誘った
『あぁ、お前バスケ上手いんだったな』
 思い出したように言うと桜良はにっこり笑って
『そうっすよ!バスケ自体は小学生からやってるんで!先輩が応援してくれたらめっちゃシュート決めれそうなんで見に来てください!』
『俺は魔法使いじゃない。俺が行ったところで何にもならないだろ』
 そう言うと桜良は首を横に振り俺の目を見て
『先輩は俺のモチベなんすよ!好きな人がいれば色んなこと頑張れるんで!実際期末もそうだったでしょ?』
 なんて言うから、ここまで言われると断る気も失せた
『……仕方ない。日時と場所を連絡に入れておいたら考えておく』
『やったー!俺めっちゃ頑張ります!』
 と、まぁ丸め込まれ承諾した。一度あのちっこい姿でバスケしている姿を見たいとも思っていたから丁度いいだろう
「あ、椿先輩〜!」
 その声に我に返るとバスケのフロアでアップをしていたユニフォーム姿の桜良が俺を見て手を振っていた
 俺は気恥ずかしくなり軽く手をあげるだけにしたが、いつもは下ろしてる前髪をポンパにし、制服ではなくユニフォーム姿の桜良は、悔しくもイケメンなるものでかっこいいと感じてしまった
「……頑張れよ。桜良」
 小さく呟いたその声はボールの弾む音にかき消されていた


「あれが噂の先輩?イケメンだな」
「あー、噂のにゃんこ先輩」
 同学年のメンバーたちがアップしながら俺の手の振った先にいる椿先輩を眺める
 椿先輩はその様子に気づかずスマホに視線を落とし座っている
「先輩来たからには、俺が活躍するしかないな〜!」
「すばしっこさは部員のなかでトップクラスだからな。任せたぞ桜良」
 隣にいた部長に背中を軽く叩かれ、久々の試合と椿先輩の存在でいつもより高なった胸は間もなく試合が始まることへの高なりへと変化した
「はい!かましましょう!先輩!」


「はい!かましましょう!先輩!」
 桜良のその声に俺は顔を上げる。フロア中央に集まった桜良たちが、気合を入れるように互いの肩を叩き合っている。試合が始まる直前の独特の緊張感と真剣な空気が体育館全体を包んでいた
 俺の視線は自然と、桜良を捉えていた
 周りの女子生徒が
「ねぇ、桜良くんがよく話してる椿先輩来てるよ!」
「桜良くんの応援に来てるんだって!」
 とコソコソ話しているのが聞こえてくる。あいつは普段何の話をしてるんだ……
 試合開始のブザーが鳴る
 桜良はコートを縦横無尽に走り回る。その動きは驚くほど俊敏で、まるでコートを駆け回る小動物のようであり、ドリブルやパスの技術は確かでチームメイトともしっかりと連携が取れている
「ナイス先輩!」
「パスいくぞ!」
 桜良は誰よりも声を出し、誰よりもコートを走っていた。その姿を見て、椿の胸にふと、過去の記憶が蘇る
 __あいつと、似ている……
 あいつも、誰よりも目立ち、誰からも好かれるような明るい人間だった。桜良のまっすぐな情熱はあの頃の記憶と重なる。だからこそ、俺は警戒心を抱かずにはいられない。こんなにも無防備に誰かに惹かれ、誰かを応援するなんて馬鹿げている
 しかし、俺の視線はバスケットシューズがキュッと鳴る音を追いかけ、コート上の桜良から離れなかった
 試合は白熱していた。桜良のチームは接戦を繰り広げている。椿が座る客席側へ桜良がドリブルで切り込んでくる。相手ディフェンス二人に囲まれ、苦しい体勢だ
「桜良、頑張れ!」
 周りの応援に混じって、俺も思わず
「桜良……!」
 と名を呼ぶ声が出ていた。桜良は一瞬、パスフェイクを入れ、ディフェンスの隙を突いてゴール下へ。そして、小柄な身体からは想像もできないほどの跳躍力でシュートを放つ
 スパッと音をたてボールはネットに吸い込まれた。
「よっしゃあああ!」
 桜良はガッツポーズをし、そのまま俺の座っている客席の方を一瞬だけ見て、ニッと笑った。その笑顔はまるで俺に「見てくれた?」と問いかけているようだった
 椿の顔が一気に熱くなる。なんだ、今のは。まるで……自分だけに向けられたサインのようじゃないか……
 ユニフォーム姿で汗を流し、仲間とハイタッチを交わす桜良の姿は、普段の懐いた犬のような様子とは全く違う、精悍な男の顔をしていた


 試合は白熱し、最終クォーターへ。点差はわずか
 相手の激しいディフェンスに阻まれ、桜良はパスコースを探す。時間が迫る中、桜良は意を決してゴール下に切り込むが、相手選手に強くぶつかられ体勢を崩した
「桜良!」
 部長の声が響く。桜良はフロアに倒れ込んだまま、一瞬、観客席の椿を見た。椿は立ち上がりかけていたが、桜良と目が合うとすぐに元の席に座り、目を伏せてしまった
 その瞬間、桜良の胸に一筋の痛みが走った
__先輩が見ていられないほどに……かっこ悪いところを見せてしまった
 無意識のうちに求めていた、椿先輩からの特別の視線が得られなかったことに、桜良は深く落胆した
 試合終了のブザーが鳴り響く。結果は、惜しくも1点差での敗北だった
 桜良は悔しさに顔を歪ませながらも、相手チームと挨拶を交わし、ベンチに戻った
「悪かった、桜良。最後のプレイ、俺がもっとフォローすべきだった」
 部長が桜良の肩を叩く
「いや、俺の判断ミスっす。先輩たちの引退前の数少ない試合なのにすみません」
 桜良はタオルで顔の汗を拭いながら、観客席に目をやった。椿の姿はもうどこにもなかった
__そっか。まぁ、そうだよな
 期待した分だけ心が重くなる。分かっていたはずなのに、来てくれただけで喜ぶべきなのに……少しでも「特別な存在」として見てもらいたかった自分がいる
 部室で着替えを終え、体育館を出ると、辺りはすっかり静まりかえっていた
「桜良」
 背後から、低く、少し掠れた声が聞こえた。振り返ると、そこにはロッカーにもたれかかり、腕を組んだ椿が立っていた
「せん、ぱい……?」
 桜良は驚きで目を見開いた。てっきり帰ってしまったと思っていたから
「なにをそんなに驚いてるんだ」
 椿は桜良から目を逸らす。その口調は、いつもの冷たい反応とは少し違っていた
「あ、いや!帰っちゃったかと思って」
「帰ろうとしたさ。お前がいつまでも出てこねぇから待ちくたびれた」
 椿は腕組みを解き、桜良に向かって歩み寄った
「お前、あざ大丈夫なのか?」
 椿の視線は、練習着の袖から覗く桜良の腕の青あざに注がれていた。桜良は思わず腕を隠す
「大丈夫ですって!ぶつかっただけだしすぐ治ります」
 椿はそれを無視し、桜良の隠そうとした腕を掴んだ
「痛むだろ」
 椿の指先が、桜良の青あざの周りを優しくなぞる。その一瞬の優しさに、桜良の心臓は大きく音を立てた
「…椿先輩」
 桜良が呼びかけると、椿はすぐに手を引っ込めた。
「とにかく、早く冷やせ。その、なんだ」
 椿は再び目を逸らし、口ごもる
「よく頑張ってたと思う。次、もしまた試合があるなら……考えておく」
「えっ」
 それは椿からの最大限の評価と、未来への約束だった。桜良の顔に再びいつもの明るい笑顔が戻った。負けた悔しさも、さっきの落胆も、一瞬で吹き飛ぶ
「はい!絶対にまた見に来てください!そしたら絶対勝ちます!」
 椿は小さく頷くと、すぐに歩き出した。
「もう帰るぞ」
「はいっ!」
 桜良は弾む足取りで、椿の少し後ろをついていく
「やっぱり椿先輩のこと大好きです!」
「はいはい」
 素っ気ない態度でも、先輩は俺をちゃんと見てくれていた。褒めてくれた。俺の好きな椿先輩らしいその姿に、俺の鼓動は落ち着くことを忘れてしまった