3 悶々

「――キミちゃん。ねぇ、キミちゃん。大丈夫?」

「……へぇ?」

我ながら間の抜けた声を発しながらうちは顔を挙げた。

うちがいたのは教室。
目の前には、心配そうな顔の幼馴染、長谷川ユカリ。
教室にはうちら以外、誰もいない。

そう言えば、新聞委員の仕事で打ち合わせがあるから、放課後教室に残ってねとユカリに言われていた。

ユカリを待つ間、ついうたた寝をしてしまったようだ。

そう言ってうちが詫びると、

「今日一日、ずっとそんな感じだったよね」

そう言ってユカリは苦笑する。
自覚はあったけれど敢えてそう言われると、気恥ずかしい。

「寝不足って身体に悪いよ? 何か悩み事でもあるの?」

「い、いや、そう言うわけやないねんけど……」

それよりも、とうちは話題を転換する。

「今回、うちらに割り振られた記事のテーマって何? また、誰かに怪談聞いて来いとか言うのはちょぅと――」

「あははは……。キミちゃん、怖いの嫌いだもんねぇ」

「……」

「でも、安心して。今回はそう言うのじゃないから。……まあ、これはこれで重たい話だと思うけど」

「……何?」

うちが訝しんでいると「ええっと」と呟きながらコピー用紙を一枚取り出すユカリ。
それを机の上に敷き、

「今回のテーマは――現代のペット問題、だって。……ほら、流行禍の影響でみんな、表に出られない時期があったでしょ? それでちょっとしたペットブームが起きたんだけど」

「ああ……。そう言えば、世間ではいろいろあったみたいやね……」

自然とうちは眉間に皺は寄って来るのを覚えた。

暇潰しや癒しを求めて犬や猫を飼いだしたまではよかったが……、ってやつや。

生物なんだから餌やトイレの世話が必須なのは勿論のこと、飼い主はその子に応じた躾をする責任があるのは当然なのに「こんな犬(猫)だとは思ってなかった」だのなんだの言い訳して、無責任にも遺棄してしまう輩が多く現れたのだ。

面倒なのが嫌なら最初から飼わなきゃええのに……。

「そう言えばキミちゃんの家にもワンちゃんいるよね? 確かマルチーズの……」

「ココロな。正確に言うと、あの子はお父さんの奥さんだった人が飼ってた子やねん。うちが塚森家に迎えられた時はもう亡くなってたから会ったことはないねんけどね」

ユカリにそう返しながら——、嫌が応にもうちの脳裏に浮かんだのは昨日、アーケード街で見た光景だった。

ゴールデンレトリーバーのキグルミのような怪異。
怪異と言うことは――元は犬で、誰かに飼われていたのだろうか?

従兄弟の塚森コウはシロテブクロと呼んでいた。

怪異とは言え、あの子は――シロテブクロは可愛らしい見た目をしていたし、その外見通り、うちには無害そうに思えた。

そもそも道行く人々に声をかける以上のことはしていないし、誰にも存在を気がついてもらえずションボリしていて、可哀想ですらあった。

コウは朱雀機関の委託であの子を監視し、報告書を書くと言っていたけれどその後はどうするつもりなんだろう……?

コウの連絡先は一応、知ってる。
だけど、昨日の態度から考えるにうちの疑問に答えてくれるか、甚だ微妙だ。

……考えれば考えるほど、モヤモヤとして来る。
うちはこのまま、何もしないまま日々を過ごしてもええもんなんやろうか。

と、その時だった。
スッと足音も立てずに――うちとユカリが向かいあっている机の側に誰かが歩み寄った。

それは長い黒髪をなびかせた稚児だった。歳は小学校低学年ぐらい。
目鮮やかな青と萌黄色の稚児装束に身を包んだ、男の子とも女の子ともつかないハッとするほど綺麗な顔立ちの小さな子供だ。
頭の上に小さな炎を噴き上げる独楽を摸した飾りが施された金細工の冠を被り、右目を呪文のような赤い文字がビッシリと書かれた布で覆われている。

そして、背中には焦げ茶色の鷲や鷹、猛禽類を思わせる一対の翼が大きく広げられていて――。

この子はカガヒコノミコト、またの名を稚児天狗。
その他にもいろいろな名前で呼ばれる童ノ宮の神様だ。

思わずうちが立ち上がりかけた時、小さく稚児が微笑む。

――連れてきておやり……。

その声は耳ではなく、うちの頭の中で鈴のように響いていた。
それから少しの空白があって。

「……キミちゃん?」

肩にそっと手で触れられた。温かく柔らかな感触。
手の主は思った通り、ユカリだった。

「やっぱり調子悪いんじゃない? 一度、病院でちゃんと診てもらった方が――」

「ごめん、ユカリ」

自然とうちは笑顔になっていた。
急いで自分の鞄を手繰り寄せ、相変わらず心配そうな顔をしているユカリに告げた。

「うち、やることがあるん思い出したわ。悪いけど先帰らしてもらうな」