5 接触

昨日と同じように電車に乗ってうちは隣町――、夢ノ宮に向かった。
駅の改札を出て、すぐにアーケード街に向かう。

時間帯は夕暮れが迫る買い物時になっていた。
そのせいか、大通りは日曜日と代わらないぐらい大勢の人であふれかえっていた。
むせかえるような熱気を感じながら、うちは雑踏の中を歩き始める。

少し緊張していた。いくら見た目がかわいいとは言え、相手は怪異。
これまでうちが受けて来た仕打ちを考えれば、思わず膝が震えてしまうのも当然だと思う。

だけど、今回は童ノ宮の神様が直々にゴーサインをくれた。
だからきっと大丈夫……。

「あっ……」

思わず声をあげ、うちは立ち止まっていた。

前方の人込みのなかにそれはいた。
後ろ足で立って歩くゴールデンレトリーバー……と言うか、犬のキグルミのような姿をした怪異が。某夢の国のキャラクター達のように両手に白い手袋をはめていることからシロテブクロと呼ばれているらしい。

昨日と同じように通りを急ぐ人々に何事かを話しかけ、無視され、大げさなぐらい肩を落としてションボリした仕草を見せると言うことを繰り返している。

うちとの距離は十メートルちょっと。その間を右へ左へと流れる人達で埋め尽くされているため、用意に近づけそうにない。

このままじゃ見失ってしまうかもしれない。
何とか回り込んで、話しかけないと……。

そう、うちが考えた時だった。

ポン、と肩に柔らかなもので軽く叩かれる感触。
それは肉球の感触だった。

はっと息を飲んで、うちが肩越しに振り返ると――

「こんにちは、お嬢さん」

キラキラと光る、緑色の瞳が顔を覗き込んで来る。
胸元まで長く垂れ下がったピンク色の舌からはハッハッという息づかいとともに湯気が立ち昇っているのが見えた。

思わずうちが後ずさりすると、シロテブクロは首を傾げ言った。

「あなた、アンディーをお探しでしたよね? 何かゴヨウでしょうか?」

シロテブクロが流ちょうな日本語で話しかけてくる。
いや、よく見ればその口は微塵も動いていない。動いたところであの口の形状では人の言葉ははなせないだろう。

こう言うとナンセンスに聞こえてしまうだろうけど、シロテブクロはテレパシーのような能力を有しているらしい。

「え、ええっと……」

うちは少し逡巡し――、右肩にかけていた愛用のポーチのなかをまさぐる。
取り出したのは犬用のオヤツ。うちの手のひらでは収まり切れないほど、ビッグサイズな骨型のクッキーだ。

何かの役に立つかもしれないと、さっき駅前のペット用の洋品店で買っておいたのだ。

「取り敢えず、これ。ご挨拶に――」

「お、おおー、これはこれは……」

うちの手から奪い取るようにしてオヤツをひったくり、シロテブクロは口のなかにそれを放り込んでいた。

ムシャムシャ、ボリボリと音を立てて食べながら、よっぽどオヤツが美味しかったのか、お尻の上に生え伸びた長い尻尾を千切れんばかりの勢いで左右に振り続けていた。

ほんの少し、間を置いて――

「ごちそうさまでしたぁ」

長い舌で口元をペロペロなめながらシロテブクロがうちを振り返る。

「あの、出来ればもう一つ……」

「ごめんな。持って来たオヤツは今のだけなんよ」

うちの返答にシロテブクロの犬そのもの瞳が悲しみに潤む。
キューンと悲痛な鼻声をあげている。

何や、このかわいい生き物……?
いや、怪異か。こんな怪異ばっかりなら、うちもお父さんも苦労なんかしないのに。

思わず口元が緩むのを感じながらうちは言った。

「それより、きみってこの界隈が縄張り? 昨日もこの辺、ブラブラしてたやんな?」

「えーっと……」

目だけ動かしてアーケードの天井を見上げ、固まるシロテブクロ。
それから数十秒の沈黙が続き、ひょっとして意識が途切れてしまったのではと心配になった時、ようやくシロテブクロの声が頭の中で響く。

「ここにはトムやジェリちゃんとよく一緒に来てました。パパに連れて来てもらって……」

「パパ?」

思わずうちは聞き返していた。

「それはつまり、きみの飼い主さんってこと?」

「カイヌシサンって何ですか? パパはパパです。そして、ママはママです」

「そ、そうなんや……。じゃあ、その、トムとジェリちゃんって言うのは?」

「アンディーの兄弟です。トムは賢くて、ジェリちゃんは小さくて可愛いです。二人とも、アンディーは大好きです」

口角を緩ませ、まるで人間の微笑んだ顔のような表情を見せるシロテブクロ。

ああそうか、とうちは思った。
この子、自分のことを犬だと思ってないんや……。

お父さんの亡くなった奧さんの忘れ形見であるマルチーズのココロもそうだ。
餌を食べさせる時、うちやお父さんが側についててあげないとなかなか完食しないし、寝る時は許可も出していないのに勝手にベッドに潜り込んで来る。

つまり、ココロは自分の中ではお姫様か何かなのだと思う。
しかも、塚森家では後輩のうちに対していつもマウント気味だし。

「つまり、きみ――アンディーはパパっていう人にここによく散歩させてもらってたってこと? その、他の二頭の兄弟も一緒に」

「お散歩!」

不意に大きな声を張り上げるシロテブクロ。
同時にワンッという大きな一吠えが頭の中で響き、うちは思わず身をすくませてしまう。

「アンディーはお散歩大好き! 大好きなのです!」

「あ、ああ……。そうなんやね……」

「でも――」

突然、シロテブクロは風船がしぼんだようにクシャクシャになった顔をうつむかせる。

「ここにはパパはいません。ママもいません。トムとジェリちゃんもいません。……そろそろお家に帰りたいです」

「……きみのお家?」

小さくため息をつき、シロテブクロがうちに片手をさし出してきた。

と、その手のひらの上に魔法のように現れたのは――首輪だった。はめたらうちの首でもブカブカしそうな大型犬用の首輪。

よく見るとその首輪には、鉄製と思しきプレートが紐で固く結びつけられていた。
プレートには何か文字が書いてある。手に取り、それをうちは声に出して読んでみた。

「夢ノ宮市巡間町1の451の3? ……これってきみの住所違うの?」

「わからないです」

悲しげにシロテブクロが目を伏せる。

「だけど、パパとママが言ってました。もし、アンディーが迷子になってしまったら、それを誰か親切な人に見せて家まで帰っておいでって」

もう一度、うちはプレートに表示された住所を読み直してみる。
電話番号らしき数字も書かれてはいるようだったけれど、残念なことにこっちは殆んどかすれていて読み取ることはできなかった。

オッケー。一度、状況を整理してみよう。

やっぱり、この子――シロテブクロは見た目通り、犬が変じた怪異と考えて間違いない。
恐らくすでに死んでいるのだろうが本人はそのことを認識しておらず、飼い主がよく散歩に連れて来ていた、ここアーケード街をさ迷っていたのだろう。
生前、飼い主に言われた通り、親切な人が自分をお家に連れて帰ってくれることを期待して。或いはパパやママ、トムとジェリちゃんが迎えに来てくれることを期待して。

思わず胸が詰まり危うく泣きそうになって、うちは思考を切り替える。

さて、これからどうしたもんやろ。

童ノ宮の神様は「連れておいで」とうちに言った。シロテブクロのことを気に病んでいるうちを気遣い、わざわざ姿を現してくれたのだと思う。
塚森の人間としては神様の言葉に従って、今すぐにでもシロテブクロを童ノ宮に導いてあげるべきだと思う。

だけど、その前に――。

「きみ、アンディーって言うねんな? もし良かったら、うちが案内しよか? その、君のお家まで……」

「ホントに?」

目の色を変え、勢いよく詰め寄って来るシロテブクロ。
うちの両手を強くにぎりしめ、後ろ足でピョンピョンとはねる。

「ぜひぜひ! お願いします! アンディーはお家に帰りたいです!」

そのはしゃぎ振りに思わずうちは苦笑。
まるで小さい子どもみたい。きっと飼い主さんに大事にされてたんやろな。

「それにしても、巡間町か。今から歩きで向かうにはちょっと距離があるんよなぁ……」

確か、このアーケード街を出て少し歩いたところにバス停があったはず。
これまで巡間町に行ったことはないけれど、うちには頼もしい相棒――スマホに地図アプリが搭載している。それを頼りに進めば迷うことはないだろう、多分。

「あの、お姉ちゃんことは何て呼べばいいですか?」

おずおずと尋ねて来るシロテブクロ――、いや、アンディーに手を差し伸べながらうちは言った。

「キミカ。うちは塚森キミカ」

それからうちとアンディーは手を取り合い、アーケード街の出口を目指して歩き始めた。