4-1 伝える想い
「桜良……」
体育館の中に入ると、桜良は気まずそうにまた目を逸らす。バスケットボールを抱えていない方の手を掴むと、桜良は手を振り払う
「先輩を怖がらせて……嫌な気持ちにさせて、そんな俺が、先輩に触れてもらう資格……ありません」
いつものはつらつとした声じゃない。それ以前に、俺が悪いのに、こいつは自分のせいだと感じている
「違う……違うだろ!」
自分の声が荒ぶっていることを自覚したが一度放たれ始めた言葉は止まることを知らない
「俺が、俺が弱いから……いつまでも過去に囚われたままだからお前を傷つけた!何も悪くない、お前のその純粋な気持ちを裏切った!」
「先輩……」
「桜良と過ごしていると、いつも心のどこかで、この時間はいつか終わってしまう。と考える自分がいた」
永遠なんてないから、いつか終わってしまう日が来てしまうのだから。と、一線を引き続けた
「桜良の優しさを受け入れてしまうと、捨てられたら死にたくなるくらい辛くなるなんて分かりきってるから、自分の既に気づいていた気持ちすら無視して桜良のことは好きでもなんでもないって思い込んできた」
それでも……思い込んでも……
「おかしいんだ。最初の頃は半ば無理やり押しかけてきた桜良が面倒で、自分は静寂を求めていたのに…… 」
あぁ、俺らしくもない。まだ、まだ俺は……
「先輩、なんで……泣いてるんですか……?」
涙を流してしまうくらい、俺の心の奥は弱かった
「桜良のことを意図して拒絶したわけじゃなかった。あの時の男は……俺の元カレなんだ」
最初で最後の、最低な元カレ
「快人が一番だとか、愛してるだとか。快斗の全部が好きとか。そんなことをよく言うやつだった。でも……浮気していた、その時あいつは……」
『お前よりいいやつ見つけたからお前もういらねぇわ。お前可愛げないくせに重いし、顔と身体しか取り柄なかったからな』
『気持ち悪いくらい依存しないといられないくらい重いお前なんか、誰も愛さねぇよ』
絶望した。愛情表現が苦手でも、言葉にして伝えていた。デートだって何度もしてきた。なのに、あいつは表面しか見ていなかった
「あいつは俺に対して、捨てられるトラウマを植え付けて消えた。それから、俺は人と深く関わらないようにした。あの日、あそこに現れて、違うって分かってるはずなのに……あの一瞬、桜良があいつと重なって見えた」
「だから先輩は、拒絶したってことですか」
「そうだ。桜良を傷つけて……本当にごめん」
桜良の優しさと一途さに漬け込んで、甘えていた。桜良が俺を諦めてしまっても俺の自業自得。ただ、桜良に自分のせいでこうなったと勘違いだけはしてほしくなかった
「先輩は、俺が嫌いじゃない……ですか?」
桜良はさっき俺の手を振り払ったその手で俺の手を握った。その手は少し震えていた
もう、逃げてはいけない。ずっと桜良は俺と向き合ってくれていたから
俺は、深く息を吸い込み、続けた。その言葉は、まるで固く閉ざした心の扉をこじ開けるかのように、絞り出された
「お前が来ない一週間、俺は死ぬほど苦しかった。静かな昼休みも、お前がいなくて息が詰まるくらい」
俺は、桜良のその目を見つめた。涙で視界が滲んでいるが、桜良が俺を見つめていることだけはちゃんとわかっていた
「さっき、お前が俺から目を逸らした。その時初めて、俺がお前を拒絶した時にどれだけお前が傷ついたのか、分かったんだ。俺は、もう二度とお前から目を逸らさないし、お前から逸らされたくない」
俺は目元の涙を拭って桜良に初めて心から笑みを浮かべた
「俺は、お前のことを、ただの面倒な後輩としてあしらってたんじゃない。気づかないフリをしていただけで、二人で過ごすようになってから……桜良、お前のことがずっと好きになっていたんだ」
その瞬間、桜良の瞳から大粒の涙がとめどなく溢れ出した。ずっと我慢していた感情が、堰を切ったように流れ出した
「先輩……!俺、俺……!」
声は湿っていてもはや言葉も上手く発せられていない
「ごめん、ずっと見ないふりをし続けて。あの時からずっと……桜良は真正面から向き合ってくれていたのに」
「嘘じゃないっすよね!俺、怖くて、もう会えないと思って……!先輩が、俺を嫌いになったと思って」
涙声で、桜良は何度も何度も繰り返した。つかえながらも言葉を吐き出す桜良を控えめに抱きしめた
「桜良、俺はお前を信じた。嫌いなんかじゃない。大切で、大好きな人だ」
桜良は顔を上げ、涙でぐちゃぐちゃの顔のまま、叫んだ
「大好きです!椿先輩!俺、先輩のトラウマなんか、全部上書きしてやる!全部、全部、俺の好きで満たしてやる!」
俺はわずかに口角を上げ桜良の頭を撫で
「期待してるよ、葵」
俺の伝えられる限りの本音を伝えきると葵は俺の制服を湿らせしばらく泣き続けた。空の日は落ちかけていたが、そんなことなどお互いに構いもしなかった
「先輩のシャツめっちゃ濡らしちゃった……すみません」
落ち着いた頃に俺の湿っている白シャツを見ながら落ち込む姿は叱られた子犬のようだった
「別に構わない。どうせ洗うものだしな」
「みっともないところ見られた」
「俺だってそうだろ」
元はと言えば俺が原因でこうなったし
「先輩、快斗先輩ってこれから呼んでもいいですか?二人きりの時は……快斗って呼びたい、敬語も、やめたい」
「そう呼んでほしい、俺も葵って呼びたい」
「先輩に葵って呼ばれるの……ずっと夢でした」
「ちなみに、本当に葵は俺でいいのか?」
「えっ?」
誰かの恋人としてふさわしくなれるような性格を持ち合わせていない。葵のように素直に感情を曝け出したり、行動で愛を表現することが極端に苦手だった。それでも一途に愛そうと言葉で伝えることも……莇生の影響で怖くなった
「可愛げなんてないし、愛情表現は下手くそだ。善処するようにしていてもお前を不安にさせることがあるかもしれない。それでも、お前は俺を選んで後悔しないか?」
葵は俺の目を見て、元の輝いた笑顔を見せ自信満々に
「快斗とたくさん話して、快斗の奥にある優しさを俺は知ってるから。快斗といられる未来に、後悔なんてあり得ないからね!」
と言った。俺はその答えに微笑んだ
「これからよろしくな。恋人さん?」
揶揄うように言うと予想通り顔を赤くする。本当に面白いやつだ。そして俺はそんな目の前のやつを愛している

