18:ザ・キャットテイル メンバーインタビュー 202■年■月■日敢行 ジル猫実(Vo)

(中略)その真っ白な、陶器のような頬を見ていると、思わず嘆息してしまう。無論、他意は一切なく、ただただあの酷い火傷のあとをまったく見て取れないことへの驚きだ。素直な気持ちを口にすると、ジルはサークルレンズの薄いサングラスの奥の、眠たげに細められた目を大きく見開いて驚いた様子を見せた。

「ありがとうございます!カッコいいと言われることは仕事柄少なくないですけど、綺麗って言って頂けたのは初めてかも」両手で頬を包むようにしながら豪快に笑うと、「お医者様にも言われましたけど、自分の驚異的な回復力に感謝しています」と、ゆったりと口角を上げて見せた。



(中略)20年以上ものキャリアを最前線で駆け抜けてきたザ・キャットテイル。その首謀者であるジル猫実は、現在の言わば“再ブーム”と言える状況をメンバーのうち誰よりも喜んでいるという。たったの■年ほど前まで生死の境を彷徨っていたとは思えないほどあっけらかんと、「怪我の功名ですね」と言い切るその心のうちに迫るべく、もう何遍も問われているであろう質問を繰り返す。“ザ・キャットテイルというバンドは、一体どのような意義や理想を掲げて結成され、これまで続いているのですか?”

「ロックバンド……ロックンロールバンド、うん、広義のロックバンドですね。厳密にはロックとロックンロールは違う、とか言説は沢山あるんですけども。広い意味での、ロックバンドという存在のロマンを守り、後世へ受け継ぐため」

黒いスキニーデニムとドクターマーチンの8ホールに包まれた長い脚を組むでもなく、膝に両の拳を置いて前のめりに答えたジルは、少しだけ破顔して両手を広げた。カートゥーンの中のキャラクターのような仕草で続ける。

「……っていうのも、後付けの理由なんですけども。結局は私達自身が、ロックバンドへの憧れを抱き続けているからですね。バンドを結成した頃の、20年以上前の私達のような若者たちを、励ませるような大人でありたいんですよ」

要は次世代の育成のためということになるのだろうか。しかしジルは「そんな!畏れ多い」と慌てた様子で否定した。

「そんな偉そうなこと言ったら燃えちゃいますよ(笑)まだまだヒヨッ子、キャットテイルはフレッシュなロックンロールバンドですから(笑)」

「大それた使命があるわけじゃないんです。ただ、今ロックバンドってあんまりイカしてないじゃないですか」

歯に衣着せぬ物言いに、流石に完全同意はしかねて苦笑する。しかし実際、かつてのグループサウンズブームやヴィジュアル系ブーム、青春パンクブームや2010年代のフェスブームのような時期に比べれば、メインストリームではないことは確かだろう。私のいかにも気まずそうな応答にジルも苦笑し、しかし強い語調で「ええ、メインストリームではないです」と言い切る。

「今はダンスができた方がカッコいいし、弾き語りでバズる方がコスパ?いいですよね。わざわざバンドなんか組まなくても、ひとりでPCを駆使してバンドがやれる世の中です。でもね、それでもバンドを組む若者って尽きないんですよ」

ぐっと握った拳には力が込められ、一見気怠げに見える重たい瞼の奥の瞳に強い光が宿る。なるほど、と改めて感じる。これが、この“ロックバンドへの強すぎる情熱”こそがジル猫実なのだ。迸る熱情が今にも、白い肌を突き破って爆発しそうだ。

「なので、せめて彼らのロックバンドへの本気の憧れが、ひと時の若さの煌めきによるものとして消費されないようにしたいんです。ロックバンドって往々にして青春と繋げられがちだから。確かにロックって、いつの時代でも若者のためにあるべき音楽ではありますけど、若者の本気を、若さ故の美しさとして美化してほしくないんです。何人たりとも」

「だから、私達のようなふてぶてしいお兄さんバンドがね――もうおじさんか(笑)――往く手に、ドンッといた方がいいと思ってるんですよ。私達もそろそろ、あの頃憧れた数多のレジェンドバンドたちに近づけていればいいなって」

整った相貌、トレードマークの赤い髪、それによく似合う大振りな薔薇の花柄のダンガリーシャツ。あまりに絵に描いたようなロックバンドのボーカルの姿に、時々吸い寄せられるように無言になってしまう。そのたびに、大丈夫ですか、緊張していませんか、と声をかけてくれるその細やかさと陽気でハキハキとした語り口、そしてこれまで耳にしてきた数多の“伝説”たち、そのいずれもの間に深いギャップの谷間があり、どれもがちぐはぐで一致しない。なるほど、春原が「よくわからない奴」と評した理由を改めて実感する。

バンドを20年以上続けてくるなかで、つらい経験などはありませんか。在り来りな問いを投げると、ジルはソファに身を沈めて少し笑い、沢山ありますよ、酷いことを言われたりとかね、と苦笑した。

「結構最近も、なんですけど。1回ソールドアウトしなかっただけでライブハウスの店長に『お前らはもう賞味期限切れなんだから生態系を乱すな!』って言われたりとか(笑)その方としては、根強いファンの方がついていて、比較的チケットが売れやすい私達は安牌なんでしょうね。それが珍しくソールドしないとそういうことを言うという……」

理不尽ですね、と思わず口にする。しかし当の本人はそれほど気にしたふうではない。「まあ、気持ちはわかりますけどね」と、理解すら示す態度を見せた。

「だって、世間的には一発屋みたいなものじゃないですか、ザ・キャットテイルって。多分、目の上のたんこぶなんですよ。悔しい〜!」



「(中略)最終的には多分、博物館とか図書館とかに寄贈するんでしょうねえ。こんだけもの集めといて説得力皆無ですけど、実は物にそんなに執着ないんですよ(笑)」

7インチレコードや国内文芸書の古書、ヴィンテージの玩具やアクセサリーなど、古物収集への熱意が高じて10年近くも雑誌に連載を持っているほどの知識を誇るジル。しかし、物品への執着はそれほどない、と豪語する。玄人はだしのその知識とコレクション数を裏打ちしているのは、「ただ好きな物とか好きな人に、囲まれて暮らしたい」という純粋な動機だった。

「強欲なんですよ、基本。だって、この世にある素敵な音楽とか物語とか、可愛いものとか珍しいものとかを死ぬまでに全部手にできないと思うと悔しいんですもん。知識も、あとからついてくるというか……。やはり手にするならば、そのバックボーンまで知ったうえで買うなり愛でるなりしないと、失礼に当たる気がするので」

「でも、たとえばレコードを手に入れた瞬間の感情の煌めきとか、音を耳にしたときにどんなふうに心が動いたかとか、古書を手にして、その本が一体どのような意義で保存されて、どのようなひとたちに読まれてここまで辿り着いたのか、その来し方に思いを馳せたときの感覚とか、そこから得た感情の動きとか知識とか、そういうものの方が大事で。だって、頭の中のものは絶対に盗まれないじゃないですか。もしも万一全部忘れて、別人のようになってしまっても、魂に刻み込まれてる。そういう感覚になれるものや人と少しでも多く出会いたいの。ロマンチストでしょう」



「(中略)みんなそれぞれ興味を示す時代とかジャンルとかはそのときそのときによってまちまちなので。だからファッションも、ロッカーズみたいな奴もいればヒッピーみたいな奴もいるし、ショーケン(萩原健一)みたいなスタイルの奴もいるっていう(笑)」

バンド文化への研究者並みのリスペクトを持つジルと、それぞれの信念を持ってこれまで足並みを揃えてきたメンバー。仲の良さを感じるエピソードだ。せっかくだからと4人から聞いてきたジルに関する所感やいわゆる“伝説”の数々を少し伝えると、ジルは薄い眉を八の字に下げて破顔し、手を叩いて笑った。「あいつら、好き勝手ばっか言って(笑)」

(中略)まるで愛し、愛されるために生まれてきたような人格者に思えるが、その作風の根底には、どことない哀愁が常につきまとう。先週配信開始された約半年ぶりの新曲『■■■■■■』も、夏の朝の空を切り取ったようなエバーグリーンなツービートだが、歌詞は故郷への決別を歌っているようにも聞こえる。自身の作詞についてあまり語りたがらないジルだが、バンドの全ての曲に通ずるフィロソフィーの一端を捉えるヒントとなる言葉を得ることができた。

自身にも記憶がないほどの幼少期、ジル猫実は養護施設から現在の両親の家に引き取られた。つまり、彼の両親は養父母だ。実の親については何も覚えておらず、どのような人物だったのか知る術すらないという。

「だからかな、根本的に、淋しさみたいなものがずっとあって。どんなに愛されて育っても、どんなに友達や周囲の人に恵まれても、一生満たされない空のコップみたいなものが胸の奥にある感覚で。ひとりっ子だし。最後にはきっと、ひとりになるんだろうなっていう感覚が漠然とあるんです。ひとりで取り残されるか、それともひとりで先に逝くか。全然ネガティブな感情ではなく、これは当たり前の、自分自身の中の常識として。だからきっと、お別れの歌が多いんでしょうね。決別、というか。孤独になるのを恐れるな、全てをかなぐり捨てて、ソリッドになれって、自分に言い聞かせているのかもしれません」



(中略)今回のインタビューは、件のドキュメンタリー番組で取り上げられたことによって、バンドにどのような影響がもたらされたのか、現状とメンバーの心持ちに迫る目的で敢行したものだ。しかし一方で、ジル猫実個人へのインタビューとしてはもうひとつ大きな目的があった。

否、メンバー個々へのインタビューを続けるなかで、もうひとつ目的が生まれた、と言った方が正しいだろう。

1週間ほど前に行ったギタリスト・春原佳久へのインタビュー内にて、彼は例の事故に見舞われた際の出来事に関し、不可解なことを口にしていたのだ。与太話だと思って聞き流してほしいのですが、と前置いたうえで、ステージの上で炎に包まれたボーカルの姿から目を離せないまま、スタッフを呼ぶことしかできない無力さを噛み締めながら目にした光景を、眩しそうに細めた目を落とし、顎に手を当てて語り始める。



曰く、全身を炎に焼かれながら、ジル猫実は「笑っていた」のだと。



「ニッコリした、とかじゃないですよ」目を細めたまま、春原はやおら大きく口を開けた。息を細かく吐き出すようにして、「ハハハ」、と発声する。若々しく端正な顔の、何処も笑っていない。

「って、笑ってたんです。大口開けて。そうだな、シャウトするときみたいに」

ジルが口を開き、ハハハ、と笑うと、炎の勢いは増して、生き物のようにその身体を這い回る。

「まるで、あいつの口から火が吹き出してるようにすら見えました。それこそ、怪獣みたいに」

俄かには信じ難い話だったが、春原が徒に冗談を言うとは思えなかった。驚きを隠せないでいると、春原は慌てたようにおどけた笑顔を見せる。

「見間違いだと思いますし、多分ほかのメンバーは見ていないと思います」明るい声色だが、空元気のように聞こえてしまう。本人も気まずい空気を察したのか、観念した、というふうに小さく息を吐き、そして、少しの間、目を閉じた。

「いや……もしも見ていたメンバーがいたとして、怖くて確認できないんですよね。同じものを見ていたとしたら、見間違いでないことが、証明されてしまいますから」



私は、件のドキュメンタリーの予告編でも使われていた春原の発言を思い出していた。

「馬鹿でしょう、あいつ。でもね、俺たち、決めちゃったんですよ。あの馬鹿とバンドやっていくって」



春原から聞いた話を、思い切ってジル本人に話した。「へえ、そう」と首肯した彼の眼差しが揺らぐ。まるで消えかけの炎のように、黒目の奥の光が揺れ、そのまま落とした目線の先に置かれたハニーミルクラテの紙カップを手にし、少し口をつけた。ゆっくりと唇を舐め、口角を上げ、片手でサングラスを直す。先程までの表情に戻っている。

「ヨッちゃんにそう見えたのなら、そうだったのかもしれませんね」

再び真っ直ぐな眼差しでこちらを見たジルは、明るい声色で答えた。

「あのね、ステージの上って、たとえかなり小さなライブハウスでも、あまり大規模でないロックフェスであっても、魔物がいるんですよ」

魔物、ですか。問い返すと、彼はええ、と肯定した。

「魔物。だから、そいつが笑わせたのかな、私のことを」

冗談めかしてはいるが、彼の言葉にはそれ以上の詮索を頑なに許さないニュアンスがあった。

質問を変える必要がある。彼らについて調べるうちに知った、ファンの間で密かに広まっているという、噂めいたものについて聞いてみることにした。



今から60年ほど前、1960年代に流通したとあるレコードについての話だ。当時公開された映画主題歌を収録したシングルヴァイナルだというその作品は、歌唱者が正体不明であるとされている。何故なら、その映画の監督を務めた人物がナイトクラブで歌っていたその歌手の歌声に惚れ込み、その場でスカウトして名前も聞かずにレコーディングを進めてしまったからだという。まだ年端も行かぬ青年だったという彼は、その場でギャラを受け取ってそのまま姿を消した。彼についての情報は、非常に見目が美しいアジア人であったということだけ。彼はレコーディングの前に、自身に声をかけてきた映画監督に「自分の声が嫌いだ」と流暢な英語で語っていたという。

「でも、ロックンロールだけはこの美しくない声も、美しいものとして受け入れてくれるんです」

その正体不明の青年の声が、ジル猫実にそっくりだとファンの間で専らの噂だというのだ。



「へえ!面白い話。珍しい盤は片っ端から欲しいですけど、オカルト方面は明るくないから存じ上げなかった。それって何処かで聴けるんです?」

私が話す都市伝説のような荒唐無稽な噂話にも、ジルは興味深く耳を傾ける様子を見せた。どうやら件の音源についても知らなかったらしい。生粋の7インチコレクターであり尚且つファンの間で広まっている噂ならば知っていてもおかしくはないと思っていたが、想定外の反応だ。

件の楽曲は今、ヴァイナル自体は限られたコレクターの手元にしか残されていないが、親切なコレクターがウェブ上で音源を公開しているため、少しだけなら聴くことができる。その場でスマートフォンの動画アプリを開き、プレイリストから曲を流した。安いスマートフォンのスピーカーに耳を澄ませたジルは、心底感心したように、へえ、確かに言われてみれば、と独りごちた。

「まあ、この年代のシンガーなら私、かなり影響受けているので、似た歌声の方がいらっしゃってもおかしくはないですね」

それにしてもみんな俺のこと好きなんだなあ、とおどけた様子で呟き、目を細める。雑談に終始してしまいそうな気配を感じたが、そのときの私は既に、致し方ないと思っていた。

こんな、荒唐無稽な仮説を証明できる術もないし、そもそも本人に伝えられるほど厚顔無恥ではない、と。

しかし次の瞬間、ジルはソファにゆったりと身を預けながら、聞こえるか聞こえないかといったボリュームの声で、囁くように呟いた。

「でも、俺たちが紅白とか出るようになったら、世界中にバレちゃうかしら」

フフ、と鼻で笑うような声。

私は、意を決してとある質問を口にした。このインタビューに於いて、最大の意義を持つ質問だと言っても過言ではなかった。

――ジルさんは、もしも自分に人智を逸した力があったとして――そう、“怪獣”のような力があったとして、自分がずっと大事にしてきたものや、途方もない孤独を乗り越えてやっと手に入れた居場所が失われるかもしれないと感じたとき、その力を使って、その危機を回避しようと思われますか。

そのロックンロールバンドのボーカルは、静かに首を縦に振った。

「ええ。勿論。無論、誰も傷つけなければ、ですが。誰も死なせず、誰にも治らない傷をつけることもなく、犠牲になるとしたなら自分自身。それなら私、悪いことじゃないと思います。■■さんは、間違っているとお思いですか」

逆に、質問を返されてしまった。でも、ジルさんが犠牲を被るというのは、やはり駄目なのではないでしょうか。特に、ファンやメンバーにとっては。

「私なら構いませんね。死さえ免れればそれでいいです。生きて、歌うことさえできればいくらでも、リカバリーは可能なので。それに、ロックミュージシャンなんてそもそもヴィランじゃないですか。未だに恋人の親からは目の敵にされるわローンは組めないわ、大昔なら紅白にも出られなかったんですよ。それよりも、大切な存在が存続の危機に陥る方が、この両手から零れ落ちてしまうことの方が、私は怖いです」

ジル猫実は、両手を広げて宝物を胸の前に掲げるような仕草をしてみせた。作曲をするときに使うというベースによるタコしか確認できない、細く白い、ケロイドひとつない大きな手。そして、不安になるほど真っ直ぐな瞳と明るく穏やかな笑顔。

私は、ジル猫実に質問を続ける。

――ジルさんは、大事なものを守るためなら、どんなことでもしますか?



ジル猫実は、花が綻ぶように晴れやかな声で言った。

「ええ。間違っていると、お思いですか」