
3.お見舞い
それからしばらくして――。
うち、塚森キミカは高速道路を疾走する160CCのスクーターの後部座席にすわり、ライダーの腰にしがみついていた。
スクーターを駆るのは塚森コウ。
うちより六つ年上の従兄弟だ。
コウはわざわざ童ノ宮までやって来て、うちに知らせを届けてくれた。
数日前から家に戻らず、行方不明になっていたうちの親友、長谷川ユカリを発見したと
コウ曰く、ユカリは童ノ宮市と隣接する夢ノ宮市の境界に位置する山中の廃屋でボンヤリと佇んでいたらしい。詳しいことは知らないけれど、コウの外法は怪異と戦う以外にも、人や物を探すことにも長けているそうだ。
ユカリがそんな場所で何をしていたのかも不明らしいが――、ユカリが生きて見つかったことはうちにとって、いや、うちだけじゃなくて一緒にユカリを探してくれたクラスのみんなや街の人達にとってもすごく喜ばしいことだった。
それに間違いはないのだけど……。
親友が無事発見されたというのにうちは胸騒ぎがするのを拭えなかった。
不安だからだろうか。向かう先――、山の向こうに堕ちてゆく夕陽が何だかよくないものに見えてくる。空に滲む茜色が血の色のように思えてくる。
あまり物事を悪いふうに考え過ぎるなよ。
そう言ってうちらを見送ってくれたのはリョウだった。
お前はちょっと真面目すぎるから、すぐ思いつめてしまうんだろうな。
もっと肩の力を抜いて、ユカリちゃんに会って来な。
そう言って笑ったリョウの顔はいつもより何だか哀しそうに見えて……。
一段落ついたら、ちゃんとお礼言わなあかんな。
思えばリョウには塚森に貰われた時からずっと世話になりっぱなしやし。
なんか恩返しできること、うちにも何かないんやろか?
……少し考えてみたが、何も思い浮かばなかった。
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「――ほら、到着だ。降りな」
スクーターを停車し、コウが言った。
相変わらず偉そうな物言いだが、特に逆らう理由もないのでそれに従う。
ほんの数メートル先には病院の入り口。
山の麓から見た時より、遥かに立派な建物で病院というよりは完全会員制の高級ホテルか何かに見えた。実際、上階から見下ろす景色はなかなか圧巻だろうと想像がついた。
ここに今、ユカリがおるんや。
確か病院の名前は、コウは「白虎博愛会医療総合センター」とか言ってたっけ。
「なあ、コウちゃん。ここって……」
借りていたヘルメットを脱ぎ、それを手渡しながらうちは尋ねた。
「白虎博愛会って書いてるけど。……ここってひょっとして組織の関係施設?」
「ああ、そうだよ」
あっさりと従兄弟は認める。
「僕はあのユカリって子を見つけ出し、普通に救急車を呼んだだけだけどな。何がどうなってるのかはわからないけど、連中目ざといから」
「そうなんや……」
「そんな顔するなよ。あいつら胡散臭いけど、別に鬼畜生ってわけじゃない。僕のバイト先だし、そもそもレイジおじさん、お前のお父さんだって関係者だろ」
「いや、そうやなくて……。やっぱり、ユカリは怪異に悪さをされたんかなって……」
「それをはっきりさせるための検査入院だろ。……まあ、でもそう心配するなって。怪異がもたらす霊毒にもいろいろあって、ここは比較的軽い症状に対処する病院だからな」
うちはため息をついていた。確かにコウの言う通りだ。
本人と会いもしないうちにあれこれ悩んでも始まらない。
物事は前向きに考えんと……。
「それと――、この間はホンマにごめんな。コウちゃんはうちの後始末、ていうかうちの命を助けてくれたのに……。うち、あんな酷い事言うて……」
「……あー。そー言うのいらないから」
面倒臭そうにコウがさえぎる。
「あんなの、こういう稼業やってりゃ想定内の範疇だ。ましてやお前みたいな中学生が何を言おうと僕が気に病むわけないだろ。……本当に気にしたことなんてないからな」
喋っているうちに苛立ちが込み上げて来たらしい。
チッと舌打ちをしてコウは
「ガキのくせにいつまでも下らないこと引きずってんじゃないよ。中坊は中坊らしく、アホみたいに鼻水でも垂らしてろ」
「いや……中学生にもなったら、特に女子は鼻水垂らさへんやろ」
「いいから行けって。……スクーターを止めたら僕もすぐに追いかけるから。受け付けロビーでいい子にして待ってろ」
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病院の中は思った以上に真新しく清潔感が溢れていた。
壁面がほとんどガラス張りだから陽当たりも良く、建物としての構造が一階のロビーから五階までが見渡せる吹き抜けとなっていて解放感があった。
エレベーターに乗り、それを見下ろしながら最上フロアへと向かう。
コウの言う通り、ユカリの病室はその一番、端っこにあった。
一人用の大部屋、だそうだ。
……一人なのに大部屋?
奇妙な違和感を覚え、うちは胸がザワザワする。
小さく息をつき、うちは病室のドアを軽くノック。
なかから返事がかえってくるのを待たずにノブを回していた。
「……ユカリ? うち、来たんやけど」
確かにそこは大部屋だった。
うちの学校の教室くらい広いんちゃうかと思えるくらいの広々としたスペースだ。
その代わりと言うのも変だが――室内に置かれているのは最低限のものしかない。
少し大きめのクローゼットに冷蔵庫。病院で見かけるのはちょっと珍しい、中型サイズの壁掛けテレビ。そしてリクライニング機能が付いた大きなベッド。
一階と同じく、ガラス張りの壁から差し込む西日にそれらの全てが赤く染めあげられている。
「……あ、キミちゃんだ」
ベッドの上に腰を降ろし、外の景色を眺めていた女の子が長い黒髪を揺らし、こっちを振り返った。そして、花が咲いたように微笑む。
「キミちゃんも来てくれるなんて今日は千客万来だね」
ユカリだ。長谷川ユカリ。
ここ、童ノ宮にやって来て大切なものはたくさんできたけど、ユカリはうちにとって一番最初にできた友達だった。
思わず視界がまた涙で滲んだ。
「あ、あれ? キミちゃん、ひょっとして泣いてるの?」
「当たり前やろ。ユカリのアホぉ……」
自分でも腹立たしいぐらい情けない声が出る。
つかつかとユカリのベッドに近づいて、かたわらにあった椅子を引っ張り出し、出来るだけ乱暴な仕草でそれに座ってみせる。うちの今抱えている感情をのん気そうにニコニコしているユカリに少しでも伝えたくて。
一方、コウはというと――、うちと一緒に病室に入って来たものの、ユカリに対して一言の挨拶もないまま壁に背中を当てて押し黙ってる。
「えっと……一応紹介しとくと、あの人はうちの従兄弟で塚森コウ君」
「あっ、私のこと助けてくれた人ですよね? ありがとうございました」
壁際のコウにユカリは笑顔を向け、ペコリと頭を下げるが当の本人は無言。そして無表情。
ただ目を大きく見開いてユカリを凝視している。
ちょっと止めてや、コウちゃん。
うちだけならあんたのそう言う感じは慣れてるからええけど――、よその女の子にそんな態度取ったら怖がられるって。
「そ、そう言えば――ユカリのお父さんやお母さんは?」
話題を変えようとしてうちは言った。
「うん。来たよ。学校の先生とかが帰った後だったかな?」
ちょっと天井を見上げるような仕草を見せながらユカリが続ける。
「お母さんが着替えとか、入院に必要な物をバッグに詰めて持って来てくれて……。さっき帰ったところ。キミちゃん達とタッチの差だった、ホント」
「そっか。……二人とも心配してたやろ」
「お母さんは一応ね。お父さんには怒られちゃった。――お前は役立たずのくせに、迷惑かけることだけは一人前だなって。万が一、野垂れ死にでもされたら体裁が悪いだろうがって。ほら、うちのお父さん、そこそこ大きな貿易会社経営してるから。しょうがないよねっ」
屈託なくユカリが笑う。
その綺麗な笑顔にうちのなかの違和感がさらに膨らむ。
今の話。ユカリが自分の家族の話をするのはもっぱら五人もいると言う妹や弟のことで、父親のことについて聞くのは初めてだったと思う。
それにユカリの表情と会話の内容には大きなズレがある。
笑って話せるようなことでもないだろう。
「――な、ユカリ? 他の人にはもう話したん?」
「ん? 何のこと?」
「だから……。コウが見つけるまでユカリはどこで何してたん? あんた、十日近くもいなくなってたんよ?」
「ゲゲッ。十日も!? そんなに時間が経ってるなんて知らなかったなぁ」
「ユカリ、真面目にやってぇな。うちは今、あんたと真剣に話してんねんから」
「うーん、そう言われてもねぇ……」
うちがなじるとユカリは困った顔で腕組みをする。
「本当に自分がどこで何をしていたのかも覚えてないんだよね。だから、そっちのお兄さんに声をかけられた時、自分があんな汚い場所にいたことにホント、ビックリしたんだもん」
「……」
うちはチラリとコウに視線を送った。
だけど、コウはやはり壁に背を当てたままユカリを凝視しているだけだった。
「あ、でも――一つだけ、ハッキリ覚えてるかも。キミちゃん達と別れた後、何があったか。その時のこと、よかったら聞いてくれる?」
「……もちろん。うちでええんなら、なんぼでも聞くよ」
うちが頷くと、ユカリがまた微笑んだ。
口もとを歪めてニヤッと。
馬鹿にしているような挑発しているような笑い方で、あまり気持ちがよくなかった。
そして、うちがよく知るユカリはこんな笑い方ができる子じゃない。
ふぅとユカリが小さく息を吐いた。
そして、全てが真っ赤に沈んだ部屋の中で静かに語り始めた。
「あのね、あの日、キミちゃん達と別れた後、私が向かったのは本屋さんなの……」


