その夜は、レオ先輩のスーツ姿が目に焼きついて、なかなか寝付けなかった。
ベッドに横になったまま、手のひらを天井にかざしてレオ先輩を思い出す。
レオ先輩の手、すごく大きかったな……。
骨ばって、ごつごつしていて、熱っぽくて。
スーツ姿も肩で揺れる髪も、ネクタイを緩める指先も、思い出すだけでじんわりと胸のあたりが熱くなる。
それに、……レオ先輩が俺のために怒ってくれた。
頭から水をかけられたことも、大勢に指を差して笑われたことも、どうでもよくなるくらい嬉しかった。
自分が、レオ先輩にとってほんの少し特別な存在になれた気がしたから。
……なんて、図々しいかな。レオ先輩は優しいから。
ふいに、スーツ姿で登場したレオ先輩を思い出して、枕に顔をうずめた。
「あれは、反則だよ……」
レオ先輩の艶のある横顔や大人びた眼差し、それに先輩の腕の中のシトラスの香りまでよみがえり、布団のなかでジタバタと悶えた。
はあ、……やっぱりレオ先輩はずるいよ……。
先輩のことを知れば知るほど、レオ先輩に惹かれて、俺はレオ先輩でいっぱいになる。
明日もレオ先輩に会えるといいな……。
カーテンの向こうでは空がうっすらと明るくなっていて、先輩のことを思いながら目を閉じた。
翌日の放課後、文化祭の打ち合わせが終わるとすぐにレオ先輩の元に向かった
けれど地下室にも駅の周りにもレオ先輩を見つけることはできなくて、がっくりと肩を落として家に帰った。
「あれ、流星どしたの?」
玄関のドアを開けると、流星が母ちゃんとテレビを見ている。
「どしたの、じゃないだろ。お前、授業中、寝るにもほどがあるだろ。文化祭が終わったら、連日追試と補習じゃ笑えない」
あ─……、たしかに。
文化祭の準備も佳境に入り、日中は忙しなく過ぎていき、放課後は駅裏に直行してレオ先輩を探している。
地下室で先輩の描いた絵を眺めたり、雑居ビルの並ぶ裏通りにレオ先輩がいないか探しているとあっという間に時間が過ぎて、ここ最近は帰宅時間そのものがかなり遅い。
そのうえ、夜になるとレオ先輩のことを想ってなかなか眠れない。
結果、授業開始のチャイムと同時に瞼が閉じる仕様になってしまった。
このままだと、文化祭明けには追試につぐ追試の地獄の日々がやってくる。
「流星くん、心配して来てくれたのよ」
「感謝……」
「とりあえず、期末用にまとめたノートと提出課題を持ってきたから。夕飯食ったら、すぐにとり掛かるからな」
「ういっす」
どさっと荷物を置くと、流星の隣に腰かけた。
「太陽、寝不足か?」
「ん、ちょっとだけ」
くわあっと欠伸をすると、流星にぽかっと頭をたたかれた。
「やる気はどうした」
「いや、わかってるって」
「ったく、俺がレオ先輩だったら、頑張るんだろ」
「え? レオ先輩!?」
急にレオ先輩の名前が飛び出して、ぱちっと目が覚めた。
「レオ先輩って、めちゃくちゃ頭いいんだってな。ほとんど学校来てないのにすごいよな」
「え……、レオ先輩って、頭いいの?」
「ぶっ飛んでるらしい。そもそも、ノー勉でこの高校に入って、トップの成績だったらしいし。それが、出席日数足りないのに進級してる理由だって」
ノー勉で、トップの成績!?
……俺、わりと頑張ってもビリなのに。
「レオ先輩が通ってた中学って、あの有名なお坊ちゃん学校だろ? 偏差値エグイよな」
「そっか、レオ先輩って、なんでもできるんだ」
絵やバスケが上手いだけじゃないんだ……。
そんな話をしながら夕飯を食べ終えると、まったりする間もなく部屋で流星と並んで教科書を開き、問題を解く。
……ことは俺にはできなかった。
ごめん、流星……。
「どの口が、頑張るって言ったんだよ」
呆れる流星の声を遠くに聞きながら、日々の疲れに気力も体力も尽きて、ついでにお腹もいっぱいで心地よくて、うとうとと眠りの波にさらわれた。
「おい、太陽、起きろよ」
「ん……」
ぺちぺちとわりと乱暴に顔をたたかれて、かろうじて目を開ける。
「ここにノートと課題、置いてくから。ちゃんとやっておけよ」
「了解……、流星、いつもありがとな」
「おう、大事な幼なじみだからな」
「んー……」
流星がドアを閉めると同時に深い眠りに落ちた。
今日もまた文化祭準備が終わるとすぐに駅に向かった。
いつもの廃ビルに足を踏み入れると、地下室にひとの気配を感じて胸が熱くなる。
やった、レオ先輩が地下室にいる!
そーっと地下室をのぞくと、先輩は、俺に気づかず一心に壁を彩っている。
先輩は日々、隙間なく廃ビルの壁を作品で埋めていく。
なにかに追われるように、なにかに突き動かされるように。
その姿はまさに孤高のアーティストって感じで、心ごと奪われる。
地下室の隅に座り、息をひそめてその姿を見つめていると、先輩が動きを止めた。
「……太陽?」
「は、はいっ」
スプレー缶を置いたレオ先輩が、そこではじめて俺に気づいた。
「あ、あの、差し入れにいろいろ持って来たんですけど。なにか飲みますか?」
「ん、喉、乾いた」
コンビニの袋からペットボトルを一本取り出して、先輩に手渡した。
ゴクゴクと音を立てて水を飲む先輩に視線が吸い寄せられて、あたふたと目をそらす。
汗で湿った髪が額に張りついて、その喉仏が上下するたびにドギマギする。
「あ、ペンキ、ついてますよ」
あまり深く考えずに先輩の頬っぺたに指先をのばすと、その手をつかまれた。
その瞬間、胸が高く鳴って、息が止まった。
すぐ目の前に先輩の鋭い瞳があって、この瞳に見つめられると捕食された小動物みたいに身動きがとれなくなってしまう。
「あ、あの、レオ先輩、どうしたんですか?」
「……べつに」
俺から離れると、レオ先輩は手足を投げ出して、コンクリートの床に倒れ込んだ。
魂が抜けたように目を閉じて、先輩は、ぴくりとも動かない。
その姿に、ふと怖くなる。
レオ先輩の大きな身体が、冷たいコンクリートにのまれて、先輩もコンクリートの一部になってしまいそうで、そんなことがあるはずないのに、思わず先輩の手をつかんでひっぱった。
「先輩、こんなとこで寝たらダメですよ」
「いいんだよ」
「家で寝てください」
「家じゃ寝れねぇんだよ」
「それならうちに来ますか?」
「やめとく。太陽が筋の悪い輩とつるんでるって、親が心配するぞ」
「うちの母ちゃんはそんなことで心配したりしませんよ」
そう笑って答えたけど、レオ先輩は黙ったままだ。
最近の先輩はあまり笑わない。
今日も壁を見つめるレオ先輩の横顔には深い影が落ちていて、少し悩んでレオ先輩に声をかけた。
「あの、レオ先輩!」
「ん?」
「えと、今、親から連絡があって。夕飯を作りすぎちゃったみたいで。その、よかったらうちに食べにきませんか? 母ちゃんの唐揚げ、めちゃくちゃ美味いんで。絶対に後悔させませんからっ」
ついつい力が入って、最後は叫ぶように告げてしまった。
けれど、レオ先輩はあっさりと首を横にふる。
「やめとく」
まあ、わかってはいたけど。
無碍もなく断られて、しゅんっと肩を落とすと、先輩がぷっと吹き出した。
「つうか、後悔させませんってなんだよ、それ。いきなり、叫び出すし」
グレージュの髪を揺らして、レオ先輩が肩を震わせて笑っている。
先輩がこんなに楽しそうに笑う姿を見たのは久しぶりかも。
その姿になんだか、俺まで楽しくなってくる。
こんな些細なことで嬉しくなるなんて、俺ってどうかしてるのかな。
「それ、食ってみたい」
「……ほんとに?」
驚きすぎて、声が震えた。
「後悔させないんだろ?」
笑いをこらえるレオ先輩に顔をのぞきこまれて、目を見開いた。
いきなり至近距離に顔を寄せてくるのはとても心臓に悪い。
「けど、俺、結構食うぞ」
「全然! たくさんあるんで、任せてください、大丈夫です!」
「くくっ、任せてくださいって、なんだよ、それ」
ああ、もう、肩をゆすって笑う先輩をいつまでも見つめていたい。
ふいに笑顔を見せたレオ先輩にぎゅうっと胸の奥が苦しくなって、心臓のあたりをぐっとつかんだ。
ベッドに横になったまま、手のひらを天井にかざしてレオ先輩を思い出す。
レオ先輩の手、すごく大きかったな……。
骨ばって、ごつごつしていて、熱っぽくて。
スーツ姿も肩で揺れる髪も、ネクタイを緩める指先も、思い出すだけでじんわりと胸のあたりが熱くなる。
それに、……レオ先輩が俺のために怒ってくれた。
頭から水をかけられたことも、大勢に指を差して笑われたことも、どうでもよくなるくらい嬉しかった。
自分が、レオ先輩にとってほんの少し特別な存在になれた気がしたから。
……なんて、図々しいかな。レオ先輩は優しいから。
ふいに、スーツ姿で登場したレオ先輩を思い出して、枕に顔をうずめた。
「あれは、反則だよ……」
レオ先輩の艶のある横顔や大人びた眼差し、それに先輩の腕の中のシトラスの香りまでよみがえり、布団のなかでジタバタと悶えた。
はあ、……やっぱりレオ先輩はずるいよ……。
先輩のことを知れば知るほど、レオ先輩に惹かれて、俺はレオ先輩でいっぱいになる。
明日もレオ先輩に会えるといいな……。
カーテンの向こうでは空がうっすらと明るくなっていて、先輩のことを思いながら目を閉じた。
翌日の放課後、文化祭の打ち合わせが終わるとすぐにレオ先輩の元に向かった
けれど地下室にも駅の周りにもレオ先輩を見つけることはできなくて、がっくりと肩を落として家に帰った。
「あれ、流星どしたの?」
玄関のドアを開けると、流星が母ちゃんとテレビを見ている。
「どしたの、じゃないだろ。お前、授業中、寝るにもほどがあるだろ。文化祭が終わったら、連日追試と補習じゃ笑えない」
あ─……、たしかに。
文化祭の準備も佳境に入り、日中は忙しなく過ぎていき、放課後は駅裏に直行してレオ先輩を探している。
地下室で先輩の描いた絵を眺めたり、雑居ビルの並ぶ裏通りにレオ先輩がいないか探しているとあっという間に時間が過ぎて、ここ最近は帰宅時間そのものがかなり遅い。
そのうえ、夜になるとレオ先輩のことを想ってなかなか眠れない。
結果、授業開始のチャイムと同時に瞼が閉じる仕様になってしまった。
このままだと、文化祭明けには追試につぐ追試の地獄の日々がやってくる。
「流星くん、心配して来てくれたのよ」
「感謝……」
「とりあえず、期末用にまとめたノートと提出課題を持ってきたから。夕飯食ったら、すぐにとり掛かるからな」
「ういっす」
どさっと荷物を置くと、流星の隣に腰かけた。
「太陽、寝不足か?」
「ん、ちょっとだけ」
くわあっと欠伸をすると、流星にぽかっと頭をたたかれた。
「やる気はどうした」
「いや、わかってるって」
「ったく、俺がレオ先輩だったら、頑張るんだろ」
「え? レオ先輩!?」
急にレオ先輩の名前が飛び出して、ぱちっと目が覚めた。
「レオ先輩って、めちゃくちゃ頭いいんだってな。ほとんど学校来てないのにすごいよな」
「え……、レオ先輩って、頭いいの?」
「ぶっ飛んでるらしい。そもそも、ノー勉でこの高校に入って、トップの成績だったらしいし。それが、出席日数足りないのに進級してる理由だって」
ノー勉で、トップの成績!?
……俺、わりと頑張ってもビリなのに。
「レオ先輩が通ってた中学って、あの有名なお坊ちゃん学校だろ? 偏差値エグイよな」
「そっか、レオ先輩って、なんでもできるんだ」
絵やバスケが上手いだけじゃないんだ……。
そんな話をしながら夕飯を食べ終えると、まったりする間もなく部屋で流星と並んで教科書を開き、問題を解く。
……ことは俺にはできなかった。
ごめん、流星……。
「どの口が、頑張るって言ったんだよ」
呆れる流星の声を遠くに聞きながら、日々の疲れに気力も体力も尽きて、ついでにお腹もいっぱいで心地よくて、うとうとと眠りの波にさらわれた。
「おい、太陽、起きろよ」
「ん……」
ぺちぺちとわりと乱暴に顔をたたかれて、かろうじて目を開ける。
「ここにノートと課題、置いてくから。ちゃんとやっておけよ」
「了解……、流星、いつもありがとな」
「おう、大事な幼なじみだからな」
「んー……」
流星がドアを閉めると同時に深い眠りに落ちた。
今日もまた文化祭準備が終わるとすぐに駅に向かった。
いつもの廃ビルに足を踏み入れると、地下室にひとの気配を感じて胸が熱くなる。
やった、レオ先輩が地下室にいる!
そーっと地下室をのぞくと、先輩は、俺に気づかず一心に壁を彩っている。
先輩は日々、隙間なく廃ビルの壁を作品で埋めていく。
なにかに追われるように、なにかに突き動かされるように。
その姿はまさに孤高のアーティストって感じで、心ごと奪われる。
地下室の隅に座り、息をひそめてその姿を見つめていると、先輩が動きを止めた。
「……太陽?」
「は、はいっ」
スプレー缶を置いたレオ先輩が、そこではじめて俺に気づいた。
「あ、あの、差し入れにいろいろ持って来たんですけど。なにか飲みますか?」
「ん、喉、乾いた」
コンビニの袋からペットボトルを一本取り出して、先輩に手渡した。
ゴクゴクと音を立てて水を飲む先輩に視線が吸い寄せられて、あたふたと目をそらす。
汗で湿った髪が額に張りついて、その喉仏が上下するたびにドギマギする。
「あ、ペンキ、ついてますよ」
あまり深く考えずに先輩の頬っぺたに指先をのばすと、その手をつかまれた。
その瞬間、胸が高く鳴って、息が止まった。
すぐ目の前に先輩の鋭い瞳があって、この瞳に見つめられると捕食された小動物みたいに身動きがとれなくなってしまう。
「あ、あの、レオ先輩、どうしたんですか?」
「……べつに」
俺から離れると、レオ先輩は手足を投げ出して、コンクリートの床に倒れ込んだ。
魂が抜けたように目を閉じて、先輩は、ぴくりとも動かない。
その姿に、ふと怖くなる。
レオ先輩の大きな身体が、冷たいコンクリートにのまれて、先輩もコンクリートの一部になってしまいそうで、そんなことがあるはずないのに、思わず先輩の手をつかんでひっぱった。
「先輩、こんなとこで寝たらダメですよ」
「いいんだよ」
「家で寝てください」
「家じゃ寝れねぇんだよ」
「それならうちに来ますか?」
「やめとく。太陽が筋の悪い輩とつるんでるって、親が心配するぞ」
「うちの母ちゃんはそんなことで心配したりしませんよ」
そう笑って答えたけど、レオ先輩は黙ったままだ。
最近の先輩はあまり笑わない。
今日も壁を見つめるレオ先輩の横顔には深い影が落ちていて、少し悩んでレオ先輩に声をかけた。
「あの、レオ先輩!」
「ん?」
「えと、今、親から連絡があって。夕飯を作りすぎちゃったみたいで。その、よかったらうちに食べにきませんか? 母ちゃんの唐揚げ、めちゃくちゃ美味いんで。絶対に後悔させませんからっ」
ついつい力が入って、最後は叫ぶように告げてしまった。
けれど、レオ先輩はあっさりと首を横にふる。
「やめとく」
まあ、わかってはいたけど。
無碍もなく断られて、しゅんっと肩を落とすと、先輩がぷっと吹き出した。
「つうか、後悔させませんってなんだよ、それ。いきなり、叫び出すし」
グレージュの髪を揺らして、レオ先輩が肩を震わせて笑っている。
先輩がこんなに楽しそうに笑う姿を見たのは久しぶりかも。
その姿になんだか、俺まで楽しくなってくる。
こんな些細なことで嬉しくなるなんて、俺ってどうかしてるのかな。
「それ、食ってみたい」
「……ほんとに?」
驚きすぎて、声が震えた。
「後悔させないんだろ?」
笑いをこらえるレオ先輩に顔をのぞきこまれて、目を見開いた。
いきなり至近距離に顔を寄せてくるのはとても心臓に悪い。
「けど、俺、結構食うぞ」
「全然! たくさんあるんで、任せてください、大丈夫です!」
「くくっ、任せてくださいって、なんだよ、それ」
ああ、もう、肩をゆすって笑う先輩をいつまでも見つめていたい。
ふいに笑顔を見せたレオ先輩にぎゅうっと胸の奥が苦しくなって、心臓のあたりをぐっとつかんだ。
