16:ザ・キャットテイル メンバーインタビュー 202■年■月■日敢行 春原佳久(Gt/Cho)
(中略)バンドの良心と言われる男は、リムレスの眼鏡を少し押し上げると、品良く組まれていた脚を綺麗に揃えて遠い目をする。スラックスに繋がれた黒い革のサスペンダー、シンプルなステッチ入りのワイシャツの襟元を飾るループタイも相まって、思案に耽る大学教授のような趣き。熱烈な一部のファンから“スノハラ先生”と呼ばれる所以は、表情豊かで激しいギタープレイとは相反する、この落ち着いた雰囲気だろう。
「(番組の)反響……ええ、それはそれは凄かったですよ、ご覧の通り(笑)個人的には、もう数年会ってない親戚から連絡が来たりもしました」
おどけて少し笑ってみせる春原だが、しかしその心は決して穏やかなものとは言えなかった。
「でもね、僕はあまり素直に受け止められないというか、喜び難い感じがあって。やっぱり、きっかけがあまり、よろしくないことじゃないですか。メンバーが重病人になって、しかも事故で、って」
今回放送されたドキュメンタリーも、そもそも自身のバンド側に直接オファーが来たわけではなかった。長年懇意にしているというイベントの主催側に、テレビ局から事故対策とイベント再開への道程をドキュメンタリー作品にさせてほしいといったオファーが来たのが最初だった。しかし、そうなるとイベントでのあってはならない事故をエンターテインメントとして消費することになってしまうと感じたイベント主催側が、それならば表舞台に立つ側である彼らにフォーカスした方が、業界への注意喚起とバンドシーンの逞しさをアピールすることに繋がるのではないか、とテレビ局側に提案したことがきっかけだったのだという。
渦中の人物であったジル本人はどのように捉えているのか、と聞くと、春原は口元をおさえて上品に苦笑し、「あいつは一番喜んでますよ」と応じた。
「今の反響の大きさを、一番喜んでいるのはジルです。まあ、だから結果的に良かったんじゃないですか。あ、そういえば聞いてくださいよ。今度、夏の音楽特番の出演が決まったんです。昼の2時から8時間ぐらいの生放送。我々はまあ、昼間の早めの時間に、2曲ばかり演奏させて頂くだけなんですけど、まさかですよね。メンバー一同かなり張り切ってます」
(中略)ザ・キャットテイルの創設メンバーとしては、最後に合流した春原。当時、心身のバランスを崩して未だに学校を休みがちだったというジルとは、サッカー部の仲間だった紺野と石川に紹介されて出会ったという。
「当時のジルですか?それはもう……目付きが悪かった(笑)誰彼構わず睨んでるんですよ。この世の全ては敵!みたいな態度で。一貫校だったので、まあ当時は珍しかったですけど僕みたいにお受験なんかして中学から編入してくる奴がいるじゃないですか。そうなるともう、そいつら全員敵!先公もみんな敵!みたいな勢いですよね。ふたり(紺野、石川)から小学生の頃のジルの様子とか聞いても、信じられませんでしたもん」
今やサブコンポーザーとして数々のキラーチューンを生み出し、ジルを支えるに留まらぬ活躍を見せる春原。名コンビだと称するファンも少なくないなか、春原はジルのことをどのような仲間だと感じているのだろうか。出会った頃から今まで、一貫している印象はあるかと問うと、彼は暫しの思案の後、「よくわからない奴」と答えた。
「よくわからない奴です(笑)25年以上の付き合いになりますけど、あの頃から今まで、ずっとよくわからない奴かも。多分、バンドのなかでも性格が真反対なんだと思います。
あいつは外に外に向かっていく性格で。誰かの話が聞きたい、誰かに愛されたいって気持ちで動くタイプ。僕は内側に入っていっちゃう。自分の世界を開示するのが面倒臭いんですよ。理解されずに気持ち悪がられたりするのが恐怖で。でもジルは、寧ろ奇異の目で見られること自体を楽しんでいるような節がありました。『キモい』って言われたら片っ端から喧嘩売って(笑)」
(中略)「当時は珍しかったけど、友チョコですよね。不気味がられなかったのがあいつらしい」と笑う。学生らしい無邪気なエピソードのなか、「不思議な打ち明け話をされることも多かった」と春原は言う。
「『ほかのふたりには恥ずかしくて言えないからヨッちゃん聞いて』とか言われて。自己開示の塊みたいな人間に見えますけど、改まった相談事とかを他人にするのは苦手そうなタイプだったので、その度に僕は肝を冷やしていました。何を言い出すのかわからなくて、不安で。頼りにされてたんですかね。ナメられてたんじゃないですか?(笑)」
なかでも印象的だったというのが、中学3年生に進学する頃にジルに持ちかけられた、彼が当時悩まされていた慢性的な不眠の原因についての相談だ。
「あいつ、よく悪夢を見ていたらしいんです。頻度は……信じられないぐらい。一日おきとか、毎日の時期もあった。だから年中寝不足で。その夢が、なかなか荒唐無稽な内容ばかりなんですね。
あいつは夢の中で江戸時代のお侍さんの息子で、でもどうしても歌手になりたいから長唄か何かのお師匠さんに弟子入りするんだけど、それが親にバレて、実の父親に斬り殺される、っていう。しかも気がついたら、第二次世界大戦直前のアメリカでロカビリー歌手やってるんだ、って」
夢なのだから多少のカオスも仕方ないとは思うと春原は笑うが、しかし当時ジルが見ていた夢は、いわゆる普通の“悪い夢”ではなかったようだ、と言う。
「その夢の内容、実際に自分の身に起こったことのようにはっきり覚えてるらしくて。なんて言えばいいのかな。夢の中って感覚にモヤがかかるというか、触覚とか嗅覚とか、はっきり覚えてないじゃないですか。ただ、こんなことしたな、とか、こんな場所にいたな、とか思い出して怖かっただとか面白かっただとか思うぐらいで。
でもあいつは、そう、たとえば夜、布団に入ると実の父親に寝首をかかれて、馬乗りにされて胸にこう、深々と短刀を刺し込まれたときの痛みとか――――痛い、どころではなかったと話していました。心臓が、焼けた石を飲み込んだように熱くなって、寝間着に粘り気のある、月明かりを反射するような液体がドロっと滲んでいって。
まずは腕。次に……脚。背中、身体じゅうから力が抜けて為す術もなくなって、呼吸が浅くなる。視界が端の方から徐々に、ミルクでも零したように白く染まって、心臓の拍動が緩慢になっていく。そういう、自分の肉体に起こっていく変化を鮮明に覚えているから、夜眠るのが怖いんだと、話していました」
いわゆる明晰夢か、と問うと、それとも違うらしいと春原は答えた。
「明晰夢、って、夢を夢であると認識できて、自分でその後の展開を左右できる夢のことですよね?」
「ジルは違ったそうです。夢を見ている間は『これは夢だ』なんて認識できないし、自分ではその後の自分自身の行動を自由に選択したりできなかったって。お父上に斬られそうになったらそのまま、斬られっぱなし。戦地に送られるのも回避できない。」
「ただただ、まるで自分が過去に経験したことの記憶を、夢として思い出しているみたいなんだ、って」
「(中略)僕、大学を卒業する頃かな、バンドを辞めたいって申し出たことがあるんですよ」初めて聞いた挿話に驚きを隠せないでいると、春原はフフ、と小さく笑い、初めて言いました、少なくともインタビューとかでは初めて、と応じた。
「MCとかでは言ったことあるかな。音楽関係の仕事に就くつもりではあったんですけど、まさかバンドで食っていけるとは思ってなかったので、ほとんど部活の延長みたいな気分だったんですね。だから、僕は就活も同時進行で進めていて。当然みんなそう(就職活動)していると思っていたんですけど、誰ひとりとしてそんなことしてなかった(笑)駄目な文系大学生の典型です」
息継ぎをするように、持参してきた大手カフェチェーンの紙カップに入ったコーヒーを一口啜る。音もなくローテーブルへ戻すと、でも、とこちらに視線を向けた。
「でも、ジルたちは本気だったから。バンドに対して。そこでもう既に心持ちの違いが生じてしまっていて。正直、ついていけないと思ったんです。」
「でもあいつ、聞き入れないんですよ」
春原の脱退の申し入れを、紺野と石川は黙って聞いていたという。離れてほしくない気持ちと、仲間の意思を尊重したい気持ちとの間で揺れていたのだろうと春原は推測する。しかし、ジルだけは受け入れなかった。必死に引き留められ、バンドに留まることを決めた。なにかしら、バンドへ残るきっかけになるような決定的な出来事はあったのだろうか。
春原ははにかむように目線を落とし、右手の中指に光る大ぶりの馬蹄形のシルバーリングを反対の手で触りながら、静かにかぶりを振った。
「別に全然、ドラマチックなきっかけとかないです。もう、3人にしこたま酒飲まされて、ひたすら泣き落とし(笑)」
「でもジルには、『俺は大事なものは絶対に手離したくないんだ』って言われました。恥ずかしげもなく。あいつ、酒弱いんで、全然飲んでなかったと思うんですけど」
素面のジル猫実の瞳に、真っ直ぐに見据えられる場面を想像する。百戦錬磨の春原でさえ逃げられない眼力に、釘付けにならないでいられる自信がない。
「そもそもジルも、大学辞めてたんですよね、あのとき。ご両親が結構高齢で、父上が病気したとかで。バイト掛け持ちしながらご両親の様子も見ながら、バンドやるのも物理的に無理でしょって僕は思ってたんですけど。でもあいつ、“持ってる”んですよ。僕たちが卒業するぐらいの時期に、丁度よく宝くじ当てやがって!(笑)」
(中略)当選金が尽きる5年後までに売れなければ解散という緊張感も相まってか、その後のザ・キャットテイルの躍進は目覚しいものだった。
(中略)ゆったりと腕を組んだバンドのブレーンは、「よくわからない奴」と称するフロントマンへの所感を、しみじみとした口調でまとめた。
「僕たちはジル猫実という、ある意味カリスマ的な才能を擁立したつもりでいたんです。あいつについて行けば大丈夫だろう、という共通認識のもとで。でも違ったんですね。あいつからしてみたら、僕たちメンバーも、友人も恋人もみんな、手に入れた大事なものなんですよ。きっとあいつの好きな、古いヴァイナルとか古書と一緒なんです。みんな、あいつの手の中から逃れられないんですね。実に恐ろしい奴です(笑)」
「大事なものを守るためなら、きっとあいつは、どんなことでもするでしょうね。たとえ自分の身を危険に晒したとしても」
(中略)バンドの良心と言われる男は、リムレスの眼鏡を少し押し上げると、品良く組まれていた脚を綺麗に揃えて遠い目をする。スラックスに繋がれた黒い革のサスペンダー、シンプルなステッチ入りのワイシャツの襟元を飾るループタイも相まって、思案に耽る大学教授のような趣き。熱烈な一部のファンから“スノハラ先生”と呼ばれる所以は、表情豊かで激しいギタープレイとは相反する、この落ち着いた雰囲気だろう。
「(番組の)反響……ええ、それはそれは凄かったですよ、ご覧の通り(笑)個人的には、もう数年会ってない親戚から連絡が来たりもしました」
おどけて少し笑ってみせる春原だが、しかしその心は決して穏やかなものとは言えなかった。
「でもね、僕はあまり素直に受け止められないというか、喜び難い感じがあって。やっぱり、きっかけがあまり、よろしくないことじゃないですか。メンバーが重病人になって、しかも事故で、って」
今回放送されたドキュメンタリーも、そもそも自身のバンド側に直接オファーが来たわけではなかった。長年懇意にしているというイベントの主催側に、テレビ局から事故対策とイベント再開への道程をドキュメンタリー作品にさせてほしいといったオファーが来たのが最初だった。しかし、そうなるとイベントでのあってはならない事故をエンターテインメントとして消費することになってしまうと感じたイベント主催側が、それならば表舞台に立つ側である彼らにフォーカスした方が、業界への注意喚起とバンドシーンの逞しさをアピールすることに繋がるのではないか、とテレビ局側に提案したことがきっかけだったのだという。
渦中の人物であったジル本人はどのように捉えているのか、と聞くと、春原は口元をおさえて上品に苦笑し、「あいつは一番喜んでますよ」と応じた。
「今の反響の大きさを、一番喜んでいるのはジルです。まあ、だから結果的に良かったんじゃないですか。あ、そういえば聞いてくださいよ。今度、夏の音楽特番の出演が決まったんです。昼の2時から8時間ぐらいの生放送。我々はまあ、昼間の早めの時間に、2曲ばかり演奏させて頂くだけなんですけど、まさかですよね。メンバー一同かなり張り切ってます」
(中略)ザ・キャットテイルの創設メンバーとしては、最後に合流した春原。当時、心身のバランスを崩して未だに学校を休みがちだったというジルとは、サッカー部の仲間だった紺野と石川に紹介されて出会ったという。
「当時のジルですか?それはもう……目付きが悪かった(笑)誰彼構わず睨んでるんですよ。この世の全ては敵!みたいな態度で。一貫校だったので、まあ当時は珍しかったですけど僕みたいにお受験なんかして中学から編入してくる奴がいるじゃないですか。そうなるともう、そいつら全員敵!先公もみんな敵!みたいな勢いですよね。ふたり(紺野、石川)から小学生の頃のジルの様子とか聞いても、信じられませんでしたもん」
今やサブコンポーザーとして数々のキラーチューンを生み出し、ジルを支えるに留まらぬ活躍を見せる春原。名コンビだと称するファンも少なくないなか、春原はジルのことをどのような仲間だと感じているのだろうか。出会った頃から今まで、一貫している印象はあるかと問うと、彼は暫しの思案の後、「よくわからない奴」と答えた。
「よくわからない奴です(笑)25年以上の付き合いになりますけど、あの頃から今まで、ずっとよくわからない奴かも。多分、バンドのなかでも性格が真反対なんだと思います。
あいつは外に外に向かっていく性格で。誰かの話が聞きたい、誰かに愛されたいって気持ちで動くタイプ。僕は内側に入っていっちゃう。自分の世界を開示するのが面倒臭いんですよ。理解されずに気持ち悪がられたりするのが恐怖で。でもジルは、寧ろ奇異の目で見られること自体を楽しんでいるような節がありました。『キモい』って言われたら片っ端から喧嘩売って(笑)」
(中略)「当時は珍しかったけど、友チョコですよね。不気味がられなかったのがあいつらしい」と笑う。学生らしい無邪気なエピソードのなか、「不思議な打ち明け話をされることも多かった」と春原は言う。
「『ほかのふたりには恥ずかしくて言えないからヨッちゃん聞いて』とか言われて。自己開示の塊みたいな人間に見えますけど、改まった相談事とかを他人にするのは苦手そうなタイプだったので、その度に僕は肝を冷やしていました。何を言い出すのかわからなくて、不安で。頼りにされてたんですかね。ナメられてたんじゃないですか?(笑)」
なかでも印象的だったというのが、中学3年生に進学する頃にジルに持ちかけられた、彼が当時悩まされていた慢性的な不眠の原因についての相談だ。
「あいつ、よく悪夢を見ていたらしいんです。頻度は……信じられないぐらい。一日おきとか、毎日の時期もあった。だから年中寝不足で。その夢が、なかなか荒唐無稽な内容ばかりなんですね。
あいつは夢の中で江戸時代のお侍さんの息子で、でもどうしても歌手になりたいから長唄か何かのお師匠さんに弟子入りするんだけど、それが親にバレて、実の父親に斬り殺される、っていう。しかも気がついたら、第二次世界大戦直前のアメリカでロカビリー歌手やってるんだ、って」
夢なのだから多少のカオスも仕方ないとは思うと春原は笑うが、しかし当時ジルが見ていた夢は、いわゆる普通の“悪い夢”ではなかったようだ、と言う。
「その夢の内容、実際に自分の身に起こったことのようにはっきり覚えてるらしくて。なんて言えばいいのかな。夢の中って感覚にモヤがかかるというか、触覚とか嗅覚とか、はっきり覚えてないじゃないですか。ただ、こんなことしたな、とか、こんな場所にいたな、とか思い出して怖かっただとか面白かっただとか思うぐらいで。
でもあいつは、そう、たとえば夜、布団に入ると実の父親に寝首をかかれて、馬乗りにされて胸にこう、深々と短刀を刺し込まれたときの痛みとか――――痛い、どころではなかったと話していました。心臓が、焼けた石を飲み込んだように熱くなって、寝間着に粘り気のある、月明かりを反射するような液体がドロっと滲んでいって。
まずは腕。次に……脚。背中、身体じゅうから力が抜けて為す術もなくなって、呼吸が浅くなる。視界が端の方から徐々に、ミルクでも零したように白く染まって、心臓の拍動が緩慢になっていく。そういう、自分の肉体に起こっていく変化を鮮明に覚えているから、夜眠るのが怖いんだと、話していました」
いわゆる明晰夢か、と問うと、それとも違うらしいと春原は答えた。
「明晰夢、って、夢を夢であると認識できて、自分でその後の展開を左右できる夢のことですよね?」
「ジルは違ったそうです。夢を見ている間は『これは夢だ』なんて認識できないし、自分ではその後の自分自身の行動を自由に選択したりできなかったって。お父上に斬られそうになったらそのまま、斬られっぱなし。戦地に送られるのも回避できない。」
「ただただ、まるで自分が過去に経験したことの記憶を、夢として思い出しているみたいなんだ、って」
「(中略)僕、大学を卒業する頃かな、バンドを辞めたいって申し出たことがあるんですよ」初めて聞いた挿話に驚きを隠せないでいると、春原はフフ、と小さく笑い、初めて言いました、少なくともインタビューとかでは初めて、と応じた。
「MCとかでは言ったことあるかな。音楽関係の仕事に就くつもりではあったんですけど、まさかバンドで食っていけるとは思ってなかったので、ほとんど部活の延長みたいな気分だったんですね。だから、僕は就活も同時進行で進めていて。当然みんなそう(就職活動)していると思っていたんですけど、誰ひとりとしてそんなことしてなかった(笑)駄目な文系大学生の典型です」
息継ぎをするように、持参してきた大手カフェチェーンの紙カップに入ったコーヒーを一口啜る。音もなくローテーブルへ戻すと、でも、とこちらに視線を向けた。
「でも、ジルたちは本気だったから。バンドに対して。そこでもう既に心持ちの違いが生じてしまっていて。正直、ついていけないと思ったんです。」
「でもあいつ、聞き入れないんですよ」
春原の脱退の申し入れを、紺野と石川は黙って聞いていたという。離れてほしくない気持ちと、仲間の意思を尊重したい気持ちとの間で揺れていたのだろうと春原は推測する。しかし、ジルだけは受け入れなかった。必死に引き留められ、バンドに留まることを決めた。なにかしら、バンドへ残るきっかけになるような決定的な出来事はあったのだろうか。
春原ははにかむように目線を落とし、右手の中指に光る大ぶりの馬蹄形のシルバーリングを反対の手で触りながら、静かにかぶりを振った。
「別に全然、ドラマチックなきっかけとかないです。もう、3人にしこたま酒飲まされて、ひたすら泣き落とし(笑)」
「でもジルには、『俺は大事なものは絶対に手離したくないんだ』って言われました。恥ずかしげもなく。あいつ、酒弱いんで、全然飲んでなかったと思うんですけど」
素面のジル猫実の瞳に、真っ直ぐに見据えられる場面を想像する。百戦錬磨の春原でさえ逃げられない眼力に、釘付けにならないでいられる自信がない。
「そもそもジルも、大学辞めてたんですよね、あのとき。ご両親が結構高齢で、父上が病気したとかで。バイト掛け持ちしながらご両親の様子も見ながら、バンドやるのも物理的に無理でしょって僕は思ってたんですけど。でもあいつ、“持ってる”んですよ。僕たちが卒業するぐらいの時期に、丁度よく宝くじ当てやがって!(笑)」
(中略)当選金が尽きる5年後までに売れなければ解散という緊張感も相まってか、その後のザ・キャットテイルの躍進は目覚しいものだった。
(中略)ゆったりと腕を組んだバンドのブレーンは、「よくわからない奴」と称するフロントマンへの所感を、しみじみとした口調でまとめた。
「僕たちはジル猫実という、ある意味カリスマ的な才能を擁立したつもりでいたんです。あいつについて行けば大丈夫だろう、という共通認識のもとで。でも違ったんですね。あいつからしてみたら、僕たちメンバーも、友人も恋人もみんな、手に入れた大事なものなんですよ。きっとあいつの好きな、古いヴァイナルとか古書と一緒なんです。みんな、あいつの手の中から逃れられないんですね。実に恐ろしい奴です(笑)」
「大事なものを守るためなら、きっとあいつは、どんなことでもするでしょうね。たとえ自分の身を危険に晒したとしても」

